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みんな薄ら思ってる

作者: P4rn0s

世界が静かだった頃を覚えている。

夜の街を歩けば、遠くの喫茶店からピアノの音が流れてきて、少し離れた場所で誰かがアコギを鳴らしていた。

その音はどこにも上がらず、誰の評価も得ず、ただその場に居合わせた数人の記憶にだけ残って、静かに消えていった。


今では、そんな風景すらもう存在しない。

スマートフォンを開けば、誰かの“すごい”が際限なく流れてくる。

ギターが上手いとか、ダンスがキレてるとか、料理の盛り付けが美しいとか。

それが当たり前のように並び、誰も驚かない。

どんなに美しい旋律も、一分以内で消費される。

感動よりも“保存数”で価値が測られ、努力よりも“バズるかどうか”で未来が決まる。


もはや才能は個性ではなく、ただの“素材”だ。

見栄えのいい角度に切り取られ、編集され、BGMを貼り付けられて、“コンテンツ”と呼ばれる。

それがいくつかのアルゴリズムをすり抜けて運良く多くの人の目に触れたとき、人々は言う。

「これ、すごいね」

でもその“すごい”には何の温度もない。

翌日には別の“すごい”が流れ、また別の誰かが埋もれていく。


僕の知っている誰かは、ギターを弾くのが本当に上手かった。

夜、部屋の明かりを落として、窓を少しだけ開けて、街のざわめきの中に溶けていくように弾いていた。

録音もしなかった。

ただ、その日その瞬間の音を鳴らしては、笑っていた。

「これでいいんだよ」

彼女はそう言って、SNSに上げることを一度も考えなかった。

僕はその音を聴くたびに、何かを思い出しそうで、でも思い出せなくて、ただ静かに頷いた。

今ならわかる。あの人は、時代の外側に立っていたんだ。


いつからだろう、“見られるためにやる”のが当たり前になったのは。

見られなきゃ存在しない、バズらなきゃ意味がない。

「好きでやってる」って言葉さえも、どこか見せるための言葉みたいに聞こえる。

自分を表現することが、誰かに評価されることと同義になってしまった。

いいねが少なければ“才能がない”、コメントがなければ“空気”。

そんな世界の中で、誰もが誰かよりも上手くあろうとして、息苦しそうに笑っている。


でも本当は、上手くなくてもよかったはずだ。

料理が少し焦げても、音が少し外れても、踊りがぎこちなくても。

その不完全さの中に、確かに“人間”がいた。

そこにこそ温かさがあった。

けれど、そんな温度のある世界は、スマートフォンの光にあっという間に焼かれて消えていく。

完璧なものしか残らない。

不器用さや、失敗や、ためらいは、すべて編集で切り取られていく。


だから、もう誰も本当の顔を見せなくなった。

“自分らしさ”さえも戦略の一部になった。

“自然体”を演じることに慣れすぎて、どこまでが本音か誰にもわからない。

それでも再生回数が伸びれば安心して、数字が止まれば不安になる。

まるで心臓の鼓動みたいに、グラフの動きを見つめている。

人間が作品を作るんじゃない。

作品が人間を作っている。

そんな風に感じる夜がある。


時々、イヤホンを外して、何も見ないようにして歩く。

静かな夜道を抜けて、信号が青に変わる音を聞く。

遠くの家の窓からテレビの音が漏れてくる。

風の音や、人の笑い声が混じる。

そんな、何の価値もない音が、どうしようもなく懐かしく感じる。

バズらない音。

拡散されない瞬間。

それがいちばん、人間らしい。


もしもこの先、世界がもっと速くなって、AIがもっと上手く作曲して、完璧な動画を生成できるようになったとしても。

僕は、少し音が外れたあの夜のギターを忘れたくない。

あの拙い音に、僕は確かに“人”を見た。

たったひとりの、見られない誰かが生きている証を、僕は確かに聞いた。


きっと今の時代では、それはもう価値にならない。

でも、それでいい。

誰にも見られなくても、残らなくても。

それでも鳴らし続けたい音がある。

そんな気持ちだけは、どうか誰にも奪われないように。

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