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第一話 氷嚢と金平糖


 永禄の終わり。

 京の風は、焦げ付いた鉄の臭いがした。


「……霧丸。熱いか」


 無機質な声が、薄暗い陣屋の中に響く。

 声をかけたのは、上座に座す男――六道魁峻リクドウ・カイシュンだ。


 その瞳には怜悧な合理性が宿り、目の前の男を「家臣」としてではなく、一振りの「磨き抜かれた凶器」として検分している。


「いいえ。……これしき」


 雨田霧丸ウダ・キリマルは、頭に乗せた氷嚢を指先で微かに整えながら、短く答えた。


 彼の着流しからは、絶えず白い蒸気が立ち昇っている。

 生体電気を直接制御し、神経系を強制加速させ続ける代償――脳のオーバーヒートだ。

 氷嚢がなければ、彼の思考は数分と持たずに焼き切れるだろう。


 魁峻は無言のまま、傍らに置かれた漆塗りの小箱を霧丸の方へ滑らせた。


 中には、当時としては天下の至宝にも等しい南蛮渡来の金平糖――純度の高い角砂糖が詰まっている。


「食え。次の標的は、比叡の火術師共だ」


 霧丸は迷わず一粒を口に放り込んだ。

 脳が、そしてボロボロに崩れかけながらも異様な代謝で形を保つ筋肉が、乾いた砂が水を吸うように糖分を求めていた。


「御意」


 霧丸が立ち上がると、その周囲の空気がパチリと爆ぜた。

 本来、異国の魔導士が伝えた術式は、詠唱によって「気」を「火」へと翻訳する工程を必要とする。

 だが、霧丸にそんなまどろっこしい真似は不要だった。


 彼は自らの意志だけで、体内の電荷を、磁場を、そして波長を操る。


 ――戦場に、霧丸が一人で現れた。


 対峙するのは、火縄銃のごとき詠唱で火球を装填する、旧来の魔導士兵団だ。


「放てッ!」


 号令と共に、数十の火球が霧丸を襲う。

 だが。


 霧丸の視界――サーマルヴィジョンには、熱源の軌道が止まって見えていた。


 神経加速。


 加速された思考の中で、霧丸は腰の刀に手をかける。

 刀身に高周波の振動を与え、分子結合を寸断する極限の刃へと変貌させる。


 瞬間。

 戦場を青白い条電が駆け抜けた。


 ローレンツ力を利用した超高速の抜刀術。

 それは魔法ではなく、純粋な物理的加速の暴威であった。


 一閃。


 火球は着弾する前に霧散し、魔導士たちの胸元には、ただ一筋の「雷」が通り抜けた跡だけが残された。


 霧丸は刀を鞘に収めると、溶けかけた氷嚢を再び深く被り直した。


 意識の端で、遠く離れた本陣に座す主君の視線を感じる。


 労いの言葉などない。賞賛の拍手もない。

 だが、今の戦いを主君が「最強の矛」の仕事として認めている。

 その確信こそが、霧丸にとっての「最高の誉れ」であった。


 彼は懐から一粒の角砂糖を取り出し、ガリリと噛み砕く。


 腹は減っている。体は焼けるように熱い。

 それでも彼は、満腹を装うかのように気高く、高楊枝を咥えて戦場を後にした。


「……武士道とは、死ぬこととみつけたり」


 まだ、その時ではない。

 男の痩せ我慢は、まだ始まったばかりだ。

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