第8話 ダグス島7 誓い
洞窟に戻り、俺達は今日の飯を食べた。
いつも笑顔のアイリスはまだずっと黙っていた。
飯を食べ終わって、俺は背中を向けているアイリスに話しかけた。
「今日、初めて森に入って思った事…。」
アイリスは背中を向けたまま「…うん。」と答えてくれた。
「アイリスがずっと言ってくれていたように、森の中は殺気立っていて、ひとつの余裕も俺にはなかった。
怖かったけど、アイリスがいたから俺はここでこうやって温まって肉を食べれたんだなって本気で思った。
でも俺にとっては、今日だけじゃない。
俺は毎日あんな森の中で肉を持って帰ってくれて、何もなかったように俺に笑ってくれるアイリスを凄いと思った。
森の中で俺はずっとアイリスの背中を見た。
あんな緊張感をアイリスはずっと3年間やっていたんだって思うと、俺は…。」
捲し立てるように話したが、感極まってしまった。
アイリスがこっちを向いてくれた。
俺は気持ちを押し殺してまた話した。
「海辺で肉を解体してる時…、俺はアイリスを変な目で見ていたんじゃない。
改めて、アイリスが凄い人だって思ったんだ。
どうして森で肉を解体しないのか、足だったのか…、俺は…、森の中に入れたからこそ全部納得できた。
時間も余裕もない。
アイリスが出来る事の、きっと一番良い方法なんだって思った。
だから、片手で肉を切ってる時、歯で皮を齧ってる時、俺は、アイリスがどれだけの気持ちでこれをやり続けたんだって思ったら、本当になんだか、感動したんだ。」
「…、感動、かい?」
「うん。俺はここで、この島で、何の不自由もなく暮らせてるんだ。
本当?って思うかもしれないけど、ほら、俺、黒ニアだから…。」
アイリスは黙って目をつぶって何度も頷いた。
「アイリスは片手だ。それを俺は何とも思っていない。気も使っていない。
ただただ凄い人だってしか。
ねぇアイリス。
教えて?
アイリスはどうしてここで生きてるの?
何か目的があるの?」
アイリスは黙っていた。でも俺には何故アイリスが答えられないのかを何となくわかっている。
だからこそ、その言葉を聞きたかった。
俺は言葉を続けた。
「復讐…、だよね?マイカさんの…。」
マイカって言葉と復讐って言葉にアイリスはハッと俺に目を向けた。
「復讐だなんて…。そんな事は…。」
「アイリス。あなたはとても良い人なんだと思う。
9歳の子供に話す内容じゃないしね。
でもアイリス?
俺は黒ニアだよ?
今更ちゃんとした人間とか尊厳とか、もうそんなのどうでも良いんだ。
別にもうどうでも良いって思ってるんじゃない。
こんな…、島流しみたいな仕打ちを受けたんだ。
いや、それまでに受けてきた俺の出来事は、将来良い人になって人を救うとか、そんな綺麗事の中で生まれる訳ないんだ。
俺はここでアイリスに救われた。
でももうこの命は、どうしてこんな世の中なのか、こんな理不尽な世の中なら、俺は全ての人を恨んで、すべてに復讐してやるって事しか出てこないんだ。
そんな人生で良いの?って思うかもしれないけど、全然構わない。
アイリスはサキス人。
どんな人生だった?
この世界で夢や希望はあった?
報われる世界なの?
俺はリターニア人。
もう何もない。
アイリスは?アイリスだって、本当は…、マイカさんを斬ったやつ、マイカさんとアイリスの子供をぶった斬ったやつを許せないんじゃないの?
だからこんな島でも生きてるんじゃないの?」
「ナキは…、ナキは本当に子供が使わないような言葉も知ってるんだね。
うん。そうだよ。僕は許せない。
マイカと僕達の子供を殺したやつを許せない。
僕はただそれだけを考えてここで生きてる。
僕は片腕で泳げない。
だからまだ未だにどうしたら良いかわからないけど、絶対にこのまま死んでたまるかって。
僕は正直、どうしてナキを助けたんだって思ってた。
勿論、ナキが助けられる目の前にいてくれたから助けられた。
でも、本当は、僕はナキを利用しようとしてるんじゃないかって。
一人じゃ無理だから。
僕はどこかでマイカの復讐に、時間をかけてでも成し遂げる時、ナキが必要なんじゃないかって。
駄目だよね?こんな人でなしは。」
「アイリス。違うよ。人でなしなんかじゃないよ、アイリスは。
俺だって、アイリスを利用してる。
アイリスに剣術を教わって、生きる為の術を教わって。
でも、俺はアイリスの為に生きようとは思ってない。
俺は復讐してやるんだから。この世界に。
だから俺はアイリスを利用するし、アイリスも俺を利用して構わない。
マイカさんの復讐をその貴族にしたいんでしょ?
しようよ、絶対。俺はアイリスに利用されるよ。
だって、俺はそいつらも同じ俺の復讐対象でもあるんだから。
何が貴族だ。何が階級だ。何が奴隷民族だ。
こんなふざけた世の中なら、俺は全部壊してやる。
神様がなんだ。
こんな世界にしたくせに、俺の復讐をやめさせたいなら、いつでもしてくれよって。
神様だって呪ってやる。
復讐の何が悪い。
それが悪いならこんな世の中にしてんじゃねぇよって。」
アイリスは物凄い剣幕で吐き出した俺をポカンと見ていたが、ガハハって大声で笑いだした。
俺も心の奥底を吐き出しつくしたのか、アイリスの大きな笑い声を聞いて、俺も大声で笑いだした。
「いやあ、ナキ。なんていうか、スッキリしたよ。
僕はもう、良い人はやめる。
道徳とか理性とか、うん、そうだね、神様だってもう良いや。
どんなに願っても、もうマイカも子供も戻ってこない。
貴族に復讐したって。
でも関係ない。
僕がそうしたいんだ。
そうしないと気が済まない。死にきれない。
その為ならなんでもする。したい。
ナキを利用する。
だから、これからもナキをその為に鍛える。
もっと鍛えさせる。
いつか絶対に復讐してやる。諦めたくない。」
アイリスの本当の言葉を聞けた気がした。俺は伝えた。
「俺、今日森に入って思ったのは、もっと森に入りたいって。
毎日毎日森に入って、まずは慣れたい。
きっともっと俺を利用できると思う。」
「明日からも森に入ろう。復讐のために、ね。」
俺はこの洞窟に来て、一番のアイリスの笑顔を見た気がした。
それからの日々は今まで以上に充実した。
日々の訓練、山登りの往復。森の狩りと採集。
実際森の狩りを見て思う事やれる事が拡がった。
森に慣れてくると、二人の役割も分担できた。
狩り担当のアイリスと採集する俺。
最初はアイリスの指示通りに。慣れてくると言われなくてもすぐに覚えられた。
魔獣にも見慣れてきた。
俺は腿だけでなく腕も切り落として持って帰るようにお願いした。
洗い場の海辺で俺は軽く海に潜った。
アイリスは泳げる俺にビックリしていた。
サキス人もましてやリターニア人も、泳ぐなんてものは人生にないからだ。
体は覚えているもので。
前世では笑われない程度には泳げたからだ。
俺は潜って貝類か昆布みたいなものを探した。
昆布?みたいなものがあった。
俺は魔獣の腕ときのこを兜代わりの鍋で昆布から何からいれて煮込んだ。
これが思った以上に美味かった。
アイリスは目を輝かせて美味しい美味しいと言ってくれた。
野菜は期待できないが、何か草でも入れようってなって、お互い森に入った時に一種類ずつ持ち寄って試すことにした。
俺だけ腹痛を起こした。
まあ、毒で死なないで良かったって、治った後に二人で笑い合った。
森の中で使えそうな弦や蔦、何か使えそうな大きな葉っぱとか、とにかく何でも生活に役立ちそうなものは試してみた。
そんな充実日々を送り、俺達は俺がこの島へ来てから一年が経とうとしていたある日。
俺は日課の一つの中腹の警戒をしていた時、海の向こうに船がいたのが見えた。
俺は異常に気持ちが高ぶり、すぐさま下へ降りていき、洞窟の中にアイリスがいない事を確認すると、すぐさま自分の剣を取り、森の入口外れの洗い場の方へ走った。
アイリスはそこでちょうど体を洗っていたところだった。
「アイリス!船だ。船が来た!」
それを聞くと、アイリスは急いで鎧をつけて準備をすると、
「これから見に行ってくる。ナキは…」
アイリスはそう言いかけたが、俺が剣を持っていることに気付き、
「うん。ナキ。一緒に行こう。海岸線を走っていく。一気に行くからついてきて。注意を怠らないで。」
「わかった。」
アイリスは俺に微笑むと、顔色を変えて海岸線を走りだした。
俺はアイリスから離れない様に、それでいて森からの警戒を怠らない様について行った。
10歳になろうかっていう俺の体だけど、伊達に毎日鍛えてないなっていう実感をアイリスに離されていない事で感じた。
中腹から見てるとそうでもないが、実際の森はかなり広い。
海岸線で少し遠回りな感じだけれど、中々たどり着けない。
もっと鍛錬しないとって流石にキツくなったところで、アイリスは前の方で止まり、ゆっくりここで息を整えようと言ってくれた。
アイリスは俺に頷くと、そこから森へ入っていった。
俺も息を何とか整えてからついて行った。
思い出せる砂浜が見える森の端っこまでたどり着いた。
砂浜の先では、ちょうど主船から小舟が出ているところだった。
思い出すだけで心がズキズキする。
突然、小舟から誰かが海へ落され、大声を発したと思えばその声が消えた。
禁水紋だ。
俺の体の血が騒いで体が熱くなるのを感じている。
走った後だからじゃない。心臓がバクバクしている。
隣でアイリスが言う。
「ナキ。何を見ても動いちゃいけない。森の中に入ってこないと僕達は助けられない。
はっきり言う。僕は森の中に入って来なければ助けない。良いね?」
アイリスはわかってるんだ。
そして二人でも誓った。
俺達は善人じゃない。
死ぬ訳にはいかないし、絶対に俺達が生きてる事がバレる訳にはいかないんだ。
「わかった。わかってる。絶対にだ。」
小舟が砂浜に着き、それぞれが罪人と言われている奴隷達を降ろしている。
アイリスは、隠れて、と俺の頭を押さえてさらに屈んだ。
森の中から魔獣達の歩いている音が聞こえてきた。
何十匹もの魔獣達の音だ。
離れていても今はそれが鋭敏に聞き取れる。
俺達は端から、魔獣の咆哮と罪人たちの悲鳴を目撃した。
横へ逃げる罪人達、人間にまっしぐらに追いかける魔獣ども。
息が詰まる。
あの時の記憶。
わかっていても忘れられない。一年前の事なのに。
誰かが魔獣に喰われた。
それに群がる魔獣達。
どんどん広がる地獄絵図。
誰かこっちに来てくれ。
俺はただそれだけを祈った。
その時、
一人の金髪の女性がこちらの方へ逃げてきた。
走る速さはないが、まるで魔獣の眼中にないように、フラフラとこっちに向かってきていた。
アイリスは俺を掴み、一度奥に戻るよ、と言ってすぐさまに森の奥に場所を移した。
手を伸ばし魔獣を殺すのは、きっとアイリスなら難しくはない。
でも、あの小舟の連中から、俺達の姿そのものが見えてしまう事が駄目なんだ。
森の中の、ちょうどここなら海からの視界はないはずだろうという場所。
ここまで来てくれれば…、と願うだけだ。
その金髪女性が森に入ってきた。
ただ、後ろの砂浜から一匹の魔獣が追いかけてきてるのも見えた。
後少し。
アイリスは剣を置き、風魔法の為の準備を始めた。
「ナキ。僕が良いっていうまでは動いちゃだめだ。」
「わかった。」
金髪女性は何かに滑って前のめりに転んだ。
魔獣はもう女性の目の前に現れていた。
女性は後ずさりして知らず知らずのうちに俺達の方へ近づいてきてくれている。
次の瞬間、女性は立ち上がり逃げようとしたところを魔獣はその足を捕まえて女性の足をぶっちぎった。
そのまま前に倒れ込み悲鳴を上げる女性。
足をそのまま食べだした魔獣。
その瞬間、アイリスの風魔法が魔獣を襲った。
魔獣は女性の足と共に、体が真っ二つに割れた。
アイリスはすぐさま剣を腰に差し、金髪女性を片手で肩に引き上げると、行くぞ!と言って走り出そうとした時、横から魔獣が襲ってきた。
次の刹那、俺はその魔獣の胸元に、剣を突き入れて魔獣を殺した。




