宣戦布告
聖女に魔物が憑依した事を陛下やレイやお父様に伝えなければならない。
一刻も早く。
しかし。
焦るアリスティアが皇宮に向かったのは夕方だった。
あの後。
婆さん達のお昼寝タイムを経て、また道を使って公爵邸のダイニングに戻って来た。
婆さん達はお昼寝を欠かさない。
荷馬車をレストランに置いて来ていたので、徒歩で皇宮に行くよりは、婆さん達が起きるのを待った方が良いと思って。
しかしだ。
皇宮の警備の者に門前払いを食らってしまった。
「 非常事態宣言が出ておりますので、何人も通すなと陛下からお達しが下されております 。」
グレーゼ家の家紋の入った馬車の前に、警備の者が立ちはだかる。
「 わたくしを知らない訳はないですわね? 」
何時もはフリーパスだ。
皇宮への出入りのチェックは厳しい。
各家の家紋の入った馬車で来ないと入れない事になっている。
警備の者達は首を横に振った後に頭を下げた。
「 公爵令嬢様。申し訳ございません。先程言った通りでございます 」と言って。
「 そう。仕方がないわね 」
オーホホホと高笑いを残したアリスティアは、皇宮の門を後にした。
彼女には奥の手があるのだ。
ここで諦めないのがアリスティアと言う令嬢だ。
何も知らず何も知らされなかった転生前とは違う。
オスカーは何度も言う。
「 転生前も、お前が関わっていたらあんな未来にはならなかったのだろうな 」と。
アリスティアの行動力は半端ない。
レイモンドの婚約者として相応しい者になろうと努力したアリスティアは、沢山の書物を読んでいて。
その見識は男並みで。
幼い頃から兄二人とレイモンドと常に一緒にいたからか、政治や社会の事にも長けている。
レイモンドに言い寄る女共を蹴散らさなければならなかった事もあり、その手法には目を見張るものがある程で。
貴族令嬢達が着飾る事のみに興味がある当時では珍しい存在なのである。
そんなアリスティアだからこそ、転生前の悲惨な出来事を背負いながらも、今生を力強く生きて行けるのだった。
正面から入れないのならば皇太子宮のダイニングがある。
そう。
リタが作る道だ。
公爵邸に戻ったアリスティアは、ダイニングで食事中の婆さん達を急かして、難なく皇太子宮に侵入する事に成功した。
リタと知り合った事が、今生を生きるアリスティアにとっては大金星だったに違いない。
レイモンドのプライベートゾーンは皇太子宮の2階にあり、道は使用人達が食するダイニングに通じていた。
出入口には警備の者がいるが、プライベートゾーンに入ってしまえば警備の者も護衛騎士もいない事はアリスティアは知っている。
そして。
今、このダイニングに使用人達がいないと言う事は、レイモンドが食事中だと言う事。
廊下に漂う美味しそうな匂いがお腹を刺激する。
そう言えばお腹が好いた。
食事を共にしながら話をしようと思って、アリスティアはレイモンドの部屋に向かった。
因みに婆さん達はアリスティアをダイニングに連れて来て直ぐに、さっさと魔女の森に帰って行った。
眠い眠いと言いながら。
レイモンドの部屋に向かって廊下を歩いていると、通り過ぎようとしていた部屋から話し声が聞こえた。
そこは何時もレイモンドが食事をとっているダイニング。
アリスティアが何度もレイモンドと二人で食事をしていた場所だ。
勿論、朝食を共にした事はない。
彼のベッドでお昼寝は何度もした事はあるが。
タナカハナコに朝に突撃されて以来、ずっと自分の部屋で食事をとっていると聞いていたが。
中から聞こえて来たのは女性の声。
レイは誰と食事をしているのかしら?と思いながら。
そーっと扉を開けたとたんに、アリスティアの目に黒髪の頭が飛び込んで来た。
おかっぱ頭で黒髪の女なんてただ一人。
そこには、レイモンドと食事を共にしているタナカハナコがいた。
***
アリスティアは暫しタナカハナコを観察した。
噂がこれ以上広がらないようにと、タナカハナコには近付かないと言っていたのはレイモンド。
何でまた一緒に食事をしてるのかしら?
……と言う気持ちは置いといて。
同じ皇太子宮にいるのだから、食事位は致し方ないと自分に言い聞かせながらタナカハナコを凝視する。
ここは冷静に。
先ずは敵が何なのかを知る為に。
………タナカハナコだった。
どうみてもタナカハナコ。
彼女はレイモンドに向かっていやらしい視線を送っていて。
甘ったるい声が鼻につく。
それはお茶会の時のタナカハナコと同じ。
ただただレイモンドをうっとりと眺めて、媚びた視線を送っているだけの。
今日、民衆の前にいた時の、あの崇高なタナカハナコとは何か違う。
目の前の彼女には、人々を魅了するようなものは何も感じられなかった。
勿論、顔は同じなのだが。
ヒラメ顔の。
覚醒したのではないの?
アリスティアはうーんと考えた。
分からない事だらけで頭の中がパンクしそうになっている。
リタの話では魔物は完全体ではないらしい。
だからなのかとも思うが。
そして、ロキとマヤも言う。
「 あの場所で、千年もの間時を過ごして来たのじゃから、魔力が変化しているかも知れんのう 」
「 お前さんは短期間で変化したがのう 」
確かにそうだ。
魔力は変化する。
サラの魔力は時を操る魔力で。
アリスティアの魔力のように、攻撃性はない筈だとリタは言う。
だから処刑されずに生き残れたのだと。
千年も前の戦いに明け暮れていた時代の話だから、全てが定かではないが。
しかしだ。
今の彼女がどんな魔力を保持しているかが分からない。
レイモンドが体験した、時を操る魔力以外に何かあるのかもと。
この事はカルロスお兄様とオスカーお兄様に相談しなくてはと思っていると、タナカハナコの声が一段落と不快な声になった。
「 レイ様からのディナーのお誘い嬉しいですぅ~。ハナコは~ず~っと一人で寂しかったんだから~ 」
同じ屋根の下に住んでいるのにあんまりだわと甘えた声で言って、タナカハナコはぷぅぅと頬を膨らませた。
これは可愛く見せようとする所為だ。
自分もレイモンドの前でよくする手法だから余計にイラッとして。
我慢出来なくなったアリスティアは、扉を開けて中に乗り込んだ。
たった今、敵を知らなければならないと思ったばかりだと言うのに。
冷静に。
突然のアリスティアの登場に、驚いた顔をするタナカハナコの横を通って、アリスティアはレイモンドの側に行った。
「 皇太子殿下にご挨拶を申し上げます 」
そう言ってカーテシーをした。
とても優雅に。
「 ……ティア……会いたかった 」
レイモンドはアリスティアの顔を見つめながら、嬉しそうな顔をしている。
何故かボーッとしたままで。
「 グレーゼ公爵令嬢!何しに来たの!私とレイ様が食事中なのよ! 」
「 ごきげんようタナカハナコ。レイの恋人のわたくしもご一緒させて頂こうかと思いまして 」
「 ………ここにはあなたの席はないわ! 」
モスグリーンのテーブルクロスが掛けられた丸い大きなテーブルには、二人分のカトラリーと料理が並んでいる。
椅子もテーブルを挟んで2脚あるだけで。
そう。
タナカハナコが座っている席は、アリスティアに用意されていた席なのである。
タナカハナコを見ながらアリスティアは目を眇めた。
そして勝ち誇ったような顔をする。
「 あら? ここにありましてよ? 」
アリスティアはレイモンドの膝の上に座った。
レイモンドの首に手を回してニッコリと微笑んだ。
それはとても美しく。
「 ここがわたくしの席ですの 」
「 !? 」
「 わたくし達は、ずっとこうして食事をして来ましたのよ 」
嘘ではない。
幼い頃はレイモンドの膝の上でおやつを食べたりもした。
本を読んで貰った事も。
「 わたくし達は20年も同じ時間を過ごして来た仲ですのよ…… ねえ、レイ? 」
アリスティアはレイモンドの顔を覗き込んだ。
甘い甘い顔をしたレイモンドは、アリスティアの額にそっと唇を落として来た。
その綺麗な瑠璃色の瞳はやはり虚ろで。
それは離宮の庭園の奥にある、大木の下にいたあの時と同じ。
今回も同じ様に「 ティアに会いたかったんだ 」と言って。
会いたいのは本当だろうが、やはり何処か様子がおかしい。
レイに何をしたの!?
これも魔物の魔力なの?
わたくしのレイに妙な魔力を掛けるなんて許さない。
アリスティアのヘーゼルナッツ色の瞳の色が微かに赤く光る。
先ずサラには、はっきりと分からせる必要がある。
レイモンドはセドリックではないと言う事を。
アリスティアの頭の中にはサラの想いが聞こえて来ていた。
「 セドリック様は私を忘れたの? 」
「 あんなにも私を愛してくれたのに 」
「 早く私との日々を思い出して! 」
レイモンドがセドリック王の生まれ変わりだが何だか知らないが。
レイモンド・ロイ・ラ・エルドアは、セドリック・ロイ・ラ・エルドアではないのだ。
レイモンドの膝の上にいるアリスティアは、レイモンドに頬にキスをした。
そしてタナカハナコを見やった。
「 レイはわたくしのものですわ。分かって頂けたかしら?……ねぇ?サラ 」
それは魔女アリスティアから魔物サラへの宣戦布告。
タナカハナコが乗っ取られたのならば、自分が戦うしかない。
この消滅の魔力で。
効力があるかどうかは知らないが。
その時。
タナカハナコの顔付きが変わった。
アホそうな不細工な顔から、落ち着きのある不細工な顔に。
ヒラメ顔には違いないが。
やっぱりだ。
先程のタナカハナコはタナカハナコ。
そして……
今、出て来たのが魔物のサラなのだ。
サラは完全にはタナカハナコを支配出来てはいなかった。
それが婆さん達の言う、完全体ではないと言う事だと理解した。
「 貴女は……何者なの? 」
ユラリと立ち上がったタナカハナコは、手を頭の上に掲げると掌を広げてくるくると回した。
まさかここで魔力!?
瞬時に身構えたアリスティアは、指先に魔力を込めた。




