正しい選択
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
その日の朝。
アリスティアは新聞を見て驚いた。
リタが聞いた天のお告げが、新聞の見出しに掲載されていたのである。
これはエルドア帝国の魔女リタとタルコット帝国の魔女ロキ、レストン帝国のマヤが、新月の夜に同時に聞いた天のお告げだと言う事も。
「 わしが魔女の森で聞いたのじゃ 」
なんと。
リタのインタビュー記事と姿絵まで。
これは絶対にオスカーお兄様の仕業。
きっとリタ様をローストビーフで釣ったに違いない。
それと同時に皇帝陛下から皇命が下された。
『 この日より、エルドア帝国全土が厳戒態勢に入る 』
神秘性の無い事で国民に不安を煽ってはならないと箝口令が敷かれ、聖女が現れるまでは秘密裏にしていた転生前とは正反対の政策を取ったのである。
この発表は緊急招集から5日後の事だった。
そして。
皆が久し振りに邸に帰って来た。
勿論、ハロルドも。
緊急議会は目処が付いた事で、皆が一旦家に帰る事になった。
連日の会議で皆はクタクタだった。
これから先も、決めなければならない事は山程あるのだからと。
待ち構えていたアリスティアは、直ぐに兄達から議会であった事の報告を受けていた。
「 帝国間での取り決めなんかなかったよ 」
「 俺さあ、親父に聞いてみたんだよね。タルコット帝国の皇帝やレストン帝国の皇帝と決め事をしなくて良いのかとね 」
「 おいおい……我々は口を出さない約束だろ? 」
「 最初からティアの話しと違うからさ 」
そう。
未来を知っているグレーゼ兄妹は、歴史の傍観者になろうと決めたのだ。
「 それで、お父様は何と仰有ったの? 」
「 相談する必要があるのか?と、逆に質問されたぜ 」
「 確かにそうだな。何故取り決めをしなければならなかったのかな? 」
「 自国に魔物が現れたら自国で対処するしかないよな? 」
「 それに、これは帝国間だけの問題ではなくて、世界の問題だろ? 他国にも知らせる必要があるよ 」
そう。
例えば、先日アリスティアに泣かされて帰ったローザリア王女の国、オパール王国に魔物が現れるかも知れないのだから。
う~ん。と、皆で頭を捻る。
何故秘密裏にしたのかが分からない。
今回も箝口令は敷かれたが、それは数日の事。
転生前では他国に知らせなかった事が不思議でならない。
『 近い未来に魔物が出現する。世界を救うのは帝国に現れる一人の聖女 』
このお告げの解釈はその国々によって違うだろう。
だからこそ早い内に、世界に向けて発信する必要があった。
今の段階で明確に分かっているのは、聖女は世界に3つある帝国のどれかの国に現れると言う事だけ。
勿論、このエルドア帝国に現れるのだ。
これを知っているのはグレーゼ三兄妹と魔女達の三人だけではあるが。
「 臭うぞ!ネイサンの企みが 」
「 そうだな。帝国間の取り決めだと言えば、反対意見を言う訳にもいかないだろうからな 」
「 陛下が何も疑問に思わなかったのが不思議なんだけど? 」
「 うん……それは陛下だけでなく、皆が冷静な判断が出来なかったんだろうな 」
魔物と言う恐怖が自分達の心を支配し、それを救う聖女が特別な存在となるのは仕方のない事。
「 今は冷静な判断が出来てますの? 」
「 ああ。科学者のジョセフ殿下が会議室にいるからな 」
「 不思議と皇子殿下がいるだけで皆が冷静になるんだよ。あの冷めた目で見られていたら、議論してても熱くなれないんだよな 」
「 確かに 」
「 それはお前の功績だ! 」
オスカーはそう言ってアリスティアの頭をポンポンとした。
「 レイが嬉しそうだったよ。ティアが兄上を口説いてくれたと言って 」
「 レイがそんな事を…… 」
良かった。
ジョセフ皇子殿下は会議に出てくれたのだわ。
「 それにこんな事も言っていたぞ 」
オスカーも嬉しそうに話を続ける。
魔女リタと懇意になったのはティアのお陰だと。
その上、タルコット帝国のロキとレストン帝国のマヤと言う他所の国の魔女まで懇意になったのだからと。
オスカーは更に言う。
もしタルコット帝国とレストン帝国の皇帝と連絡を取り合う必要が出て来たとするならば、ロキとマヤに皇帝宛の書簡を託せば良いのだと。
「 ローストビーフで簡単に釣れるからな 」
オスカーは自信たっぷりにカカカと笑った。
やっぱり。
リタ様のインタビュー記事は、オスカーお兄様の仕業だわ。
そう。
今は、ロキやマヤがいる。
「 これもお前の功績だな 」
今度はカルロスから頭をポンポンとされた。
彼等に取っては何時まで経っても可愛い妹なのである。
これから世界中が魔物に備えて厳戒態勢に入る。
「 やっぱり父上は凄い 」
「 ネイサンみたいな無能の宰相とは全然違うよな 」
これが正しい選択だと、カルロスとオスカーはこの日は夕方から飲むのだった。
何度も何度も乾杯をして。
***
それからの帝国は当然ながら物々しくなった。
政府は軍備増強にお金を惜しみ無くあて、私兵を持つ領主には武器の確保と私兵の増員を押し進めた。
それを新聞に載せて、エルドア帝国の軍事力は万全だと国民に向けて発信した。
それと共に、連日魔物の事に続いて聖女の特集記事が組まれた。
聖女は誰なのかと言う記事が。
美しい淑女だとか、神殿の美しいシスターとか、片田舎の美しい平民娘だとか。
その全てに美しいと言う形容詞が付いていて。
そして。
いつの間にか帝国の皇子様とのロマンスが期待されるようになって行った。
先日婚約を解消したばかりの、若い皇太子であるレイモンドが注視されるのは当然の事。
タルコット帝国とレストン帝国の皇太子達は既に結婚をしているのだから。
最近では「 私が聖女です 」と名乗りをあげる平民娘も、チラホラ現れ出した。
元婚約者である公爵令嬢との再婚約の噂などは、すっかり何処かへ行ってしまっている状況になっていた。
「 これは……タナカハナコが現れたら大騒動だわね。色んな意味で 」
この日アリスティアは皇立図書館にいた。
先日借りた魔女関連の本を返しに来ていて。
その時に目についた新聞を読んでいた。
結局は転生前も今も同じ。
民衆は皇太子殿下と聖女のロマンスに期待してるんだわ。
アリスティアは大きく溜め息を吐いた。
その時。
図書館の奥にある蔵所の大きな扉が開いた。
蔵所から出て来たのはレイモンド。
ドキリ。
レイモンドの姿を見るのは10日振りだ。
ドキドキしながらアリスティアは、新聞を立てて頭を低くして隠れた。
別に隠れる必要はないのだが。
何となく。
本を返却した時に、どうりで受付のお姉さんがキャラキャラしていた筈だ。
先程化粧直しをしていたのはレイが蔵所にいたからで。
これは婚約していた時からよくあった事だ。
女性達は皆が皆、皇子様に見初めて貰おうと必死なのだから。
側室制度のある国ならば、正妃になれずとも妃にはなる事が出来る。
皇族の一員になれる事は家門の誇りであり、一族の繁栄に繋がる事になるのだから。
「 殿下ぁ~今度我が家の夜会にいらして頂けませんか? 」
レイモンドがやって来ると、受付のお姉さんがさっきよりも1オクターブ高い声で甘えた声を出した。
レイモンドが何を言ってるのかは聞こえないが、こんな風に皇太子殿下を気安く誘えるこの令嬢は、かなりレイと親しいとアリスティアは眉を顰めた。
勉強熱心なレイモンドは、昔から程に図書館を利用している。
きっとそれ目当てでここに勤めているのだろう。
「 レイの行く先々ではよくある事だ 」と、以前にオスカーが言っていた事を思い出した。
抜かったわ!
図書館は盲点だった。
一体何時からなの?
「 ちょっ…… 」と、言いかけてアリスティアは口を閉じた。
いや、いや、いや、もう婚約者ではないのだ。
我慢我慢。
何やら話している二人を観察する。
立てた新聞から顔半分だけを出して。
彼女は肉感的な身体の上にかなりの美人。
女官の制服は着ているが。
ボタンもちゃんと上まで閉められているが。
「 殿下ぁ~。わたくしが聖女かも知れませんよ 」
「 違うわ!」
聖女の言葉に反応して、思わず下品に叫んでしまった。
アリスティアは新聞に頭を低くして隠れた。
気付かれていませんように。
「 ティア!」
頭の上でレイモンドの声がする。
新聞に隠れているアリスティアを覗き込んでいる。
恐る恐るレイモンドを仰ぎ見れば、尻尾をフリフリしている子犬みたいな顔をしていて。
「 新聞を読んでたの? 流石はティア…… 」と、言い掛けて、レイモンドは新聞の記事に凝視した。
『 美丈夫な皇太子殿下と可憐な聖女のロマンスがあるかも 』が大見出しで書いてある記事を見たのだ。
レイモンドはフゥっと大きく息を吐いた。
「 こんなデタラメな記事は無視してね 」
僕は君だけだからと言って、レイモンドは新聞をアリスティアから取り上げて棚に置いた。
デタラメではないのよ。
タナカハナコは不細工だったけど、可憐と言えば可憐だった。
レイと並んだ彼女は細くて小さかった。
腕を絡ませてレイモンドと並んだタナカハナコは、背の高いレイモンドの胸の高さ位だった。
「 ……… 」
アリスティアの身体の中心に熱が溜まる。
駄目よ!
こんな所で魔女になっては。
「 レイ! わたくしの頬を捻って! 」
「 えっ!? 」
「 早く! 」
レイはアリスティアの頬に手をやった。
プニ。
「 そんなんじゃ駄目!」
アリスティアはレイモンドの唇に唇を寄せた。
腕を手の首に巻き付けて。
ムチュー。
それはとても激しい口付け。
レイモンドの唇に吸い付くような。
静かだった図書館がザワと喧騒に包まれた。
午前中だったから若者達がいなかったのが救いだ。
濃厚なラブシーンなのだから。
「 ティア……魔女になったのか? 」
唇を離したアリスティアを見ながら、レイモンドがうっとりとした顔をしている。
赤くなり熱に浮かされたような顔が色っぽい。
周りからの視線が突き刺さる。
「 レイ……出ましょう 」
アリスティアはレイモンドの手を引いて図書館を出た。
皇立図書館で。
皆が見ている前で。
やってしまった。
ただ。
受付のお姉さんの前を通る時には、勝ち誇った顔を向けておいた。
彼女は唇を噛み締めて悔しそうな顔をしている。
ざまあ。
お前ごときが悔しそうにするのがおこがましいわ!
レイはブス専なのよ!
わたくし以外は。
***
皇立図書館を出て馬車の停車場に行く道すがら、立ち止まったレイモンドがアリスティアの顔を覗き込んで来た。
両手をアリスティアの頬に当てて、瞳の色を確認して。
「 君の魔力って何から出来ているのかな? 」
「 それは…… 」
嫉妬からだとは言いたくない。
どれだけレイの事を好きなのかと思われるのも癪だ。
そもそもレイがタナカハナコを好きにならなければ、魔女にはならなかったのだから。
「 よく分からないわ 」
「 さっきね、蔵所で魔女の事について調べて来たんだよ 」
「 えっ!? 」
「 君の魔女の事をもっと知りたくてね 」
レイモンドはそう言って、アリスティアの唇にチュッとキスをした。
自分からは濃厚なキスをしていながら、このレイモンドからの軽いキスにドギマギとしてしまう。
あの濃厚なキスは、魔力を消す為だからまた違うのだ。
「 それで何か分かった? 」
アリスティアも魔女を調べたいから食い気味に。
「 うん。ある魔女の記述書を見付けたんだよ 」
「 !? 記述書…… 」
嫌。
その話は聞きたくない。
レイの口からは。
レイモンドは目を見開いたアリスティアには構わずに話を続けた。
「 時戻りの剣と言う魔剣があって、魔女が……ティア? 」
アリスティアはガクガクと震え出した。
そのヘーゼルナッツ色の瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。
ポロポロと。
今、目の前にいるのはレイモンド。
あの時。
自分の心臓を時戻りの剣で突き刺したレイモンドだ。




