未来は思わぬ方向へ
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
魔女の森に住むリタが、天のお付けを聞いてから2ヶ月。
異世界から聖女が現れて1ヶ月。
聖女のお披露目舞踏会が終わるや否や、エルドア帝国の新聞はこぞって聖女の記事を載せた。
それにより、国民の最大の関心事である聖女の実体が露になった。
早朝に貼り出される掲示板の前には人々が群がり、午後から配られる新聞は飛ぶように売れた。
新聞の記事には、黒い髪に黒い瞳の少女の神秘的な様相は、まさしく異世界から来た聖女に間違いないと。
皇帝陛下と踊った事、この場にミランダ妃まで現れた事まで書かれていた事から、聖女がいかに国とって大事な存在であるかを国民に知らしめた。
しかし……
皇太子殿下と聖女の熱愛の噂は、聖女の姿絵が公開された事で瞬時に消えた。
まるで潮が引くように綺麗さっぱり。
その代わりと言う訳ではないが。
皇太子殿下と元婚約者である公爵令嬢の熱愛が報じられた。
アリスティアがレイモンドの唇をハンカチで拭い、レイモンドがアリスティアの涙を拭う姿絵がある新聞社から公開された。
それは愛と慈しみが溢れるとても美しい姿絵。
元々、病気の元婚約者を手放さない皇太子殿下と公爵令嬢の純愛が報じられていた事から、人々は二人の姿絵に涙した。
これ程までに尊い愛はないと言って。
民衆達は純愛ものが大好物なのである。
アリスティアは、この姿絵を新聞から切り抜いて額に入れ、そして自分の部屋の壁に飾った。
成人になった記念にと、16歳の時に描いて貰った自分の可愛らしい姿絵を壁から外して。
転生前には、ここには記者会見の時のレイモンドとアリスティアの姿絵が飾られていた。
とても幸せそうな顔をした。
「 あの姿絵よりも……素敵かも 」
原画は後で新聞社から貰おうと思いながら、アリスティアはずっとその姿絵を見つめていた。
『 ようこそ我がエルドア帝国へ 』
転生前には、この活字と共に帝国中に出回った姿絵があった。
それは……
異世界から現れたばかりの宙に浮かぶ聖女を、手を伸ばして受け止めた皇太子殿下の姿絵。
今生は、飛び出したアリスティアがレイモンドに抱き付いて阻止をしたが。
確実に未来は変わっている事を、アリスティアは改めて実感するのだった。
***
「 彼女は悪役令嬢よ!怖いからもう会わない 」
そう言ってタナカハナコは、アリスティアとのお茶会を取り止めた。
タナカハナコにとってお茶会でのアリスティアは、ツンとすましているだけのお高い女と言う認識でいた。
悪役令嬢だとは聞いていたが、聖女の自分には何も言えない筈だと高を括っていた。
王女であろうが、お構い成しに戒める事が出来る悪役令嬢だと聞いていたと言うのに。
「 くわばらくわばら。君子危うきに近寄らずよ! 」
……と、訳の分からない事を言っていたと、侍女頭のロザリーに報告をするのはタナカハナコの専属侍女のメリッサだ。
アリスティアとしてはこの申し出は願ったり叶ったりで。
無意味なあのお茶会の時間を、魔力の調整や薬の研究に費やせる事が来るのだから。
特進クラスの授業は午後からなので、お茶会の時間とバッティングしていたのである
次の日早々に、アリスティアは学園の特進クラスの薬学の教室に出向いた。
薬草の匂い既に懐かしいと感じた。
「 アリスティア様の作った薬を、父が欲しがっておりましたよ 」
薬学クラスの中の一人であるニック・ガネット男爵令息は、ガネット薬局の息子だ。
アリスティアが、魔女の森で生活をしていた時に、自分で作った薬剤を持ち込んで売っていた薬局である。
以前のアリスティアは、薬局を開業して細々と生きて行く事を決めていたが、今は側妃として生きる事を考え始めていた。
魔女は皇太子妃にはなれない。
やがてはこの国の皇后となる皇太子妃を、国民が認めてくれる筈がないと思っていて。
その重い現実を受け止めるしかない。
しかしだ。
レイモンドは決してアリスティアを手放してはくれなくて。
アリスティア自身も、もうレイモンドから離れる事は出来なくなっていた。
こんなにも愛してくれるのであるならば、側妃でも構わないと思うようになっていて。
側妃となってレイを支えたい。
そう。
ミランダ妃のように。
正妃になるのがタナカハナコでないのならば、ちゃんとした身分の令嬢を皇太子妃に迎え入れる事になるのは当然な事。
これは転生前のお妃教育で、クリスタから教授された事がある。
皇后にも皇太子妃にも重要な公務がある。
外交は勿論だが、地方への視察に皇宮の行事。
年に何度か開かれる晩餐会や舞踏会は、全て皇后の采配により開催される事になる。
外国からの要人達も来国して来る事から、これがかなり骨が折れ、時間を取られるらしい。
毎度同じな訳にもいかなくて。
会場の飾りや食べ物一つにしても、毎回細やかな変化をつけなければならないのである。
その点側妃の仕事はあまり時間を束縛されない。
現にミランダの公務は慈善事業をしているだけで。
まあ、これも平民相手だからかなり重要な公務には違いないが。
そう。
側妃であれば時間に余裕がある事から、自分のやりたい事を公務に出来るとアリスティアは考えていて。
もしかしたら薬学の研究が出来るかも知れないと。
以前は、ひっそりと魔女の森近辺で薬局を開業つもりでいたが、側妃になれば皇宮に薬工場を開く事も夢ではない。
今ある皇宮の薬剤所は皇族の為のもの。
貴族や平民達に高い薬を買わなければならない。
そう。
アリスティアが作った薬を卸していたガゼット薬局も、かなりのぼったくり店なのは知っている。
平民も安く買える薬を、皇宮で作る事が出来るようになれば良いのではないのかと。
……と、この計画をアリスティアはレイモンドに伝えた。
勿論、正妃や側妃云々の話はしなかったが。
「 今直ぐに実現しよう! 」
「 えっ!?今直ぐ?」
何故今まで気付かなかったのかと、レイモンドはアリスティアの頭を撫でた。
よしよしと。
魔物と戦う為の武器の増強はされているが、薬剤の増強は盲点だったと言って。
魔物が現れれば沢山の負傷者が出るのは必須。
聖女が現場に到着するまでは、勝ち目のない戦いをしなければならないのだから。
それを引っ提げて、レイモンドは会議で皇帝ギデオンに進言した。
アリスティアの提案だとしっかりと伝えて。
賢い彼女が、皇太子妃に相応しいと皆に知らしめる為には、それを特に強調して。
勿論、これは必要な事。
皇帝ギデオンの命を受け、宰相ハロルドは直ちにこれに向けての準備を開始した。
驚いた事に。
そのプロジェクトの責任者には、第一皇子のジョセフが選ばれた。
彼は科学者だが、今は薬学にも精通しているのだから適任として。
引き受ける条件にと、ジョセフはアリスティアもこのプロジェクトに参加する事を示唆して来た。
勿論、ギデオンはそれを快く承諾した。
アリスティアも薬学研究の卵なのだからと。
ジョセフがやる気になった事に、嬉しそうに顔を綻ばせて。
「 ジョセフ殿下なら相応しいですわね 」
レイモンドからこの話を聞いたアリスティアは、手放しで喜んだ。
「 本当にわたくしも関わらせてくれるのですよね? 」
アリスティアとしたら、自分がやろうとしている事に関われるのだから嬉しくない訳がない。
それもこんなにも早く実現するのだから。
勿論、レイモンドは複雑だった。
父上はまだ、ティアを兄上の妃にするつもりでいるのかも知れない。
いくら兄上が断ったとしても。
国民がティアを皇太子妃にする事を認めてくれたとしても。
皇命が下されれば、それに従わなければならないのだから。
それまでに何とかしなければ。
レイモンドは再び古の魔女の事を調べる事にした。
魔女だった彼女が、王妃になった事の事実をギデオンに突き付けようと思って。
***
この日アリスティアは皇宮にやって来ていた。
超ご機嫌で。
タナカハナコとのお茶会がなくなったのだ。
もう、あのムカつく顔を見なくても済むと思うと、鼻歌が出て来る程で。
皇宮内での事を知りたいが為に、毎日せっせと皇太子宮に足を運んでいたのだが。
それも必要がなくなった。
もう、転生前のあんな未来にはならないし、レイモンドもブス専では無いと判明したのだから。
皇宮の庭園から離宮の庭園に繋がる道を歩いて行く。
延期になっていた、皇帝陛下に魔力を披露する事が明日に決まったからで。
そして、そこから見える離宮の建物を改めて見上げた。
もしかしたら。
いや、近い将来。
この離宮で住む事になるかも知れないと思って。
離宮は側妃の住まいだ。
皇族の永い歴史の中で、側妃の人数に合わせて増改築を繰り返して来た事から、建物自体が複雑な造りになっている。
今はミランダ妃とジョセフ皇子がこの離宮に住んでいるだけなのだが。
何れジョセフが結婚したら、この皇宮から離れる事になるのは明らかだ。
この離宮に残るのはミランダだけになる。
先帝が身罷り新しく皇太子が即位をすると、皇太后となった元皇后は皇宮から出て『残りの宮』と呼ばれている離宮に移り住み、そこで静かに余生を送る事になる。
しかし側妃達は、慰労金を持たされて離宮を出なければならず。
残念ながら、住まいまでは保証されてはいない。
ふむ。
わたくしが側妃になるのならば、これからの人生設計をちゃんと考えなければならないわね。
そんな事を考えながら、アリスティアは一枚岩の前に到着した。
直ぐに、一枚岩に向かって魔力を放出する。
弱い魔力ならば指先で調整出来るようになっている。
クリスタの振り上げた短剣に命中した程の弱さならば。
しかしだ。
やはり巨大な魔力を放出する事は無理だった。
アリスティアの魔力は嫉妬。
それならばと、目を綴じてレイモンドとタナカハナコの結婚式での誓いのキスを思い浮かべた。
これは奥の手だ。
確実に強力な魔力が放出出来る必殺技。
ベールを上げて……
腰を折ってタナカハナコに顔を近付けるレイ。
その形の良い唇がタナカハナコの分厚い唇に重なる。
キーーッ!!
アリスティアの瞳は赤くなり、髪が宙に舞い上がる。
身体の中心に瞬時に熱が溜まる。
赤く光る指先。
アリスティアは魔力を放った。
ドッカーーン!!!
ガラガラガラ。
出たわ。
魔力が。
ハァハァハァと荒い息遣いと共にアリスティアは、その場にしゃがみこんだ。
これ。
身体が持たないわ。
熊を木っ端微塵に吹き飛ばした時も、身体が動かなくなった。
まだ魔力を上手くコントロール出来ていない証拠だと、アリスティアは溜め息を吐いた。
暫く体力の回復に時間を費やした。
やがて身体を動かせるようになると、アリスティアは次の目的の為に、木々の生い茂る方に向かってヨタヨタと歩いて行った。
一枚岩のある場所の更に奥には小さな小屋がある。
今日はそこにも行きたかった。
薬学の研究を始めた事から、この辺り一帯に生えている薬草を調べたいと思って。
以前にここに来た時に摘んだ薬草は、あのクリスタとミランダの事件に遭遇した事から失くしてしまっていて。
あの薬草の正体を調べたいと思ったのだ。
薬の調合には鍋を煮込んだりする事からかなりの悪臭が漂う。
なので人がいる場所では出来なくて。
この小屋を使っても良いのなら是非とも使わせて貰いたい。
これからジョセフと仕事をするならば、会った時に許可して貰おうと思って。
小屋が見えて来ると、周りの土地には薬草が生えていた。
この周りに生えてる草花は人の手によって植えられたもの。
アリスティアは夢中で薬草を摘み取った。
それは珍しい薬草だったからワクワクしながら。
摘んで来た薬草を調べる為に小屋に入り、机の上の本立てに立て掛けてあるファイルを手に取り、ページを開いた。
ふむ。
この花は痛みをに効く花ね。
この薬草とこの薬草の組み合わせはあれで。
この根っこは……
すると、アリスティアのページを巡る手が止まった。
「 ……… 」
これって、まさか……
薬学の授業で、アリスティアは禁忌の薬について習っていた。
決して作ってはならない薬として。
薬に関してはまだそれ程厳しい規定のない国だったが、作れば罪に問われる薬がいくつかあった。
このファイルに書かれてある事は、その禁忌の薬の内の一つである媚薬の調合の仕方だった。
多分。
作った事がないので確証はないが。
「 ……… 」
アリスティアの手が少し震えた。
でも、もしここに書かれてある事が禁忌の薬ならば……
ここは皇宮なのに。
誰が何の為に?
「 やはり気付いた? 」
「 !? 」
驚いたアリスティアが、声がする戸口の方を向けば。
そこに立っていたのはジョセフ第一皇子だった。




