公爵の三日天下
「 何だと? 離宮の庭園に何があると言うのか? 」
ギデオンはニコラスからの申し出に怪訝な顔をしる。
ここにいる誰もが思った。
あの一枚岩の事を言っているのかと。
あれが削られていようが一枚岩は一枚岩なだけで何が問題なのかと。
しかし。
レイモンドだけは、一枚岩の奥にある小屋の事だと分かっていた。
それ故に彼は青ざめていたのである。
何故ニコラスが小屋の存在を知っているのかと。
離宮になど一介の貴族など決して入る事の出来ない場所なのに。
公爵であろうとも。
レイモンドを見やりながらニコラスは話を続けた。
口角を上げながら。
「 離宮の庭園の奥にある秘密の小屋で、禁忌の薬である媚薬が作られていたと言う垂れ込みがありまして…… 」
「 秘密の小屋だと? まさか……この皇宮で? 禁忌の薬を作っていたと言うのか? 」
ギデオンが驚いた顔をした。
皇宮には薬剤を作る建物がある。
勿論、皇族専用なのだが。
しかし。
レイモンドの進言で、それを工場にして民衆に行き渡るようにする為のプロジェクトを立ち上げたばかりだ。
ジョセフ第一皇子を中心に。
「 まあ、小屋を捜索すれば色々と分かると思われます 」
そう言ってニコラスはギデオンに頭を下げた。
丁寧に腰を折って。
意味深な顔をして。
「 ニコラス! 日を改めてはどうか? 」
父上にはこの後も執務があるからと、レイモンドはニコラスを嗜めた。
「 おや?皇太子殿下?媚薬作りは犯罪ですぞ。敏捷に対応しなければなりません。なあ、ハロルド宰相? 」
「 ……そうですね。陛下、殿下。今から参りましょう 」
皇族と貴族の犯罪の取り締まりは宰相の管轄だ。
宰相としては、犯罪の匂いをスルーする訳にはいかない。
もしも何かあるならば直ぐに対処しなければと。
ハロルドは持っていた書類の束を、呼び寄せた事務官に渡して、カルロスには同行するように指示した。
厳しい顔をしたギデオンの後ろをレイモンドが続く。
その後ろにハロルドとニコラス。
そして二人の後ろにカルロスとオスカーが続いた。
禁忌の薬は作った者も、作らせた者も罪になる。
もし本当に離宮でそれを作っていたのなら?
場所は離宮の庭園の奥にある秘密の小屋。
ギデオンは……
いや、秘密の小屋向かうレイモンド、ハロルド、カルロス、オスカーの皆が思った。
作っていたのはジョセフ第一皇子だと。
彼は科学者であり医師であり、そして薬学に精通している者なのだから。
今は学園で再び薬学を遂行中だと聞く。
ある時期から薬学を学ぶのを止めてしまっていたが。
そんな彼は……
媚薬だけでなく、もしかしたら毒薬を作っていた可能性もあるのだ。
毒薬ならば極刑だ。
あの小屋には媚薬の調合の仕方のファイルがある事を知っているレイモンドは頭の中で思い巡らせている。
調合の材料もあの小屋にあった。
小屋の周りに植えてある草花は、媚薬を作る材料だと言う事は、あの後アリスティアから聞いた。
作らせていたミランダ妃が罪になるのは仕方がないが、作っていた兄上も勿論罪になる。
しかし。
何も知らない幼い子供の時ならばどうなるのか?
歩く道すがら。
レイモンドはどうしたら兄上を救えるのかと考えていた。
カルロスとオスカーは、ニコラスの後ろ姿を見ながらギリギリと歯噛みをしていた。
こいつ。
また、陛下を脅す気か?
いや、今生はまたではないが。
やはり未来は変えられないのか?
もし、ジョセフ皇子殿下が媚薬を作っていた事が判明したら?
陛下はどうする?
ネイサンが黙っている代わりに聖女との結婚を示唆して来たら?
レイはどうする?
多分。
俺は、アリスティアの転生前の世界でも、全てを知っていながらも何も出来なかったのだ。
それは今と同じ。
ただの皇太子殿下の側近では物申す権利さえない。
オスカーは握り締めた拳を固くした。
カルロスはそんなオスカーの肩を叩いた。
「 なあ兄貴……やはり未来は避けられないのか? 」
「 大丈夫だ。考えよう 」
今までも未来に逆らって頑張って来たのだからと、カルロスはオスカーに言った。
そんなカルロスの顔も怒りと悔しさに満ちていた。
それぞれの思惑を抱えた一行は、離宮の庭園を抜けて一枚岩の前にやって来た。
昨日よりも削られているようだが?
まさか……
昨日ここに来てはダメだと言ったばかりなのに?
レイモンドは一枚岩の前で立ち止まったが。
一枚岩のあれこれを知らないニコラスは、スルーして通り過ぎた。
「 陛下。ここからは私が先に立って歩きましょう 」
この先は更に鬱蒼としている。
何が飛び出して来るか分からないから危険だと言って。
通常ならば、先頭には騎士団の団長が歩いて行くのだが。
ここには騎士は同行していない事から、ニコラスがしゃしゃり出て来たのだ。
意気揚々と先頭を歩くニコラス・ネイサン公爵。
タナカハナコから聞いた道を。
勝ち誇った顔をしながら。
まるで天下を取ったかのように。
しかし。
歩く先に小屋は現れなかった。
「 小屋がなくなっている 」
レイモンドが呟いたのを、オスカーは聞き逃さなかった。
直ぐにレイモンドの横に駆け寄った。
カルロスも続いた。
「 レイ? 本当にここに小屋があったのか? 」
「 ああ。昨日はあった 」
「 昨日の今日で小屋が消滅したと言う事か? 」
三人でひそひそと話をする。
たった1日で小屋を跡形もなく消滅させた。
そう。
木の破片すらないのだ。
周りに生えていた薬草達も根こそぎ消えていた。
こんな事が出来るのは……
魔女ゾイ。
***
小屋がない。
何故だ?
昨日。
ネイサン公爵邸にやって来た聖女から、秘密の小屋と媚薬の話を聞いたニコラスは諸手を挙げて喜んだ。
「 弱みを握ったぞ! 」
媚薬を作っていたのはあの偏屈な第一皇子に決まってる。
小屋のある場所が離宮の庭園からしても。
陛下は第一皇子を可愛がってらっしゃるから、これは弱味になる。
第一皇子の罪を秘密裏にする事を条件に、聖女を側妃にさせよう。
我が国の皇族は、正妃が2年の間妊娠しなければ側妃を娶る事は出来ないと言う括りはあるが。
側妃が聖女ならば問題はないだろう。
側妃は世継ぎを産む為の道具だが。
聖女は子など産まなくても良い筈だ。
何故なら彼女は異世界から来た特別な人間なのだから。
皇太子妃がアリスティアになったしても、聖女が側妃であるならば自分の立場もハロルドと同等になる筈だと考えて。
きっと何か持病を抱えている元婚約者は子を産めないと思っていて。
だから婚約を解消したのだとニコラスは確信していた。
でないと、結婚が間近に迫った今に婚約解消などする訳がないのだから。
そうなると……
やがては側妃が必要になる筈だと。
その時に自分の親戚筋の令嬢を側妃にすれば良い。
側妃は一人でなくても良いのだから。
先代の皇帝陛下のように。
ニコラスの皮算用は、数年後の自分の輝かしい未来を描いていた。
「 ニコラス! 小屋は何処にあるのだ? 」
「 あっ!……いや、確かにここにあると聖女様が……あっ!、いや 」
ギデオンに睨まれたニコラスは、口ごもりながら、レイモンドを見た。
「 昨日、ここで第一皇子殿下と……アリスティア嬢が逢瀬をしていたと聞いております。殿下もここにおられたのですから、小屋があったのは確かですよね?」
「 ニコラス!何を見たのか知らないが、ここに僕がいたとなると 、兄上とアリスティアが逢瀬をしていたとはならない筈だが? まずそれを訂正しろ! 」
「 ……しかし……はい。申し訳ございません 」
「 そなたは、小屋がたった一夜で跡形もなく消え去ったと言うのか? 」
ギデオンがニコラスを問い詰める。
何だか嬉しそうだ。
多分父上も、アリスティアの仕業であると分かっているのだろうと、レイモンドは思った。
「 殿下、ここに小屋があった事は確かでございましょう? 」
「 ああ。確かにあったな。ここで兄上とアリスティアの三人で会っていた 」
レイモンドは三人を更に強調した。
こんな辺鄙な場所で、兄上とティアが二人でいたなどと妙な噂を流されたら大変だと。
「 小屋がないのならこれまでだ! 」
調べようがないのだからと、ギデオンが捜査の終わりを告げた。
「 ニコラス!この件は城に戻ってからゆっくりと聞かせて貰う 」
ハロルドはニコラスの肩を叩いた。
勿論、ハロルドもアリスティアがやったのだと分かっていた。
良かったと胸を撫で下ろした。
ハロルドはギデオンと並んで皇宮に戻る小路を歩き出した。
来る時には不安を抱えながら歩いていた道を。
先程の議会での話をしながら。
二人の後ろを、項垂れて歩くニコラスが滑稽だった。
「 聖女が……小屋が何故?……訳が分からない」
ぶつぶつと言うニコラスの、小さな身体がより小さくなっていた。
***
ギデオンとハロルドとニコラスが立ち去り、レイモンドとカルロスとオスカーはその場に残っていた。
「 これってティアだよな? 」
「 ああ、跡形もなく小屋を消し去るなんて、魔女ゾイしかいないよ 」
オスカーはゾイを強調して。
レイモンドとカルロスが、小屋のあった場所をキョロキョロとしている。
「 ここにも木は生い茂っていたのですよね? 」
「 ああ。昨日までは木があったよ 」
小屋どころか、周りの木々までが綺麗さっぱりなくなっていて。
「 凄い魔力だな。魔女の魔力はこんなにも凄いんだな 」
益々この目でみたいもんだとカルロスは言う。
カルロスはアリスティアの魔力は知らない。
オスカーはあの事件の時に、クリスタの持つ短剣に魔力を放つアリスティアを見てはいるが。
その時、オスカーがクックと笑い出した。
「 流石だわ。ティアにはネイサン野郎の企ては全く歯が立たないぜ 」
やはり転生前は、アリスティアがいなかった事からニコラスの企て通りになったのだと、オスカーとカルロスと頷き合った。
レイモンドには言えないから目で会話をする。
愉快痛快とはこの事だと。
「 カルロス!ティアがここに来たのは昨夜か?それとも今日? 」
「 昨夜も今朝も邸にいましたから、今日だと思いますが? 」
「 今日? 」
レイモンドは、身体を何度も反転させながら辺りを探し出した。
大量の魔力を発動すると、アリスティアは身体が動かなくなる。
魔力切れを起こすのだ。
隣国に魔物退治に出向いた時がそうだったように。
魔物は熊だったのだが。
これ程の魔力を使ったのだ。
もしかしたらこの近くにいるのではないかと。
そう思ったレイモンドはアリスティアを探した。
「 アリスティア! いるなら返事をしてくれ! 」
「 ……デン……カ…… 」
レイモンドの耳に聞こえた微かな声は、アリスティアの声。
「 !?……ティア!いるのか!?何処だ? 何処にいる!? 」
「 えっ!? やっぱりティアがいるのか? 」
辺りには木々がなく見渡せるから、いるとすればもっと離れた場所である筈。
本当にアリスティアの声が聞こえたのかと、不思議に思いながらもカルロスとオスカーも辺りを探した。
「 ティアが……僕を呼んでる 」
立ち止まりながらそう言ったレイモンドは、踵を返してそこから更に奥に向かって駆け出した。
レイモンドの姿が茂みの中に消えた。
「 オスカー!お前は何か聞こえたか? 」
「 いや、何も 」
「 これが愛の力って奴か? 」
「 魔女の能力なのかも? 」
「 確かに 」
魔女がどんなものなのかは勿論カルロスもオスカーも知らない。
そんな話をしながら、レイモンドの消えた茂みの中に入って行った。
「 ティア! 」
茂みの奥からアリスティアの名を呼ぶレイモンドの声がした。
やはりアリスティアがいたのだと、安堵をしながらカルロスとオスカーが茂み抜けると、目の前に大きな木が現れた。
その大きな木の下にアリスティアはいた。
今にも泣き出しそうな顔をしながら、小さく小さく踞っていた。




