悪役令嬢見参
今宵は新月の夜。
この夜に聖女が異世界からやって来るのは分かっていた。
それはエルドア帝国に。
騎士団での夜間訓練中の皇太子殿下の腕の中に。
「 ティア! 本当に行くのか? 」
「 ええ! 行きますとも 」
アリスティアは大きく頷いた。
何も知らないでいた転生前の事を、知りたいと決めたからにはその場に行くしかないのである。
レイモンドがタナカハナコに恋に落ちる瞬間を見るのは辛いが。
「 聖女は殿下の腕の中に降りて来るんだろ? 」
勿論、カルロスもオスカー同様に聖女が現れる世紀の瞬間を見たいのは山々で。
空から人間が現れる事が分かっていて、それを見ないでどうするとは思っているが、アリスティアが行くとするならば話は別だ。
アリスティアが嫉妬で魔女になるのは想定出来る事なので。
「 魔女になったらどうするんだ? 」
「 わたくしが魔女になる前に、カルロスお兄様がわたくしの頬を思いっきり捻って下されば大丈夫ですわ 」
「 それはそうだが…… 」
アリスティアよりも7歳上カルロスは、オスカー程にはアリスティアの頬強くは捻り上げる事が出来ない自信がある。
彼にとっては昔も今も変わらずに、アリスティアは小さな妹なのである。
夜も更けた頃。
アリスティアとカルロスは騎士団の訓練場に向かって歩いていた。
騎士団での訓練場への立ち入りは、許可なき者の出入りには重い処罰が下される。
ましてや夜間訓練の見学は許されてはいない。
申請されて見学が出来るのも昼間の訓練の時だけである。
「 この道で間違いないのか? 」
ランタンを持って歩く、アリスティアの後ろから付いて来るカルロスが不安そうな声を出した。
二人共に、黒いローブを羽織って目立たないようにして来たが。
この作戦には不安しかない。
「 大丈夫ですわ 」
この道は訓練中のレイモンドを見る為に、アリスティアが子供の頃に通っていた秘密裏の道だ。
レイモンドの軍服姿を見たい一心で。
騎士団の見学には年齢制限があり、16歳の成人にならないと見学が出来ない事になっていた。
アリスティアはどうしても、格好良い軍服姿の皇子様を見たかったのである。
そう。
子供の頃からアリスティアは、こんな風にレイモンドにストーカー的な行為をしていたのである。
繁った草木に隠された柵の前に到着した。
腰を屈めたままに、目の前にある草木を手で掻き分ければ訓練場が見渡せた。
ここに潜んでいれば聖女が現れる瞬間が見れる筈で。
あちこちに松明が焚かれてはいるがやはり薄暗い。
「 誰が誰だか分からないな 」
薄暗さもあるが、皆が皆軍服を着ているからか、レイモンドどころかオスカーが何処にいるのかも分からない状態だった。
「 格好良い…… 」
アリスティアは直ぐにレイモンドを見つけた。
この19年。
レイモンドだけを見て来たのは伊達ではない。
何処にいても彼を分からない訳がないのだ。
騎士達と剣を交え、マントを翻すその姿に見惚れるだけで。
黄金に輝く髪が松明の灯りで時々キラッと輝いていて、アリスティアの時間が一瞬止まった。
カルロスが格好良いと呟いたアリスティアを見れば、ある場所を一心に見つめいた。
もしかして殿下が分かるのか?
この薄灯りの中でも?
顔なんか全く分からないと言うのに。
カルロスは何だか泣きそうになった。
産まれる前から皇子の婚約者で。
小さい頃から大好きで、ずっと殿下だけを見つめて生きて来た妹だ。
その悲しい程の一途な想いが、この後に現れる聖女によって踏みにじられたのだ。
そして。
今から目の前で起こる事を思うと。
やはりこの場に来るんじゃなかったと後悔した。
レイモンドが聖女を受け止める瞬間が描かれた姿絵が、何よりも悲しかったとアリスティアは言っていた。
それは彼が恋に落ちる瞬間の絵だからと。
姿絵だけでも辛かったと言うのに。
その光景が今から始まり、辛い現実を目の当たりにしなければならないのだから。
***
やがて暗い空が銀色に輝いた。
「 来たぞ! 」
「 来たわね 」
カルロスはアリスティアの小さな手を握り締めた。
瞳の色が赤くなれば頬を捻り上げようと決めて。
それはオスカー並みに強く。
取り返しが付かない事にならないようにと。
時戻りの剣はもう無いのだから。
レイモンドが銀色の空を見上げている周りでは、騎士達がレイモンドを取り囲むように膝を付いていて。
その手は剣の柄を握っている。
騎士達は空の異変を静観しながらも、レイモンドを守る体勢を取っているのである。
不足の事態に備えて。
やがて銀色に輝いていた箇所がパカッと割れた。
まるで卵を割ったように。
「 !? 」
騎士達から大きな響きが湧き起こった。
空が一際銀色に輝いたその割れた空間から、黒髪のタナカハナコが現れた。
アリスティアはタナカハナコを凝視した。
銀色の光に目を眇めながら。
髪と瞳の色は黒い。
それは結婚式に見た姿。
しかし。
不思議と魔力が湧き上がらなかった。
それよりも。
空に浮かぶタナカハナコの服装が気になった。
タナカハナコは丈の短いドレスを着ているのだ。
白い脚を恥ずかし気もなく出している。
何てはしたない格好。
こんな格好でレイを誘惑したのだわ。
胸を武器にする女は数多くいたが、足を武器にする女は初めて。
「 許せない 」
タナカハナコを受け止めた皇太子殿下は、そのままお姫様抱っこをして宮殿に運んだと、転生前の新聞には書いてあった。
レイモンドを見れば、フワリフワリと空中を降りて来るタナカハナコに向かって両手を伸ばしていて。
タナカハナコを受け止めようとしているのだ。
タナカハナコの足がレイの手に触れるのは嫌!
タナカハナコの身体がレイの腕の中に入るのは嫌!
「 レイに触れても良いのはわたくしだけ!!」
アリスティアは堪らなくなって駆け出した。
「 ティア!? 」
駆け出したアリスティアをカルロスは止める事が出来なかった。
アリスティアは公爵令嬢であり婚約者は皇太子殿下。
婚約者に近寄る女は徹底的に排除し、悪役令嬢とまで言われていたあのアリスティアが、戦わずして花嫁の座を奪われたのである。
それは政府が秘密裏に事を運び、徹底的にアリスティアを排除したからで。
カルロスはそれが口惜しくてたまらなかった。
「 聖女の前でキスをして見せ付けて来い! 」
カルロスは駆けて行くアリスティアの後ろ姿に、声援を送った。
魔女の魔力を消すのならば殿下のキスの方が効果がある。
あの時、ネイサンへ向けられたあの殺意の交じった魔力を消したのは殿下なのだからと。
悪役令嬢アリスティアは二人に向かって駆けて行く。
黒いローブを翻しながら。
愛する皇子様を奪われない為に。
***
聖女がレイモンドに向かって降りて来る。
アリスティアは駆けながら、空中にいるタナカハナコを見やった。
タナカハナコは下にいるレイモンドの顔を見てニヤリといやらしい顔をしている。
とても不細工な顔で。
ムッカーッ!!
こんないやらしい顔をしていたのに、あの美しい姿絵に皆は感動していたのだ。
あの絵を描かしてなるものかと、アリスティアは必死でレイモンドに飛び付いた。
「 うわっ!? 」
飛び付かれたレイモンドは後ろによろけた。
「 !? 殿下! 」
ラッキーだったのは騎士達が聖女を見ていた事から、アリスティアに気付くのが遅れた事だ。
黒いローブの得たいの知れない者がレイモンドに近付いて来たのならば、一歩間違えば切り捨てられていたかも知れないのだから。
「 ティアか? 」
レイモンドは直ぐに黒いローブの人物がアリスティアだと分かった。
それは幼い時から変わらないアリスティアの甘い匂い。
剣に手に立ち上がった騎士達に片手を上げて、問題ないとばかりに合図をし、自分の首に手を回しているアリスティア抱き締めた。
魔力を調整する時には、自分以外の者とのキスはしないようにとアリスティアと約束をしたのだ。
それが今なのだろうとレイモンドは思った。
「 どうした? 魔力の調節が必要なのか? 」
レイモンドの声がアリスティアの耳元で囁かれた。
それは甘い甘い声。
アリスティアはレイモンドの問い掛けにコクンと頷いた。
今回は不思議と魔女にはならなかったが。
タナカハナコに見せ付ける為の嘘を吐いた。
アリスティアがキスをしようとレイモンドの首に手を回すと、少し腰を折ったレイモンドがアリスティアの唇に唇を重ねた。
地面に落ちたタナカハナコが、レイとわたくしを見てるわ。
これはあの結婚式のお返しですわ。
レイモンドから唇を離したアリスティアは、タナカハナコを見やるとその美しい顔で微笑んだ。
「 ようこそ我がエルドア帝国へ 」
勝ち誇った顔をタナカハナコに向ける。
心の中でオーホホホと高笑いをしながら。
その瞬間に騎士達から大歓声が湧き起こった。
レイモンドとキスをしたのがアリスティアならば、騎士達にとってそれはもう見慣れた光景。
だからそれは完全にスルー。
魔物を退治してくれる聖女が自分達の前に現れたら、歓喜するのは当然の事。
魔物と言う未知なる物に恐怖があるのは騎士だって同じ。
その恐怖が消えたのだから。
「 聖女はエルドア帝国にやって来たーっ!! 」
「 聖女は我が国のものだーっ! 」
「 これで我が国は安泰だーっ!」
万歳万歳とその場は大騒ぎになった。
アリスティアはレイモンドの腕の中で、騎士達が聖女を助け起こす光景を見ていた。
未来を変えてしまったと思いながら。
世紀の出逢いだと騒がれた姿絵は、もう描かれる事は無い。




