兄妹の集結
「 それで? 」
寝室から出て来たジョセフ第一皇子が、ソファーに座るレイモンドとアリスティアを見て怪訝な顔をした。
「 何故ここにいる? 」
「 お早うございます 」
二人は直ぐに立ち上がり、レイモンドはジョセフに笑みを浮かべ、アリスティアはソファーの脇に移動をしてカーテシーをした。
レイモンドとアリスティアは朝食を食べ終わるや否や、ジョセフに会う為に皇宮にやって来ていた。
ここは皇宮にある客室。
訪国して来た他国の王族が滞在する部屋であるが、離宮に魔物が現れた事から、ミランダ妃とジョセフ皇子は皇宮の客間に避難していた。
部屋には侍従や侍女はいない事から他の用事をしに行ったのだろう。
皇太子宮もそうだが、皇族の世話をする為の極僅かな使用人達しか今はいない。
「 兄上!今日は朝から良い天気ですよ 」
「 兄上?昨夜は遅くまで研究ですか? 」
「 兄上は今は何の研究されているのですか? 」
ジョセフに矢継ぎ早に質問をするレイモンドは、まるでジョセフと絡む事が嬉しいかのようにすっかり弟の顔になっている。
兄上、兄上と。
最近、何かと話をするようになった事から、こうして話をする事が嬉しくてたまらないのだ。
その顔は、皇太子として生きている彼が決して他所では見せない顔。
それはアリスティアと一緒にいる時でさえも。
ジョセフを見れば……
迷惑そうな顔をして面倒くさそうに返答をしているが。
だからと言って、部屋から追い出すような言葉は言わないでいる。
アリスティアはホッとした。
こんな朝っぱらから、ましてや前触れなしにジョセフに会いに行きたいと言ったのはアリスティア。
もしかしたら追い出されるかも知れないと思ったからで。
既に太陽は高い位置にあり、窓から降り注ぐ陽の光は二人の髪をキラキラと輝かせている。
柔らかな顔のレイモンドよりも少しキツイ眼差しのジョセフ。
瞳の色こそ違うが、二人はやはりよく似ているとアリスティアは思うのだった。
その時。
コンコンと扉がノックされ、ジョセフの「 入れ! 」と言う言葉で侍従と侍女が入室して来た。
彼等は朝食を運んで来た。
ガタゴトとワゴンを押して。
使用人が少ないから何かと忙しい。
「 まあ! 皇太子殿下!?」
「 それに……アリスティア様も…… 」
あらあらまあまあと頭を下げた二人は、レイモンドがここにいる事を驚き、そして喜んだ。
ジョセフの部屋にレイモンドがいるなんて初めての事。
直ぐに二人の朝食を持って来ると言って。
「 いや、僕達は今、二人で朝食を済ませて来た所だ 」
「 !? 」
あらあらまあまあと、侍従と侍女は「 おめでとうございます 」とレイモンドとアリスティアに頭を下げた。
そう。
エルドア帝国は男女の二人が朝食共にすれば、それは一夜を共にしたと見なされるのである。
「 へえ…… 」
ジョセフは目を眇めながらレイモンドを見やった。
そしてその視線をアリスティアに向けると、アリスティアと目が合った。
「 それがね。なーんにもしてくれなかったのよ! 」
アリスティアはそう言って口を尖らせた。
ジョセフは少しばかり目を見開き、ダイニングテーブルの上にカトラリーをセッティングしていた侍従の手が止まった。
ポットのお湯をカップに注いでいる侍女の手も。
「 わたくしは抱いて欲しかったのよ。でも、レイは結婚式を挙げないと駄目だって言うの…… 」
「 なっ!……ティア! 君は何を言い出すんだ!? 」
「 爺が呟いていたのを聞いたわ。その立派なものは飾り……フガフガ…… 」
レイモンドが慌ててアリスティアの口を塞いだ。
マルローが退室する時にブツブツ言っていたのを、地獄耳アリスティアは聞いていたのだ。
因みに、アリスティアもマルローの事を爺と呼んでいる。
「 女の子がそんなハレンチな事を言うものではない! 」
「 だって、見たいじゃない!その立派な……フガフガ…… 」
「 まだ言うかっ! 」
レイモンドに羽交い締めにされたアリスティアは、口を塞がれてジタバタともがいている。
アハハハハハ。
ジョセフが腹を抱えて笑い出した。
眉を下げて、大口を開けて。
ジョセフ皇子殿下がこんなに笑うなんて。
同じ事を思ったレイモンドとアリスティアは、二人で顔を見合わせた。
アリスティアの口はレイモンドの手で塞がれたままに。
侍従と侍女も驚いた顔をしている。
この二人もアリスティアの言葉に、ブッと吹いてしまっていたが。
あらまあ!?
ジョセフ皇子殿下がこんな風に笑うのは初めて見ましたわ!
気難しい猫を手懐けたい欲求が強くなったアリスティアは、目をキラキラと輝かせた。
それを見たレイモンドが慌ててコホンと一つ咳をした。
アリスティアにこれ以上変な事を言い出されてはたまらない。
レイモンドは早々に話題を変えた。
「 兄上!カルロスとオスカーも、この後、ここに来る事になっております」
「 何だと? 」
「 魔物に関する事で……兄上の助けが必要なんです 」
レイモンドが侍従と侍女にお茶の準備の指示をすると、二人は嬉しそうに出て行った。
そんな二人と入れ替わりに、カルロスとオスカーが入室して来た。
レイモンドとアリスティアがここに来る前に、オスカーにカルロスを連れて来るように伝えていたのだ。
二人共に昨夜は公爵邸には帰宅はしていない。
いや、もう随分前から。
それは宰相ハロルドや他の大臣達も同じで。
正解の分からない魔物の対処法に、皆は議論を交わしているのだ。
「 皇子殿下。急を要する事態なので無礼をお許しください 」と言いながら、二人はジョセフに向かって深く頭を下げた。
ジョセフはカルロスよりも一歳年上だ。
学園時代は同じ学舎にいた筈なのだが、特進クラスにいた彼の姿は殆ど見る事はなかった。
お茶と軽食を運んで来た侍従と侍女が下がると、賑やかな朝食が始まった。
カルロスとオスカーも軽く朝食を済ませていたが、大皿に乗った軽食のサンドウィッチに手を伸ばしている。
皆が食べれるようにと侍女が気を利かせ、沢山のフルーツも大皿に盛り付けられていた。
レイモンド、カルロス、オスカー、そしてジョセフの四人は同じ食卓についていて。
こんな風に、食事をしながらの会議はたまにあると言う。
アリスティアは邪魔をしないようにソファーに座り、そんな四人を感慨深く見ていた。
侍女がいれてくれた紅茶を飲みながら。
何時の事だったか、レイモンドはカルロスとオスカーの関係が羨ましいと言った事があった。
それは寂しそうな顔をして。
実の兄がいると言うのに。
だけど……
「 最近は兄上も会議に出て下さるんだ 」
とても嬉しそうな顔をしていた。
今、国中が一丸となって挑まなければならない非常事態だ。
政治に興味のないジョセフも、やはりスルー出来ない事だった。
「 レイ。良かったね 」
食卓に四人で向かい合って座り、熱心に話をする姿を見ているアリスティアは、そう小さく呟いた。
そこには次世代の……
エルドア帝国を統べる男達の姿があった。
***
「 ではティアの考えを述べなさい 」
将来の宰相候補のカルロスがこの場を取り仕切っていく。
食事を終えた四人は、アリスティアの座るソファーに移動していて。
朝食時にレイモンドに伝えた事を、アリスティアはもう一度皆に話した。
サラは、自分に魅了の魔力が備わっている事は知らないと言う事。
時の魔力を放つ時は、手を頭上に上げて掌をクルクル回す事から考えても。
サラが魔力を放つ姿を見たのはアリスティアしかいないのだから、これはもう信じるしかない。
レイモンドは何度も居合わせてはいるが。
彼も魅了の魔力に掛かっている事から覚えてはいない。
「 じゃあ、魅了の魔力は一体何なんだ? 」
俺もレイも民衆もあの魅了の魔力に陶酔したぞと言って。
それは聖女が街中で演説した時。
確かに民衆は皆彼女に陶酔していた。
その事から、あの時既にタナカハナコに憑依していたと考えられるとレイモンドも言った。
そう。
何時ものマヌケな顔付きの聖女ではなかったのだから。
ただ。
レイモンドだけは、あの時もアリスティアに無性に会いたくなっていたと言った。
「 レイはわたくしを大好きなのね 」
アリスティアが喜んだのは言うまでもない。
「 ジョセフ皇子殿下はあの小屋で作った薬の失敗作をどう処理しましたか? 」
「 ……私は失敗はしない 」
ジョセフは無機質な顔のままに、カップに入ったコーヒーを静かに飲んだ。
質問を間違えた。
誰もがジョセフの顔を見てそう思った。
天才の自尊心を傷付けてはいけないと。
「 あら?失敗を恥じるものではありません事よ 」
アリスティアも薬師の端くれだ。
失敗を重ねた先に良薬が完成する事は、身を以て知っている。
「 だから!失敗をした事はない 」
ジョセフは少し語気を強めた。
しつこいアリスティアに皆がヒヤヒヤしている。
「 じゃあ、質問を変えますわ。より良いものが出来た時には、以前の物をどうしましたか? 」
どう?
これなら自尊心を傷付けられないわよね。
フフンと目を眇めながらオスカーを見ると、オスカーはナイスとばかりに親指を立てた。
「 ……危険薬以外は畑の肥料にした 」
「 やっぱりですわ! 」
期待していた言葉が出た事で、アリスティアはポンと手を叩いた。
そう。
アリスティアが見た小屋の周辺にある畑には、永く手入れもしていないのに沢山の薬草が生い茂っていた。
薬草を育てるのは難しい。
じゃが芋を育てるのとは訳が違うのだから。
「 その媚薬を、近くにある魔木が魅了の魔力に変えたのですわ 」
その魔木はサラが眠っていた大木。
だから、魅了の魔力がサラの知らない内に彼女に備わったのだと言うのが、アリスティアの考えだ。
成る程と皆は頷いた。
「 それで私に何をして欲しい? 」
「 サラの魅了の魔力を消す薬を作って頂きたいのです 」
魅了の魔力は本来のサラの能力ではないのだ。
だとしたら、もしかしたら消し去る事が出来るかも知れないとアリスティアは言った。
「 今から兄上に魅了の魔力を消し去る薬を作れと? それはいくら天才の兄上でも無理だろ?その間にサラが完全体になったら…… 」
別の事を考えた方が良いとレイモンドは首を横に振った。
カルロスとオスカーもそうだと頷いている。
アリスティアは禁忌の薬を作った発明者の性に期待した。
そう。
毒薬を作ったのならば……
必ずや解毒剤も作るのが……薬師だ。
アリスティアは期待を込めた目でジョセフを見つめている。
ジョセフはそんなアリスティアを見てフッと笑った。
「 その薬……あるよ! 」
「 えーーっ!!! 」
皆が一斉に叫び、アリスティアは思わずソファーから立ち上がった。
「 良かった 」
立ち上がっていたアリスティアはその場にヘナヘナと座った。
「 サラが魅了の魔力に気付く前に封印しなければならないと思うの。彼女が完全体になればレイが……レイが彼女を…… 」
そこでアリスティアが涙目になった。
辛そうな顔をしたレイモンドは、アリスティアの手を握り締めている。
そう。
サラの目的は皇太子妃になる事。
今は魅了の魔力が掛かっても、その想いはアリスティアに向けられているが。
彼女が完全体になればどうなるかは分からない。
もう。
あの、結婚式のようなレイモンドは見たくない。
タナカハナコにキスをする姿など。
アリスティアのヘーゼルナッツ色の瞳が赤くなる。
ミルクティ色の髪がフワフワと宙に浮く。
「 うわーっ! !ティア! 」
皆が立ち上がり慌てたが、アリスティアは妖しく微笑んだ。
その美しさにドキリとする。
魔女になったアリスティアはそれはそれは美しい。
誰もを恍惚状態にする程に。
刹那!
レイモンドがアリスティアを掻き抱いて、彼女の顔を自分の胸に押し当て隠した。
この美しい魔女は誰にも見せたくはない。
特に兄上には。
ジョセフがアリスティアを求めたら、ギデオンはアリスティアをジョセフの妻にするだろうと言う懸念が、レイモンドにはずっとあるのだ。
「 大丈夫ですわ。わたくしはもう魔女として極めていますのよ。魔力のコントロールは完璧ですわ 」
レイモンドの胸から顔を離したアリスティアは、レイモンドを見上げホホホと笑った。
「 おい! ここでラブシーンをおっ始めないでくれよ! 」
レイモンドが口付けをする事で、アリスティアの魔力を鎮める事をオスカーは知っている。
ジョセフが瞬時に無機質な顔になった。
だけど。
彼の紫の瞳が熱く揺れたのを、レイモンドは見逃さなかった。
それは今まで見た事のない兄の……
アリスティアを見つめる甘い顔だった。