正しい未来
「 貴女はそんなハレンチなダンスを、ここで踊るつもりだったのかしら? この皇宮の場で。両陛下の前で! 」
タナカハナコを戒めるアリスティアの言葉に、側で聞いていたレイモンドは青ざめていた。
迂闊だった。
聖女と踊る事は快く了承した。
この舞踏会は聖女を貴族達に紹介し、彼女の重要性を皆に知らしめる大切な宴。
勿論、新聞記者達も来ている事から、ここでの事は国民に広く知られる事になる。
正式に聖女の姿を世界に発信する日なのである。
ただ、いくらダンスが達者なレイモンドとて、踊れない女性と踊るのは初めての事。
それでもタナカハナコを抱えながら踊れば何とかなると思っていた。
細身の彼女は軽い筈だからと。
レイモンドは皇太子だ。
それが必要であるならば大抵の事は快く応じる事が出来る。
特に外交は大切な公務だ。
他国から王族が来れば接待もする。
優しく微笑みながら。
それが誤解を招く事に繋がる事にもなるのだが。
自分の様相が良い事は自覚していた。
それ故に多くの女性達から秋波を送られて来る事も。
そんな中で、アリスティアの嫉妬は心地好かった。
しかし彼女が闇雲に嫉妬をしている訳ではないと言う事も分かっていた。
公爵令嬢として、貴族女性達に苦言を呈さなければならない事もあるのだから。
今回のアリスティアの怒りは当然の事だった。
レイモンドは、その怒りはタナカハナコだけにではなく、自分にも向けられている事を痛感していて。
踊れない女性と上手く踊ると言う事は、抱き合うように踊らなければならない。
アリスティアにしてみれば到底耐えられない状態だろう。
そして……
この会場にいる皆が、そんな二人を見てどう捉えるのかを考えなければならなかったと反省する。
ここには新聞記者がいる事も知っていたのに。
それでなくても民衆の間では聖女とのロマンスが囁かれていて。
アリスティアとの再婚約運動遂行中のレイモンドとしては、迂闊だったと言う他ない。
レイモンドはこの舞踏会に合わせて、アリスティアに自分とお揃いのドレスを贈っていた。
二人は恋人関係にあるのだと言う事を皆に認識させる為に。
聖女と踊った後は、アリスティアと踊ろうと思っていて。
そう。
聖女とのダンスなんてレイモンドとしては些細な事だったのだ。
アリスティアの怒りが、魔女になってしまうかもと瞳の色の様子を確かめながら、後からどんな風に謝罪をしようかと考えるのだった。
その時、ニコラス・ネイサンが現れた。
エルドア帝国の社交界では、女性間の揉め事には男性は関与しない事が暗黙のルールになっている。
仲裁なんかしようものなら、どんなとばっちりを被るのか分からないからで。
気の強い女性陣達の前では、男達はある程度収まるまでは静観するしかないのである。
勿論、レイモンドも同じだ。
だからアリスティアとタナカハナコがやり合う場所から少し離れていたのである。
それは王女とアリスティアがやり合っている時と同じ様に。
だが。
ニコラス・ネイサンが割り込んで来たからには話は別だ。
ましてやニコラスはとんでもない事を口にしたのだから。
「 ニコラス! 僕とハナコが結婚とはどう言う事だ!? 」
レイモンドはニコラスの言葉にヨロヨロと後ろに下がったアリスティアの身体を抱き止めた。
結婚と聞いてショックを受けたのだろうと、ニコラスの話に怒りが湧いて来る。
「 殿下?聖女様をお気に召しているのではないのですか? 」
「 何故そう思う? 」
「 聖女様が皇太子宮にいるのがその証拠なのでは? 」
喜ばしい事だと言ったニコラスは、鼻の下の髭をクルクルと指に巻き付けた。
「 ニコラス!ハナコは世界を救う救世主だ! 大事な役目があると言うのに、色恋沙汰を言ってる場合かっ! 」
レイモンドが声を荒らげるとニコラスはニヤリと笑った。
その時……
「 殿下の言う通りですぞ! 」
二人のやり取りに割って入ったのはハロルドだった。
ハロルドは、リタ達の変身の説明をする為にギデオンの元に行っていたが、騒ぎに慌ててこの場にやって来たのである。
今までにも、アリスティアが問題を起こすのは多々あったが。
相手がニコラスならばハロルドも黙ってはいられない。
ニコラスが何か良からぬ事を企んでいるのは、ハロルドも薄々気付いていた。
「 聖女様は異世界の人間だ! 役目が終わると母国に戻られるや知れないのに、妃などあり得ない事だ! 」
それまでは政府一丸となって聖女様を庇護しなければならないと言って、ハロルドはニコラスを一瞥し、アリスティアの方を見やった。
アリスティアを安心させるように小さく頷いて。
そうなのである。
タナカハナコはこの世界の人間ではない。
彼女がこの世界にやって来たのは、魔物から世界を救う為。
それが終われば、自分のいた世界に戻る事になる事は考えられる事。
寝耳に水だった。
レイモンドもアリスティアもその事には気付いていなかった。
勿論、周りの者もニコラスでさえも。
ニコラスは何か言おとして口をパクパクしているが、あまりにも的を得た話に用意していた言葉を見失っていた。
聖女が母国に戻る事になれぱ、皇太子妃やら側妃などの話は全くのお門違いの話なのだから。
「 ニコラス! この混沌とした時期に、国民を惑わす様な事を言うのは今後は控えるように!この様な戯言は殿下にも聖女様にも失礼だぞ! 」
ハロルドから窘められたニコラスは、バツの悪そうな顔をしながら人混みの中に消えた。
皆からの冷たい視線を浴びながら。
そして……
ハロルドの話に一番驚いたのはタナカハナコだった。
えっ!?
私は日本に戻るの?
***
その後、タナカハナコは皇帝陛下と踊った。
皇后陛下の助言により。
「 陛下。触りだけでも聖女と踊って差し上げて下さい 」
折角の彼女のお披露目の舞踏会なのですからと言って。
聖女の立場を皆に分からせる為のダンスならば、皇帝陛下と踊るのが正しい選択だ。
聖女の要望だからとレイモンドが踊る事にはなったが。
アリスティアの怒りが皆の目を覚ましたと言う訳だ。
二人が踊り出せば、先程まではタナカハナコに冷たい目を向けていた人達も暖かい目で見ていた。
踊れない聖女を励ます様に手拍子も出て来る程に。
やはり聖女は尊い存在。
それは誰もが思う事。
ただ。
そこに我が国の若き皇太子殿下が絡むと嫌悪感が湧くのだ。
まだ妃のいない独身である彼に、女性が絡むと言う事は結婚を意味する事になる。
未来の皇帝の妃になる女性が、誰でも良い訳では無いのだから。
皇帝陛下と踊る聖女を見ていたカルロスが目頭を押さえた。
リタ達を部屋に連れて行っていたカルロスが戻って来て、オスカーから先程の様子を聞いたのだ。
きっと転生前は皇太子殿下と聖女は踊ったのだろう。
聖女を気遣いながら密着したダンスを踊る姿は、二人の仲を決定付けた筈だ。
この場には新聞記者達もいる。
そして……
その後に二人の結婚が発表されたのである。
「 これが正しい未来なんだ 」
父上がネイサンを窘めた所を見たかったと言いながら、カルロスはオスカーの肩を叩いた。
親父……
やったな。
転生前の自分の父親が、どんなに口惜しい思いをしたのかを考えるオスカーもまた、目が潤んでいた。
転生前。
聖女を側妃にすると言う話は、アリスティアから聞いてハロルドも知っていた。
このお披露目舞踏会で発表される事も。
しかし……
まさかレイモンドとアリスティアの結婚式で、花嫁のすげ替えで二人の結婚式が行われるとは思わなかった。
ハロルドはこの後、ギデオンに直談判をしに行ったと言う。
「 こんな仕打ちをするのなら、一層の事婚約破棄をして欲しい 」と。
そして……
ギデオンから言われた言葉はあまりにも辛辣だった。
「 聖女を正妃としない事を有り難く思え! 」と。
アリスティアの話では、この日の夜遅く帰宅して来たハロルドは、その夜は浴びるように酒を飲んでいたと言う。
彼はお酒に強くない男だと言うのに。
エルドア皇家とグレーゼ公爵家の関係は良好だった。
レイモンドとアリスティアが婚約関係にあったのだから当然で。
ハロルドが宰相を辞任しても尚、ギデオンはハロルドを頼りにしていた筈なのだ。
今の二人の関係を見ても想像出来る。
ギデオンがこれ程に辛辣な言葉をハロルドに投げた理由が分かった今は、それも仕方のなかった事だと。
クリスタ皇后がミランダ妃を切り付けた事件があったばかりの皇宮で。
それを悟られないようにする為に、ハロルドを遠ざけたのだと。
ハロルドは鋭い男だった。
ニコラスに脅されていたギデオンは、そんなハロルドも避けたのだ。
それもニコラスの入れ知恵だろう。
それは……
アリスティアを皇宮に近付けない様にした事と同じ。
その時、会場が少しざわ付いた。
カルロスとオスカーが視線を扉に向けると、キャサリンとマリアが入場して来た所だった。
公爵夫人である二人の登場だ。
遅れたのは息子のダイアンがグズったからで、アリスティアが婆さん達と先に来たのは、婆さん達が腹ペコだったからだと言う事が推測出来る。
婆さん達は夕方になると、何時も腹を空かせてグレーゼ家のダイニングにやって来るのだから。
貴族の皆が頭を下げる中、二人は先ずは両陛下元へ挨拶に向かった。
そこに、他の夫人達も集まって来た。
その夫人達の中には二家の公爵夫人達の姿もあった。
そう。
ネイサン夫人もそこにいて。
皇后クリスタを中心に、高位貴族の夫人達が楽し気に話を交わしていた。
転生前はきっと皇后クリスタはこの場にはいなかった筈だ。
事件を起こしたばかりなのだから。
いくら事件が明るみに出なかったとしても。
ずっと花嫁のすげ替えに、クリスタが何も言わなかった事が不思議だったのだが。
彼女が結婚式に向けての準備を進めていた事は間違いない。
そう。
アリスティアはクリスタが自ら決めた婚約者。
アリスティアが皇太子妃になる事で彼女の野望は完結するのだから。
勿論、アリスティアはこの舞踏会には参加していない事から全てが憶測なのだが。
クリスタと夫人達が集まっている向こうでは、ギデオンとハロルドが言葉を交わしている。
ホールでは若いカップルがダンスを踊っていて。
色とりどりの女性達のドレスが、シャンデリアの下で煌びやかに輝いている。
これが正しいエルドア帝国の社交界。
転生前の自分達に見せてやりたいと、カルロスとオスカーは笑った。
「 あれ?オスカー!殿下とティアは何処に行ったんだ? 」
いつの間にか、レイモンドとアリスティアの姿が会場から消えていた。
「 さあね。何処かで揉めてるんじゃないの? 」
「 そうだな……揉めてるだろうな 」
聖女VSイケメン三人衆の話で盛り上がっている筈だと。
お酒の入ったグラスを持った二人は、クックと笑いながら、コンとグラスを鳴らして乾杯をした。




