魔女の特効薬
翌朝。
政府の掲示板に、世界を救う聖女がエルドア帝国に現れた事を告げる張り紙が貼られた。
字を読める者も読めない者も大騒ぎになった。
万歳万歳と皆が聖女が現れた事を喜び、祝杯を上げた。
『 世界を救う聖女が我がエルドア帝国に現れた 』
『 銀色に輝く空が割れたら聖女が降りて来た 』
『 異世界からの聖女の姿は神秘的だった 』
それからの新聞も活字だけで。
転生前には聖女降臨のニュースと共に、空から降りて来る聖女を皇太子殿下が受け止めている姿絵が世界に出回ったのである。
「 良かった 」
あの姿絵だけは描かれて欲しくなかった。
どうしても見たくなかった。
それはアリスティアが身体を張って阻止した賜物。
歴史に介入しないと決めていたが。
これを阻止出来た事には後悔はなかった。
それなのに。
まさかの聖女の良き話し相手に選ばれると言う事態になってしまったと言う。
聖女には語学専門の先生が付けられるので、アリスティアの役割は聖女とお茶をしたり、街へ出掛けたりして聖女に寄り添う事。
全ての作法に完璧なアリスティアと接する事で、ストレス無くこの国の正しいマナーを、聖女に覚えて行って貰いたいと言うものだった。
それには彼女の世話をしている皇太子宮の侍女からの報告を受けての事だ。
異世界から来た聖女はかなり混乱をしているからと言う事から。
その夜に帰宅したオスカーから、アリスティアはその事を説明された。
「 でもね? オスカーお兄様! わたくしが魔女になったらどうするのですか!? 」
タナカハナコの側にいる事で、殺ってしまう可能性だってあるのだ。
今は魔力をコントロール出来ているとしても。
「 陛下とレイが決めた事だからどうにも出来ないよ 」
危なくなったら、レイとキスをして聖女に見せ付けてやれと言ってオスカーはニヤリとした。
「 ………… 」
どうしたら良いか分からない。
今はレイモンドの愛は自分にあるとは思うのだが。
それは永く共にした自分に執着しているだけかも知れないと言う懸念がある。
黙り込んでしまったアリスティアに、オスカーが止めの言葉を言い放った。
「 まあ、レイが聖女を好きになったら潔く諦めろ! お前の結婚相手はいくらでもいる 」
レイはブス専なんだから仕方がないと言って、アリスティアの肩をポンと叩いた。
「 あれだけの癖のあるブスはそうはいない 」
アリスティアから不細工だとは聞いていたが。
それは恋敵であるアリスティアの偏見だとも、オスカーは思っていた。
しかしだ。
実際に会って話をしたら、顔が不細工なだけでなくかなり強かであざとい女かもと。
彼女が何を言ってるのかが分からない事から、それは直感に過ぎないのだが。
これでも皇太子殿下の側近として、人を見る目は培って来た。
勿論、アリスティアには知らせるつもりはないが。
「癖のあるブス? 」
勝てない。
不細工な上に癖のあるブスだと言うのならば、ブス専のレイがタナカハナコを好きになるのも時間の問題。
レイモンドが、タナカハナコに惹かれて行く過程を見る事になるのかと、アリスティアは項垂れるのだった。
そしてそれを確かめようとして、約束の時間よりも早くに皇太子宮に行った。
侍女のデイジーと二人の弟達と一緒に。
彼等にタナカハナコを見て貰おうと思って。
デイジーの二人の弟達は、転生前はアリスティアが皇太子妃になるならばと騎士団に入団していたのだが。
それがなくなった今は、公爵家の護衛をしたままでいた。
主にアリスティアの護衛として、学園や外出の護衛として送り迎えの付き添いをしている。
デイジーの話では一番下の弟がブス専だと言う。
付き合う女達は、揃いも揃って不細工ばかりなのだと。
最近恋仲になった飲み屋の給仕の女もまた、とびきりのブスなのだとか。
アリスティア達が柱の陰に潜んでいると、皇太子宮の侍女頭ロザリーを筆頭に、数名の侍女を引き連れてタナカハナコが歩いて来た。
その後ろには四人の騎士達が、護衛として付いて来ている。
最早皇族。
皇女のような待遇だ。
世界を救う大事な聖女様なのだから、そうなるのも当然の事なのだが。
「 ロン! ケチャップ! 前を歩く背の低いあの黒髪の女が聖女様よ。どう思う? 」
「 ……本当にあれが聖女様ですか? 」
二人の護衛達はショックを受けた。
今朝のニュースでは、公爵家の皆も聖女が我がエルドア帝国に現れた事を喜んでいた。
聖女。
それは清楚で慈愛に満ち溢れており、優しい眼差しを持った美しい女性のイメージだ。
「 これは随分と…… 」
イメージとあまりにも違う聖女にロンは絶句していたが、ブス専のケチャップは違った感想を述べた。
「 不細工なのが良いですねぇ」
癖のあるブス加減がたまらんと言って。
何時までも見ていたいらしい。
やはりブス専はそうなのかとアリスティアは項垂れた。
美人のわたくしでは太刀打ち出来ない。
***
アリスティアはサロンで待っていたが、タナカハナコは約束の時間になっても現れなかった。
先程はこのサロンに向かって歩いていたみたいだったけど?
何処へ行ったのかしら?
暫く席に座って待っていると、ドアをノックする音と共にサロンのドアが開けれた。
現れたのはレイモンドだった。
「 あれ? ハナコは?」
「 ハナコ? 」
昨日の今日で、もうそこまで仲良しになったのね。
やはりブスの威力は凄いわ。
癖のあるブスの威力だから凄いに決まっているわね。
「 まだ来られてないわ 」
ちょっとツンとしてしまうのは小さな嫉妬。
だけど魔力は身体の中には溜まらない。
やはり魔力のコントロールが出来ている証拠だと、アリスティアは少し自分に自信が持てた。
その時。
アリスティアの座る椅子が、レイモンドが座ろうとしている椅子の前に引き寄せられた。
ガガガと音を立てて。
「 キャアッ!……何? 」
アリスティアがレイモンドを見ると、肘掛けを持ったままに、レイモンドは中腰でアリスティアの瞳をじっと見ている。
その綺麗な瑠璃色の瞳が、アリスティアの瞳から唇に注がれた。
「 魔女の特効薬は必要ない? 」
「 い……今は魔女にはなってないわ 」
「 ……でも念の為…… 」
レイモンドはそう言って、アリスティアの唇に唇を重ねた。
レイモンドを見上げるアリスティアの上から、覆い被さるようにして。
それは甘い甘い口付け。
婚約は解消したが。
二人は婚約していた時よりも甘い関係になっていた。
今まではアリスティアの一方的な想いだと思われていたが。
今はレイモンドの方がアリスティアにメロメロになっている。
どう見ても。
誰が見ても。
皇子様だって24歳の男だ。
好きな女に抱きつかれたりキスをされたら、欲を抑えられなくなってしまうのも致し方ない。
今まではこうなってしまう事を恐れて、アリスティアと距離をとっていたのだが。
二人の愛を周りに見せ付けようと決めた今は、溢れる想いを抑える事はしない。
アリスティアが既に学園を卒業している事もあって。
そんな二人を喜んでいるのが、侍従のマルローや侍女頭のロザリーを始め皇太子宮のスタッフ達だ。
アリスティアがこの皇太子宮に来る事をずっと待っていたのだから。
皇太子として立太子した時に、レイモンドと一緒に侍従や侍女もこの皇太子宮に移って来た。
新たなスタッフも迎え、皇太子宮が動き始めたのである。
後は婚約者であるアリスティア・グレーゼ公爵令嬢が、この宮に来るのを待つだけだった。
「 お二人の仲睦まじい姿を見るのは、嬉しい限りですなあ 」
「 お茶会のスィーツを、再び作れるようになって感激しております 」
「 いやいや、朝食やディナーをお作り出来るようになるのも直ですぞ 」
「 早く御子様の離乳食をお作りしたいですなあ 」
「 それは気が早い 」
サロンの壁際に立っているマルローとシェフ、それにその場にいるスタッフ達が、それはそれは嬉しそうに笑った。
そして。
サロンの扉の前ではロザリーと、他の侍女達が二人を目を細めて見ていた。
「 最近の殿下は嬉しそうで何よりですわ 」
「 アリスティア様が元気になられて良かったですわ 」
「 殿下はずっとお元気がありませんでしたものねぇ 」
侍女達がクスクスと笑って。
そんな風に。
皇太子宮は幸せのピンクの風が吹いていた。
そんな皇太子宮の中で、一人だけ鬼の形相で二人を見ている者がいた。
それは異世界から現れた聖女。
皇太子宮に滞在する事になったタナカハナコである。
侍女達がキャアキャアと騒ぐ横で。
タナカハナコが二人を鬼の形相で睨みつけていた。
キスをし終わっても、イチャイチャしている皇太子殿下と公爵令嬢を。
「 どう言う事なの?あの女は公爵令嬢でしょ? 」
王子様の婚約者が公爵令嬢なら、それはもう悪役令嬢でしょ?
二人は王命で決められた政略結婚である筈よ!
異世界から現れた聖女を受け止めるのは王子様だと決まっている筈なのに。
それは乙ゲーでも、異世界ファンタジーの漫画や小説の中でも。
あの公爵令嬢が邪魔をするから。
アリスティアを睨み付けながら、タナカハナコはギリギリと歯噛みをするのだった。




