出陣の朝
まだ夜も明けぬ早朝。
騎士団の騎士達は魔物討伐の出陣の準備を終え、広場に集まっていた。
場所は隣国リトルニ王国。
レイモンドとオスカーの他には、聖女の世話をする女性騎士を含めた十数名の騎士達と、荷物を乗せた予備の馬が数頭。
皇太子殿下と聖女を無事に現場に届ける事を優先した結果、少数部隊での出発となった。
拠点拠点で新しい馬に乗り継ぎ、宿屋に泊まり、或いは野営をしながら、道中を皇太子殿下と聖女を守りながら走るのである。
レイモンドや騎士団の団長は、何度も拠点に赴いてその準備をずっとして来た。
それは港までの道中も含めて。
魔物が現れるのは、海の向こうの国かも知れないのだから。
国境を守る同胞達は、既に隣国リトルニ王国に出陣してる。
軍部増強の為に、自分の弟が、友達が、先輩や後輩達が国境の任務に就いた。
誰もが魔物となんて対峙した事など皆無。
大体魔物がどんなものなのかも分からない。
そしてその魔物を討伐し、世界を救うのは聖女だけ。
ここでは両陛下も参加して、魔物討伐に向けての簡単なセレモニーが行われる予定だ。
それが終われはいよいよ出陣だ。
一刻も早く駆け付けたいと言う逸る気持ちを抑えながら、騎士達は馬の手綱を握り締めながら待機をしていた。
「 頑張って耐えてくれ! 直ぐに聖女様をお連れする 」
早く。
早く。
早く。
しかし。
既に全員が準備を終えていると言うのにも関わらず、肝心の聖女が何時まで経っても現れなかった。
もう、出立の時間よりは一時間以上も過ぎている。
「 聖女は一体何をしているのか!? 」
いくらなんでも遅過ぎると言って、痺れを切らしたオスカーが皇太子宮に向かって駆けて行った。
昨日皇帝陛下から出陣の命を受けた時は感動的だった。
「 私はこの時の為にこの世界に来ました 」と、彼女が陛下の前で跪いた姿には誰もが感嘆した。
こんなに若くて華奢な乙女が、魔物と対峙する事になるのだと思って。
過酷な旅の向こうには何があるのだろうと。
出陣を命じられた騎士達は、聖女を命懸けで守る事を誓った。
「 だって~レイ様と一緒に馬に乗るんだから、いい匂いをさせたいじゃな~い? 」
聖女が皇太子宮に通じる出入口から出て来た。
彼女の前を歩くオスカーは眉を吊り上げてカンカンに怒った顔付きだ。
「 湯浴みをしていたんだと 」
「 ………… 」
言吐き捨てるように言ったオスカーの言葉に皆は呆れた。
湯浴み?
朝から?
今から魔物討伐をしに行くと言うのに湯浴み?
そして……
遅刻をして来たと言うのに、悪びれもしない聖女に嫌悪感が湧き上がる。
早朝にも関わらず、見送りに来てくれた皇后陛下を待たせていると言うのに。
聖女が揃った所で、出陣に向けての軽いセレモニーが行われた。
皇太子殿下を先頭に騎士達は皇帝陛下の前に跪いた。
聖女は頭を下げて立ったままでいるが、宰相ハロルドは渋い顔をしながら進行する。
出陣する騎士達の名前を次々に読み上げる。
騎士達に陛下が直接声を掛ける事で士気を高めるのである
「 聖女よ。世界の運命はそなたにかかっておる。皇太子や皆は聖女の補佐をするように 」
「 御意! 」
「 ぎょおいぃ!頑張りまーす 」
皆が一斉に返事をすると同時に聖女がそれを真似た。
それが無性に腹立たしい。
陛下のお言葉に能天気な返事。
いくら世界が違ったとしても。
この少女に一体どんな能力が隠されているのかと思わずにはいられない。
顔の不細工さは置いといて。
しかしだ。
銀色の光と共に空から現れた時の事を思い出すと、やはり特別な人である事は間違いないと、気持ちを引き締める。
彼女は自分の命を賭して守るその人なのだと。
ここにいる騎士達は、異世界から聖女が現れたあの夜に、夜間訓練をしていた騎士達だった。
出陣に向けての皇帝陛下の挨拶も終わり、皆が定位置に移動した。
「 オスカー、ティアは来なかったな 」
「 お前と聖女が、仲良く馬に乗る姿なんか見たくなかったんだろうよ 」
オスカーは吐き捨てるように言うと、レイモンドは心外だと言う顔をした。
「 おいっ!……ハナコはエレナとカレンの馬に交代に乗るんだが? 」
「 エレナとカレン? 」
確かに二人は女性でありながらも、馬の扱いは男性騎士にも負けない程だ。
「 二人乗りをするなら、女性二人の方が体重が軽いから馬への負担が少ないからね 」
「 成る程…… 」
「 それに……やっぱりティアに不愉快な思いをさせたくないんだ 」
レイモンドはそう言うと、溜め息を一つ吐いて馬に乗った。
どうしてもアリスティアと会いたかったのだと言う事は、オスカーに伝わった。
まだこの時点では、アリスティアオンリーなのだと言う事も。
出発の時間が近付き、オスカーも馬に乗った所で聖女がやって来た。
「 レイ様ぁ~! どうして私を乗せてくれないの? 」
ほら来た。
ごねるぞ。
そうなればまたもや出立時間が遅れる。
聖女を自分の馬に乗せる予定のエレナとカレンは冷ややかな顔をして聖女を見ていた。
まるでピクニックにでも行くかのようなテンションの聖女に。
彼女達は聖女が転生して来た時にあの場にいなかった事から、聖女に対して他の騎士達程には敬意は感じてはいない。
元は、アリスティアが皇太子妃になる事を想定して、皇太子妃の護衛の為に訓練された女性騎士達だから余計に。
そして聖女の服装が、この国にやって来た時の服装だった事もあって。
この国の令嬢には有り得ない短いドレス。
流石に馬に乗るからなのか、黒いタイツを履いてはいたが。
足が露なのには違いない。
「 聖女様の乗られる馬はこの馬です 」
「 #*◎※☆♪*#◎ ̄☆★*#」
団長が聖女に説明しているが、聖女が母国語で喚き出したらお手上げ状態になる。
この皇宮に出入りする淑女には見られない所為。
言葉が通じるようになると、彼女は次第に我が儘のし放題になっていた。
レイモンドも侍女頭のロザリーから報告を受けている。
「 ハナコ! 僕の馬に乗りなさい 」
「 はーい 」
レイモンドが手招きをした。
これ以上出立を遅らせる訳にはいかないのだから仕方がない。
「 ティアはこれを予想したから魔女の森に行ったんだろうな 」
アリスティアは前々から、聖女が現れたら魔女の森に消えると言っていたのだ。
レイモンドの策略で皇太子宮にいるが。
いつの間にかオスカーの側にカルロスが来ていた。
オスカーの乗った馬を撫でながら、レイモンドと聖女を見つめていた。
はしゃぐ聖女に、困ったような顔をしながらも優しく接するレイモンドを。
「 結局はこうなるんだよ 」
聖女を無下には出来ないのだから。
ここにアリスティアがいない事は正解だったと、二人の兄は改めて思うのだった。
「 えっ!?私はレイ様の前に乗るんじゃないの? 」
「 前だとスピードが出せないからね 」
「 えーっ! 前じゃないと落ちそうで怖いわ 」
「 じゃあ、僕の身体から離れないように紐で縛るか…… 」
馬に乗った事がないのだからやはり危険だ。
レイモンドは侍従のマルローに紐を持って来るように申し付けた。
タナカハナコはチッと舌打ちをする。
二人乗りをすると言うから、臭い馬に乗る事を喜んだのだ。
本当は馬車の旅にして欲しかったが。
白馬に二人で乗って草原を駆けて行く姿を想像していた。
レイモンドの腕の中でイチャイチャしながら。
アハハウフフと風に黒髪を靡かせて。
だから湯浴みをして来たのだ。
自分の香りを、後ろにいる皇子様に存分に堪能して欲しくて。
でも仕方ない。
レイ様と一緒に馬に乗れる事には違いないのだから。
白馬では無いのが残念だけれども。
それもレイモンドは紺の軍服に赤いマント姿。
腰には帯剣。
格好良い。
最早この世のものとは思えない位に。
この皇子様にしがみつけるなんて。
タナカハナコはヨダレを指で拭った。
ウフフ。
これからの一週間。
ずっとレイ様と一緒にいられる。
ファーストキスは小川の畔が良いわ。
手を繋いで散歩して。
それから夕日の中でのキス。
キラキラと輝く二人。
ニコラスからは、戻って来たら二人の婚約を発表する事になるだろうと言われている。
独身である聖女との、旅の責任を取らせなければならないと言うのだ。
使えないと思っていたニコラスが案外張っている事に安心感を覚えた。
「 大丈夫よ。この旅でもっと親密になれるわ 」
あの邪魔な悪役令嬢がいないから、直ぐにそうなるに決まってる。
だって私は聖女でレイ様が皇子様なんだもの。
それにしても……
あの悪役令嬢が今日はここにいないのが残念だわ。
私とレイ様が、ピッタリと寄り添って出立する姿を見せ付けたかったのに。
タナカハナコがニタニタと薄気味悪い顔をしている横では、レイモンドが騎士達と2人用の鞍を付けていると、やがてマルローが戻って来た。
手には、紐と一緒に書簡も持っていて。
それをレイモンドに手渡した。
「 手紙? 」
「 今、シェフが持って来ました。早急に読んで欲しいと言われたそうです 」
レイモンドは書簡を開けて中から便箋を取り出した。
そしてもう一度封筒を確認した後に、クリスタ皇后と談笑しているギデオン皇帝に向かって駆けて行った。
レイモンドのその所為が皆に不安を滾らせた。
何かよくない知らせだろうかと、固唾を呑みながら皇帝陛下と皇太子殿下を見つめていた。
タナカハナコも静かに様子を見ている。
「 父上! 魔物は既に討伐されたようです 」
「 何だと? 」
ギデオンは驚きの声を上げながら、レイモンドから渡された書簡を見た。
便箋と封筒はリトルニ王国の王印が押された正式な物。
『 魔物は昨夜魔女によって討伐された。聖女の出陣の必要なし 』
便箋にはそう書かれてあった。
「 魔女に?これはどう言う事だ? 魔物は聖女でないと討伐出来ないのではないのか?」
ハロルドや大臣達も二人の側にやって来て、皆がギデオンから渡された便箋を確認した。
「 殿下?これは何処から? 」
ハロルドがレイモンドに確認した。
「 皇太子宮のシェフが預かったらしい 」
「 シェフ?……魔女? 」
「 魔女? 」
レイモンドは何やら胸騒ぎがしてきた。
それは、側に駆け寄って来たカルロスもオスカーも同じに。
ギデオンやカルロス達大臣達があーでもないこーでもないと話し合っている横で、レイモンドとカルロスとオスカーが頭を近付けた。
「 シェフが書簡を持って来たのなら、リタがダイニングに来たと言う事か? 」
「 魔女ってリタ達の事を言ってるのか? 」
「 でも、リタ達は本当は妖精なんだろ? 」
「 じゃあ、ティアなのか? 」
「 魔女がティアなら、リトルニ王国になんか行ける訳がない! 」
三人の話が錯綜する。
「 それでティアは今は何処にいるんだ? 」
「 多分、今朝早くに魔女の森に行ったのだと思う 」
「 いや、昨夜もティアの姿は見てはいない 」
「 まさか…… 」
「 ティアがリトルニ王国で魔物を討伐したのか? 」
「 どうやって行ったんだ?」
そうなのである。
昨日の今日に隣国に行ける筈がないのだ。
「 道だ! 」
そう叫んだレイモンドが慌てて口を塞いだ。
陛下やハロルド達も話に夢中で気にも止めなかったが。
「 そうだよ。道を通ってなら行けるかも 」
「 でも、あれはリタ達しか通れないのでは? 」
「 そこにはきっと何らかの秘密があるに違いない 」
兎に角、リタ達は不可解な存在なのである。
詳しく調べたくても、話してくれないのだから仕方がない。
「 それに、リタ達なら攻撃は出来ないと思う 」
何故ならリタ達は魔女と呼ばれているだけで、自然を司る妖精なのだから。
「 レイ? ティアの魔力は凄いんだろ? 」
アリスティアの魔力の凄さを、実際に見たのはレイモンドだけ。
それは岩をも砕く破壊力だった。
「 魔物を討伐した魔女は……アリスティアだ! 」
レイモンドは自分の馬に向かって駆け出した。
「 レイ様? 何が……キャアッ!? 」
レイモンドに駆け寄って来た聖女を振り切って、馬に飛び乗ったレイモンドは、そのまま馬を走らせた。
「 レイモンド! 何処に行く? 」
「 父上! もう出陣は中止ですよね!? 僕はこれにて失礼致します 」
ギデオンの呼び掛けに、レイモンドは手綱を握ったまま馬ごと振り返った。
前足を宙に上げた馬を、手綱を持つ手で見事に操りながら一回転した皇子様は、そのまま真っ直ぐに正門に向けて駆けて行った。
キラキラと輝く朝陽の中を。
赤いマントを翻しながら。




