第2ラウンド開始
皇子様と聖女の物語は何時始まるの?
乙ゲーや小説では、悪役令嬢が邪魔をすればする程に、ヒーローとヒロインの愛が強くなるのが常だ。
宰相ハロルドに言われた事が、タナカハナコはショックだった。
日本に戻るかも知れないと言う事は、全く頭にはなかったのだから。
突然この異世界に来たのは役目があるからで。
その役目が終われば、日本に戻る事になるのはあり得る話だ。
短い間だけでも。
いや、短い間だからこそ燃え上がるような恋をするのよ!
それが物語のヒーローとヒロイン。
そう言えば……
レイ様も私が日本に戻ると聞いて、ショックを受けた顔をしていたわね。
これはもしかしたら、私達のロマンスの始まりのスパイスになるかも知れない。
そうなるとやはりあの悪役令嬢が邪魔。
あの女がいるから物語が前に進まないのだから。
「 ネイサンさん!あの公爵令嬢をどうにかして! 」
「 公爵令嬢は謝罪をして来たから、殿下と踊っても構わないのでは? 」
レイモンドとアリスティアがダンスを踊り終えたのを確認しながら、ニコラスがそう言った。
ニコラスも皆と同じで。
あの高慢ちきなアリスティアが、皆の前で頭を下げるなんて事は青天の霹靂だったのだから。
ニコラスとしては、皇太子殿下と聖女が皇宮で踊ったと言う事実が欲しかった。
朝食を共にしたと言う話は、珍客がいた事から失敗した。
魔物討伐に出立する時に、二人が馬に乗って駆けて行くと言う事も実現しなかった。
魔女のせいで。
だからこそこの舞踏会では、二人がダンスを踊る姿が欲しかった。
当初予定されていた皇帝陛下と聖女のダンスから、皇太子殿下とのダンスに無理矢理代えさせたのもその姿絵が欲しかったから。
この場には新聞記者がいるのだから。
今、国民の間に流れている噂は、聖女への憧れと妄想。
そして……
皇太子殿下と聖女のロマンス。
これはニコラスが記者達にリークした事だった。
ただ、記者達から言われていた事がある。
皇太子殿下と聖女のラブラブな姿絵が欲しいと。
要は、物的証拠だ。
それがあれば国民の噂は益々熱を帯び、政府もそれを無視出来なくなる筈だと。
そうなれば、タナカハナコの側妃への道が近付く事になるのだ。
自分には娘がいなかった事で実現しなかった、皇太子との結婚をなんとしても実現したいのがニコラス・ネイサン公爵の野望。
その後ならば、聖女が異世界に戻っても別に構わない。
ただただ、ハロルド・グレーゼと言う男を貶めたいと言う、歪んだ思いがあるだけの事だった。
「 そうよね。いくら何でも、もう意地悪はされないわよね。皇后陛下が皇帝陛下に側妃と踊るように言っている姿も見ていたし 」
確かにそうだわ。
謝罪をされたのだから。
「 そうだぞ! 彼女は既に婚約者ではないのだからな。冷静になったら自分の過ちに気付いたのだろう。聖女様に謝罪をしたのがその証拠だな 」
ニコラスは自分の意見に、うんそうだと頷きなが満足そうに口髭を撫でた。
元々レイ様と踊る予定だったのだから、きっと私のお願いに応じてくれるわ。
タナカハナコは再びレイモンドの元へ向かった。
***
「 レイ様ぁ~ 」
振り向いた皇子様はやはり素敵。
金髪に瑠璃色の瞳。
背が高く立派な体躯。
凛としたその佇まいは、皇子様の中の皇子様。
絶対にこの腕の中に入りたい。
逞しい胸にしがみつきたい。
あの瞳に見つめられたい。
「 私と踊っ…… 」
しかしだ。
タナカハナコの言葉を遮って、レイモンドとタナカハナコの間に立ち塞がったのはアリスティアだ。
腕組みをしたの彼女の高圧的な視線が、タナカハナコに向けられた。
聖女と悪妻令嬢の第2ラウンド開始に、ギャラリーの視線が集まる。
「 貴女は、ダンスを踊るレベルではないと言ったのが理解出来なかったみたいですわね? 」
アリスティアの辛辣な言葉にタナカハナコは怯んだ。
まさかの口撃だ。
「 な……何なの?さっきの謝罪は何だったのよっ? 」
「 それとこれとは話は別ですわ!あれは聖女のお披露目の場を台無しにした事の謝罪をしただけで、貴女のやろうとしてる事に対する謝罪ではないですわ 」
アリスティアのヘーゼルナッツ色の瞳が冷たく光る。
やはり悪役令嬢は悪役令嬢だった。
周りにいる令嬢や夫人達が嘲笑する。
懲りもせずに馬鹿じゃないのかと。
他国の王女達とも渡り合って来た悪役令嬢に、聖女ごときが勝てる筈がないのだからと。
「 でも……皇帝陛下は踊ってくれたわ! 」
「 結婚をしてる皇帝陛下と、独身の皇太子殿下が同じな訳ないでしょ? 」
「 そ……それは…… 」
「 貴女の《下心で殿下をハレンチな皇子様にしたくはありませんわ 」
周りを見回せば女性達は扇子を広げてこっちを見ている。
クスクスと甲高い笑い声がタナカハナコの耳にも聞こえる。
二度も負ける訳にはいかない。
私は皆から崇拝される聖女なのよ!
「 貴女は婚約破棄されたんでしょ? 」
そうよ。
婚約者でもないくせに、どうしてこんなに偉そうに邪魔をしてくるの?
「 破棄じゃないわ! 解消よ 」
「 解消? 」
破棄と解消の何が違うのよ?
タナカハナコは、アリスティアの後ろにいるレイモンドをチラリと見ながら頭を傾げた。
可愛くない。
「 どっちにしても貴女はもうレイ様とは関係ないんだから、ウザイ事をしないで欲しいわ! 」
「 あら? 関係はありますわよ 」
「 どんな関係よっ! 」
アリスティアはチラリとレイモンドを見やった。
美しい。
「 わたくし達は恋人同士よ! 好きな男が他の女に触られるのを許す程に、わたくしの心は寛容ではありませんわ! 」
悪役令嬢の嫉妬心全開である。
貴族女性はこの嫉妬心を隠すのだが。
アリスティアだけはあからさまに表に出して来ていた。
それは昔から。
次の瞬間。
アリスティアの後ろにいたレイモンドが、アリスティアの肩を抱き寄せた。
甘く蕩けそうな顔をアリスティアに向けている。
アリスティアの言った事に反応したのは、レイモンドだけではなかった。
ホールの中心で踊っていたカップルが踊るのを止めた。
そして……
ばつが悪そうに少し離れた。
社交界のダンスは交流の手段。
裏を返せば、男と女が身体を寄せ合う場でもある。
それが恋人同士や婚約者、夫婦ならば問題はないのだが。
男は、他の女の手を握り、腰まで手を回す行為が堂々と出来るのだ。
中にはそのまま連れ立って何処かへ消える男と女も。
独身ならばそれでもかまわないが、自分の夫のそんな所為に嫉妬をすれば、悪妻だと言われてしまうのだ。
アリスティアが悪妻令嬢と言われているように。
令嬢は元より、夫人達もアリスティアに大きく同調した。
拍手まで湧き上がる。
勿論、眉を顰める人達の方が多いのだが。
ある女と踊っていたある男は……
慌てて自分の恋人や婚約者、妻の元へと向かった。
次に踊ろうとしていた男女も、気まずそうな顔をしながら離れる者達もいて。
会場はざわついた。
この世界は男尊女卑の世界。
男は何をしても許されるが、女はそれを否とは言えない世界。
アリスティアはそこに楔を打ったのである。
「 嫌な事は嫌だと言っても良いのだわ 」
これにより、貴族の女性達の意識改革が起こった事は間違いない。
僅かばかりの心の変化だったが。
それは女性にとっては大きな一歩だった。
***
ネイサンが行けと言ったから来たのに。
どうするのよ!
悪役令嬢は一歩も引いてくれないし、レイ様は悪役令嬢にデレデレだし。
そんな二人の姿は……
シャーシャー唸る猫と、そんな猫に尻尾を振る犬みたいだ。
彼女はもしかして何か媚薬でも持ってるんじゃない?
タナカハナコは周りを見回してニコラスを探したが……
彼は雲隠れをしてこの場にはいなかった。
くそ~
ニコラスめ!
逃げやがった。
その時。
タナカハナコの元へ救世主が現れた。
イケメン三人衆がゾロゾロとやって来て、睨み合うアリスティアとタナカハナコの間に割って入って来たのだ。
そして……
タナカハナコを取り囲んだ。
「 !? 」
この人達はさっき悪役令嬢と一緒にいたわよね?
何なの?
「 お前さん!ちょっと話をさせてくれんかのう? 」
「 そこのテーブルでのう 」
「 さあ、参ろうぞ 」
えっ!?
何?
これってナンパ?
声も話し方も妙だけど、よく見れば挙ってイケメンだ。
何処かの国の王子様かも知れない。
いや、この目映いばかりのオーラは王子様だ。
それは長年乙ゲーをして来た私の勘。
今夜は私のお披露目だから私を見に来たのかも知れないわ。
遥々海を越えて。
アリスティアが連れて来て、ハロルドが別室に案内していた事をタナカハナコは思い出していた。
「 ええ。喜んで 」
淑女の真似をしたタナカハナコは、エスコートの手を差し出した。
……が。
王子様達は素通りしてスタスタと行ってしまった。
えっ?
王子様達?
エスコートしてくれないの?
この時代の男達は、女性をエスコートするのが当たり前なんでしょ?
その時。
一番後ろを歩いていた王子様に目が釘付けになった。
レイ様に似ている。
パッキンに紺色の瞳。
背は低いけれども。
タナカハナコはアリスティアをチラリと見た。
直ぐ後ろにはレイモンドがくっついていて。
タナカハナコの望みは王子様と恋をする事。
何処の国の人であろうが最早どうでも良い。
日本に戻る事になるなら、手強い悪役令嬢がくっついているレイ様を攻略するよりは、この王子様達で良いわ。
彼等は私に興味があるみたいだし。
「 ウフフ……ナンパされちゃったから失礼するわね 」
タナカハナコは、しゃなりしゃなりと王子様達の後を追った。
アリスティアに勝ち誇った顔を向けながら。
三人の王子様は自分を選んだのだからと。
「 ナンパ? 」
ナンパって何かしら?
良かった。
リタ様達はお腹がいっぱいになったみたいね。
アリスティアは快く見送った。
婆さん達はタナカハナコに会いに来たのだから。
「 ティア……彼等は本当にリタ達なのだな? 」
不安そうな顔をしたレイモンドは、アリスティアの顔を覗き込んで来た。
先程アリスティアに、好きな男だと言われた事からご機嫌なレイモンドだったが。
「 ええ。リタ様達よ 」
「 ……… 」
「 もしかしたら、聖女の能力が何なのかと異世界の事が聞けるかも 」
「 異世界の事は兄上が聞いている筈だ 」
研究者であるジョセフも、ずっと定期的に聖女との面会を続けていて。
色々と聞いて研究をしていると言う。
レイモンドは王子様達を見ていた。
それにしても上手く化けたもんだと。
「 あのね、レイ。ジョセフ皇子殿下にお会いしたいんだけど…… 」
「 どうして? 」
「 ちょっと聞きたい事があって…… 」
「 異世界の事? 」
「 それもあるけど…… 」
アリスティアは、離宮の一枚岩の奥にある小屋が気になっていた。
ひっそりと隠されたような場所にあった小屋だった事から、何か秘密の作業をする小屋なのかと。
レイモンドに言う前にジョセフに確認したかったのだ。
あの小屋を薬草の研究に使わせて貰えないかと思って。
道具は揃ってあったのだから。
「 僕が一緒の時になら良いよ 」
「 本当? 」
じゃあ、約束ねと言って、アリスティアは小指を立てて指切りげんまんを催促して来た。
可愛い。
小さい頃はこうやってよく指切りをした。
常に皇子としての用事が優先だった為に、約束を守れなかった事の方が多かったが。
それでも次に会った時は、詫びるレイモンドに「 平気よ 」と言って笑っていた。
会えないと泣きべそをかいていた事は、後になってカルロスやオスカーから聞いた話だ。
今、その全てが愛しい。
「 ティア。もう一度踊ろう 」
「 はい 」
ホールの真ん中ではカップル達が踊っていて。
二人は手を繋いでその中に入って行った。
***
「 凄い。聖女を寄せ付けなかったぜ 」
オスカーは腹を抱えて笑っていた。
婆さん達の前で、聖女が頬を染めている姿にも笑いが止まらなくて。
事の成り行きを見ていたオスカーは思った。
転生前にもアリスティアがいれば、あんな結末にはならなかったのかも知れないと。
宰相だったニコラス・ネイサン公爵が、アリスティアを徹底的に排除したのは正解だったと思う程に、アリスティアは強者だった。
アリスティア・グレーゼ公爵令嬢。
悪役令嬢と言われている妹。
幸せそうに踊るレイモンドとアリスティアを、オスカーはずっと見ていた。
ホールの片隅では、カルロスが妻のマリアと踊っていた。
奥ではハロルドとキャサリンが踊る姿もあった。
グレーゼ公爵家の皆が幸せそうに笑っていた。
煮え湯を飲まされた、転生前のこの日とは打って変わって。
聖女のお披露目舞踏会の宴は、こうして幕を閉じた。




