隠された事件―後編
一国の皇后が側妃に刃を振るうと言う、前代未聞の事件が起きた。
これが公になれば国を揺るがす程の。
最早皇室の失墜は免れない。
特に今は魔物騒ぎで世界中が混沌としているこの時期に、国々が一つにならなければならないこの時期に、何をしているのかと世界中の笑い者になる事は必須。
聖女が降り立ったエルドア帝国は、今や世界の中心となっているのだから。
まだ他の者には知られてはいない事から、ギデオンもハロルドも何とか穏便に運ぼうとしたが、両妃の確執は男達には分からない根深いものがあった。
クリスタは完全黙秘を貫いた。
離宮に行きミランダ妃に短剣を振るった事は認めていたが、その理由は頑として言わなかった。
私情なので言う必要は無いからと。
「 わたくしの犯した罪の代償は甘んじて受けますわ 」
そう。
ミランダから避妊薬を飲まされていた事は、結局はギデオンには言わなかったのだ。
反対にミランダは、クリスタには殺意があったと主張した。
離宮に刃物を持ってやって来た事は事実なので。
「 クリスタ皇后陛下は計画的だったわ! 犯罪を犯した彼女の処罰を要求致しますわ 」
穏便に出来ないかと言うギデオンの説得にも、ミランダは応じなかった。
何時も従順で決して多くを望まないミランダに、ギデオンは戸惑った。
アリスティアから聴取した、ミランダが挑発したのでは?と言える言葉も、クリスタが刃物を持参していたと言う紛れもない事実の前では、クリスタに情状酌量の余地はなかった。
しかし。
アリスティアのお陰で大事にはならなかったは確か。
クリスタの持参した刃物は、溶けて無くなったのか何処を探しても見付からなかった。
その事から、ギデオンはミランダの説得は諦めてクリスタを説得した。
クリスタが短剣を持って来ていなかったと言えば、無かった事にしようと考えて。
しかしクリスタは、短剣を懐に忍ばせて来たと言う事を固持した。
あれは亡き父の形見。
何か特別な事がある時には、常に持っているように言われていた。
伏魔殿の様な皇宮では何があるか分からないのだからと。
だから個人的に行動する時は何時も持っているのだと言って、自分の主張を曲げなかった。
ギデオンとハロルドは頭を抱えた。
何時までも妃を一人で客間に閉じ込めておくわけにはいかず、クリスタとミランダを自室に返した。
各々の侍女達が心配しているだろうからと。
二人には他言無用だと固く口止めをして。
そして……
何か策がないものかとギデオンとハロルドが思案している所に、ミランダの侍女がやって来た。
ミランダからの手紙を携えて。
そこには誕生日を祝いに来たクリスタ皇后と、ちょっとした諍いがあっただけだと書いてあった。
だからもう問題は何も無いのだと。
先程までは、クリスタの罪を問えと泣き叫んでいたと言うのに。
ギデオンの説得にも応じなかったミランダが、僅かの間に態度を改めたのだ。
自室に戻り冷静になった所で、自分の立ち場を理解したのだろうとギデオンは考えた。
彼女は賢妃と呼ばれていた程の、出来た妃なのだから。
ミランダが引いた事で、クリスタもそうせざるを得なかった。
こうして……
皇后陛下が側妃に刃を振るうと言う、前代未聞の事件は無かった事になった。
聖女をお披露目する舞踏会が3日後に控えていて。
何としてもこの事件を隠したかったギデオンとハロルドは、心底安堵した。
まだ釈然としない事は多々あるが。
誰にも知られずに、その日の内に秘密裏に治める事が出来た事は価千金だった。
***
「 やはり無かった事にしたか…… 」
「 そうせざるを得なかったからな 」
魔物騒ぎのこのご時世で、正妃と側妃の刃傷沙汰など国民には知られたくは無い。
それで無くても、皇后を犯罪者になどにしてはならないのだから。
「 じゃあ、皇后様は罪を負わなくても良いのね? 」
いくらミランダに危害を加えなかったとはいえ、切り掛かかった事は確か。
きっと何か罪を問われるだろうと心を痛めていたのだ。
昨夜は帰宅したのは深夜だった。
レイモンドは魔力切れのアリスティアを、そのまま自分の部屋で休むように言ったが、流石にそれは不味い。
もう婚約者でも何でもないのだから。
そもそも婚約していた時も泊まった事などなかった。
幼い頃にレイモンドのベッドでお昼寝した事はあったが。
「 客間に泊まるのは駄目か? 」
君が心配だから側にいたいと言ってレイモンドがしつこい。
いや、タナカハナコの隣りは勘弁願いたい。
奴はまだ皇太子宮にいるのだから。
すったもんだしたが、結局は事情聴取を終えて戻って来たオスカーと共に帰宅した。
心配ならば休みを下さいと言って、次の日のタナカハナコとのお茶会は中止にして貰った。
魔力切れの身体だけでなく、頭も休息が必要だったのだ。
この日は母親のキャサリンと義理姉のマリア、そして公爵家全員がメロメロになっている1歳になる甥のダイアンと一緒に過ごした。
歩き始めたばかりの可愛らしいダイアンを見ながら、アリスティアは転生前の事を考えていた。
わたくしはこの小さな命も奪ったのだわ。
転生前の魔女アリスティアの魔力の暴走は、宮殿と大聖堂を残しただけで、皇都の街の全てを破壊したのだから。
あの日。
まだ1歳だったダイアンは、乳母と一緒に公爵邸でお留守番をしていた。
瓦礫の下敷きになったのかも知れなかった。
最悪、大聖堂にいた大人達は無事だったのかも知れないが。
お兄様やお義姉様がどんな思いでいたのかと考えたら、辛くて辛くて仕方が無かった。
勿論、時が戻されたのだから、それこそ無かった事なのだが。
アリスティアはその残像に苦しみられていた。
実際に起こしてしまった事には違いないのたから。
その日の夜になるとカルロスもオスカーも帰宅して来た。
領地から妻子が来ている事もあり、カルロスは以前よりも泊まり掛けの仕事をしなくなっていた。
勿論、ハロルドが早く帰れと煩いからで。
そして、今夜はアリスティアの部屋で三兄妹で作戦会議をしていた。
息子を寝かし付けていたからカルロスが来るのは遅れたが。
「 良かった。本当に…… 」
クリスタがお咎めなしと聞いてアリスティアは心底安堵した。
しかし、事件そのものが無かった事になったのには驚いた。
国民への影響を考えたら、そうするのが得策だろうとカルロスは言った。
「 そう。無かった事にしたんだよ……転生前もな 」
「 えっ!? 」
「 転生前もだと? 」
オスカーはカルロスとアリスティアにずっと考えていた事を話した。
先ず、この事件は転生前も起きていた事だとオスカーは断言した。
今生は、皇宮で何が起こっていたのかを知る為に、三兄妹で歴史を見届けようとしていた。
アリスティアのちょこちょこした介入でかなり変わってはいるが。
ミランダ妃の誕生日は昨日であり、そこに何らかの理由でクリスタ皇后が訪れた。
そして刃傷沙汰になった。
アリスティアはここには介入していない事から、この事件は実際に起こった事なのは間違いないとオスカーは言った。
カルロスが慌ててペンを走らせている。
彼はこのアリスティアの一連の出来事を記録しているのだ。
転生前と転生後の出来事を余す事なく。
「 じゃあ…… 」
「 転生前はあの現場にはお前がいなかったんだぜ 」
「 皇后陛下はミランダ妃を切り付けた……のか 」
そう。
転生前のこの時期には、皇宮は厳戒態勢が取られていた。
皇太子の婚約者であるアリスティアでさえも、皇宮には行く事が出来なかったのだ。
結婚式を間近に控え、始まっていたお妃教育も中断されて。
人々は嫉妬深いアリスティアが、聖女に危害を加えるからだと噂した。
悪役令嬢から守る為に皇宮に近寄らせないようにしたのだと。
全ては……
皇太子殿下と聖女の恋に横恋慕をする公爵令嬢から聖女を守る為に。
カルロスが確認の為に、自分が記録している冊子を読み上げた。
勿論、転生前の事はアリスティアしか知らない。
全てがアリスティアからの目線の話なのだが。
それを聞いていたアリスティアは涙ぐんだ。
自分があまりにも可哀想で。
「 お前は何を泣いてるんだよ? 」
「 だって……わたくしが可哀想過ぎるわよ 」
「 お前のレイへの嫉妬はエグいからな。日頃の行いが如何に大事だって事だよ 」
「 は……反省してるわ 」
嫉妬は身を滅ぼす。
あの立派な皇后様でもあんな風になるのだから、元から嫉妬深いわたくしが魔女になったのは必然的だったのかも知れない。
それもレイが格好良過ぎるからよ。
「 レイが……お兄様程度の顔なら嫉妬なんかしないのに 」
「 俺様がどんなにモテるか知らないのか!? 」
「 レイに近付きたいから寄って来てるに決まってるでしょ! 」
「 お前なあ…… 」
「 おい。オスカー! 本題に戻れ 」
カリカリとペンを走らせていたカルロスが、脱線する弟と妹を交互に睨むと、兄妹は縮み上がった。
長兄の一睨みは昔から怖い。
何の話だっけと思い出しながら、オスカーがアリスティアに尋ねた。
「 転生前の宰相は誰だった? 」
「 ニコラス・ネイサン公爵よ 」
何を今更とアリスティアは眉を顰めている。
今回は直ぐに宰相であるハロルドがギデオンから呼ばれた事から、転生前もニコラスが呼ばれた事は想像出来る。
今回と違う事は、クリスタがミランダを切り付けてしまったと言う事だ。
アリスティアがあの場にいないのだから、それはもう防ぎようが無い事だった。
切り付けられたミランダ妃は、怪我はしたが亡くなってはいなかったと推測出来る。
もし亡くなる程の事ならば絶対に隠す事は出来ない。
皇宮内だけでなく、国中が大騒ぎになる筈だ。
しかし、アリスティアは何も知らなかった。
……と言う事は、この刃傷沙汰を上手く隠す事が出来たと言う事になる。
「 レイから聖女との結婚の話を聞いたのは何時だ? 」
「 舞踏会の2日前よ 」
「 よく覚えていたな 」
「 だって……レイと…… 」
レイモンドとファーストキスをした日だとは言えない。
言わない。
言いたくない。
あれは悲しい口付けだったけれども。
結婚式の日まで……
国民達の間で盛り上がる皇太子殿下と聖女との恋の噂に耐えれたのはこの口付けがあったから。
勿論、レイもあの時が初めての口付け。
あの時女性達が噂話をしていた、聖女とのガゼボでのキスは事実ではないと判明したのはつい先日の事だ。
オスカーはボンヤリしているアリスティアの前のテーブルをコツンと叩いた。
今から本題を話すぞと言って。
「 ネイサンは聖女の後見人だろ? 」
それは今も転生前も同じだ。
「 この刃傷沙汰を秘密裏に処理する事と引き換えに、レイと聖女の婚姻を条件にしたとしたら? 」
「 まさか…… 」
ペンを止めて顔を上げるカルロスに、オスカーが大きく頷いた。
「 ニコラス・ネイサンは陛下とレイを脅していた 」
その時……
『 これから先、何があろうとも僕を信じて欲しい 』
アリスティアの頭の中で、あの時のレイモンドの声がした。




