第7話 ダグス島6 森へ
それからの一週間は、今まで以上にお互い熱を帯びていた。
特に剣の訓練は。
アイリスの闘気というか殺気というか、そういう雰囲気を本気で感じた。
振りも強く、当たったら本当に大怪我どころじゃないくらいの振りをしてくる。
速さはそんなに変わらないはずなのに、一振り一振りが、怖い。
でもだからこそやる価値があるんだ。
しかもアイリスは今までになかった、避けてから蹴りを入れてきた。
俺はそれをまともに受けて吹っ飛んだ。
「相手は人間じゃない。意思疎通もできない。待ってもくれないぞ。」
アイリスもちゃんと本気で想定してくれている。
前世でも使ったことないセリフ。
【上等だよ。】
こんなに絶対やってやるって気持ち、俺は初めてだけど、血が滾るっていうのは本当だな。
生きるか死ぬか
そんな気持ちで生きてきた事なんて前世は勿論なかった。
俺が黒ニアとして転生してきた後も、俺はどちらかといえば、いつ死んでしまうんだろうとか、死なない様にする日々を考えた。
生きたいけど自分の自尊心さえ潰される日々の中で、恨みとか憎しみだけがあっただけだった。
今は少し違う。
俺は死に物狂いで生きる事に執着して、絶対に復讐してやるんだ。
そういう気持ちがグツグツと湧いてくる。
そう思うと体が熱くなる。
本当に不思議だ。
俺はアイリスに何度もぶつかっていった。
その一方で、
山登りの方は、かなり苦戦した。
そんな一週間で筋力とか持久力とか簡単に成長なんて出来る訳がない。
背中に背負う袋に木とか石とか、拾い物の剣とか、色々想定できるものを予め用意して背負って。
実際はわからないけど、どうせなら重めが良い。
だけど最初の数日は登っただけでも足がパンパンになった。
これはキツイな。
一週間後に中腹までの上り下りを試験されて、アイリスはそれでも駄目だといった。
俺は悔しさを覚えたが、そこにわがままな感情は芽生えなかった。
純粋に遅いって思って、純粋に早くなりたいって思っただけで。
結局、アイリスが俺に合格を出してくれたのは一週間ではなく三週間後だった。
その間も、避ける訓練は続けられたし、アイリスもちゃんと付き合ってくれた。
それでも…
「良し。行こう。ナキ。」
その日の朝、
俺はアイリスとちゃんと初めて森に行く日になった。
今まで洞窟から、その先には行った事はなかった。
少し岩山を歩き、降りていく。
すると、降りた先にちょうど岩山と森の境のような場所に辿り着いた。
特に入口があるって訳ではないけど、そこから先は異空間だって雰囲気がもう漂っている。
裸足ではないけど、久しぶりに感じる土の感覚。
アイリスは、ここからはもういつでも身構えていないと、と教えてくれた。
まだ海辺近くだから、それでも陽の光はかろうじて入っているが、一歩一歩進んでいくうちにまるで昼夜が一瞬で逆になった様に、森の中は薄暗い様相だ。
アイリス曰く、ここの魔獣は知能がない分、定住とか縄張りとかの概念がない。だから、昨日そこに居なくても、今日になればそこにいる事も多いそうだ。
眠くなったらその場で寝て、腹が減ったら他の魔獣を食べる。
ただそれだけをずっと長い年月繰り返してるそうだ。
ここの魔獣は身構えたり躊躇もなく、当たり前の様に森の中を闊歩して、行き当たりばったりの様な生活をしているんじゃないかってアイリスは見立てていた。
本当に化け物なんだな。
アイリスはゆっくり歩きながらも音を立てずに息を潜ませながら歩いている。
あれ以来初めて入った森だけど、ビンビンに殺気というか、気持ち悪さを感じる。
魔力が濃いっていうのはこういう事?
それとも、この雰囲気にのまれている?
光を通さないほどに伸びた木々。
土の上にもその根は剝き出しに出ていることもあって、平坦な場所はあまりない。
ただ、岩山で過ごしているせいか、その平坦じゃない地面にさほど気にするものは感じない。
「ナキ。今日は森の観察よりも、まずは森の雰囲気に慣れる事だけを考えてくれ。よそ見をしないで。良いかい?」
小声で俺に言ってきた。
「はひ。」
俺の声が上ずっている。
想像以上に緊張しているのがわかる。
でもアイリスはそれに笑わず、俺を見て頷いてくれた。
海から来る風で木々が揺れて音がしている。
それでも
自分の心臓の音の方が聞こえてきそうなほどの静けさ。
目だけでなく、特に耳がとても敏感になっているのがわかる。
どんな音でも聞き逃さない様に。
アイリスはあまり冒険をしない。
今までずっと一人でここで生き抜いてきた。
それは、これ以上進んだら帰れなくなるかもしれない。
帰る途中で違う魔獣に襲われるかもしれない。
想定以上の魔獣に遭遇するかもしれない。
色々な想定を全部して、そして必ずあの洞窟に帰ってくるその生きる事への精神性。
慎重だとは思わない。
度胸がないとも全然違う。
それがいかに過酷な事なんだろうと思った。
こんな身の毛もよだつ森の中で魔獣を狩り、生きていくその強靭な逞しさ。
俺を助けてくれてからは、俺にはいつも笑顔なのに、この森では一切のスキを見せない鋭敏さ。
これを毎日している。
一体何が彼をそうさせるのか。
ゆっくりとアイリスの背中を見ながらそんな事を思い歩いていると、アイリスの剣を持った左腕が横に伸びた。
止まれの合図。
アイリスは俺が止まるのを背中の気配で感じて、もう一度剣をかまえた。
俺も出来る限り目と耳に集中した。
アイリスの向こうでガサガサという音が微かだけど確実に聞こえてくる。
それは風で出来る音や自然なものではない、っていうのが俺でもわかった。
アイリスがしゃがみ、俺もすぐにしゃがんだ。
俺はアイリスからほんの少しだけ横にずれて、そのガサガサの向こうを目視出来るようにした。
アイリスはゆっくり剣を置き、俺の方へ指一本を立てた。
一匹、という意味か。
確かにその音は一定のリズムで聞こえてきて、複数ではない気が俺にもした。
音が次第に大きく聞こえた。
アイリスは少し左手に力を込めて小声で何かを言っている。
すると、アイリスの向こうの草むらから、堂々と魔獣が躍り出て、そして目の前にいるアイリスを見つけると、大きな声を出そうと威圧してきそうになっていた。
その瞬間、アイリスの左手から「ビュン」という風の音が出てきたと思えば、あっという間に魔獣の首を切り裂いた。
大声を出す前に、魔獣は首を刎ねらえて、首が後ろに飛び、体がその後前に倒れ込んだ。
俺は思わず声を上げそうになったが、アイリスは俺に振り返り、手で「まだだ」と制止させた。
喜んで立ち上がろうとしていた俺は、ハッとしてゆっくりもう一度しゃがみ直した。
もう一度静けさを感じて回りを警戒して、ようやくアイリスは立ち上がり、剣を持って魔獣に近づいた。
俺もそれに呼応して、アイリスについて行った。
「ナキ。見なくても良いけどどうする?」
言ってる意味は分かった。
「大丈夫。そういうのは魔獣じゃないけど見慣れてる。」
俺は小声で返した。
アイリスはそれを聞いて頷くと、手慣れた感じで魔獣の足を剣で豪快に鋭く切った。
そして、胸元をも一刀両断するように切り裂いた。
魔獣の両足の膝から下も切り、両腿を俺の背中にある袋に入れた。
そして、裂いた胸元におもむろに左手を入れて、魔獣の体の中の魔石を探した。
すると、洞窟で見た物よりは小さい魔石が出てきた。
魔獣の血がべっとりついているが、俺にはやはり少し黄色く見えた。
「少し小さいけど、ナキとの初めての森だから、記念に持って帰ろう。」
そう言ってそれも袋の中に入れた。
「良し。今日は帰ろう。ナキ、君が先に歩こう。行きと同じ歩調で。」
「わかった。」
俺は歩いてきた道をゆっくり戻るように歩いて行った。
アイリスは俺についてきた。
少し歩くと、アイリスは、
「ナキ。そっちじゃない。その木の左側だよ。」
そう言って帰る道を注意してくれた。
たぶん魔獣は居ないだろう。でもわからない。
アイリスは帰り道の間違い以外は何も言わず、俺達の後ろに注意をしながらも、ゆっくり音を立てずに歩いている。
俺はといえば、早く走って戻りたい気持ちを重々抑えて、出来る限り周りに異常がないかを見ながら歩いた。
何度も道を間違えたが、ようやく海の音が聞こえてきた。
アイリスはいつの間にか俺の後ろではなく横に立っていて、こっちだよ、と行きとは少し違う道を歩き出した。
俺達は海辺に出た。
ゴツゴツした岩場の、ほんの少しだけその間の波が行き来している場所に出た。
砂浜ではないが、充分に安全に海に入れるような場所だった。
「いつもここで体を洗ったり肉を捌いてるんだ。ナキは…、今日は汚れてないよね?ちょっとだけ洗わせて欲しい。」
そう言って、まずは俺の背負っていた袋から魔獣の腿を取り出し、アイリスの腰にある小さなナイフで腿の皮を裂き、皮と肉の間にもナイフで切れ目を入れた。アイリスはその皮をかじり、左手で肉を持ち皮と肉を裂きだした。
鼻息が荒く、俺はなんていう光景を見ているんだろうと思った。
そうなんだ。
アイリスは隻腕。
何でも器用に出来る訳ないんだ。
涙が出てきた。
言葉にならない感情。
アイリスはもうそれをずっとしているからか、それがどういう行動でどういう風に見られているかなんて気にもしていなかったはずだ。
俺が泣いているのを見ても、最初は何故俺が泣いているかさえ気づいていなかった。
でもアイリスはその後ハッとすぐに気づいた。
この島で、初めての他人。
「ナキ。ごめん。こんな姿…。ごめん。」
俺はただただ首を横に振るしか出来なかった。
「嫌だよね、こんなの。」
違う。違う。そうじゃない。
「アイリス。ちゃんと俺、見てる。だから…、見て覚えたい。」
泣きながら俺は言った。
アイリスも泣いていた。でも、
「うん。わかった。」
そう言って、アイリスは皮をはぎ、骨に沿ってナイフを入れ、骨と肉をナイフで削ぎ、綺麗に肉だけを切り落とした。
そして、もう片方の物にもそれをした。
本当に器用にそれをしていた。片腕のハンデを全くもろともしていない。
俺はそれを一度で覚えようと食い入るように見つめた。
魔石を洗い、腿の入った袋も洗い、俺も服を脱ぎ袋から漏れた血が背中についていたので、服を洗い、そして海にザブンと入った。
アイリスも服を脱ぎ、お互い真裸で海に入り波に揺れた。
俺達はずっと無言だった。




