004 殴られた
ゴブリン討伐から帰ってきた俺たちの姿は、なかなかに凄惨だった。特に俺は、ゴブリンの血を全身に浴びて、白衣がが真っ赤に染まっていた。ギルドの受付を通ると、何人かの冒険者が俺を見て声を上げた。
「おいおい、兄ちゃん。大丈夫か?」
「はい、返り血なので怪我はありません」
倒せるようになったのが嬉しすぎて、かなりの数を倒したからな。
「その服、上等な布っぽいのにもったいねぇな」
「価値があるうちに、売り飛ばした方がいいぜ」
上等な布?
ロイネとの特訓ですでにボロボロだし、血染めになってしまったというのに、まだ価値がある? ゴブリンの魔石を売った後、ロイネに相談する。
「これ……売れるの?」
「うん、売れるよ。珍しい服だもん。でもいいの? 唯一の手がかりじゃない?」
手がかり……ではない。
これは看護師の白衣で、俺が日本で看護師をしてたって部分は記憶がはっきりしてるからな。
金に換えられるなら換えておきたい。これはこれで動きやすい服だけど、戦闘に向いてる服かと言われたら微妙だ。森の中で真っ白は目立ちすぎる。ゴブリンも俺ばっかり狙ってきてた。
冒険者としてやっていくなら、ちゃんと理にかなった装備を身に着けたほうがいい。
「売ろう。戦闘に向いた装備、ほしい」
「分かった。じゃぁ少しでも高く売れるように、綺麗に洗ってから服屋に行きましょ。翻訳リングもそろそろ外しても大丈夫なはずだから、魔道具屋にも行きましょ」
「えっ、これ外しても、大丈夫なの?」
「2週間くらいつけてると、聞き取りは平気になるはずよ」
翻訳リングを外してみる。
「どう? 私の言葉、ちゃんと理解できてる?」
「おぉ……わかる」
「よし、それ結構高いから、売っちゃいましょ!」
翻訳リング、すげぇ。現地の言葉を聞いてるのに、自分の言語で理解できるって状態だったはずなのに、今は現地の言葉が自分の言語のように理解できる。
これが元の世界にもあったら、英語もフランス語もスペイン語も中国語も、どんな言葉も苦労せずに話せるようになれたかも。
あ、国名は思い出せるんだ。全く、変な記憶障害だ。
俺たちは宿へ戻って血と泥で汚れた白衣を丁寧に洗った。しかし、もう真っ白には戻らなかった。この世界では漂白剤は一般的じゃないらしい。でも、それなりには綺麗になった。
翌朝。翻訳リングを買った店に行き、買い取ってもらった。
魔道具は、色々あったが、主に生活用品だった。マッチ、ランプ、水筒など。
異世界ファンタジーでよく見る、異次元ポケットみたいな、いくらでも入るバッグはあるのかと聞いたら、そんなの初めて聞いたと笑われた。魔法や魔道具、スキルは存在するけど、俺のアニメや漫画知識のイメージほど万能ではなさそうだ。
訓練場で、氷の矢を飛ばしてるのを見たけど、飛ばすまでの空中に魔力で魔法陣を書く時間がそれなりに長くて、慌しい戦闘の中じゃ使うのが難しそうに思えた。
それでも凄くカッコよかったから感動したけどね。
その足で乾いた白衣を手に服屋の店先に立った。俺の白衣を見せると、店の主人が目を輝かせた。
「これは珍しい! その生地、ただの白布ではありませんね」
「俺は、よく分からない」
化学繊維、ナイロンとかポリエステルだ。それは分かるが、聞かれても作り方なんて分からない。詳しく聞かれても困るから、よく分からないことにしとこう。
「多少傷んではいますが、買い取らせてもらいましょう! おいくらご希望で?」
値段交渉はロイネに任せた。金銭感覚なんてないからね。結果、俺は3ヶ月くらい何もせずに生活できる金を手に入れることができた。
しかし、いざ白衣と別れるとなると、少しだけさみしい気分になるな。元の世界から持ち込んだものは、白衣と下着だけで、下着はこの世界と大して変わりないし、靴下はドタバタしてるうちに無くなってる。さようなら白衣。今までありがとう。
白衣との別れを終えた俺は、その金で新しい服を買った。
ロイネが「雑魚相手なら防具は必要ないわ。オルトは頑丈だしね」と言うので、動きやすく丈夫な服を選んだ。そして、ロイネが使っているものより、かなり大きなザックも購入した。最初に頼まれたポーターとしての役目のためだ。
それから数日間、俺とロイネはゴブリン狩りに明け暮れた。俺は最初の恐怖を克服し、数を重ねるごとにゴブリンを効率よく倒せるようになった。
手加減も少しずつ覚えたので、ロイネを血と肉片で汚し、睨まれることも無くなった。
夜中のトレーニングの後、ふと考える。
この世界に来てから、毎日を駆け抜けるように過ごしてきた。記憶が曖昧なのと、この世界に順応することに必死だったからか、失ったものを振り返って落ち込むこともなくここまで来た。
ロイネには本当に感謝してる。彼女がいなければ、俺はとっくに野垂れ死んでいたか、どこかで怯えて息を潜めてただろう。いや、最初に遭遇したゴブリンに食われてた。
命を救われ、この世界のことを教えてもらい、生活の術を身につけさせてくれた。
そして今は仲間として一緒に行動してくれてる。彼女は恩人というだけでなく、今では俺にとって、この世界で一番頼りになる、唯一心を許せる大切な存在だ。
だからそこ、いつまでも彼女にばかり頼っているわけにはいかない。俺も一人前の冒険者として、彼女を支えられるようになりたい。
そのためにも、もっと力をつけよう。俺の身体能力は、鍛えれば鍛えるほど嘘みたいに成長する。理屈はわからないが、俺の癒しの加護が普通じゃないってことはわかる。でも、体を鍛えるだけじゃダメだ。身体能力の成長には限界があるかもしれない。だから他のことも頑張ろう。俺はまだこの世界のことをほとんど知らないからな。知識と経験も積極的に身につけていこう。
まぁ、この世界に興味津々過ぎて、学ぶことが楽しすぎるくらいだ。気楽にやっていこう。
「そろそろステップアップね」
ゴブリン討伐の帰りにロイネがそう切り出した。魔石を売った後、二人でギルドの掲示板を見る。
次のターゲットはオークにするらしい。その居場所を確認した後、ホールの空いたテーブルに着いて、ロイネから説明を受ける。
その時だった。ギルドの隅でたむろしていた、顔に傷のある大柄な男が、仲間を連れてヌっと近づいてきた。
これまでにも、ロイネに厭味ったらしい発言を繰り返してる男だ。
「おい、ロイネ。まだ見捨ててないのか」
ロイネは一瞥しただけで無視を決め込んでる。男は下卑た笑みをロイネに向けた後、俺を品定めするように見る。
「どうせ裏切られるんだ。こんな女と組むのはやめとけ、置き去りにされて死にたくなかったらな!」
男の大声に、ギルドの他の冒険者たちの視線が集まる。
ロイネの悪い噂、仲間を見捨てて逃げたという噂は、無責任に広がってるらしい。正直俺には、経緯の真実はわからない。でも、あの森で俺を守ってくれたロイネが、こんな風に言われるのは面白くない。俺にとっては恩人であり、こんな風に侮辱されていい人じゃない。
「ロイネは……違う!」
思わず立ち上がって反論していた。俺の声は、少し静まっていたギルドに響き渡った。
顔傷の男が顔面を紅潮させる。初心者に反論され、腹を立てたらしい。怒りっぽいな。ロイネの顔をチラッと見えると、微妙な顔で苦笑いだ。
「新入りがいっちょ前に口出ししてんじゃねえぞ!」
男の右腕が大きく振りかぶられた。なんて短気な奴だ。俺の腹に容赦のない拳が飛んでくる。殴り合いの喧嘩なんて、生まれてこの方一度もしたことのない俺だ。一瞬身体が竦んだが、歯を食いしばり、腹に力を込めて、その拳を受け止めた。
ドンッ!
鈍い音がギルドに響き渡る。
「……これ……本気?」
結構痛い。木剣が折れる勢いで叩かれても大丈夫になったのに、それよりも痛い。なのに無意識で挑発の言葉が出た。
顔傷の男は目を見開き、信じられないものを見るように俺の顔を見た。そして、さらに怒りに燃える目となり、もう一度、強烈な一撃を俺の腹に叩き込んだ。
グンッ! と内臓が揺れるような衝撃。しかし、それにも耐えた。かなり痛いが、訓練で身につけた打撃耐性が、俺の身体を護ってくれた。
「これも……大丈夫」
俺は痛みを我慢しながら笑ってみせた。意地になって無駄な争いをしてることは分かってるが、引く気にはなれない。顔傷の男が額に脂汗を浮かべ、拳を震わせている。
「舐めやがって!」
顔傷の男が再び拳を振り上げる。今度は顔面狙いか。俺は避けず、その拳をよく見て額で受け止めた。
ガゴンッ!
硬い物がぶつかるような音がした。
滅茶苦茶痛い。痛いけど絶対に痛がらない。こいつの喜ぶ反応は見せない。と思ったら、男が「ぐあああ!」と叫びながら、殴った拳を抱え込んで数歩下がる。
「てめぇ、その打撃耐性はなんなんだ!」
「知らない……お前が……弱い?」
また、挑発するような言葉が出た。どうやら俺は、俺が思ってる以上に怒ってるらしい。
「クソッ……覚えとけよ!」
男は捨て台詞を吐いてギルドを去った。周囲の冒険者たちが、俺を呆然と見つめている。
「知ってたけど、すごい打撃耐性ね」
ロイネが呆れた顔で感心したように言った。しかし、俺は「あたたたたた……」と腹をさすり、額にも手をあててその場にうずくまる。本当に痛い。あいつの拳、石か金属みたいに硬かった。
「はは、我慢してたんだ」
「これ……かなり痛い……」
そもそも耐性が高くなったところで痛みが無くなるわけじゃない。今のも意地で耐えただけだ。そもそも俺は身体能力の高さで打撃に耐えられるようになってるだけで、打撃耐性のスキルみたいに、痛みが減るわけじゃない。
「私のことで、意地を張る必要なんてないのに……」
ロイネはそう言いながらも、その顔はどこか嬉しそうだった。俺の額に残った、打撲痕をロイネが指でそっと撫でる。
「でも、ありがとう。庇ってくれて嬉しかったわ」
そう言って微笑む。
「それにしても、思い切った真似したわね。ギルド内では武器の使用は訓練場以外禁止で、違反すれば重い罰則があるの。だから、ギルドで絡んで喧嘩するような輩は、大抵、体術に自信がある奴なの。もしオルトに打撃耐性がなかったら、大怪我してたかも」
まじか!
「だったら……とめて」
死んだらどうしてくれるんだ。
「まぁ私はオルトなら大丈夫だって確信してたからね。それと、あいつが驚く顔が見たかったの」
ロイネがそう言って、いたずらっぽく笑った。そう言えば、ギルドの中でロイネがこんな風に笑うのは初めてかも。良くない噂が広がってるから、ロイネにとってギルドは居心地の良い場所ではなさそうだもんな。
「そっか……じゃぁ……しかたないな」
かなり痛かったけど、ロイネがスカッとしたなら、一つ恩返しができたって事にしておこう。
「でも、これでオーク討伐が問題なくできることがハッキリしたわ」
ロイネが笑顔でそう言う。
「なんで?」
俺が首をかしげると、ロイネが、ふふっと笑って説明を続ける。
「あいつ、オークと殴り合っても勝てることで有名なの。ということは、オルトはもうオークに殴られても平気ってことよ」
楽しそうに笑うロイネ。俺はそんな危ない拳を受けたのか!
でも、ロイネの楽しそうな顔を見てたら、痛みが楽になった気がする。やっぱり女性は笑顔がいいな。癒やされる。