指を絡ませて
「 昨夜は眠れたか? 」
そう言いながらレイモンドがタナカハナコの前に佇んだ。
それは今まで見た事もない程にキラキラと輝いた素敵な皇子様。
明るい場所で見たら尚更に。
今こそ隙を見せる時。
この時の為に今まで男達に隙を見せなかったのだから。
「 レイ様。私の事はハナコと呼んで下さい 」
「 確かティアがハナコと呼んでいたな 」
「 では、ハナコ。早くこの世界に慣れるように頑張ってくれ 」
それは転生して来た翌朝の事。
両陛下との謁見が終わると直ぐに、レイモンドが聖女に声を掛けた。
明るい場所で見れば、何とも細くて小さな少女だった。
この少女が魔物と戦う事になるのかと思うと、レイモンドの胸がチクリと痛んだ。
勿論この会話では意志疎通は出来てはいない。
流石に昨日の今日では言葉はまだ話せない。
お互いの名前だけが耳に残っただけで。
因みにタナカハナコは、レイモンドの名前を昨夜の内に侍女から聞き出していた。
身振り手振りで、名前を知るのに時間が掛かったが。
彼の名は、レイモンド・ロイ・ラ・エルドア。
エルドア帝国の皇太子殿下。
それはタナカハナコが想像していた通りだった。
将来は皇帝が約束された極上の皇子様。
私は。
この国の皇后になるのだわ。
「 ハナコだって……あの素敵な声でハナコと呼んでくれたわ 」
あの美しい瞳に見つめられ、あの形の良い唇がハナコと言ったのよ。
オスカーと去って行くレイモンドの後ろ姿に、タナカハナコは手を合わせていた。
「 眼福 」
もうこんなの拝むしかない。
レイモンドは、蜂蜜色の黄金の髪に瑠璃色の瞳を持つ背の高い美丈夫だ。
背は絶対に185センチはある。
小さい頭に長い手足に逞しい体躯。
毛穴の無いツルツルの肌。
「 極上だわ 」
芸能人だって彼には敵わない。
この素敵な皇子様と恋をするのだと、タナカハナコの胸は高鳴るのだった。
何から何まで侍女がしてくれる貴族の生活。
美味しい食事に素敵なドレス。
皆から感じる私への視線は熱い。
もしかして。
この世界では私は美人なのかしら?
あの美しい公爵令嬢がブスだとか?
それならば皆の熱い視線は分かる。
レイ様の私を見る瞳が熱いのも。
そんな夢心地であったタナカハナコなのだが。
その日の午後。
侍女達に連れて行かれたサロンで、またもやレイモンドとアリスティアが、キスをしている場面を目撃する事になってしまうと言う。
気分を害したタナカハナコは、そのまま踵を返してサロンを後にした。
部屋に戻ってこれからの事を考えた。
美味しいスイーツを持って来いと命令すれば、直ぐに出て来るここはパラダイスだと思いながら。
「 死に戻って来たのなら、自分の立場をわきまえるべきだわ! 」
もしかしたら、あの女の二度目の人生はあの身体でレイ様を悩殺する作戦なのかも知れない。
嫌だわ。
身体を売り物にするなんて。
だから悪役令嬢なのよ。
だから殺されたのよ!
ロマンチックな皇子様との出会いを、アリスティアに邪魔をされた恨みがある。
「 兎に角、あの悪役令嬢を何とかしなくては 」
ガリガリと自分の親指を噛んだタナカハナコは、チリンチリンとベルを鳴らして侍女を呼びつけた。
侍女の中でも若いメリッサがお気に入りだ。
一番偉そうなロザリーは母親位の歳だからか、どうにも上手く伝わらない。
その点若いメリッサは、自分が言わんとしている事を理解してくれてるようだった。
タナカハナコはメリッサを自分の専属侍女にする事に決めた。
乙ゲーや本で読んだファンタジーの世界では、必ずや貴族のヒロインには専属侍女が付いているのだから。
直ぐにやって来たメリッサに言伝をした。
「 レイ様と食事を一緒に出来ないか聞いてくれない? 」
兎に角、もっと頻繁に会う必要がある。
いや、会いたい。
あの美しい瑠璃色の瞳の中に私を映して欲しい。
タナカハナコは聖女と言う名に酔いしれていた。
会う人の皆が皆、自分を女神を見るような目で崇めて来るのだから。
私は聖女。
無敵だわ。
***
レイモンドは兎に角忙しかった。
普段でも忙しいのだが、聖女がやって来てからは特に。
エルドア帝国は魔物に備えて軍隊を増強した事から、連日会議や打ち合わせがあり、地方への視察も控えていた。
そんな中で聖女のケアもしなければならなくなったのだ。
不安でずっと泣いていると聞けば、皇太子の立場としては放ってはおけなかった。
異世界からやって来たばかりの彼女が不安なのは当然で。
自分が側にいる事で、その不安が取り除けるのであれば彼女の意に添いたいと。
そこには聖女がアリスティアと同じ歳だと言う事もある。
アリスティアと同じ歳の彼女が、世界を救うと言う重い枷を背負わされているのだから。
レイモンドにとってアリスティアは、何時まで経っても小さな可愛い存在だった。
侍女から聞いた話では、聖女は食事を共にして欲しいと泣いていると言う。
独りで食べる食事は寂しいのだと言って。
それならば食事位は一緒にしてあげても良いとは思ったが。
昼食は聖女のマナー教育の場に当てられている。
夕食はその日によっては時間がまちまちになる事が多いので、絶対とは言えない。
かと言って朝食を男女の二人だけで取る訳にはいかない。
エルドア帝国では、家族でない男女が朝食を一緒に取ると言う事は、一夜を共にした事を意味する。
レイモンドには永年の夢がある。
それは妻になったアリスティアとの初めての朝に、二人で共に食べる朝食。
朝は何時も母親が泣いていた記憶がある。
幼い頃はその涙の意味が分からなかったが、それはきっと父親が来なかった朝なのだろうと。
そんな思いもあって。
朝食を共にすると言う事は、レイモンドに取っては特別なものだった。
この日の夕食は無理だったので、アリスティアとのお茶会に一緒に行く事にした。
端からアリスティアに会いに行くつもりだった事もあって。
アリスティアに会いたいから聖女を皇太子宮に滞在させたのだから。
クリスタ皇后は、自分が暮らす皇帝宮に聖女を滞在させるつもりのようだったが。
レイモンドは聖女を皇太子宮の客間に滞在させる事を主張した。
聖女の教育係になったアリスティアが来やすいのは、永年通い続けた皇太子宮だからと言って。
忙しくなったからこそ、アリスティアを束縛したかった。
今までのように会いに行けないのだから。
自分の婚約者でなくなったのだから余計に。
そう。
ジョセフのいる学園の特進クラスには行かせないように。
あの三人の若い男達のいる、魔女の森には行かせないように。
***
聖女は異世界から突然この世界にやって来た少女。
年齢はアリスティアと同い年の19歳。
この国に転生して来た日から彼女は毎日泣いていると言う。
「 故郷に帰りたい 」と言って。
これが転生前にアリスティアがこの時期に聞いた話だ。
それはニュースで。
或いはオスカーから。
言葉も通じない世界ではどんなに不安なのかと、その時のアリスティアはタナカハナコに同情していた。
だから皇太子であるレイモンドが、彼女に常に寄り添っていたのだと。
それは今生も同じだろうと思われた。
レイモンドは本当に優しい皇子様なのだから。
「 レイがブス専ならば尚更だわ 」
転生前はレイモンドがブス専だとは知らなかったから、結婚式の日に初めて見たタナカハナコの顔にショックを受けたのだが。
こんな不細工な女に負けたのだと。
そんな複雑な思いを抱いて、アリスティアは翌日もお茶会の為にサロンに向かった。
もう、何が正解なのかが分からなかった。
しかしだ。
聞くと見るのとでは全く違った。
寄り添うと言う事がどんな事かを、アリスティアは目の当たりにする事となった。
アリスティアがサロンで待っていると、レイモンドがタナカハナコをエスコートして現れた。
それは二階にある皇族の暮らすプライベートゾーンから。
同じ階にある客室にタナカハナコは滞在している。
そして。
階段を下りた所にサロンがあるから、階段を下りてくる二人の様子が見えるのである。
廊下に面したガラス張りの窓越しに。
二人が現れるとアリスティアは立ち上がり、カーテシーをした。
それは貴族女性が皇族に対する正式な挨拶。
アリスティアはレイモンドだけではなく、聖女であるタナカハナコにも敬意を払った。
アリスティアがこの場に呼ばれた理由の一つに、貴族としての正しいマナーを聖女に見せる事があるのだから。
しかしだ。
その様子は、まるで皇太子夫婦に挨拶をする一人の客人のようだった。
タナカハナコの椅子を引き、彼女を座らせるとレイモンドはアリスティアの横にやって来た。
「 今日は僕も同席するよ 」
そう言ってアリスティアの耳元で囁いた。
ちょっと頬に唇が触れたような気がしたのは気のせいか?
レイモンドは自分の横に座ると思っていたタナカハナコが睨んでいる。
凄い怖い顔で。
ブスの怖い顔は癖になる。
タナカハナコに向かって話すレイモンドは、形の良い唇を丁寧に開けてゆっくりと話している。
その優しい眼差しで、タナカハナコの顔を覗き込むようにして。
そんなレイモンドを、タナカハナコは頬を染めながら見つめている。
そのいやらしい視線がレイモンドの唇にばかり向かっているのは、言葉を覚えたいだけではないだろう。
そして。
新たな言葉を覚えたり二人の話が通じると、喜んだ二人が楽しそうに笑い合っていて。
そんな二人の様子を静かに見ているアリスティアは、紅茶を音も立てずに静かに飲んだ。
音を立てないで食するのが貴族のマナー。
しかしだ。
タナカハナコはカチャカチャと音を鳴らしながら食べていて。
その音には気にもしないで大口を開けて。
彼女の国では当たり前なのだろうか?
カチャカチャと言う音が耳障りだ。
そして。
タナカハナコは侍女が入れたばかりの紅茶を溢した。
何だかわざとらしかったのは気のせいか?
「 手に掛からなかったか? 」
そう言いながらスッと立ち上がったレイモンドは、タナカハナコの手をハンカチで拭いた。
「 ダイ…ジョーブ……です 」
「 あれ? 大丈夫を覚えたの? 」
嬉しそうに、コクリと頷いたタナカハナコの顔はヒラメ顔。
ブス専にとっては癖になる顔。
レイは癖になってるのかしら?
アリスティアはケーキを一口切り、フォークに差して口に入れた。
やはり音を立てずに。
とても優雅な所為で。
そうしてお茶会が終わると、レイモンドはタナカハナコをエスコートしてサロンを出た。
立ち上がったアリスティアは、頭を下げて二人を見送った。
二人は二階にある皇族専用のプライベートゾーンに向かって階段を上って行く。
楽しそうに話をしながら。
その時、タナカハナコが階段でよろけた。
レイモンドがタナカハナコの腰に手を回して支える。
「 気を付けて 」
「 ドレスが…… 」
どうやらドレスと言う言葉は知っているみたいだ。
着なれないドレスを着てるからそうなるのもありだが、やはりわざとらしく感じたのは気のせいか?
二人は随分と親しくなっているのを感じた。
皇太子宮と言う同じ建物の中にいるのだ。
このサロン以外でも会う事はあるのだろう。
急速に親しくなるのは当然だと思われた。
それが寄り添うと言う事なのだと。
そして。
レイモンドに仕事があった次の日は、タナカハナコをエスコートしただけでレイモンドが退室をして行くと、彼女も直ぐに席を立った。
アリスティアはサロンで一人でお茶をする事になった。
「 わたくしって必要? 」
この夜に帰宅したオスカーにアリスティアは訴えた。
こんな事なら学園の薬学のクラスに行きたい。
魔女の森にも行きたい。
リタ様とロキ様とマヤ様に会いたい。
婆さん達は、最近グレーゼ家のダイニングに来ていないから余計に。
婆さん達は神出鬼没だ。
「 まあ、お前が何時魔女になるかも知れないんだから、レイが一緒の方が良いと思うよ 」
俺に頬を捻られるよりはキスの方が良いだろ?と、ニヤニヤとして。
「 魔女にはならないわよ! 」
多分。
いや、レイの指先がなければ魔女になっていたのかも知れない。
アリスティアの横に座るレイモンドは、アリスティアの手をずっと握っていたのだ
テーブルの下でこっそりと。
大きな暖かい掌に愛を感じる。
恋人繋ぎをする為に、時々二人の指を絡ませたりして。
仲良しである。
今の段階では。
そう。
指先に集まる魔力はそこにはなかった。
***
聖女が皇太子宮に滞在して一週間が過ぎた頃。
『 皇太子殿下と聖女様は恋仲 』
そんな記事が新聞の一面に載った。
『 聖女様を皇太子宮に滞在させているのは皇太子殿下の要望 』
『 一つ屋根の下で愛を育む皇太子殿下と聖女様 』
その記事が出た事で、民衆は皇太子殿下と聖女のロマンスに酔いしれた。
時空を越えたロマンスに熱狂した。
それは転生前と同じ。




