第一話 隣の席の君(乙寧視点)
初回投稿に、大幅な加筆修正がされています。
今すぐ帰って推しに会いたい。
植物の成長条件は、光・水・空気・温度・養分だが、私の場合は、推し・グッズ・スマホ・パソコン・インターネットである。
しかし、現在、スマホという名の文明の利器は、電源を切って、スクールバッグにしまってある。この高校の校則上、校内ではスマホの使用は禁止らしい。
ということは、今から最低でも7時間は私の生命線が絶たれることになる。無念。
以前の学校は、授業中にさえ触らなければ問題なかったのに、こんなところで転校の弊害が出るとは思ってもいなかった。
はあ……。
少し黄味がかっている年季の入った教室の扉を前に、私は馬鹿でかい溜息をつく。
私、田下乙寧は、今日から目の前の1年5組に転入する。
はあ……。
またしても口から溜息が漏れる。
教室からは、生徒のくぐもった笑い声と、男の担任の声が聞こえてくる。
これからこの中に混ざるのかと思うと、気が重くなる。
担任の声はまだ若く、ふと、下見で会った時の、まだ幼さが残る顔を思い出す。
「うちのクラスは明るい子が多いからすぐ馴染めると思うよ」
確か、そんなことを言われたような気がする。名前は、朝日先生だった。恐らく。下の名前みたいな苗字だなと思ったので、自分にしては珍しく覚えていた。
にしても本当に、こんな絶妙な時期に転校してきて本当に馴染めるのだろうか。
左腕に付けている電子腕時計が、2026年1月8日と表示している。
特に大きなイベントもなく、そろそろ一年が終わるという集大成のこの時期、ただのモブが新キャラとして出てきても、向こうが扱いに困るだけだ。
別に自分だってしたくて転校してきた訳ではないが、これからクラスメイトになるであろう人達に心の中で合掌する。申し訳ない。
しかも、根っからインターネットに染まり切った二次元オタクともなれば、3か月という限られたタイムリミットの中で友達を作れる確率なんか激減。
もう、いっその事、友達を作るのは早々に諦めて、二次元の推し達を眺めていたほうが楽なのではないか。
いや、その推しさえも学校ではもう眺めることが叶わないのか。グッズなんて持参した暁にはクラスメイトの注目の的(勿論悪い意味)になるだろうし、八方塞がりだ。推しがいないでどうやって高校生活を生き抜こうか。
初詣で引いたおみくじは大吉だったが、本当に大丈夫なのかと、神を疑いたくなる。逆に罰が当たりそうだが。
そんなことを考えていると、前の扉がガラガラと音を立てて開いた。
廊下の少し寒い空気に、教室の暖房で暖められた空気が混じる。
朝日先生は、扉に手をつくと、顔を少し廊下に出して、私に呼び掛ける。
「入ったら、自己紹介お願いできる?」
来た、自己紹介イベント。
今まで、転校はしたことがなかったが、このシチュエーションなら小説やアニメで幾度となく見てきた。クラスメイトからの第一印象が決まる重要イベント。無論、準備は完璧である。
「わかりました」
「じゃあ、どうぞ。入って」
朝日先生に続いて教室に入ると、一気に沢山の視線を感じる。
朝日先生に並んで教卓の前に立つと、初めてクラスメイトと向き合った。
先程まで、ざわざわと騒がしかった教室が一瞬にして静まり返る。あまりの静けさに、自分の心音がクラス中に聞かれていないかが心配になる。
先程までは、あまり意識していなかったが、いざ全員を前にすると、急に緊張してくる。
クラスの人数は全員で35人。私を入れたら36人。
今、70個の目が自分に向いている。
そう意識すると、スクールバッグを掴む手が湿ってくる。
前を見ているはずなのに、何故か視界がぼやけてくる。上手く人の顔が認識できない。
「この子が今日から来た転入生ね。はい、自己紹介お願いします」
自己紹介の練習も鏡の前で、あれだけしてきたのに、頭が真っ白になり、何も思い出せない。
何とか喋ろうと口を開くも、出てくるのはかすれた弱々しい声とも言えない音だけ。
「大丈夫?」
様子を見かねた朝日先生が、顔を近づけて、小声で話しかけてくる。
「あ、大丈夫、です」
全然大丈夫ではないが、そんなことが言えるわけもなく、咄嗟に嘘をつく。
まだか、とクラスメイトが怪訝そうな視線を送っている気がする。早く言わなくては、という気持ちが逸り、さらに追い詰められる。
どうにかしてこの場を切り抜けないと、と意を決して、大きく息を吸い込む。
「た、田下乙寧です。えと、よろしくお願いします」
早口で捲し立てるように言うと、勢い良くお辞儀をする。
沈黙。そして、少し経ってから、ざわざわと一気に騒がしくなる。
恐る恐る顔を上げると、クラスメイトが、こちらをチラリと見ながらお互いに顔を合わせていた。
それを見て、サーっと血の気が引く。
や、やってしまった。あれだけ色々考えてきたのに、結局名前と挨拶しか言えなかった。
趣味の一つや二つでも言えればよかったのに、これじゃあ、仲良くする気が無い奴みたいじゃないか!
その上、笑わないし、めっちゃ早口だし、愛想悪すぎて皆絶対引いているでしょこれ……。
「というわけで、田下さん、これからよろしくね。じゃあ、席は、窓際の一番奥の席で」
「はい……」
なるべくクラスメイトと目を合わせず、逃げるように、俯きながら早足で指定された席まで向かう。
教卓から席までの距離が異様に長く感じる。クラスメイトがコソコソと何かを話していることが分かる。とにかく、早く席に着きたかった。
終わった、終わった、終わった、終わった、終わった、終わった。
せめて、自己紹介だけは頑張ろうと思ったのに。たくさんシミュレーションしてきたのに!
机の横にスクールバッグをかけると、極力音を立てないように、椅子を引き、座る。
私が座るのを確認して、朝日先生が喋り始めた。
ああ、ぼっち確定だ。皆から変に気を遣われ、腫物扱いで後3か月生きていくんだ。もう私は存在感を消して細々と生活するんだ。
はあ……。
本日3回目の溜息。朝日先生の話もまるで入ってこない。何やら先生が面白いことを言って、クラスが笑いの渦に飲まれる。自分の時との反応の差で心が苦しくなる。
俯いて、ただ机を眺める。
これからの学校生活、一体どうなるんだ?
ああ、早く推しを摂取したい。供給が足りない。帰りたい。
心の中で頭を抱えていると、不意に隣からクイっとブレザーが引っ張られた。
何だろうと思い、隣を向くと、啞然とした。
「え」
そこには天使がいた。
厳密に言うと、勿論天使ではない。れっきとした人間の女の子だ。
ゆるく巻かれた長い髪、ピンクに染まった頬、優し気な垂れ目、ぷっくりとした唇。そして、彼女には、周りに花でも飛んでいるのではないかと錯覚するほどほんわかとした雰囲気が漂っていた。
こんなふんわりした生き物は、天使しか知らない。そのため、自分の脳が天使と錯覚した。間違いない。
自分の心臓がズッキューンと射貫かれる音がする。
心拍数がドクドクと上昇している。
取りあえず一言で彼女を表すとしたら、可愛い。とにかく可愛い。
自分の可愛いセンサーが反応し過ぎて、サイレンが鳴っている気がする。
可愛すぎやしませんか……???と問いただしたい気持ちを必死に抑え込む。
あまりにも好みド直球すぎて、幻覚を見ている気分になる。
眩しすぎて、目をそらしたい気持ちと、可愛すぎて、ずっと見つめていたい気持ちが殴り合っている。あ、アッパー決まった。
そんな良く分からない死闘を脳内で繰り広げていると、隣の彼女が小声で話しかけてきた。
「私、高嶺萌って言うんだ。よろしくね」
「えあ、ひゃい」
噛んでしまい、変な声が出てしまった。
それを聞いて、高嶺さんがクスクスと笑う。
ふと、彼女の視線が自分の手に落ちる。
「大丈夫?手、震えているよ?」
そう言って、優し気な目で私を見つめる。
思わずスッと手を引こうとしたが、高嶺さんが自然に手を伸ばして、私の手と重ねる。
「わ、凄く冷たい。カイロ持ってる?貸そうか?」
「え、天使かなんかですか???」
(だ、大丈夫です)
クエスチョンマークを頭の上に浮かべながら、こてんと首を傾げる高嶺さんを見て、咄嗟に自分の口を塞ぐ。
しまった。あまりにも可愛すぎて、本音と建前が逆になってしまった。
見た目だけではなく、声まで可愛いとは何事なんだろうか?
声を聞くだけで、あったかいふわふわのお布団に包まれている気分になる。
それに、初対面の赤の他人に気まで使ってくれるなんて!
生まれて初めて末端冷え性に感謝している。ありがとう。
外見だけでなく、声も性格も最高とは、流石にカンストし過ぎなのでは?
この世界にこんな完璧な人間が存在するのだろうか。否、存在する。しかも、目の前に。
「あいや、なんでもないです。カイロ、は持ってますので、ありがとうございます」
「良かった。ちゃんと手、暖めてね。それと、乙寧ちゃんって呼んでもいい?」
え?逆にいいんですか?
こちらからお願いしたいぐらいなのに、下の名前をちゃんづけだなんて、願ってもないことだ。
「あっ、もちろんです」
「じゃあ、私のことも下の名前で呼んでね」
「萌さん……?」
恐れ多いと思いつつも、下の名前で呼ぶと、ゆるゆると首を振られた。
「ううん。『さん』じゃなくて、『ちゃん』か呼び捨てにして。後敬語はナシで」
(ちゃんづけなんて、初対面で難易度が高いのでは……?)
一瞬そう思うも、彼女が口の前で人差し指で小さく×を作るのを見て、はたまたギュッと心臓を掴まれる。
いえ、勿論そう呼ばせていただきます。
こんなにあざといのに、わざとらしく見えないのは何だろうか。これが天性のあざとさか。
「これで友達だね」
か、可愛すぎる……!!!
両手を口に当てて本当にうれしそうに微笑むだけで可愛いのに、萌袖のセーターがその可愛さに追い打ちをかけている。
あまりにも『高嶺萌』という存在が自分の癖をそのまま反映していて、これが現実かわからなくなる。
「これから学校がんばろうね」
萌ちゃんは私にそう言うと、前を向いて、朝日先生の話を真面目に聞き始める。
私も、朝日先生の話を聞こうと前を向くも、脳内が萌ちゃんでいっぱいになり、話に集中できない。
興奮しすぎて、火照ってきた頬を冷たい手で冷やして、なんとか落ち着きを取り戻そうとする。
まさか、あんな可愛い子が隣の席になるなんて。
友達を作るなんて目標は、たった今無くなった。それと同時に、推しを眺められないという問題も消えた。
たった今、決めました。私、田下乙寧、『高嶺萌』を推しとして、全力で推します!
私はこれからの高校生活をかけて、全力で推し活をすることをここに誓います!!
今まで二次元一筋だったが、撤回する。ビバ、三次元。そして、神様本当にありがとう。おみくじ大吉って伊達じゃなかった。
とにかく、萌ちゃん最高!!!尊いッ!!
かくして、私の新しい高校生活もとい、新たな推し活が始まったのであった。
なお、最後まで朝日先生の話は頭に入ってくることはなく、新しい学校初日だというのに、この後の学校生活について何も理解ができないまま、朝のホームルームを終わる羽目となった。




