第4話 ダグス島3 決意
アイリスの事をほんの少し知った夜からまた数日、俺の足の裏の傷ももう治った。
アイリスは洞窟の奥にある拾い物の中から、いくつかのブーツを持ってきた。
「傷が治るまでと思ってたからね。拾ってきたブーツは全部大人の物のはずだから合うものがあると良いんだけど…。」
そう言って、二人で俺の足に合うブーツを履いては確かめ合った。
まるで親子が子供の買い物に付き合ってくれてる様に。
「アイリスさん。これどうですか?」
俺はそう言いながら、履いてるブーツで洞窟内を走って見せた。
脱げる感じはしないし、結構速くも走れる。
「おお。良いじゃないか。それならきっと大丈夫だね。」
これで少し自由な行動が出来る。
魔獣と戦う訳にはいかないけど。
「よし、今日はちょっと山の方に一緒に行ってみよう。」
「大丈夫なんですか?」
「うん。山には魔獣はいないし、来ないから。きっと大丈夫。もし来ても、僕が退治するから。」
そう言って笑いながらゴツイ左腕を上にあげた。
洞窟を出て森とは反対の方へ一緒に歩いた。
とはいえ、道という道ではないから、ゴツゴツした岩山を登っていく感じだ。
左手は岩山を掴みながら、ゆっくり足場を見極めて歩いていく。
アイリスは俺に合わせながら「ゆっくりで良いよ」と声をかけながら先導してくれている。
右手にはだだっ広い海が見える。
10分ほど歩くと、少しひらけた場所についた。
「ここを拠点にするか迷ったくらい景色は良いんだけど、やっぱり雨とか考えるとね。」
アイリスはそう言っておどけて見せた。
「ザナキ君はまだ大丈夫かい?」
「はい。まだ行けます。」
「わかった。今日はせっかくだから案内しよう。」
そう言って、アイリスはまたそこから歩を上に登り始めた。
ひたすらに岩場に気を付けながらアイリスと登って行った。
小一時間くらい登ると、山の中腹に辿り着いた。
「うわぁ。」
そこからは島の森が一望できる場所で、俺はそこが魔獣の島だという事を忘れて思わず感嘆した。
「ザナキ君。見てごらん。」
アイリスが指差す方は、俺が小舟から離された砂浜が見えた。
そして、何より森が思った以上に広い事がわかった。
森はかなりの広さが伺えた。
俺の尺度では砂浜があれくらいの広さだとしたら、この島の森の広さはとんでもなく広いな、と。
そして同時に思った。
よくこんな広い森の中で、アイリスは俺を助けてくれたんだなって。
「ザナキ君。実は僕は毎日ここから砂浜のある海の方を見てるんだ。」
「毎日、ですか?」
「そう。僕があの砂浜で逃げた時、海の方に逃げて行く小舟を見た時、その上に太陽があったのを思い出したんだ。」
そういえば…
確かに俺が逃げてる時に小舟を見た時、その上に太陽があって、少し見づらかったのを思い出した。
「俺の時もそうでした。」
「うん。あくまで想像だけど、あの船は朝に出発してたぶん昼過ぎくらいかもう少し後くらいに着いてると思う。僕もザナキ君もたぶん船底に追いやられていたと思うんだけど、船が動き出してから最初は、大勢の人が櫂を漕ぐ音や声が聞こえていた。
でも途中からはそれが無くなった。
モレカから途中、このダグス島にまでは海流の早い場所があって、行きはとても早く着くと思うんだ。だから帰りの方が、彼らは苦労するはず。
まず思った事は、帰りが辛いはずなのに、それでもわざわざここに罪人達を連れてくるっていう事を未だにやめていないっていう疑問。
それと、毎日ここでそれくらいの時間を見張って置く事で、また罪人達が連れてこられた時がわかるって事。
確かに。
ここからは砂浜先の沖合を眺められる場所であり、かなり遠めでも船が来てる事はこちらからわかるし、むしろ船からはこんな禿山の人なんて見える訳でもあるはずない。
「ザナキ君が来た時も、僕は船が見えてから必死に下りて森へ向かった。
端っこを通り出来るだけ魔獣に見つからない様に。
魔獣達はあまり森から海岸線には来ないんだ。海には食べ物が無いって思ってるからだと思う。
だからきついけど、何とか出来る事があるならって…。
それでも…、今までにも何回か来たけれど、僕は誰も助ける事が出来なかった。もしかしたら魔獣を倒せたと思う。でも、あいつらに今は見つかりたくない。僕は本当に情けない人間だ。」
「そんな事はないよ、アイリスさん。
アイリスさんは俺を助けてくれた。俺だって逃げてる途中でさえ思った事は逃げたって事をあいつらにバレちゃいけないって事だった。
俺みたいな子供だって…、俺達リターニア人にとって…。俺は砂浜で小舟に乗ってた奴に言われたんだ。『自由だ』って。だから俺は命を懸けた。でも最後、本当は魔獣にヤラレルはずだった。アイリスさんはそれを助けてくれた。リターニア人なんて、軽すぎる命だけど、それでも俺を救ってくれてありがとう、アイリスさん。」
俺とアイリスはそれからただじっとここから見える森と海辺を見ながら黙っていた。
言葉にならないものがある。
きっとアイリスさんも色んな事を想っているのだろう。
俺達はそこから時間をかけて一度洞窟に戻った。
アイリスはそれから狩りをしてくると言って出ようとしていた。
俺はアイリスを呼び止めて
「アイリスさん。今日行った高台は夜も行けるの?」
「うーん。あの高台は夜になると少し【怖さ】を感じるんだ。会った事はないし何も居ないはずなんだけど…。だから夜は行かない様にしてる。何かあったらいけないし。」
「うん。ありがとう。じゃあ、あのちょっと行ったひらけたところは?」
「あそこなら心配ない。僕も何度かあそこで大の字で寝た事もあったから。
ザナキ君。行こうとしてる?」
「実はちょっと…。正直言えば少し。毎日洞窟にいるとちょっとキツイから。」
「うん。わかった。良いよ。でも約束して欲しい。行っても良いからちゃんと僕に言ってから行く事。それで良いかな?」
「うん。わかった。ありがとう。」
「じゃあ、行ってくるね。」
「行ってらっしゃい。」
行ってらっしゃいなんて言葉、久しぶりに使った。
アイリスさんもきっと同じ感覚だったんだと思う。
少し照れていた感じを彼の背中は騙さなかった。
アイリスが戻ってきてから、俺達は肉を食った。
料理といっても肉を切って棒を刺すくらいだが、それでも俺は手伝った。
アイリスはしなくて良いと言ってくれたが、俺は奴隷ではなく、一人の子供として手伝いたかった。俺がそう言ったら、またアイリス照れるところを見れるしっていうのは少し冗談だ。
肉を食ってから、俺は洞窟を出て入口近くの海の見える場所で座っていた。
海をずっと見ていると、なんだか全てを忘れられるような気もしていた。
でも、そこでもくすぶる気持ちがある。それはこの大きな海を眺めていても消えはしない。むしろ、海の壮大さがあっても絶対に忘れられない気持ちだった。
意を決して、俺は洞窟内のアイリスの元へ戻った。
「ねえ、アイリスさん。アイリスさんはどうしてまだこの島で生きようとしてるの?」
アイリスは俺のこの問いかけを本気で受け止めようとしてくれた。
「…、正直、わからない。でも、死にたくはないって。こんなところで死んだらって…。」
「マイカさんに怒られる?」
俺は真面目に言った。
アイリスもそれが皮肉とか冗談じゃないって事が俺の顔を見て感じてくれた。
「マイカにも。僕達の子供にも。正直…」
「許せないんだよね?憎いんだよね?」
「そう。許せない。自分が許せないし、あの貴族も許せない。どうして僕達はこんな目に合わなきゃいけないんだって。どうして僕はサキス人なんだって。思えば思うほど許せない。でも僕は…、ここで死ねなくて。死にたくなくて。
もう死ぬのは簡単なはずなのに、死んでたまるかって。死ぬのが怖いんじゃない。でも、こんな気持ちを持ったまま死ぬのはあまりに理不尽で。」
「アイリスさん。俺も同じです。
俺はリターニア人。まだ9歳だけど、もうこの世の全てを賄うほどの理不尽な目に合っている。俺はここでアイリスさんに救われた。
俺は、復讐したいんです。」
アイリスはその【復讐】という言葉にハッとした。
「復讐…。」
「俺は全てが憎い。だから復讐するんです。」
二人の中で沈黙が流れた。
俺もアイリスも、どれだけの仕打ちを受けてきたか。
リターニア人、サキス人ってだけで。
誰も手を差し伸べてくれる事はなかった。
俺にとっては、前世も含めて、自分は一体何の為に生まれてきたんだって。
もうたくさんだ。
こんな不条理な世界、俺は絶対に許せない。
誰であろうと俺は許せない。
道徳も倫理ももう要らない。
この世界にそんなものはない。
だったら俺もそうする。
この世界のルールで常識で良いのなら、俺は平気で人だって殺してやる。
理不尽を憎んでやる。
不条理を壊してやる。
倫理をひっくり返してやる。
俺が許せないものから、全てを奪ってやる。
「ねえ、アイリスさん。
俺に剣術と魔法を教えてくれませんか?」
「ザナキ君…。」
「今はまだ子供だから力がない。でもこれからアイリスさんに教わって、もしかしたらまたこれから来る人達を助けられるかもしれない。
魔獣を殺し、ここで力をつけて、絶対にあいつらに復讐してやりたいんだ。」
「本気なのかい?」
「もう全部失った。子供なのに。プライドとか尊厳とか…。」
「ザナキ君は、それこそ子供なのに、時々大人びた事をさらりと言うよね。」
少しアイリスは微笑んだ。
アイリスは立ち上がり、俺を見て
「少し…、考えさせてくれないか。」
そう言って俺は頷くと、アイリスはニコっとして洞窟を出て行った。
俺は待つことにした。
俺がこれから何をするにしても、アイリスの手助けは必要だ。
アイリスはリターニア人の俺より上のサキス人。
それでもアイリスは俺を平等に扱ってくれる。
アイリスは俺にとってきっと重要な人間だ。
俺にとって必要な事を知っている。
だから学びたい。
学んで…、そして強くなってやる。
そしてもう奪われるんじゃなくて奪ってやる。
呪ってやる。
俺は心の中でそうつぶやいた。
そう思うと俺は自然に気持ちが楽になった。
あんな平凡で何の取柄もない前世の俺が、こっちに来てこれ以上ない仕打ちを受けて、吐き出した言葉が「呪って奪ってやる」なんて。
どうかしているな。
でももうどうでも良い。
俺の理性なんてとっくに消えたよ。
俺の愛情なんて何にもないよ。
神様、俺を恨むなよ?俺だってそんな為に生きてきた訳じゃないんだから。
でももうしょうがないだろう。
そんな事を想ってるうちに、アイリスは戻ってきた。
「ザナキ君。復讐…、しよう。」
俺はそれできっと最後のスイッチが押された気がした。
「アイリスさん。これから俺の事は「ナキ」って呼んでください。
昔…、まだ俺の親が生きていた頃、親が俺の事をそう呼んでくれてたんで。」
「わかった。ナキ。じゃあ僕の方もさん付けはやめよう。これからは男二人で闇に生きていこう。」
今日はこの世界に生まれてから一番心地よく寝れそうな気がした。




