消えた悪役令嬢
皇太子殿下と元婚約者である公爵令嬢の、ファーストダンスを見ていた学園の女生徒達は複雑な心境だった。
学園には毎朝殿下が送って来ているのを見ると、再婚約をする可能性があるからだ。
半年もの間、ある病気の為に領地での療養をした彼女は婚約の解消を申し出て、皇帝陛下がそれを受け入れたと聞く。
ある病気が何なのかは発表はされてはいないが。
しかし、久々に現れた彼女の髪が短くなっていた事から、かなり重い病気であった事が推測された。
貴族女性が髪を短くしていたのだから、それはよっぽどの事だと。
ある病気が何の病気なのかは知らないが。
きっと今も治療中だから皇太子殿下が毎朝送って来ているのだと。
皇太子殿下の心はまだ彼女にあるのだと。
そんな事が連日ニュースとなっていて。
『 政略結婚から真実の愛に変わった 』
『 皇太子殿下の献身的な愛 』
『 病気によって引き裂かれた恋人 』
民衆は二人のロマンスに酔いしれていた。
純愛と悲恋が大好物なので。
ただ。
世継ぎの事も大切な事なので。
公爵令嬢の病気がそれに関わるものならばと、再婚約を待望する声は慎重だったのも事実。
そんな様々な憶測がある中で、実際に二人の姿を見ていた生徒達が困惑するのは当然の事だった。
公爵令嬢は元気そうなのだから。
皇太子殿下に、ダンスの申し込みをしようかどうしょうかと令嬢達は悩んでいた。
元婚約者が彼の側にいるからで。
こんなチャンスは滅多に無いから、お近付きになって来なさいと父母から言われて来たのだ。
ここにいるのは18歳の卒業生。
他の舞踏会や夜会とは違い、百戦錬磨の妖艶な美女達はいない。
婚約を解消した皇太子殿下にはまだ新たな婚約者はいない。
殿下に気に入られれば正妃になれるのだと。
それが親達の目論見だった。
親達がこの場に来ていたら、娘達の激しい売り込み合戦を繰り広げていただろう。
「 皇子様は先程アリスティア様の頭にキスをしましたわよね? 」
「 わたくし達が側へ行けば、アリスティア様は怒るかしら? 」
「 でも、アリスティア様は兄妹の関係だと仰っていましたわ 」
皆はそう言いながらもお互いに顔を見合せて、牽制し合う。
既にカップル達は踊り出している。
とても楽しそうに。
その時。
一人の令嬢がレイモンドの前に進み出た。
「 皇子さまぁ~私と踊って下さぁ~い 」
レイモンドの横にはアリスティアがいると言うのに。
そう。
公爵令嬢を恐れないのは下位貴族。
ヘレン・トアール男爵令嬢だ。
それもお決まりの平民あがりの男爵令嬢。
平民あがりと言っても、貴族になって何年も経つのだが。
礼儀なんてな~んにも知りませ~んと、無邪気で明るい令嬢を前面に出して来ているのである。
小説では、フワフワのピンク頭に癒し系のとびきり可愛らしい顔が定番だが。
こ奴は不細工なのである。
来たーーっ!!
これこそアリスティアが求めていた不細工な生身の人間の女。
そう。
レイモンドが不細工を見た時に、どんな顔をするのかを見なければならない。
魔力のコントロールの訓練には持って来いなのである。
クネクネした木では役不足だ。
「 皇太子殿下は、アリスティア様としか踊る事は致しませんわ 」
レイモンドとヘレンの間に割って入ったのは、スカーレット・オハラン侯爵令嬢。
「 あら?殿下とアリスティア様は婚約を解消したんでしょ? だったら私と踊っても良い筈よ 」
ヘレンがプゥゥと頬を膨らませた。
目の前にレイモンドがいるから、取って置きの可愛い顔をして見せた。
そのあざとさに目を眇めたアリスティアに、周りの令嬢達は身を竦めた。
恐すぎる。
絶対に咎められる。
彼女は悪役令嬢。
彼女の放つ辛辣な言葉には、誰も太刀打ち出来ないのだから。
お前に名前を呼ぶ許可は与えていませんことよ。
……と、言いたい気持ちは置いといて、アリスティアは言葉を続けた。
「 ええ。そうですわ。今は皆の皇子様ですわ 」
「 ティア!? 何を……」
レイモンドも、アリスティアはヘレンを咎めるのだと思っていた。
何時もそうだったから。
「 だから、わたくしとだけ踊るのは不公平だと思いますわ 」
アリスティアはレイモンドの後ろに周り、彼の背中を押して前に押し出した。
「 良かったですね。皇子様が皆さんと踊って下さるそうですわ 」
「 ティア!! 」
レイモンドの声を掻き消す程に、キャーッと令嬢達から凄い歓声が上がった。
楽士達の音楽は中断され、ホールで踊っていたカプル達も踊るのを止めてこちらを見ている。
「 ティア!?……どうして? 」
レイモンドが後ろを振り返ると、そこにはもうアリスティアはいなかった。
「 皇子様。わたくしと踊って頂けますか? 」
ヘレンを後ろに押しやり、レイモンドの前に立ったのはスカーレットだ。
なんとあざとい。
皇太子殿下は、アリスティアとしか踊らないと言っていた口は何処へやった?
「 私の方が先ですわ! 」と言って、ヘレンもスカーレットの横に進み出てレイモンドの前に立った。
レイモンドが辺りを見渡すと先生達が深く頭を下げている。
生徒の無礼を許して欲しいと。
皆の思い出に残る卒業プロムを台無しにしてはならない。
これ以上騒ぎを大きくする訳にはいかない。
「 ……では二人と一曲ずつ踊りましょう 」
レイモンドがニコリと笑い、そしてスカーレットの手を取った。
侯爵令嬢と男爵令嬢ならば、侯爵令嬢から踊るのは常識だ。
「 皇子さまぁ~次は私ですよ~ 」
それはヘレンも分かっているのか、彼女の甘えたような声が辺りに響いた。
レイモンドは楽士達に合図を送り、スカーレットをエスコートしてホールに向かった。
音楽が奏でられると、中断していたカップル達も再び踊り出した。
躍りながらも、公爵令嬢は何処に行ったのかと皆がキョロキョロしている。
勿論、レイモンドもアリスティアを探した。
誰と踊っていても、誰と話をしていても。
レイモンドの目は、何時もアリスティアをとらえていたと言うのに。
この時はアリスティアを目で追う事は出来なかった。
「 楽しい一時を有り難う 」
「 皇子様と踊る事が出来て嬉しいです 」
踊り終えると、スカーレットは胸に手を当て瞳に涙をいっぱい溜めてレイモンドを仰ぎ見た。
スカーレットは美しい令嬢だった。
そしてオハラン侯爵家は家柄もよく裕福な家である。
エルドア帝国には三大公爵家がある。
しかし、グレーゼ家以外の二家には若い令嬢はいなかった。
その唯一の公爵家の令嬢であるアリスティアが、レイモンドとの婚約を解消したのならば、オハラン侯爵家の令嬢であるスカーレットが最有力候補に挙げられていた。
「 レイさまぁ~次はわたくしですよ~ 」
ヘレンがスカーレットを押し退けて、レイモンドの腕に飛び付いた。
いつの間にかレイ様呼びになっている。
礼儀の事は口を酸っぱくして教えた筈なのにと、先生達の拳がワナワナと震えた。
いや、これはわざとだ。
皇子様に面白い女と印象付けようとヘレンは必死なのである。
市井の流行りの小説では、大抵王子に面白い女と思われた平民が王太子妃になるのだから。
ヘレンは踊っている間中自分語りをしていた。
男達を投げ飛ばした事があるとか無いとか。
どうでも良い話を。
「 その次は、わたくしロザリー・ワトソンですわ 」
「 わたくしはミネルダ・モルゾナと申します 」
ヘレンと踊り終えると、次から次へとこのプロムに参加している卒業生が、レイモンドと踊りたいと名乗りを上げた。
そう。
一人と踊ればこうなる事は当然だった。
一生の思い出にと、婚約者がいる令嬢達も押し掛けていた。
皇子様と踊れるなんて、今までならばあり得ない事なのだから。
男子生徒達が恨めし気にこの状態を見ている。
レイモンドの周りでは令嬢達が揉め出した。
一早く踊り終えないと打ち切られる可能性があるからで。
ティアの奴。
どう言うつもりだ!
この日は学園の催し物だからと、オスカーはここには来てはいない。
何時もなら彼が上手く収めてくれるのだが。
「 君達! 殿下が困ってらっしゃるではないか! 」
「 品のない事は止めなさい!」
「 貴族令嬢らしく、おしとやかになさい! 」
慌てて駆け付けて来た先生達が、必死で令嬢達を戒めるが。
卒業する彼女達には、最早先生の戒めなんて何処吹く風。
全く聞く耳を持たず、次に踊るのは自分だとギャアギャアと揉めている。
「 殿下の卒業プロムでもこんな事は無かったな 」
「 やはり、グレーゼさんとの婚約の解消が、皆を狂わせているのでしょうか? 」
「 殿下はまだグレーゼさんを想ってらっしゃると言うのに 」
学園長や先生達はアリスティアを探した。
暴走した生徒達を忌ましめる事が出来るのは、彼女だけだと思って。
***
アリスティアは柱の陰にいた。
顔を半分だけ出して、レイモンドとスカーレットのダンスを見ていた。
まるで魔女の森にいるクネクネした木のように。
クネクネはしてはいないが。
生身の人間の女に嫉妬の魔力が宿るかどうかの実験をしたかったのである。
これは自分のその後を決める大事な実験なので。
ふむ。
いけるわ。
上手く魔力をコントロール出来るようになっているわ。
あの腹黒女のわざとらしい所為に、身体の中心にはチリチリと魔力が集まって来てはいるが。
奴は躓く振りをして、レイモンドに抱き付いていて。
そりゃあチリチリもする。
次は本命のヘレン。
そう。
スカーレットは美人だから、チリチリで済んだのかも知れない。
問題はブスよ。
アリスティアは、レイモンドと踊る不細工なヘレンを凝視した。
ダンスは上手いのに、下手な振りをしている踊りだ。
キャアキャアと言う奇声が聞こえてくる。
《《面白い女》》作戦で来たわね。
天然の振りをして。
あざといったらないわね。
悪役令嬢はお見通しだ。
ふむ。
ムカムカするけど平気だわ。
不細工なのに何故?
やはりタナカハナコには、レイが彼女を好きだと言う気持ちを感じたから、あんなにも嫉妬の炎を燃やしたのかも知れない。
結婚式で見た二人は、幸せそうに見つめ合っていた。
そして誓いの口付け……
アリスティアの身体の中心にエネルギーが集まって来た。
それは嫉妬に燃える熱い魔力。
「 そんな所で隠れていないで、わたくしとダンスを踊りませんか? 」
「 えっ!? 」
柱の陰に腰を屈めて潜んでいたアリスティアは、驚きのあまり飛び上がった。
アリスティアは誰かにダンスを申し込まれた事はなかった。
レイモンド以外は。
そしてそれにはレイモンドの牽制があった。
この日もレイモンドは、男共に牽制球を投げていた。
『 婚約は解消したがこの女は俺の女だ 』宣言をしたのだ。
男共にだけ分かるように。
ファーストダンスを踊り終えたアリスティアへのキスは、そう言う意味があったのだ。
アリスティアの嫉妬深さは有名だが。
レイモンドの方が嫉妬心が強いと、オスカーは思っている。
しかしだ。
そんなアリスティアにダンスの申し込みをして来た男がいた。
皇太子殿下を差し置いて、皇帝陛下以外にそんな事が出来る男はただ一人。
ジョセフ・ロイ・ラ・ハルコート第一皇子その人であった。




