第2話 姪っ子の願い事
二週間前、赤ちゃんの頃から可愛がっている姪っ子が、階段から落ちて入院した。
火稲は、会社を早退して病院に駆け付けたが、本人は、けろっとしていた。
二人は、顔の雰囲気が似ている為、よく姉妹に間違われる。
莉理の方は、ショートヘアで、顔も性格も利発的だ。
火稲は、肩下の髪を、大抵ひっ詰めている。
童顔が悩みの種で、性格は、どちらかといえば、控えめだ。
入院初日に駆け付けた時は、看護師さんにも間違われた。
「お姉さんですか?妹さんなら、505号室ですよ」
訂正するのが面倒くさいので、否定も肯定もしていない。
両足の骨折は、思ったよりも酷く、一カ月の入院が決まっていた。
「カーナ、私、お願いがあるの」
三歳の頃、火稲と呼べなかった莉理は、今でもカーナと呼んでいる。
「ん?何か買って来て欲しいものがある?」
火稲が、ベッドに近付くと、莉理は、横になったまま、内緒話でもするかのように小声で喋った。
「あのね、私の代わりに、お参りに行って欲しいの」
こんな時に何を言うのかと思えば、これだ。
火稲は、呆れて肩を竦めた。
莉理は、毎週日曜日を、お参りの日と決めている。
それは知っているが、今は、それどころではない。
「氏神様も分かって下さるわよ。莉理が、元気になったら、自分でお願いに行きなさい。願掛けを人に頼んではダメよ」
優しく言い聞かせたが、大人しく引き下がる性格ではない。
「ねっ、一回、一回だけ、ね?お願い」
「ダメよ。一回行ったら、また一回って言うじゃない」
火稲は、首を横に振ったが、莉理が、具体例を出してきたのだ。
「あのね、私、高校では素敵な恋愛がしたいの。叶うのは三日後だけど、お参りに行って願掛けしておいたら、願いが叶うって、占いに書いてあったの。明日、日曜日でしょ?カーナ、お願い。今回だけ、ね?」
火稲は、自分でも甘いと思ったが、特に予定もなかったので、結局は引き受けた。
「今回だけだからね」
火稲が、溜息を吐くと、莉理が、嬉しそうに笑って、両手をぎゅっと握り締めてきた。
「カーナ、ありがとう!」
「はいはい」
安請け合いという言葉があるが、この時の約束を、のちのち後悔する羽目になるとは、想像もつかなかった。
翌日、莉理の書いた地図通りに車を走らせると、小さな神社が見えて来た。
車をどこに止めようか迷ったが、田んぼの近くに寄せて止めた。
「小型の軽だし、このくらいの道幅があれば、通行の邪魔にならないわね。車一台なら、余裕で通れるから、大丈夫よね?田んぼしかない場所なら、少しの間、止めていいわよね。莉理の話では、お参りに来た人を見掛けた事がないそうだから」
自分に言い聞かせると、人っ子一人見えない田園を見渡して、それから神社に向かった。
普段もお参りは出来るそうだが、赤い鳥居をくぐると、手水舎の水は止まっていた。
木の柄杓は置かれたままなので、右手に持ち形だけ清めた。
「莉理から聞いてた通りね。四季折々のお祭りや行事が来ると、他県から神主さんが来て、務めを果たすらしいけど。賑わうのは、そういった時と、お正月の三箇日だけって、寂しいわね。参拝客は滅多にいないって、本当だったのね」
火稲は、独り言を言いながら、さっさと、お賽銭箱に近付いた。
手提げ鞄から長財布を取り出し、チャックを開けて、ギクッとなった。
「やだ、五円玉しかない。ATMで引いて来るのを忘れたわ。どうしましょう、五円で許して貰えるかしら?御縁がありますようにって事で、今回だけ大目にみて貰う他ないわ。氏神様、大変申し訳ありません」
人もいないので口に出して、謝った。
それから、手を合わせて、願掛け代行の旨を伝えた。
『氏神様、姪に頼まれて参りました。願掛けの代行になりますが、お許しください。姪の願い事を、どうか叶えてあげて下さい』
その後、頼まれた通りの願い事を、一言一句たがわず願った。
『乙女ゲームにあやかって、大恋愛がしたいです。氏神様、どうぞよろしくお願いします』
火稲が、二拝二拍手一拝して顔を上げた時、賽銭箱は消えていた。
「まあっ!どういう事?」
目前にそびえる西洋風の途轍もなく大きい屋敷を見て、火稲は、目を丸くした。
見るからに不気味で、まるでお化け屋敷だ。
高い鉄柵の向こう側に、数多の墓地が見える。
「まあっ!外国の墓地かしら?」
ふと、肌に違和感を感じて、火稲は、目を落とした。
「まあっ!何かしら?」
やはり、願掛けの代行は、間違っていたのだ。
自分の方が、【乙女ゲーム】の中に入れられてしまった。
左手の甲に、白いおみくじが乗っている。
恐る恐る右手の人差し指と親指で摘まみ上げると、朱色で書かれた『おみくじ』という字が突然消えて、代わりにピンク色の文が、ぱっと浮かび上がった。
『五円玉の分、叶えます。腹黒王太子の監視役、頑張って下さい』
「そんな、困るわ。腹黒の監視役なんて」
火稲が、途方に暮れていると、後ろから声を掛けられた。
「君が、ヒロイン?」
「え?」
火稲が、ぱっと振り向くと、にこにこ顔の、おそらくは腹黒王太子であろう背の高い男が、近付いて来る。
瞳の色は、青みがかった紫で、少し癖のあるブロンドだった。
驚くことに、下が、ネイビーのジーンズなのだ。
火稲は、心底びっくりした。
上は、カッターシャツで、ボタンは、ほとんど開いている。
とても王太子とは思えない恰好なのだ。
火稲の知らない事だが、実は、ヒロインの世界への憧れが強く、義弟ユトンの服を強引に借りて、毎日嫌がられている。
ユトンは、ナイキのスニーカーも、何個か取られている。
仲が良いのか悪いのか、よく分からない義兄弟なのだ。
王太子は、近付いて来るうちに、訝しげな表情に変わっていった。
「どうして、ルイネに変わってないの?おかしいな。君、今いくつ?」
不躾な聞き方をされて、火稲は、つい言い返した。
「あなたが、先に名乗るべきでしょう?会ったばかりの女性に歳を聞くなんて、デリカシーのない人ね。あなたみたいな人の監視役は、御断りします!」