015 廃墟にて
グレイシアが廃墟の中へ飛び込んでからの数秒が、やけに長く感じられた。
「やめろ!」「この、獣が!」「くそっ!」
武装した男たちの怒声が響く。それに混じって、グレイシアの鋭い気合の声が聞こえてくる。
「ハァー!」
何かがぶつかり合う音、金属が擦れる音。戦いの只中にいるのは理解できる。グレイシア一人で、複数を相手にしている。俺は焦りで体が震えるのを感じながら廃墟に走った。
そして、男の声が廃墟に響き渡った。
「動くな! こいつを殺すぞ!」
男の声に血の気が引いた。出遅れた俺は、そこでやっと廃墟の外壁にたどり着いた。何とか状況を把握しようと、崩れた外壁から内部を覗き込む。
中には武装した男が五人いた。そのうち三人はすでに倒れ、血だまりの中に横たわっている。残りの二人が、それぞれ小柄な獣人女性の首に短剣を突きつけていた。血の臭いが凄まじい。 グレイシアは、その状況で動きを止められている。俺はどうすればいい? 正解が分からない。
「武器を捨てろ! さもないと、こいつの命はないと思え!」
男の一人が叫んだ。グレイシアは、ナイフを握りしめたまま微動だにしない。次の瞬間、男の1人が獣人女性の肩に短剣を突き立てた。
「っあ……!」
獣人女性の小さな悲鳴が聞こえる。切りつけられた肩から、血が流れるのが見えた。ヤバい、ヤバすぎる。このままじゃ彼女かグレイシアが殺される。なんとかしないと。
俺は奥の男の背後に息を潜めて回り込んだ。壁の陰に身を潜め、男たちの様子を窺う。そして、そこから覗き込んだ瞬間、グレイシアが予想外の言葉を放った。
「許せ!」
次の瞬間、グレイシアが身を躍らせ、近い位置にいた男に迫る。低く速い。一瞬の隙を突いて振り抜いたナイフが男の手首が切り落とす。その手首から放たれた血しぶきが宙を舞った。
「ぐあああああああっ!」
手首を切り落とされた男が、血を撒き散らしながら地面に倒れ込み、うめき声を上げる。グレイシアが、もう一人に向かってナイフを構える。
その光景を見て、俺は覚悟を決めた。
グレイシアは、助けられるものを助けるという判断をしたのだ。さっきの「許せ!」は、もう一人の獣人女性が殺される可能性を考慮しての謝罪の言葉だ。
「ち、近づくな! こいつを殺すぞ!」
獣人狩りが、グレイシアから後退りで距離を取ろうと下がり、俺に近づいてくる。
もう迷ってられない。助けられるチャンスは今だ!
俺は物陰から飛び出し、ナイフを構えていた獣人狩りの腕にメイスを振り下ろした。
グシャッ!
手加減など考える余裕はなかった。獣人狩りの腕が、メイスが当たった上腕からちぎれ飛んだ。そして悲痛な叫びを上げながら地面を転がった。
獣人狩りに巻き込まれて倒れた獣人女性を抱き上げて、グレイシアの下へ駆け寄る。肩からの出血は思ったより浅い。良かった。
「オルト、感謝する」
グレイシアがそう言って、血の海に倒れ込む獣人狩りへと歩み寄った。そして激痛に呻き続ける獣人狩りの首をナイフで掻き切る。
うめき声が止まり、動かなくなる。
続けて一人目の男にも迫る。
「や、やめろ、やめてくれ!」
グレイシアは命乞いの言葉に何の逡巡もなく、ナイフの刃を走らせた。
それで獣人狩り2人は完全に沈黙し、残ったのは動かなくなった死体と血の臭いだけとなった。
「グレイシア、ありがとう!」
「こわかったー!」
救出された美しい獣人女性が、グレイシアに抱きついて泣き崩れる。
俺はそれを見守りながら、刺された獣人女性の傷を観察する。
傷は浅い。出血は続いてるけど、圧迫止血だけで何とかなりそうだ。縫ったほうが良さそうな傷だけど、ここには医者も縫う道具もないから、とりあえずはタオルで止血しよう。
俺は荷物からタオルを取り出し、グレイシアに見せた。
「止血してもいい?」
「外で頼む」
そうだな。こんな血なまぐさい場所はすぐにでも離れよう。この死体は……見たくない。殺す瞬間を見たけど、深く考えると……吐きそうだ。
廃墟を離れ、しばらく歩いた先の草原で、救出された二人の獣人女性が疲れ果てて座り込んだ。俺は刺された獣人女性の肩をタオルで圧迫止血した。
その止血処置はほんの少しの時間だったが、それを待ってる間に、もう一人の獣人女性が寝てしまった。そして、その子に寄り添うようにもう一人もウトウトし始める。
疲労が限界だったんだろう。
俺はその2人に触れて、癒しの加護を付与した。
「何をした?」
「癒しの加護、少し休んだらかなり楽になるはず。グレイシアも少し休んだらどう? 癒しの加護を使えばすぐに眠れると思うよ」
「私はいい。そういうのは好きじゃないんだ」
グレイシアは癒しの加護を拒否したが、加護なしでもすぐに寝息を立て始めた。
これで、落ち着いた……のかな。もう、大丈夫だよな。
俺は、廃墟での出来事を一人でぼんやりと振り返った。
さっきの出来事なのに、まるで悪夢でも見ていたように感じる。人とは戦えないと思っていたのに、人を攻撃した。さっきは必死だった……そして、あの攻撃であいつは死んだ。殺したのはグレイシアだけど、俺がメイスで与えた負傷でも、時間が経てば失血死してたのは間違いないだろう。
はぁ……やってしまった。人を……殺してしまった。
だけど、やらなければこの獣人女性二人は、どこかに売り飛ばされ、悲惨な人生を送ることになっていたはずだ。それを防げた。
俺は良いことをしたんだ……そう考えよう。
自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。草原の風が爽やかな空気を運んでくる。もうここには血の匂いがない。
人とは戦いたくない。その気持ちは、今も変わらない。だけど、この世界には、嫌でもやらないといけない時がある。それが今回で分かった。
できるだけ避けたい。だけど、そういうこともあるという現実を受け止めよう。
考えながら自分の手首に触れて脈を数える。いつもより速い脈を指先に感じながら、寝息を立てる3人を見る。
次にこんな事に遭遇した時の覚悟……なんて今はできない。メイスで腕をちぎり飛ばした感触が気持ち悪くて仕方がない。
でも、もしロイネが危ない目にあったら……俺はまた人と戦って、殺す事になるかもしれない。覚悟なんてできなくても、大切な人は助けなきゃならない。護衛のしごとでも同じことだ。守るべきものを守るために人と戦うしかない状況はくるだろう。
自分の手を見る。不快な感触を繰り返し思い出す。
あれ……俺、人を殺した不快感で悩んでるぞ。罪悪感じゃない。なんで? 気がつかないうちにこの世界の価値観に染まった? それはそれで怖いぞ。
でも、悪人は殺しとかないと、またどこかで被害者を増やすって理屈もわかる。グレイシアは、何の躊躇いもなく、処理するかのようにトドメを刺した。あれがこの世界の常識なんだろう。だけど、俺はそれを常識としてない。なのに……なんで?
うーん、なんか考えがまとまらない。そりゃそうだよな。あんな血みどろの戦いの後だ。動揺してるだけかも。もしくは現実逃避?
不快感を振り払うように手を振ってみたが、それは飛んでいってくれなかった。
はぁ……考えるのをやめよう。そもそも3人が寝てるんだから俺は見張りに集中すべきだろう。よし、気合を入れ直して見張りだ。
獣人女性2人の加護を追加し、3時間ほどで2人が目を覚ます。その気配に気づいたのかグレイシアも目を覚ます。
当たりは暗くなり、もうすっかり夜だ。
「あれ? 痛くない」
肩を切られていた獣人女性が、その傷が治っている事に驚く。
「ありがとうございます!」
癒しの加護のことを言うと、嬉しそうに頭を下げられた。スキルを使われたくないのはグレイシアだけらしい。
「これからどうするんだ?」
グレイシアに聞いてみる。
「村にこの2人を連れて帰る」
「そか、無事で良かったな」
「オルトが居なければ、一人しか救えなかったかもしれない。この恩は私の全てで必ず返す」
「いや、気にしなくていいよ」
グレイシアが俺に近づき、顔を寄せる。まさかお礼のキス?! と思ったら、首筋をベロンと舐められた。
「わっ! 何?」
「この味と匂い。覚えた」
「え、どういうこと?」
戸惑う俺の様子を見て、獣人女性2人がクスクスと笑う。
グレイシアが何事もなかったように俺から離れる。
「ありがとうございました」
「この御恩は忘れません」
2人の獣人女性が挨拶を終えた直後、3人が走り出す。
「え……俺、置いていかれるの?」
追おうとしたが帰る方向が違う。ちょっと躊躇ってたら、3人の姿があっという間に見えなくなった。
「あららー……あっさりだなー」
このあっさりさが、獣人族の気質? まぁいっか。2人が無事で良かった。そういえば、報酬のこととか何も話さなかったな。でも、それもいいや。助けられてよかった。
少しの間、グレイイシアたちが消えていった草原を眺める。
よし、リースに戻ろう。きっと合流できなかったロイネが心配してるはずだ。さすがに疲れたけど、もうひと頑張りだ。早く戻って、ロイネの顔をみてから寝よう。




