もう一つの希望
それは一瞬の出来事だった。
タナカハナコの身体から出て来た銀色の光は、アリスティアの身体の中に入った。
そこまでは、幾つかの予測をしていた事の一つだ。
もし、アリスティアの身体に入ったとしても、以前のように身体から出て来た時に、アリスティアの魔力で消滅させれば良いと。
出てくるぞ!
カルロスとオスカーは帯剣している剣に手をかける。
魂に剣は通用しない事は分かってはいるが。
それは窓から矢尻の先を向ける弓兵達も同じ。
自然に戦う体勢になる。
しかしだ。
魂が入った筈のアリスティアの身体は入った瞬間に銀色に輝いたが、その後は何の変化も起きなかった。
そこにはレイモンドとアリスティアが佇んでいるだけで。
「 ……えっ!? 」
ティアに憑依出来たのか!?
「 まさか…… 」
「 そんな……」
カルロスとオスカーは青ざめた。
すると……
アリスティアは片手を天井に突き上げ、クルクルと掌を回し始めた。
もう片方の手はレイモンドと繋がれたままに。
そして……
一瞬にして、皆の目の前から二人の姿が消えた。
***
「 き……消えた…… 」
「 レイがティアと……いや、サラと、いやティアと消えた…… 」
カルロスとオスカーが、二人の消えた場所に駆けて来た。
転がるようにして。
最早何が何だか分からない。
二人が消えた場所には、タナカハナコが倒れているだけで。
「 くそっ! 魔物の奴!時の魔力を使いやがった 」
オスカーは悔しそうに地団駄を踏んだ。
サラが時の魔力を使う事は想定内ではあったが。
アリスティアに憑依出来るとは思わなかったのだ。
「 聖女様は……気を失っているみたいだな 」
カルロスは自分の上着を脱ぐと、床に倒れているタナカハナコの足に掛けて丸出しの足を隠した。
いくらタイツを履いていようが、この時代には有り得ない格好なので。
その時、外にいた騎士達が雪崩のようにサロンの中に駆け込んで来た。
窓から入って来た者もいて。
「 殿下ーっ!」
「 殿下は!? 」
皆が皆、顔を歪めて青ざめていた。
「 殿下は何処へ消えたのですか!? 」
「 一体何が起きたのですか? 」
「 あれが魔物の時の魔力ですか!? 」
騎士達はカルロスとオスカーを取り囲み、恐怖と驚きで戦々恐々としている。
「 慌てるな! 」
「 !? 」
ジョセフの声に一瞬にして静かになり、皆が一斉にジョセフの前で跪いた。
「 団長。そなたは陛下に、皇太子とアリスティア嬢が消えた事を報告しろ! 」
「 はっ! 」
直ぐに立ち上がった団長が、踵を返した所でまたもや跪いた。
「 その必要はない 」
皇帝ギデオンが現れた。
その後ろには宰相ハロルドと国防相もいて。
カルロスとオスカーは騎士達と並んで跪き、立ったままでいるジョセフは少しだけ頭を下げた。
「 陛下! ここは危険でございます!どうか安全な皇宮にお戻り下さい 」
団長が跪いたままに懇願する。
戦いの場で王を失う意味を考えれば、ここにギデオンがいる事は相応しくない。
「 皇太子が出陣し、第一皇子も出陣したとならば、余が一人安全圏にいた所で、我が国の未来はなかろう 」
ここにいる皆に自分の出陣の意味を主張した。
それは、世界を滅ぼす魔物に勝利しなければ、我が国の未来はないと言う皇帝としての覚悟。
「 陛下! 」
ギデオンの出陣に騎士達の士気が上がる。
皇太子殿下が魔物と消えた絶望を絶ち切るように。
「 それで、皇太子とアリスティア嬢が消えたとはどう言う事か? 」
ギデオンは目だけを動かしながら辺りを見回すと、その眼差しはジョセフに注がれた。
交わった視線を直ぐに反らしたジョセフは、オスカーに向かってアゴを上げた。
説明するようにと促しているのである。
その顔は無機質な顔のままで。
オスカーはたった今起こったばかりの出来事を、ギデオンやハロルド達に説明した。
「 魔物が……アリスティア嬢に憑依しただと? 」
「 本当なのか?」
ギデオンは驚き、ハロルドが青ざめた顔をカルロスとオスカーに向けた。
「 魔物はティアには入れなかったのでは無いのか? 」
「 父上……その筈だったんだ 」
ハロルドがカルロスの腕を掴んで詰め寄った。
だからこそアリスティアをレイモンドの護衛を任せたのだ。
以前にサラがアリスティアの身体に入ろうとしたが、それが出来なかったと報告されていたから。
勿論、入れない理由はアリスティアが魔女だからと言う事も聞いている。
「 もしかして……魔物が聖女様から離れたならば、魔物を殺る事が出来るのでは? 」
国防相が絞り出すように呟いた。
その呟きが、皆に次々と騎士達に伝達して行くように広がって行く。
そうなのである。
魔物が聖女に憑依しているからこそ、討伐する事が出来なかったのだ。
聖女は今ここにいる。
気を失ってぐったりと倒れてはいるが、皆は彼女を取り戻した気分になった。
彼女は世界を救う聖女なのだから。
騎士達の顔が希望に満ちた顔になった。
魂は殺れないかも知れないが、憑依している身体ごと殺せば討伐出来るかも知れないと。
ハロルドの気持ちなどで気にも止めないで。
「 おいっ! 」
ティアを殺せと言うのかっ!と、オスカーが防衛相に食って掛かろうとした。
その無駄に立派な口髭をむしり取ってやろうかと思いながら。
しかし。
ハロルドが彼の肩を強く持ち、彼を制した。
首を左右に振って。
その瞳は厳しいものだった。
それ故に、それが一国の宰相の立場なのだと、カルロスもオスカーも肩を落とした。
そう。
万が一の可能性であろうが、それをやってみるしかないのだ。
それがこの四面楚歌の状態の中での、僅かばかりの可能性だとしても。
カルロスの握った拳がプルプルと震え、オスカーはガンッ!と、側にあるテーブルを拳で叩いた。
そして……
ハロルドがギデオンに向かって強く頷くと、ギデオンもまた強く頷いた。
「 後は皇太子に託す 」
ギデオンはそう言ってハロルドの肩をポンと叩いた。
「 魔物が憑依したアリスティア・グレーゼ公爵令嬢を射殺せよ! 」
騎士達に皇命が下された。
***
転生前にも、こんな風に魔女アリスティアの射殺命令を下したのだろうと、カルロスとオスカーは下唇を噛みしめた。
転生前の話の全てがアリスティア目線の話。
なので、皇宮でどんな事が起きていたかは明らかにはなっていなかった。
アリスティアは完全に皇宮から閉め出されていたのだから。
ただ。
魔力を暴走させる魔女アリスティアに射殺命令が下され、その後騎士達によって大聖堂に追い詰められた。
そして……
今にも矢を射られそうな時に、レイモンドが現れたのだと。
今なら分かる。
レイモンドは、時戻りの剣を保管してある大聖堂の地下室からやって来たのだ。
時戻りの剣を手にして。
ギデオンとハロルドと国防相は、団長だけを残して騎士達を一旦外に出し、そしてこの先の打ち合わせをし始めた。
「 余は大聖堂に行く 」
ギデオンの言葉を聞いたカルロスとオスカーは、思わず顔を見合わせた。
陛下は『 時戻りの剣 』を使うつもりなのでは?と。
それはきっとレイモンドに。
先程の「 後は皇太子に託そう 」と言った言葉の意味を考えても。
時戻りの剣は既に存在しないと言うのに。
既に青ざめていた二人の顔は更に血の気が失い、身体の中に冷水が注がれているような感覚になった。
二人は咄嗟にジョセフを見やった。
彼ならば何か打開策があるのではないかと、すがる様な気持ちで。
転生前から今までの事の全てを、ジョセフに告げた事を心底良かったと思いながら。
そんな二人の熱い視線を知ってか知らずか、ジョセフは声を上げた。
「 陛下!話があります! 」
カルロスとオスカーの瞳が輝いた。
いや、輝いたのはギデオンやハロルド、ここにいる全員の胸が高鳴った。
ここにいるのは天才。
きっと最善の策を出してくれると。
「 そなたに何か策があるのか? 申してみよ 」
「 アリスティア嬢は魔女です。それも魔女としてはかなり能力のある魔女です。よってアリスティア嬢の中には魔物は長くはいられない筈です 」
タナカハナコの身体に憑依している時も、表に出て来たり中に入ったりしているのは、完全に身体を乗っとる事が出来てないからで。
魔力の強いアリスティア嬢ならば、魔物の魂は弾き出される事は必須だと、ジョセフは説明をした。
因みに、ここにいる皆はアリスティアが魔女だと言う事は既に聞かされている。
「 ……確かに…… 」
ジョセフの的を得た説明に、ギデオンは頷いた。
「 そうなると……魔物は? 」
ハロルドの問い掛けに答えたのはオスカーだった。
「 聖女の身体に戻って来るしかない! 」
騎士達にソファーに運ばれているタナカハナコを、興奮したオスカーは見やった。
皆が頷いた。
ギデオンもまた。
「 しかし……そうなれば、またもや魔物に手出しが出来なくなるのでは? 」
今度はカルロスがジョセフに聞いた。
次の答えにワクワクしながら。
アリスティアに射殺命令が下された今、グレーゼ親子の目にはジョセフが天使に見えた。
よくよく考えれば、アリスティアの魔力ならば弓矢ごときで殺られる筈はない。
しかし、流石に騎士達から攻撃を受ける事は避けたかった。
これ以上アリスティアを傷付けたくはない。
「 私にある秘策があります 」
「 その秘策とは? 」
ジョセフは無機質な顔のまま窓の外を見やった。
いつの間にか空は日が傾き、オレンジ色の夕焼け空になっていた。
「 この女を異世界に返します」
その無機質な顔は空を凝視したままに。
まるで遠い異世界を見ているかのように。
勿論、この女とは聖女の事だ。
「 憑依出来る身体が無くなれば、魂は行き場を失う。その時に、今度こそ魔女の消滅の魔力で魂を消滅させる 」
「 どうやって聖女を異世界に? 」
「 今は言いたくない 」
それはたった一度しかない可能性だとジョセフは言った。
その後彼は、スタスタとサロンを後にした。
研究室に行くと告げて。
「 そうか……それならば暫し待とう 」
ギデオンの言葉に皆が安堵した。
ハロルドは眉間を押さえながら、フゥゥと大きな息を吐いた。
少しフラついた身体を、カルロスが慌てて支えている。
「 良かった 」と泣きそうになりながら。
オスカーも深い息を吐きながら床にしゃがみこんだ。
アリスティアの射殺命令は、一先ず回避された。
***
オスカーのいれたコーヒーを飲みながら、二人は一息ついていた。
あの後、皇帝陛下とハロルド達は別室の応接室に移動したので、このサロンにいるのはカルロスとオスカーだけとなった。
ソファーには、気を失ったままのタナカハナコが横たわってはいるが。
「 あれ? 婆さん達は? 」
いつの間にか婆さん達の姿は消えていて。
セドリック王の姿になったまでは、婆さん達の存在を確認してはいたが。
「 何処かで昼寝してるのかも 」
昼寝は婆さん達のルーティンなのだからと、二人はクスリと笑った。
「 なあ、オスカー。サラの行き先がわかるか? 」
「 多分だが……大聖堂だろうな 」
大聖堂にやけに拘っていた事から、あの地には何かあるのだろうと。
ジリジリと時間が過ぎて行く中で、カルロスとオスカーは気を紛らそうと色んな話をしていた。
今、レイモンドとアリスティアがどうしているのかと思えば、悪い方にばかり考えてしまうので。
「 昨夜、殿下に転生前の話をしていて良かったと思うよ。お前のお陰だ 」
オスカーがレイモンドにヒントを与えたのが価千金だった。
「 そうだな。もう時戻りの剣は無いからな 」
陛下も時戻りの剣を使おうと思っていた程だ。
レイモンドが何も知らないでいたら、きっと彼も時戻りの剣を使う決断をするだろうと。
もう二度とやり直しは出来ない。
それを知ってるか知らないのとでは、対処が全く違う筈。
今、実際に起きている事は、それ殆までの一大事なのだと思うと、身体に震えが走る。
大丈夫だ。
今生はアリスティアの傍には殿下がいる。
それに皇子殿下もいる。
「 大丈夫だ。きっと上手く行く 」
二人は呪文のように何度も何度も呟いた。
「 それにしても……ティアが魔物説は本当だったな 」
突然にカルロスがクックと笑った。
「なっ? 俺の言った通りだろ? 」
オスカーはずっとアリスティアが魔物かも知れないと言っていて。
「 まさか魔物がティアに憑依するとは思わなかった 」
オスカーは苦笑いをした。
急転直下で起こる様々な出来事についていけない。
自分達はただただ傍観者でいるしかなくて。
それに立ち向かわなければならない立場であるレイモンドとギデオンとそしてジョセフ。
皇族ってやはり凄い存在だと。
カルロスとオスカーは改めて思うのだった。
そして……
そんなレイモンドをひたすら愛し、守るアリスティアは、皇太子妃に相応しいと思わずにはいられない。
「 全ての方がついたら、ティアを皇太子妃と呼ばなきゃならないな 」
「 ああ……世界最強の皇太子誕生だ! 」
二人はそんな未来を嬉しそうに話した。
そんな未来が来れば良いと思いながら。
そして……
すっかり暗くなった空に星がキラリと光る頃。
空が突然に銀色に光った。