やはり未来は変えられない
アリスティア・グレーゼ公爵令嬢。
彼女は生まれる前からレイモンド皇子の婚約者だった。
当然ながらこれは政略結婚。
当時皇太子妃だったクリスタが決めた。
だけど二人の仲は良好だった。
やんごとなき二人は、皆に見守られながら健やかに愛を育んでいた。
ただ。
公爵令嬢は恐ろしく嫉妬深い令嬢だった。
それは、婚約者であるレイモンド皇子がとんでもない程の美丈夫だったからで。
彼に秋波を送る女性達が常に周りにいたのだ。
まだアリスティアが幼い頃から。
レイモンドよりは5歳年下のアリスティアは、年齢よりは大人っぽかったレイモンドと釣り合う筈もなく。
女性達は小さなアリスティアの前でも、堂々とレイモンドに言い寄って来ていた。
「 お子ちゃまは大人の時間の邪魔をしないでね 」
レイモンドには聞こえないようにアリスティアにだけに囁いて。
いやらしい顔をしながら。
舞踏会や夜会などは特に酷かった……らしい。
スパイに送り込んだ侍女のデイジーの話では、「 お嬢様にはとてもお伝えできません 」と言う程に。
そんな大人の女達の、あからさまな欲望によって、アリスティアはこんなにも嫉妬深い女になったと言う訳だ。
「 婚約者はわたくし!わたくしがレイを守る! 」
幼心にもそう思うのも致し方の無い事だった。
だからと言ってむやみやたらに嫉妬をして、毒付いていた訳ではない。
礼儀のなっていない女に注意をするのは、貴族社会の秩序を保たなければならない公爵令嬢として当然な事なのである。
それが他国の王女であろうとも。
そう。
当然の事をしているだけで。
***
「 今夜は私のお披露目会なのよ!私と踊ってくれなきゃ魔物から助けてあげないから! 」
「 不敬ですわ! 控えなさい! 」
アリスティアはタナカハナコの手首を掴んだままに声を荒らげた。
「 今、貴女が言った言葉は、皇太子殿下を脅迫した見なされる事をお分かりかしら? 」
「 本当の事でしょ?私がいないと世界が滅ぶんだから 」
「 そうだとしても、皇太子殿下を脅迫するような言葉は、公爵令嬢として到底看過出来ませんわ 」
ざわざわと周りの声が一段と大きくなった。
タナカハナコが周りを見渡せば、皆はタナカハナコに厳しい目を向けている。
「 ……分かったわよ!訂正するわよ 」
タナカハナコはブーッと顔を膨らませて不貞腐れた。
ちょっとした言葉の綾だったのにとか何とか、ブツブツと言いながら。
ヒラメ顔がフグみたいになっている。
怖過ぎる。
アリスティアはもう一度息を大きく吸った。
「 もう一度いいますが、このお方は我が国の皇太子殿下です。誰もが簡単に触れて良いお方ではありませんのよ。それは他国の王女であろうと、異世界から来た貴女であろうと、我が国の皇太子殿下を軽視されているようでたまらなく不快ですわ!」
「 ちょっと何言ってるのか分からなーい。☆#**・◎○☆・※*○◎★ 」
タナカハナコは都合が悪くなったり、興奮すると母国語を喚き出す。
ここでは拗ねたような甘えた声で。
二人から少し離れた場所に移動しているレイモンドを、助けてくれと言わんばかりにチラチラと上目遣いで見ながら。
イラッ!!!
……と、したのはアリスティアだけではなかった。
「 公爵令嬢は常識的的な事を仰られましたわ 」
「 いくら聖女様でも、殿下に対して不敬な物言いは許されませんわよ 」
「 聖女様は何か勘違いをされてるのかしら? 」
ギャラリーの女性達が一斉に扇子を広げ、口元を隠した。
タナカハナコがエルドア帝国にやって来て1ヶ月が経っていた。
彼女は世界を救う大切な存在。
異世界から来たと言うタナカハナコを、皇室はこの国の言葉を学ぶ事を優先に対応して来た。
その間。
彼女はずっと皇宮で守られて来たのである。
誰にも姿を見せずに。
そして……
言葉を理解出来るようになったタイミングで、貴族達にお披露目をするのがこの舞踏会だった。
転生前はこの頃には既に聖女伝説が出来上がっていて。
聖女を悪く言う者は悪と言う風潮になっていた。
誰もが聖女の名に踊らされ、そして流されていたのである。
だけど……
それは今生も大差はない事で。
レイモンドでさえも、タナカハナコの我が儘を聞いてあげていた。
突然異世界から来た彼女がレイモンドとしては不憫でならなかった。
きっとそれは周りの者も同じだった。
まだ若い彼女が、魔物と対峙すると言う恐ろしい宿命を背負わされているのだから。
だからタナカハナコに寄り添いたいと思っていた。
出来るだけ……なのだが。
そんな彼の優しさが、国民達の間ではロマンスの噂になってしまっていたと言う。
ただ今生は、アリスティアがチョロチョロしている事から、ギリギリの所で大事にはならなかったが。
そう。
誰かが歯止めを掛けなければならないのだ。
しかし人々は大きな声に流される風潮があり、大勢の意見の方が正しいと思うものである。
今、アリスティアはその流を止めようとしている。
アリスティアが来るまでは聖女様万歳と言っていた人達が、アリスティアの話にウンウンと頷いているのだから。
勿論、頭に血が上っているアリスティア自身はそんな事は考えてはいない。
ただただ。
レイモンドをタナカハナコから守ろうとしてるだけで。
***
「 レイ様!今夜は私の為の舞踏会なんでしょ? 」
タナカハナコはアリスティアに捕まれている手首を振りほどいた。
そしてその手をレイモンドに向けて差し出した。
エスコートの手だ。
「 ティア……ここで待ってて 」
小さく息を吐いたレイモンドは、タナカハナコの手を取ろうとした。
「 殿下! それは公爵令嬢として許せませんわ 」
アリスティアは敢えて殿下を強調した。
勿論、公の場ではずっと敬称で呼んでいる。
それは婚約者であった時から。
先程は許そうとしていた。
死ぬ思いで。
しかし今は絶対に許せない。
レイはわたくしのもの。
お前なんかに渡さない。
転生前の我慢が。
今生の我慢が。
アリスティアの怒りになる。
レイモンドがエスコートの手を下ろしたのを確認したアリスティアは、タナカハナコに視線を移した。
「 貴女はダンスを習い初めて、まだ一週間にもならないと聞いておりますわ 」
「 だから何? レイ様から身を委ねて欲しいって言われたのよ? 」
アリスティアに向かって目を眇めるさまは、勝ち誇った顔。
今宵の舞踏会は聖女が主役。
転生前の我慢が。
今生の我慢が。
タナカハナコの勝ち誇った不細工な顔が、アリスティアの怒りを更に強くする。
ここで魔女にならなかった事を誉めて欲しい。
我慢! 忍耐! 自制!から自制!自制!自制!に変わる。
自分は公爵令嬢だと何度も言い聞かせる。
ギュッと太ももをつねってみたりして。
「 わたくし達貴族は社交界にデビューする為に、長い時間を掛けてダンスの練習をしますのよ。僅か一週間程習った貴女が、この場で踊る事も普通ならば出来ない事 」
アリスティアはここで大きく深呼吸をした。
「 ましてや皇太子殿下と踊ろうなんて、時期尚早ですわ 」
ギャラリーからパチパチと拍手が湧き起こった。
すると……
その拍手に刺激されて、そうだそうだと女性達が騒ぎだした。
この時代。
女性が自分の意見を前に出すのはタブーとされていて。
それだからこそアリスティアの所為は目立っていた。
皆からは悪役令嬢とまで言われる程に。
女性陣達はアリスティアに賛同していたが、男性陣は渋い顔をしていた。
何はともあれ聖女を敬うべきだと思う男性陣と、聖女だからって許されない事もあると言う女性陣の意見に分かれていた。
アリスティアの追及はまだ終わらない。
「 ステップを踏めない者が、殿下とどう踊るのか教えて頂きたいですわね 」
そう。
ステップを踏めない女とダンスを踊ると言う事は、パートナーが抱き抱えながら踊るしかない。
要はチークダンスだ。
チークダンスはアリスティアだってレイモンドとは踊った事はない。
あのダンス曲は皇宮での舞踏会では流されない。
貴族が開催する仮面舞踏会などで流される曲だ。
それも、お酒がかなり入った深夜近くになってからで。
レイモンドがタナカハナコに言った「 身を委ねて欲しい 」はこう言う事なのである。
タナカハナコはレイモンドに抱き付く気満々で、それをする為にレイモンドを指名したと言う訳だ。
抱き付くなら。
身体を密着させるなら。
若い皇太子殿下の方が良いに決まっている。
「 当初は皇帝陛下とのダンスが予定されていたらしいけれども、聖女様が殿下を指名なされたとか? 」
「 何ですって!?」
そう叫んだのはある婦人だ。
扇子で口元を隠した女性達の聖女批判が集まる。
会場が一段とざわついた。
聖女の清らかなイメージが壊れて行く。
ただの浅ましいだけの女なのでは無いのかと。
これには男性陣も引いた。
「 貴女はそんなハレンチなダンスを、ここで踊るつもりだったのかしら? この皇宮の場で。両陛下の前で! 」
「 ……それは…… 」
タナカハナコは完全に言葉を失った。
周りに助けを求めようとしても……
皆が冷たい視線をタナカハナコに向けている。
レイモンドを見やればずっとアリスティアの顔を見ていて。
それは心配そうに。
何なの?
酷い事を言われているのは私なのよ?
それに、このお披露目会で踊る事を提案したのは私では無いわ!
踊るなら陛下よりも殿下の方にしろと、ネイサンから言われたから喜んでそう主張したわ。
誰だってオッサンと踊るよりもレイ様と踊りたいでしょ!?
「 *○*※#*◎♪*※☆#○★* 」
タナカハナコは母国語で喚き出した。
嘘泣きをしながら。
その時。
1人の男が近付いて来た。
向かい合って立っているアリスティアとタナカハナコの側に。
「 まあ、まあ。グレーゼ家の令嬢よ。それくらいにしませんか? 」
にこやかに微笑みながら、この場を納めようと割り込んで来たのはニコラス・ネイサン公爵だった。
「 ……… 」
彼にあるのは憎悪。
以前に姿を見た時は、それだけで魔女になってしまった程に。
転生前ではこの男に良いようにされたのだ。
この舞踏会でレイモンドとタナカハナコの結婚を発表した。
アリスティアが花嫁になる日に。
国民からの祝福を受けて誰よりも幸せな日になる筈だった日に。
タナカハナコは咄嗟に殺ってしまったが。
この男だけは自分の意思で殺ろうと思ったのは確か。
アリスティアは身体の中心に熱が集まって来るのを感じていた。
それを必死で抑えていると、ニコラスはアリスティアの側に来た。
ハゲ頭なのに鼻から下の髭だけが立派な男である。
「 貴殿が正妃となり、聖女様が側妃となるのですから仲良くしましょうよ 」
皇后陛下とミランダ妃のようにと言って。
それを皆に伝えるように大きな声で。
「 そんなに嫉妬深いと、この先は人情沙汰になるかも知れない。聖女様を傷付けたら世界は滅んでしまいますぞ 」
ニコラスはハッハッハッと笑い声を上げた。
ニコラスは洒落にならない事を言った。
アリスティアは顔面蒼白になった。
いや、それよりも……
両陛下の前で。
この国の大勢の貴族達の前で、皇太子殿下と聖女の結婚を告げたのである。
転生前のこの日と同じ様に。
アリスティアは思い出した。
変えられる未来と、変えられない未来があると言っていたリタの言葉を。
やはり変えられないのだ。
レイとタナカハナコの結婚は。
アリスティアは胸を片手で押さえながら、ヨロヨロと一歩二歩と後ろに下がった。
胸が苦しい……
それは上手く息が出来ない程の衝撃。
次の瞬間。
レイモンドがアリスティアの身体を抱き止めた。




