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少年ヤンと、さいかいの少女

作者: 幕田卓馬

『さいかい物語企画』参加作品です。


 僕の住む村から学校まで3時間。

 

 そこに辿り着くまでには、いくつもの草原を抜け、いくつもの川を渡りらなければならない。時には動物たちの群れに遭遇し、時にはスコールに降られる――決して喜びだけの道のりではないが、この学びが僕らの脆弱な生活をいくらかは豊かにしてくれると信じて、僕は毎日学校へと通う。


 アフリカという場所の小さな村、そこに僕は住んでいるらしい。

 この広い大地の向こうには、鉄の巨木みたいな建物が建ち並ぶ街や、人が蟻塚のシロアリみたいにうじゃうじゃ住んでいる街がある。

 そう語る先生の言葉を思い起こしながら、夢に囚われたような気分でこの長い道のりを歩く。

 僕もいつかその場所に立てるのだろうか。


 しかしそんな夢想は、落下した石が跳ねる音で途切れた。


 振り返ると、アジルとその舎弟2人がニヤニヤしながらこちらを見ていた。この悪ガキ3人は僕の1歳年上だった。みな背が高く、力も強い。特にアジルは村長の一人息子だから威張っていて、憂さ晴らしにとばかりに僕を痛めつけてくる。

 3人は僕に追いつくと、乱暴に肩を組む。そして嫌がる僕の首に3人分のカバンを引っ掛けた。1つなら大した事ない重さけど、4つに増えるとすり減った靴底に小石が食い込む。足裏に鈍い痛みが走った。

 

「おいヤン、俺たちのカバン、落としたら殺すからな」

 

 舎弟の一人が言って、もう一人の舎弟が笑った。アジルはその辺で拾った棒の先で僕の尻を突き、冗談半分で僕の股間を叩く。

 僕は背中を縮こませ、痛みで泣きそうになりながらも、何も言えなかった。


 奴らは『ライオン』だ。

 権威というたてがみで自分を大きく見せる、粗暴で残虐なライオンだ。ただでさえ強靭な牙や爪を持つくせに、その上で更に群れをなして、獲物を完膚なきまでに食い殺そうとする。

 それに対して僕は小さな草食動物。背も小さく、力も弱く、権威もない。ライオンに目をつけられればひとたまりもない。


 『弱いもの』の側にいる僕は、ライオンの目に怯えながら、助けを求めるように遥か地平線を見た。


『弱いものを守ってあげるのが、私たち人間の使命でしょ』


 そう言っていたあの女の子を思い出す。

 あれから5年、彼女は今頃どこにいるのだろうか。



   *   *   *



 そう、それは5年ほど前だ。

 

 僕はまだ学校に通えず、家の手伝いで長い1日を終えていた。その日も僕はポリタンクを片手に、数キロ離れた川へと水汲みに向かっていた。

 行きは片手で簡単に運べるタンクだけど、帰りは川の水を腹一杯蓄えて重くなるから、頭の上に乗せてバランスをとりながら歩かなければならない。


 その帰路で、僕は遊牧民の女の子と出会った。


 彼女は僕と同じくらいの歳に見えた。でも子供っぽい痩せた体型に不釣り合いなくらい、彼女の表情は大人びていた。髪に縫い込まれた赤い飾りが、褐色の肌に映える。

 さらに僕を驚かせたのは、彼女の横に立つ灰色の生き物の存在だ。


 サイだ――


 彼女は傍で草を食むサイの背を撫でる。そして、自分たちを見つめる視線に気付き顔を顰めた。

 僕は困惑した。

 親からは野生動物には近づくなとキツく教わっている。不用意に近づき驚かせてしまえば、逆上した動物の牙や爪で命を落とす危険性があるからだ。 


「この子の事が、気になるの?」


 少し離れたところから女の子は言う。

 僕は頭に乗せていたタンクを下ろし、恐る恐る頷いた。怖かったけど、好奇心がそれに勝ってしまった。あの分厚い肌や、硬そうなツノの触感が気になった。


 しょうがないな――とばかりに彼女は僕を手招きする。僕は恐る恐るサイに近づいた。

 近くで見ると思ったよりもずっと大きい。でも目は小さくて、何かに怯える気弱な目にも見えた。分厚い皮膚はひび割れていて、乾季で干上がった川底みたいに見える。触ると予想通りカサカサだった。


「サイを飼ってるの?」


 僕が尋ねると、彼女は「うん、まあ」と曖昧に答える。


「飼っているというか、保護してるんだ。この子、密猟者に親を殺されちゃったから……」


「みつりょうしゃ……?」


 首を傾げる僕に「そんな事も知らないの?」と悪態をついてから、彼女は教えてくれた。

 人間が勝手に動物を殺すのは、本当はいけない事らしい。武器を持った人間は『強い』から、動物はどんどん殺されてしまって、最後にはいなくなってしまう。サイも、この立派なツノが病気を治す薬になるとかで、悪い人間たちに命を狙われているらしい。


「まあ、私もパパから聞いたんだけど」


 そう言って彼女はバツが悪そうに笑った。


「かわいそうだね」


 両親を殺されてしまったこのサイに同情して、僕はできるだけ優しくその背中を撫でる。目から感じた気弱そうな印象は、寂しさの現れなのかもしれない。


「私たちはこの大陸を遊牧しながら、こういう動物たちを助けて歩いてるの。『弱いもの』を守ってあげるのが、私たち人間の使命でしょ」


 そう語る彼女の顔は自信に溢れていた。

 その気高い精神に気圧されて、僕は無言で何度も頷いた。


 それからしばらくの間、彼女たちとの交流が続いた。


 僕が水汲みで通る道から草原を少し歩いたところに、彼女たち遊牧民はテントを構えているらしい。

 特に待ち合わせをしていたわけじゃないけど、水汲みにいく僕と、サイの散歩に行く彼女の時間が重なった。

 会うたびに僕はサイを撫で、彼女の旅の話を聞き、その気高い精神に胸を躍らせた。


 やがて彼女たち遊牧民は別の土地へと移る。

 

 最後に会った時、彼女は「また来るね」と言った。僕が「いつ?」と尋ねると「5年後かな? よくわかんないけど」と寂しそうに笑った。


 頭にポリタンクを乗せながら、久しぶりに一人で通るこの道。雨季でもないのに、鼻の奥がじんわりと湿ったような気がした。



   *   *   *



 吐く息が荒い。


 重たいカバンを四つ首から下げて、僕は照りつける太陽を見上げる。


 背後からはアジル達の馬鹿でかい話し声。

 そしてたまに、叱責のように飛んでくる小石。

 僕が身をすくめてそれを避けると、アジル達は大声で笑う。


 その声が――止んだ。


 しばらく歩いてからその異変に気付き、僕は振り返る。


 僕達のはるか後方。

 

 そこに、ライオンがいた。


 僕を棒で叩き石を投げてくる『ライオン』なんかよりも、ずっと大きくて恐ろしい本物のライオン。それが4頭、僕達の後ろをゆっくりつけてくる。

 

 ライオンに囲まれた偽りのライオン達は、後ろ向きでのまま震える足でヨロヨロと歩き、立ちすくむ僕にぶつかって転んだ。


「ああああ……」


 アジルが細い声を上げる。

 普段であれば、野生動物は人間を恐れて近づいてこないと両親が言っていた。でも、それでもこうして近づいてくると言うことは、それだけ食事に窮していると言うことだろう。

 僕たちは奴らに餌として認識されている……。


「なんとかしろよ、ヤン……俺は村長の息子だぞ……? 俺を助けろよ……」


 アジルは泣き出す。それにつられて、舎弟2人も泣き出した。村長の息子だろうが、そんなのライオンには関係ない。奴らには肉の塊が4つ転がっているようにしか見えてない。

 僕も何か言おうとしたけど、歯がガチガチなって上手く話せなかった。


 固まったまま動けない僕たちを嘲笑うように、4頭のライオンはゆっくりと距離を詰める。

 

 僕はあと何秒生きられるんだろう。


 10秒か?


 5秒か?


 いやだ、助けて――


 その瞬間、巨大な塊がライオンにぶつかった。


 ぶつかられたライオンは吹っ飛び、地面を転がる。


 呆気に取られる僕。


 先程までライオンがいた場所には、巨大な岩がそびえていた。


 いや違う――


 巨大な、サイだ。

 

 突然出現したサイに、ライオン達もまた呆気に取られている。その隙を突くように再び走り出したサイは、もう一頭のライオンをその鋭いツノで突き上げた。ライオンの体が浮き上がり、地面に叩きつけられる。

 そのままスピードを落とすことなく、サイは残りのライオンに突進し、次々と弾き飛ばしていく。

 巨大な岩がものすごいスピードで暴れ回る。


 現実とは思えない光景に、僕は口を開けてそれを眺めるしかなかった。


 ヨロヨロと立ち上がっては、再び弾き飛ばされるライオン達。繰り返されるその蹂躙にたまりかねたのか、一頭のライオンが短く鳴いた。それを合図に残りのライオン達も僕たちに背を向け、フラフラと逃げていった。


 4頭のライオンを相手に完全な勝利。


 逃げていくライオンを見届けると、サイはゆっくりと僕の方へと歩み寄る。


「うああああああああ!」


 アジルとその舎弟は、歩み寄るサイの迫力に気圧されて、大声で叫び声を上げながら逃げ去っていった。


 僕を見つめるサイ。


 その目を見て、僕は気づく。

 そこにはもう以前のような気弱さはなかった。


「ひさしぶり。危ないところだったね」


 背後からかけられた声に僕は振り向く。

 大人びた表情はそのままに、すらりと伸びたその長い手足は、僕たちの間に流れた年月を物語っていた。


「ありがとう……」剥がれかけの恐怖が残った、まだ震える声で僕は言う。「戻って来たんだ……」


「うん。またしばらくこの地にいると思う」


 そう言って彼女は照れ臭そうに笑った。


 サイはゆっくりと彼女に歩み寄り、隣に並ぶ。すっかり大人になったサイは、もうあの頃の『弱いもの』じゃなかった。1頭で4頭のライオンを相手に立ち向かうほど、強く大きく、そして逞しくなっていた。


 道端の柔らかい草の上に座り込んで、僕たちは互いに空白を埋めるみたいに、たわいもない会話を交わした。この5年間に見てきたこと、感じた事。時間を忘れて僕たちは語り合った。


 日は傾きつつある。日が沈む前に帰らなければと、僕たちは示し合わす事なく同時に立ち上がった。


 やわらかな風が吹いた。


 背の高い草が揺れた。

 

「あのね、私……間違ってた」


 より硬く厚くなったサイの肌を撫でながら、彼女は言う。


「『弱いもの』を守ってあげるなんて、思い上がりだった。『弱いもの』は弱いままじゃない、いつかきっと強くなれるんだよ。それを私は、この子を見てきて気付いたんだ」


 そして僕を見て、何か言いたそうに口もモゴモゴさせる。


 ――でも、何も言わなかった。


 隠していた宝物にもいつか気付いてくれるだろう、そんな期待を込めたような目で、彼女はじっと僕の顔を見ていた。


 アジル達にいじめられている僕の姿を、彼女は遠くから見ていたのかもしれない。

 何も言わない彼女の優しさが嬉しかった。


 弱いものだって強くなれる。


 強くなろう。

 例えばそう、自分以外の誰かを守れるくらい――


 僕は心に誓った。



   *   *   *



 それから更に5年が経った。


 5年前に彼女と再会したあの道で、僕は再び彼女を待つ。


 遊牧民が再びこの土地にやって来たとアジルが言っていた。

 

「やっとあの子に会えるな。よかったなヤン」


 そう言って肘で僕を小突くアジルに苦笑いを返す。


 あれから僕は自然保護官になった。密猟者を取り締まり動物達を守るためだ。

 まだ駆け出しではあるけれど、無意味な悲しみを生まないために、命をかけたパトロールを続けている。

 

 僕は強くなれただろうか。

 自分以外の誰かを、守れるくらいに。


 自分自身に向けたその問いは、今も僕に中にある。


 遠くに見えるのは巨岩。それがどんどん大きくなっていく。その隣には、すっかり大人の女性となった彼女の姿。


 彼女に、今の僕はどう見えるのだろうか。


『サイ飼い』の少女との『再会』でした(*´Д`*)

同じように『サイ飼い』っていう謎ワードで書いた人いたら、幕田のお話は霞みそう(^◇^;)

でもこの謎ワードから話を広げて、頑張って書きました!

お読みいただきありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
読ませていただきました。 壮大で素敵なお話でした。 いや〜アフリカを舞台にした小説って、子どもの頃に読んだ「少年ケニア」以来ですよ〜内容は覚えとらんけど(笑)。 サイかあ、再会とサイかいのお話です…
サイですか。そうですか。すごい変化球ですがイイ話でした。  ライオンとか普通に出る危険地帯で、人間同士の上下関係作っている子供達がほほえましく思いました。懲りたのかな。懲りたんだろうね。こうやって子…
うわ~、またまた素敵な物語でした( ノД`) 爽やかで、熱い大地に熱いハートの物語りでした。 未来屋さんと同じ台詞に打たれました。自分以外の誰かを守れるぐらい、も素敵ですね。そして彼女の目にどう見える…
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