黒いダリアの森
博士はダリアの球根を植えた。二つの鉢にひとつずつ。花は人間の言葉を理解できるのか。博士はそれを確かめたかった。右の鉢には良い言葉を、左の鉢には悪い言葉を浴びせ、博士は育てた。
生前、母さんは花を育てるのが得意だった。
「おはよう。今日もいい天気ね」
毎日のように母さんは花に話しかけ、水やりをしていた。博士が不思議がると、
「あら、花にはちゃんと言葉がわかるのよ」
母さんはそう言って微笑んだ。そのことを学校で言ったら、誰も信じてくれなかった。頭がおかしいのかと馬鹿にされた。けれど、博士は信じていた。事実、母さんが話しかけて育てた花は言葉では言い表せないほどきれいだった。
半年後、右の鉢には白いダリアが、左の鉢には黒いダリアが咲いた。ダリアは博士の言葉を理解しているようだった。博士がほめるたび、白いダリアはふわふわとやわらかく大きくなった。反対に、黒いダリアは、漆黒の花びらを尖らせ、触れたら指を切り裂かれてしまいそうなほど、鋭いナイフのように輝いていた。
博士のダリアが盗まれた。盗んだのは助手のオースティンだ。人間の話す言葉がわかる花なんて聞いたことがない。市場で売れば高値がつくはずだ。大金を手にすることができれば、楽に暮らせる。オースティンはそう考えた。
「人間の言葉がわかるだって?」
「いい加減なことを言って、貴様、本当は金目的なんだろう」
商売人は、オースティンの言うことを信じなかった。人間の言葉が花に通じるわけがない。商売人は何度も「帰れ」と言ったのに、オースティンはいっこうに聞く耳を持たない。「この花は特別なのだ」と言い張り、動こうとしない。
二人がもめているところへ宮殿の馬車が通りかかった。
「おまえたち、何をもめているのだ」
王が馬車から顔を出した。
「大きくて立派な花ではないか」
「二つとも、わしがもらおう」
王はふたりに金貨を握らせた。十分すぎるほどの金を手にしたオースティンは、二度と博士のもとに帰らなかった。
女王は白いダリアが気に入った。白い花びらに頬を寄せ、かぐわしい香りを吸いこんだ。けれど、黒いダリアには「気味が悪い」と言って見向きもせず、「今すぐ捨ててしまえ」と女中に命じた。
面倒くさがりの女中は、黒いダリアを屋根裏へ放った。屋根裏には使い古しのガラクタが山になっていた。ネズミの通り穴のある荒れ放題の小さな部屋。誰も知らなかったけれど、そこにはかつて城を奪われた魔女が棲んでいた。
投げ込まれたダリアを魔女はきれいだと思った。薄暗い部屋では、花の色などわからなかったけれど、黒光りするダリアは高貴で美しかった。そっと顔を近づけると、凍てつくような夜の香りがした。
さみしがりやの魔女だった。屋根裏を愛し、割れた食器や捨てられたボタンで遊んで育った。台所から残飯を運んでくるネズミだけが話し相手だった。
「昔、魔女は人間とともに暮らしていたの」
「けれど、いつからか人間は魔女を忌み嫌うようになったの」
「それで、世界から魔女を追い出したのよ」
魔女はダリアに故郷を追われ、虐げられてきた一族のことを事細かに話して聞かせた。水も光もない暗闇で、ダリアは大きくなった。魔女の物語を聞くたび、ダリアは震え、ひとつまたひとつと花を咲かせた。女中が気づいたときにはダリアはもう屋根裏を埋め尽くし、大広間の半分を塞いでいた。
黒いダリアを処分しなかったことをとがめられると思った女中は、田舎の母が病気になったと嘘を言い、城を逃げ出した。
城はダリアで埋め尽くされ、もはや人間が暮らせる隙間もなくなっていた。王は引っ越しを余儀なくされた。詰め込めるだけの荷物を馬車に積み、女王と家臣を連れて別荘へ移った。
城は空き家になり、ダリアは森になった。そのうちネズミたちもいなくなった。魔女だけがたったひとり屋根裏に取り残された。
「どうしてかしら」
「わたしは城をとりもどしたのに、ちっともうれしくない」
魔女はつぶやいた。城にはもう人間はいないし、人目につかぬよう屋根裏に潜んでいることだって必要なくなったのに、魔女の心はぽっかりと穴があいたようだった。世界から魔女を排除した人間がこの世からいなくなればいいとずっと思ってきた。けれど、見当違いだったかもしれない。誰もいなくなった城に取り残されたくなんかなかった。
「そばにいてくれるのはあなただけね」
魔女はダリアを抱きしめた。ダリアはかすかに揺れて、魔女の頬を撫でた。
「だいすきだわ」
魔女の瞳から大きなしずくがこぼれ落ちた。
ダリアの花びらが光った。
みるみるうちに黒いダリアが薄いグレーに、そして白へと変化した。
「すてき」
「魔法みたい」
魔女がダリアの花を撫でた。すると、黒いダリアは白いダリアへ次々と変わっていった。
やがて黒いダリアの森は一面白くなり、光に包まれた城は、白いダリアでいっぱいになった。薄暗い屋根裏にも光が差していた。
ダリアの森に博士がやってきた。先代からは黒いダリアで覆われていると聞いていたのに、見渡す限り白いダリアが咲いていたので驚いた。
庭で少女が花冠を編んでいた。この少女こそがたったひとり屋根裏に残された魔女だった。たっぷりのレースをほどこした白いドレスの少女は、博士と目があうとゆっくりとおじぎをした。
なんときれいな目をしているのだろう。
博士はひとめで恋に落ちた。博士が手をさしのべると、少女はそっと白い手を重ねた。昔にもどったみたいだと魔女は思った。ずっと願っていたことだ。魔女と人間がともに暮らす幸せな時代。
それで、魔女は伝えたくなった。白いダリアの花ことば。
「ありがとう」




