001 目が覚めたら異世界
本日、21時10分までに、5話まで投稿します。よろしくお願いします。
仮眠から目を覚ますと、森の中だった。
重なり合った葉が空を隠すが、その隙間から差し込む木漏れ日で周囲が確認できる程度の明るさはある。しかし、あるべきものがない。見慣れた休憩室の天井、寝心地のわるいソファーベッド、俺のペンや聴診器を置いていたはずのテーブル、それらがどこにもない。
「なんだこれ。夢? 仮眠の時って、たまに変な夢をみるんだよなー」
立ち上がって一歩足を出したところで、足裏から伝わってくる不快感に顔を歪める。
「うわ、泥じゃん、しかも俺、靴下だよ」
寝ていた地面は乾いていたが、その横は湿った土だった。
「……これは……どういうことだ?」
あまりにリアルな不快感に頭が混乱する。
「これ……夢……だよな?」
でも、この感触は……ちょっとリアルすぎない?
足裏の不快感が、現実だと訴えてる。動揺しながらも、周りを見渡そうと顔を上げた、その時だった。
目の前に、いきなり人影が現れた。
「――っ!?」
咄嗟に身構えるが、相手は俺を警戒する様子もなく、身長くらいある槍を肩に担いで俺を見ている。身軽そうな革の鎧。腰にナイフ。健康的な小麦色の肌と、夕焼けのような髪が印象的な女戦士だ。コスプレ……にしては装備が随分と使い込まれてるように見える。
その女性が、オロオロと立ち尽くす俺を見て、フッと小さく笑った。そして、何かを話しかけてくるが……。
「$#”&’()*+、-./」
「いや、全然わかんねぇ」
言葉がまったく理解できないことで、さらに混乱する。女戦士がそんな俺を気遣ってか、槍の穂先を一方に向け、自分の胸の防具をトンと叩く。
どうやら、助けてくれる気らしい。俺は状況が理解できないまま、とりあえずこの女性についていくことにした。
女戦士は時折振り返りながら俺を先へと促す。途中で女戦士が自分の顔を指差して「ロイネ」とだけ言った。
「ロイネ?」
俺がオウム返しにそう呟くと、ニコッと笑って頷いた。どうやらそれが彼女の名前らしい。
ロイネに続いて森の中を進んでいくと、突然、低い唸り声が響いた。
ロイネが素早く槍を構える。視線の先には、小汚い緑色の皮膚をした人型の魔物が居た。
ゴブリンが2体。説明不要の見た目。
ゲームやアニメでよく見るゴブリンそのものじゃねぇか、なんでこんなのが!
俺はもうパニックで身動きが取れなくなった。
「ギギギ……!」
ゴブリンが棍棒を振り上げて襲いかかってくる。しかしロイネは全く動じず、流れるような動きで槍を繰り出し、瞬く間に2体を仕留めた。その動きは迷いがなく、まさに熟練の戦士のように見えた。
俺は、生まれて初めて見る魔物と、眼の前で繰り広げられた圧倒的な暴力に震え上がった。不快感、ゴブリンへの恐怖、そして言葉が通じない不安。その他も含め五感すべてが悲鳴を上げている感じだ。
そして、人のものとは何かが違う、ゴブリンの血の匂いに吐き気が込み上げた。
ロイネは何事もなかったように、槍の汚れを布で拭き取っている。するとゴブリンから黒い煙が立ち上がり始め、その姿を崩壊させていく。そしてロイネが最後に残った黒い石をが拾う。
吐き気を我慢している俺に、ロイネが進むことを促す。どうやらここは相当に深い森の中らしく、歩いても歩いても、木々は途切れない。
日が傾き、辺りがすっかり暗くなった頃、ロイネは見たこともないマッチを使って小さな焚き火を起こした。どうやらここで野宿らしい。疲れ果てて座り込む俺とは対照的に、ロイネが手際よく準備を進める。俺は戸惑い続けていたが、疲労からか思考が落ち着き、その様子をぼんやりと眺めていた。
作業を終えたロイネが水とパンを分けてくれた。渡された水筒から水を勢いよく飲んだら少し嫌な顔をされた。貴重な水だから少しずつ……と考えるほど俺の頭には余裕がなかった。
混乱と緊張の中でも眠気は襲ってきた。そしてウトウトし、いつの間にか倒れるように眠った。
「ギキー!」
不快な声に目を覚ます。ロイネがすでに槍を構えている。その直後、彼女の槍が闇を切り裂いた。ゴブリンは瞬殺され、すぐに静寂が戻った。
ロイネは慣れた様子で荷物をまとめ、俺に移動を促した。まだ夜だけど、移動し始めるらしい。夜中の森は、意外にも星あかりで視界が保たれ、多少苦労しながらも進むことができた。長年看護師をしてきたから、夜間の巡視で暗い場所での行動には慣れてる。でもこんな森の中を靴下で歩いた経験はない。俺は不快感と痛みに耐えながら歩いた。しかしその移動はねどこを変えるためのものだった。ロイネは場所を選ぶとすぐに眠った。
そんな襲撃と移動の繰り返しが、夜が3度も繰り返された。ロイネは襲撃の前に、それを事前に感知したかのように目を覚まし、ゴブリンを撃退しては、手早く寝場所を変えた。
俺は何度も移動を強いられ不安だったが、意外にも体力的には平気だった。疲労が溜まってきそうなものだが、妙なことに短い睡眠で不思議なくらいスッキリしていた。
森の中で空気が良いから? 流石にそれはないか。でも変だ。あれだけ痛かった足の裏が平気になってる。不快感は変わりないけど、痛みがない。森を歩くのに慣れた?
3度目の移動の後、ロイネはかなり疲れた様子で眠った。俺を気遣いながらの移動と度重なるゴブリンとの戦闘で、彼女の顔には疲労の色がハッキリと浮かんでいる。しかし、俺はなぜか不思議なことに疲れてない。
申し訳ないな。このロイネが居なかったら、最初のゴブリンに殺されてたはずだ。
初対面で言葉も通じない俺を身を挺して俺を守ってくれているロイネに、感謝と同時に申し訳なさがこみ上げた。
寝息を立てる彼女の額には汗が滲んでいる。俺はロイネの髪についていた葉っぱをそっと取り、その辺に落ちていた大きな葉っぱを拾って、起こさないように気をつけながら、そっと風を送ってみた。そうしていると、眠ったロイネが月明かりを浴びてか、わずかに光っているように見えた。
空が白み始め、夜が明けた。ロイネが身じろぎ、ゆっくりと目を開ける。その顔からは疲労の色が消え、寝る前とは見違えるほどスッキリとした表情で起き上がった。そして機嫌良くニコニコと俺に何かを語りかけてくる。が、残念ながら何を語りかけてるのか、さっぱりわからない。
それから半日ほど歩いたかな。ようやく木々の隙間から、遠くの景色が見え始め、俺たちは森を抜け、眼の前に見渡す限りの緑の草原が広がった。
ロイネが草原の向こうに見える一筋の道を指さし、迷うことなく歩き出す。俺もその後を追う。しばらく歩くと、足元が硬い感触になった。石畳の街道だ。
ロイネはそこで立ち止まり、俺に座るように促した。どうやらここで一休みらしい。
腰を下ろして、ふとロイネの顔を見ると、何か楽しそうに俺を見ている。そして話しかけてくるのだが、やはり言葉が分からない。ただ、その中に「オルト」という響きが何度も繰り返されていることに気づいた。
オルト……? 俺のことをオルトって呼んでるのかな?
俺の返事を待つように、ロイネは首を傾げている。俺が自分の顔を指差して「オルト?」と聞くと、ロイネが頷いた。やっぱり俺のことをオルトと呼んでるらしい。
「オルト? ロイネ?」
確認するように、俺とロイネを指さして言うと、ロイネが笑顔で頷いた。
そんなやり取りをしていたら、遠くからガラガラと馬車の音が聞こえてきた。街道を進んでくるのは、二頭の馬が引く大きな荷馬車だ。ロイネは立ち上がり、馬車に向かって手を振る。馬車が近づいて止まると、御者と言葉を交わしている。交渉がまとまったのか、ロイネはポンと馬車の荷台を叩き、俺を促した。乗せてくれるらしい。
馬車の荷台に揺られながら、俺はぼんやりと景色を眺めた。通り過ぎる木々の緑、遠くに見える山々、そして、どこまでも続く石畳の街道。
「これは……」
どう見ても日本じゃない。人工物が、この石畳の道以外何もない。森の中を歩いていた時は、ゴブリンが怖くて、色々と考える余裕がなかったけど、やっと思考が追いついてきた。
夜勤中に仮眠を取っていたはずの俺が、森の中で目覚めて、言葉の通じない女戦士に助けられ、森を抜けて、今は馬車に乗ってる。
これは……夢じゃない。
足の裏の泥の感触、ゴブリンの血の匂い、今感じる風の匂い、馬車の揺れ、それあらすべてが現実だ。
「……まじかよ」
声に出して呟いてみたが、それは馬車の車輪の音にかき消された。
俺、異世界に……来ちゃったんだ。
驚きと同時に、言いようのない感動が押し寄せた。ファンタジー系のゲームやアニメが好きだった俺にとって、この風景は感動的だった。
でも……仕事は?
ふと、不安がよぎる。夜勤中に失踪したことになるよな。絶対大騒ぎになってるはずだ。早く戻らないと……って、戻る方法が見当もつかない。その心配より、この言葉すら通じない状況で、何をどうしたら良いのかもさっぱりわからない。
同時に、ここまでその思考にすら至らなかった自分に気づく。それだけ必死だった。ロイネに促されるままに、ただ生き延びることに精一杯だった。そして今になって、この状況。
なぜか悲しむでも狼狽えるでもなく、状況に圧倒されてる。
この先のことを考えると不安だけど、その不安の詳細を考える余裕がない。
馬車に揺られること1時間くらい? 街道の先に巨大な壁と、その向こうに広がる街並みが見え始めた。
「おお……!」
凄い! 凄い凄い! 防壁に守られた街だ! 兵士もいる。何だよこれ。まんま異世界ファンタジーだ。
兵士に守られた巨大な壁を抜けると、中世ヨーロッパ風の建物がひしめき合い、活気ある人々の声が聞こえてくる。まさしくファンタジーの世界だ。
俺は興味津々でキョロキョロしっぱなしだ。不安だらけな状況なのに、それを忘れるくらいの高揚感で胸が高鳴った。
街の門をくぐり、賑やかな通りを抜けていく。ロイネは俺の手を引き、迷うことなく店が並ぶ一角へ向かう。そして、アクセサリーのようなものが並べられた、小さな店に入った。
そこで店主と言葉を交わし、小さな指輪を受け取ると、それを俺に差し出した。
何か言ってるが、言葉はわからない。だけど、ジェスチャーで促されるままに、その指輪を左手の中指にはめた。
途端に耳に届くロイネの声が、まるで翻訳されたかのように頭に入ってきた。ロイネの声だけじゃない、人の言葉のすべてが何故か理解できるようになってる。
もしかして魔道具的なやつ?
「どう? 私の言葉、分かる?」
俺は何度も頷いた。そして安堵から涙が溢れた。