魔女に託した願い
皇后クリスタと側妃ミランダの刃傷事件は転生前にも起きた。
それは今回のように未然に防ぐ事は出来なかった事件。
クリスタがミランダに傷を負わせた事は確かだ。
この事件が知られれば、罪人となったクリスタは廃后となり、北にある搭に幽閉される事になる。
永い歴史の中では、皇族がこの搭に幽閉される事はありはしたが、皇后がそこに幽閉される事態など、エルドア帝国の建国以来初めての事。
クリスタ・ラ・エルドアは廃妃となり、その名は希代の悪妃として歴史に刻まれる事になるのだ。
転生前では、それを理由に宰相ニコラス・ネイサンはギデオンに聖女との婚姻を持ち掛けた。
あの時、あの事件の場にいたのはクリスタとミランダとギデオンだけだった筈だ。
アリスティアは勿論だが、レイモンドとオスカーもあの場所にはいなかった筈で。
彼等はアリスティアを探しに来た事で、あの場に居合わせたのだから。
ギデオンが宰相ニコラスを呼び、秘密裏に処理をさせた事は間違いない。
今生でハロルドにそうしたように。
「 奴は……皇帝陛下と皇太子殿下を脅迫したと言うのか? 」
有り得ないと言ってカルロスはテーブルをドンと叩いた。
「 レイはネイサンの申し出である聖女との結婚を飲まずにはいられなかった……母親を守る為にな 」
「 優しいレイなら当然だな 」
「 …… 」
勿論、これはオスカーの考えに過ぎないのだが、カルロスとアリスティアは同意した。
レイモンドと聖女が魔物退治に出立したら、戻って来たら聖女と結婚しなければならないのは必須。
朝食を共にしたら閨を共にした事と見なされるエルドア帝国では、旅を共にした皇太子と聖女が結婚をしないと国民は許さないだろう。
それが皇太子として責任を取ると言う事なのだから。
だから、旅が終わるのを待って結婚をさせれば良かったのだ。
それなのに……
アリスティアとレイモンドの結婚式を、聖女とレイモンドの結婚式にした理由。
それは宰相ニコラス・ネイサン公爵のハロルド・グレーゼ公爵への憎しみがあったからに他ならない。
そう考えたら、花嫁のすげ替えなどと言う滅茶苦茶な事をしたのも理解出来る。
それでも正妃はアリスティアである事は譲らなかったのは、レイモンドのせめてもの抵抗だったのだろう。
ニコラスは聖女を正妃にしたかった筈。
聖女の後見人である彼が、より権力者となるには正妃を望むのは当然の事なので。
同い年であるニコラスとカルロスは共に公爵家の嫡男だ。
学園時代から、何をしても優秀なハロルドと常に比べられて来た。
レイモンドとアリスティアの婚約が決まり、ハロルドが宰相を辞してからも、皆の彼への信頼は高く、度々再び宰相をとの声が上がっていた。
優秀なハロルドを憎んでいたボンクラネイサンは、聖女を利用してグレーゼ公爵家の失墜を企んでいたのである。
そしてギデオンは、この惨劇を隠したいが為にニコラスの要求を呑んだ。
二人の利害の犠牲になったのが、レイモンドとアリスティアだったのだ。
ずっと不思議に思っていた事が、ストンと型にハマるのをカルロスは感じた。
言葉にした事で、オスカーも自分の仮説に改めて自信を持った。
あの優しいレイモンドが、アリスティアにあんな理不尽な事をする筈がないのだ。
聖女を好きになっていた訳でもないのだから尚更に。
「 ネイサンを宰相から引き摺り下ろして正解だったな 」
「 ああ、奴が宰相だったら、もしかしたら今回も陛下とレイを脅迫したかも知れない 」
カルロスとオスカーが大きく溜め息を吐いた。
そう。
今生もニコラスが宰相だったのなら、アリスティアが居合わす事はなかった筈だ。
彼がレイモンドと聖女の結婚を目論んでいる事は確かな事で。
彼が宰相だったのなら、やはり転生前と同じように、アリスティアを皇宮に来させる事はしない筈なのだから。
「 頑張った甲斐があったよ 」
「 兄貴のお陰だな 」
「 お前も頑張ったよ 」
讃え合う二人の横では、アリスティアの目から大粒の涙がボロボロと溢れていた。
「 泣け泣け……もう明後日の舞踏会では、レイと聖女との婚約の発表は無いんだからな 」
アリスティアはこの舞踏会で、もしかしたらレイモンドと聖女の婚約を発表するのかもと不安視していた事を、オスカーは思い出した。
だけどアリスティアの涙の訳はそれではなかった。
変わらない未来と変わる未来がある。
そして、変えたい未来と変えなければならない未来がある。
「 レイが……わたくしに伝えたかった事はこれだったんだわ 」
そう言ってアリスティアは拳を握り締めた。
魔女になったあの日。
レイモンドに時戻りの剣で胸を貫かれ、事切れる瞬間に見たレイモンドの口の動き。
もう声が聞こえなくなっていた事から、何を言っていたのかがずっと分からずにいた。
だけどあの口の動きは、きっと『 ハハウエ 』と言ったのだと確信した。
『 母上を助けて欲しい 』
きっとそう言ったに違いない。
古の魔女が作ったと言われている時戻りの剣。
千年の間誰にも使われず、秘密裏に皇帝と皇太子のみに継承されて来た国宝だ。
その国宝を使われたのが公爵令嬢アリスティア・グレーゼなのである。
アリスティアだけが記憶を持って過去に転生した事から、その剣で刺された者だけが、記憶を持ったままに転生すると言う事が分かる。
そこにあるのは、魔女になった自分に託された皇太子殿下の願い。
弓兵達に矢を向けられ、殺される運命にあった自分を生かす為に、レイモンドが転生させた意味。
そこには……
母親であるクリスタへの深い愛と、アリスティアへの熱い想いがあったのだ。
アリスティアならきっと成し遂げてくれると言う信頼と共に。
「 カルロスお兄様、オスカーお兄様。わたくしは……頑張れましたわよね? 」
「 ああ、よくやった 」
「 何も知らないのによくここまでやれたよな 」
カルロスはアリスティアをハグして、オスカーは頭を撫でた。
そう。
アリスティアにあったのは転生前の記憶だけ。
しかし、皇宮から閉め出されていたアリスティアは何も知らされてはいなかった。
そんな中でも、アリスティアはレイモンドの願いを叶えたのである。
カルロスはこの事を冊子に書き綴った。
そして……
ペンを置いて冊子を紐で縛った、
グレーゼ三兄妹の進撃は終わったのである。
未来のレイモンドからアリスティアが時を戻され、託された使命がこの前代未聞の事件を未然に防ぐ事。
アリスティアがあの場に居合わせたのは偶然でしかなかった事には冷や汗ものだったが。
その夜は三兄妹は祝杯を上げた。
***
その翌日。
タナカハナコとのお茶会で皇太子宮に来ていたアリスティアはクリスタに呼ばれた。
お詫びをしたかったアリスティアは急いで、侍女の案内する皇帝宮に向かった。
魔力が身体には当たらなかったものの、怪我をさせたのは事実なのだから。
クリスタの部屋に入るのは勿論初めてだ。
同じ宮の中にある皇子時代のレイモンドの部屋には何度も来ていたが。
淡い若草色と焦げ茶の家具で統一された部屋は落ち着いた部屋だった。
皇后陛下の部屋だからもっと金ぴかなのかと思っていたが。
挨拶を終え、お茶を入れてくれた侍女達が下がると、クリスタが口を開いた。
「 貴女の魔力で助かったわ 」
「 あ…… 」
どうやらクリスタは、アリスティアが魔女だと言う事を聞いていたようだ。
クリスタは宙に浮いた瞬間に、アリスティアの赤く光った指先が自分の方に向けられているのを見た。
目が赤く光っているのも視界に入っていて。
赤い瞳の色は魔女の証。
事情聴取の時に、ハロルドからアリスティアが魔女だと聞いたのだ。
レイモンドとの婚約を解消したのもそれが原因だと言う事も。
アリスティアはクリスタの側に行きその場に跪いた。
椅子に座るクリスタは少し怠そうな顔をしていたが、それでもその姿は凛としていて。
何時もの皇后の姿だった。
「 魔力って凄い威力なのね 」
「 皇后様に当たらなくて良かったです 」
宙に浮かぶなんて、凄い経験をしたと言ってクリスタはクスリと笑い、アリスティアに椅子に座るように促した。
結婚式に向けて、本格的なお妃教育が始まった転生前では、クリスタともお茶会を共にしたりしていた。
皇太子妃としての心得や仕事を聞いたりしていて。
しかし今はそれをしていない事から、クリスタとはそんなに親しい関係にはなってはいない。
ましてやレイモンドの婚約者でもないのだから、言葉を選ばなければならないと肝に銘じた。
『 レイモンドを皇太子にする為には、強い家門と賢い皇太子妃が必要です。その為に公爵令嬢である我が国最高位の貴族令嬢を皇子の婚約者に選んだのです 』
幼い頃からずっとそう言われていて。
それに答える為にアリスティアは頑張ったのである。
レイモンドを皇太子にする為に。
クリスタは正妃であっても侯爵家の令嬢だった。
それは側妃であるミランダも同じで。
だからこそ正妃としての立場が弱いのだと言う思いがあった。
特に外交に至っては。
公爵令嬢であるアリスティアは皇族の血を引いている事から、他国の王族も侮れない妃になる事は約束されている。
他国との外交をしなければならない皇太子妃や皇后としては、申し分のない妃になると考えていたのだ。
現に他国の王女に対しても、怯まずにやり込めるアリスティアには胸のすく思いをしていて。
若干やり過ぎに懸念を抱く事もあるのだが。
アリスティアにとってはクリスタは怖い存在だった。
グレーゼ家の面々は、末っ子のアリスティアをただただ猫可愛がりしていたから余計に。
アリスティアがレイモンドの部屋に遊びに行くと、クリスタが何時も部屋にいて。
本を読んだり刺繍をしたりしながら、講師に勉強を教わるレイモンドの様子をソファーに座って見ていたのだ。
まるで見張っているかのように。
レイモンドの勉強の時間が終わるまで、アリスティアもクリスタの横で待たされていて。
活発なアリスティアにとっては、その静かな時間が退屈であり苦痛でもあったのだ。
公務などで、クリスタが部屋に居なかった時はどんなに嬉しかった事か。
この時の話は2日後の舞踏会の話だった。
きっと聞きたいであろう、アリスティアが魔女になった事の話は出なかった。
ただ。
魔力の練習をする時は、自分も同行したいと言っただけで。
何時も国民には凛としている姿を見せているクリスタは、多くは語らないがお茶目な所もあるのだ。
それはお妃教育のお茶会で、彼女に接する事で分かった事である。
アリスティアは思った。
この誰よりも素敵な皇后陛下を、罪人にしなくて良かったと。
クリスタが公務に真摯に取り組む姿勢は、貴族や国民からも賞賛されている。
国民からの信頼は熱い。
クリスタ・ラ・エルドア皇后陛下は、我が国にはなくてはならないお妃様。
レイ。
貴方の大切な人を守れたわ。
レイはわたくしを誉めてくれるかしら?
胸熱のアリスティアがクリスタの部屋から退出すると、ドアの前にはレイモンドがいた。
それは……
アリスティアが最後に見た目に涙を浮かべながら、辛そうな顔をしたレイモンドではない今生のレイモンドだ。
彼は、アリスティアを見ると破顔した。
それはキラキラと輝く笑顔だった。




