運命の場所へ
朝から雲一つない青空が広がって。
太陽の光がキラキラと輝く清々しい朝。
この日の朝をアリスティアは知っていた。
今日は永く婚約関係にあったエルドア帝国のレイモンド皇太子殿下と、アリスティア公爵令嬢の結婚式が行われる日だった。
それは転生前も今生も。
しかしだ。
今生は、この佳き日を国民に発表すらされずに、二人の婚約は解消された。
そして転生前は……
花嫁のすげ替えが行われ、皇太子殿下と聖女の結婚式が行われた。
朝から大聖堂の鐘が鳴り響き、国中が皇太子殿下と聖女の結婚を祝福した
結婚式が終われば二人のパレードが予定されていて。
皇太子殿下と聖女の姿を一目見ようと、人々が街中に溢れかえっていた。
魔物騒ぎで、恐怖と不安で沈んでいた人々は、国の慶事に湧きに湧いたのだ。
皇太子と異世界から来た聖女が、庭園で逢瀬を繰り返していると言うロマンスが、民衆にも聞こえて来ていたから尚更に。
そして……
他国からも王族達が挙ってエルドア帝国に来国して来た。
聖女のいるエルドア帝国こそが安心の地だと言って。
幼い王子や王女までもが。
その幸せな佳き日の皇都の街を……
魔女になったアリスティアが破壊し、人々を無差別に大量殺戮したのである。
皇宮と大聖堂だけを残して。
***
昨夜は、オスカーは勿論ハロルドもカルロスも帰宅しなかった。
それは、先に帰らされたアリスティアも予測した事だった。
陛下と皆で夜通し対策を練っているだろう事は分かっていて。
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
天のお付けがあってからのこの3ヶ月間。
皇宮では魔物対策の話し合いが連日のように行われ、それに備えてあらゆる準備をして来た。
2ヶ月前には異世界から聖女が現れ、エルドア帝国の守りはより強固なものとなった。
魔物の出現と共に直ぐに出陣出来る準備も出来ていた。
それから1ヶ月後に魔物の出現が告げられ、出現したとされる離宮界隈は既に閉鎖され、騎士達が四六時中の監視をしていると言う。
しかしだ。
魔物から世界を救う筈の聖女に、その魔物が憑依していると言う予測不可能な事態になっているのだ。
昨日の今日の事なので、魔物が聖女に憑依していると言う事は、国民に向けての発表はされてはいない。
いや、魔物が聖女に憑依してるなんて事を言える筈がないのだ。
パニックになるのは確実だ。
「 来れる筈はないわね 」
この日はレイモンドと二人で、大聖堂に行く事を約束していた。
結婚式を挙げる筈だったこの日を二人だけで過ごそうと。
だけど。
夕方までレイモンドが迎えに来るのを待っていたが、やはり彼は来る事はなかった。
今までも、こんな風な待ち惚けは多々あった。
彼の立場上それは仕方のない事。
ましてや今は国の一大事。
皇太子である彼が安易に抜け出せる筈がないのだから。
なのでアリスティアは、一人でも行く事を決めていた。
何故かは分からないが。
行かなければならないような気がして。
大聖堂は、皇宮から少し離れた場所の小高い丘の上に建てられている。
昔はここに王宮が建てられていたと言う事は、学園時代の帝国史で習った事。
因みに皇宮は大聖堂よりも更に高台に建てられていて。
それは城の守りをより強固にする為にと、王国から帝国になった際に、この場所に移設されたのである。
皇宮の窓からは皇都の街を見渡せるようになっていて。
そして皇都の街からは、何処にいても皇宮は見える位置にあるのだ。
馬車を降りたアリスティアは、お供である侍女のデイジーと護衛のロンとケチャップには、隣にある喫茶店で待つように言った。
ロンとケチャップはデイジーの弟達だ。
転生前の彼等は騎士団の騎士だったが、今生では騎士団には入団せずに公爵家の護衛を務めている。
「 お嬢様が入内するならば、僕達は騎士として皇太子妃になったお嬢様を守ります 」
そう言って騎士団に入団したのだ。
その彼等は、アリスティアをこの大聖堂に追い詰めた騎士達の中にいた。
剣先をアリスティアに向ける騎士達の後ろで、まだ下っ端の二人は床に膝を突いて泣いていたのである。
ごめんね。
主に剣を向けさせて。
わたくしを守る為に騎士になったと言うのに。
アリスティアは涙が零れ落ちそうになるのを、唇を噛み締め、グッと堪えて踵を返した。
この日が近付いて来たからか、最近では毎晩のように夢に見ている。
ご免なさい。ご免なさいと、夜中に泣きながら何度も目が覚める毎日を送っている。
ここに来る事は考えてもいなかった。
アリスティアにとってはトラウマでしかない場所。
何度も、今生は違うと言い聞かせても。
カルロスとオスカーからも、あれは悪い夢だと思え!と言われても。
あれは夢なんかではなく、確かに現実だった。
自分が引き起こした大惨事である事には変わりはないのだ。
大聖堂の大きな扉の前に立ったアリスティアは、大きく深呼吸した。
大聖堂は皇族の儀式を司る寺院であるから、教会とは違って一般人は立ち入る事は出来なくなっていて。
誰も来ないからレイとイチャコラして来いと。
辛い記憶を書き換えて来いと。
お前のその記憶は、もう存在しない記憶なのだからと言っていたのはオスカーだ。
イチャコラする皇子様はいないが、アリスティアは震える手で大きくて重い扉を開けた。
目の前に広がる大きくて広い部屋には、オレンジの陽の光が壁一面の窓から降り注いでいて。
ヴァージンロード通路を挟んで椅子がズラリと並べられ、真っ直ぐ伸びた通路の先にはレイモンドと聖女が愛を誓った場所がある。
アリスティアはそのまま真っ直ぐにバージンロードを歩いた。
あの日。
レイモンドとタナカハナコが歩いた道を。
ゆっくりと。
皆からの祝福の拍手を受けながら歩いていた道。
真っ白な正装姿のレイモンドに、タナカハナコは真っ白なウェディングドレス。
そのウェディングドレスは、きっと大急ぎで作らせたものだろう。
アリスティアのウェディングドレスは1年も掛けて作られたものだったが。
あの日。
レイモンドにウェディングドレスが出来上がった事を報告した。
しかしそのドレスは、勿論今生では作られてはいない。
あのドレス。
とっても素敵だったのよ。
そんな事を思いながら歩いていたアリスティアは、あの日の自分が座っていた場所と同じ場所に座った。
エルドア帝国の筆頭貴族であるグレーゼ公爵家に用意されていた席は最前列。
そこにはハロルドとキャサリン夫妻と並んで座り、その横にはもう一つの公爵家であるスワンソル夫妻が座っていた。
二列目が各々の嫡男夫妻が座り、アリスティアは三列目にオスカーと並んで座っていたのである。
ここからは、神官を前にして結婚式の儀式を行う二人の姿がとてもよく見えた。
因みに、聖女の後見人であるニコラス・ネイサン公爵は反対側の貴賓席にいた。
そこは他国からの王族がいる場所で、彼は既に皇族の一員として座っていたのである。
式に参列したアリスティアが着ていたドレスはロイヤルブルーのドレス。
それはレイモンドから贈られたドレス。
結婚式の日取りを発表した記者会見の日に着用した、二人のお揃いコーデのドレスだ。
一番幸せだった日のドレス。
このドレスは今も自分の部屋のクローゼットにある。
勿論今日はこのドレスは着て来てはいない。
今日は白いドレスを着て来た。
どうしても白いドレスを着たくて。
転生前に作られていた、もっと幸せになる筈だった純白のウェディングドレスは、今生は作られてさえいないから。
あの日の悲しい記憶を塗り替える為の。
あの日。
レイは、わたくしのあのロイヤルブルーのドレスを見たかしら?
二人で並んで記者会見をした日の事を思い出してくれたかしら?
ねぇ。
どんな気持ちでタナカハナコと誓いのキスをしたの?
わたくしの前で。
わたくしの事をこんなにも愛していながら。
アリスティアはレイモンドが側妃を娶る事をちゃんと受け入れていた。
皇族である限りは側妃の存在は不可欠なもの。
千年以上続いているエルドア帝国の王族の血統を、レイモンドの御代で絶やす事は出来ないのだから。
そう。
タナカハナコへの愛がなければ、それでも良いと思っていて。
何も知らされていない中で。
アリスティアはレイモンドの愛だけを信じていた。
そして……
その愛を信じられなくなったアリスティアは、魔女になってしまった。
それは婦人達の噂話を信じてしまったから。
***
そう言えば。
わたくしは空中に浮かんでいましたわね?
暫くボンヤリと座っていたアリスティアは、ふと、あの時の自分を思い出した。
高い位置から聖女に魔力を放った事を。
夢でも何度となくリピートされた光景だ。
嫉妬に我を忘れていたから、自分でも何が何だか分からなかったが。
その光景だけは覚えている。
空中浮き上がった後に地面に落ちたタナカハナコに、レイモンドが駆け寄り跪いて抱き起こしている姿を。
それを高い位置から見下ろしている光景だ。
「 …… 」
思い浮かべただけで嫉妬の熱が身体から溢れて来る。
勿論、今は魔力のコントロールは出来ている。
魔女ゾイはレベルアップしているのだ。
「 えっ!?嘘 」
気付いたらアリスティアは浮かび上がっていた。
「 凄いわ…… 」
大聖堂の天井は三階建ての高さはある。
アリスティアは更に浮き上がって行く。
自分でコントロール出来るのが凄い。
その時。
いきなり何もない場所から誰かが現れた。
「 !? 」
目を凝らして見てみれば、タナカハナコ。
その手は誰かの手と繋がっていて。
振り返った彼女は、その手を自分の胸に向かって引き寄せた。
にっこりと微笑んだ顔は蕩けそうに甘い。
ヒラメ顔だが。
ちょっと不気味。
その誰かはレイモンドだった。
彼も何もない所からいきなり現れた。
タナカハナコと手が繋がれたままに。
そこはレイモンドとタナカハナコが愛を誓った場所。
二人が誓いのキスをした場所だ。
向かい合って佇む姿はまるであの日の光景。
「 セドリック陛下……ううん……レイさまぁ 」
タナカハナコの甘えるような声が、静かな大聖堂に響いた。




