魔物の出現
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
聖女はエルドア帝国に現れ、エルドア帝国の皇太子殿下とのロマンスが世界中に流れた。
人々は異世界から現れた聖女と若き皇太子の、時を越えたロマンスに酔いしれ、特にエルドア帝国では連日二人のロマンスが報じられ、新聞は飛ぶように売れた。
そうなるともう歯止めが利かない。
新聞記者はある事ない事を面白おかしく書き立てた。
『 元婚約者の横恋慕 』
『 やはり元婚約者は悪役令嬢だった 』
『 二人のお茶会の邪魔をする元婚約者 』
民衆は障害のある恋愛話が大好物だ。
その障害に、悪役令嬢アリスティアは打って付けのネタだった。
過去に、レイモンドに言い寄って来た女性達にした仕打ちまでも報じられる事態にもなっていた。
『 嫉妬深い婚約者に苦しめられた貴族の女性達 』
『 聖女様は悪役令嬢から虐げられて泣き暮らしている 』
『 嫉妬に狂った悪役令嬢から聖女様を守れ! 』
少し前までは……
病気を理由に婚約解消を申し出た公爵令嬢と、それでも元婚約者を恋ふ皇太子殿下との真実の愛に、民衆達は酔しれていたと言うのに。
そんな頃。
宰相ハロルド・グレーゼの元に急ぎの伝令が届いた。
「 何!?魔物が現れただと!? 」
ハロルドから渡されたメモ書きを読んだギデオン皇帝は青ざめた。
やはり魔物は現れた。
天のお告げは本当だったのだ。
魔物が現れたのは隣国のリトルニ王国。
村に現れた魔物に兵士達が応戦しているのだと言う。
当然ながらエルドア帝国に聖女の出陣要請が入った。
天のお告げがあってから、エルドア帝国の近隣諸国の王族間では、伝書鳩を飛ばして連絡を取り合う試みをずっとして来た。
直ぐに聖女を連れて出陣出来るようにと。
リトルニ王国は陸続きの隣国だ。
既にエルドア帝国の国境を守る警備隊は、リトルニ王国に向けて出陣している筈だ。
それは両国間での決め事。
リトルニ王国に魔物が現れた際には、直ちにエルドア帝国の国境警備隊が出陣すると。
それは聖女が到着するまで。
その間、共に魔物と戦う為に。
それは……
天のお告げを、早くに世界各国に向けて発表したからこそ、どの国も万全な体制を取ることが出来る事になったのである。
早馬を乗り継いで走れば国境には一週間で到着する。
聖女と2人乗りをしての移動ならば、もっと日数がかかるかも知れない。
伝書鳩ならば1日で飛んで来れるのだが。
それでも行かなければならない。
それが海の向こうの遠く離れた国であろうとも。
魔物を討伐出来る唯一無二の存在なのだから。
「 皇太子に聖女と共にリトルニ王国への出陣を命じる! 」
「 御意! 」
ギデオン皇帝陛下は皇太子レイモンドに出陣を命じた。
レイモンド皇太子殿下はエルドア帝国の最高指揮官。
聖女を向かわせるのであれば、聖女と共に彼が同行するのは当然の事。
それが世界を救う唯一無二の存在である聖女を、庇護すると言う事なのだから。
その覚悟を持って、レイモンドはずっと準備をして来たのである。
しかしだ。
気掛かりなのは聖女の能力。
こんなに早くに魔物が出現するとは思わなかった事から、まだそれを確かめてはいないのだから。
先ずは言葉の壁をクリアーして、この国での生活に馴染む事を優先した。
やはり聖女はまだ若い女性。
そんな彼女が背負わされた使命があまりにも大きくて、あまり無理を言えない事もあって。
それでも彼女には出陣して貰わなければならないのだ。
彼女だけが世界を救うのだから。
出陣は明朝。
皇帝陛下の命を受けて、皇太子殿下率いる騎士団は出陣の準備に取り掛かった。
***
出陣の準備を終えたカルロスとオスカーが帰宅したのは、深夜近くなってから。
ハロルドは皇宮にある自分の執務室に泊まる事になったが。
レイモンドと一緒に討伐に向かうオスカーと話がしたくて、カルロスも帰宅して来た。
そう。
当然ながらレイモンドの側近であるオスカーも、魔物討伐に同行する。
敵と戦う為の出陣は、それは死を意味する事でもある。
家族との今生の別れの時間を過ごす為に、ハロルドは皆に帰宅をさせたのであった。
それはオスカーも然り。
家族との惜別の為に帰宅した。
母のキャサリンが起きて待っていてくれた事もあり、キャサリンと侍従に出陣の挨拶をした。
深夜なので他の使用人達は起こさなかったが。
そして、アリスティアにどうしても確認したい事があり、二人はアリスティアの部屋に行った。
しかし。
ドアをノックしたが返事はなかった。
「 寝てるのか? 」
何時もならばまだ起きている時間だし、寝ていたとしても直ぐにドアを開けて顔を出すのだが。
流石に叩き起こすのは忍びないと、二人はそのままカルロスの部屋に移動した。
アリスティアに確認したい事は、勿論転生前の事。
侍従がお茶を入れて下がるのを待って、カルロスは転生前の事を記録した冊子のページをペラペラと捲った。
「 やはり魔物が出現したなんて何処にも書いてない 」
それは、アリスティアが時戻りの剣で転生させられたその瞬間まで。
「 ああ。ティアはそんな話はしていなかったよ 」
「 もしかしたら、政府は魔物が出現したのを隠していたのかもな 」
皇太子と聖女が魔物討伐に出陣するのだから、いくら秘密裏に出発したとしても、絶対に国民に知れ渡る筈。
アリスティアがそれを知らない筈がないのだ。
「 じゃあ……出陣しなかったと言う事か? 」
「 そう考えるのが妥当だろう 」
「 ボンクラネイサンは、他国からの聖女の出陣要請を無視したのか? 」
一体何の為の聖女なんだと、怒りを露にしたオスカーは目の前のテーブルをゴンと叩いた。
そう。
アリスティアがチョロチョロと歴史に介入して、色々と変わってはいるが。
この頃に魔物の出現はあった事は間違いない。
無能な宰相ニコラス・ネイサン公爵。
彼はきっと他国との連携なんかしてはいなかったのだろう。
勿論、伝書鳩などの通信もしていない筈だ。
この頃の議会では、皇太子と聖女の結婚の話ばかりしていたに違いない。
花嫁をすげ替える為の。
だから……
魔物対策など少しもしていなかったのだろう。
アリスティアがカルロスから聞いた話では、議会では聖女神話が出来上がり、聖女を悪く言う者は悪であり、その存在は無視をされたのだと。
今の議会で、他国間との伝書鳩での通信を提案したのはカルロスだ。
きっと当時もその事を取り決めたかったろうに違いないと、二人はカルロスの無念さを思って拳を固く握り締めた。
「 なあ。こうは考えられないか? 」
二人で話し合った事を、冊子に記入するカルロスにオスカーが言った。
「 この失態は直ぐに国民に知れ渡る。それを隠す為に陛下はレイと聖女の婚約を発表した……とか 」
「 ………有り得るな。殿下も拒否出来なかったのかもな 」
それでも正妃はティアだと譲らなかったのは、そう言った経緯があったと考えられる。
勿論。
全てが憶測でしかないが。
魔物を討伐して帰城してくれば、きっと皇太子殿下と聖女の結婚を発表するだろう。
若い男女の長い旅だ。
その全ての責任は、レイモンドが聖女と結婚をする事で帳消しになる。
それはやはり裂けられない未来。
しかしだ。
転生前はこの討伐は無かった。
だったら何故花嫁のすり替えなどを、皇室が受け入れたのかと言う事だ。
結婚をするなら魔物の討伐をしてからで良かった筈だ。
アリスティアも側妃を受け入れる覚悟は出来ている。
皇后は否を唱えなかったのだろうか?
ましてやレイモンドは、とてもアリスティアを大切にしていた。
生まれた時から今の今まで。
「 あのレイが花嫁のすり替えなんかすると思うか? 」
いくら聖女を好きになったとしても、そんな酷い事をアリスティアにする訳がないと言うのが二人の見解だ。
「 まあ、今と転生前とは色々と異なる事があるから何とも言えないけどな 」
「 レイには酷だったろうが、婚約を解消したのは正解だったよ 」
「 あのティアが、よくもまあ婚約解消の決断をしたもんだな 」
兄達は笑っているが、ちゃんとその理由を知っていた。
そこにあるのは。
時戻りの剣で一年前に転生させられ、やり直しをさせた未来のレイモンドへの想い。
魔女になった原因である聖女を前にして。
気丈に振る舞うアリスティアが痛々しくてたまらない。
本当は殺してしまいたいくらいに憎い恋敵だ。
いや、転生前には殺ってしまったのだが。
「 今、その聖女と対峙して、未来を受け入れているんだから、ティアは大したもんだよ 」
「 流石は我がグレーゼ家の令嬢だ! 」
出陣を前にして。
二人の兄は、魔女にまでなってしまった転生前のアリスティアの境遇と、今のアリスティアの境遇に、胸が痛くなるのだった。
「 レイが、明日俺が登城する時に一緒にティアを連れて来いってさ 」
「 そうだな。ティアに会っておきたいだろう 」
「 また、イチャイチャを見なけりゃならないのか? 」
「 それよりも……殿下が聖女と一緒に馬に乗るんだろ? 」
道中は騎乗しての移動だ。
一刻も早く駆け付ける為には馬での移動が必須。
一人で馬に乗れない聖女を、誰かが二人乗りをしなければならない。
当然ながらレイモンドが乗せる事になる。
あの聖女が他の騎士達と騎乗する筈がない。
聖女がレイモンドに恋心があるのは最早皆が知る事だ。
一刻も早く旅立たなければならない事から、レイモンドも拒否は出来ないだろう。
聖女が行かないとごねられたら困るのだから。
「 これは更に凄い噂になるな 」
「 二人で騎乗して皇都の街中を走るんだからな 」
「 また、ティアが魔女にならなければ良いが…… 」
「 その時は私が頬を捻り上げるよ 」
「 兄貴は手加減するからなあ 」
「 当たり前だ!可愛い妹だからな 」
そう。
可愛い妹なのである。
***
「 オスカー! ティアは? 」
まだ薄暗い朝。
オスカーが登城するなりレイモンドが駆け寄って来た。
「 それが……いないんだよ 」
アリスティアは既に家にはいなかったとのだと、オスカーが首を横に振った。
まだ夜も明けてはいないのと言うのに。
レイモンドは何だか嫌な予感がした。
それは、結婚式の発表をする記者会見の日のあの朝と同じに。
また……
僕の前から消えたのか?




