閑話─爺の憂い
レイモンドの侍従のマルローは何度も何度も首を横に振っていた。
「 あり得ない 」「 この根性なしが! 」と不敬な言葉をぶつぶつと呟いて。
朝食をアリスティアと共にするレイモンドは、ダイニングの椅子に座り、アリスティアが来るのを待っている所だ。
それはそれはご機嫌で。
カップに入ったコーヒーをゆるりと飲みながら。
レイモンドはそんな姿一つですら美しい皇子だ。
マルローはそんな主君を見ながら眉を顰めている。
白髪の交じった口髭をいじりながら。
昨夜遅く、レイモンドに呼ばれたマルローが部屋に行くと、天涯付のベッドの中にアリスティアがいる事を告げられた。
カーテンが引かれていたから姿こそは見えなかったが。
なので。
レイモンドの湯浴みの手伝いをしたマルローは、期待を込めてレイモンドをアリスティアがいるベッドに送り込んだ。
その立派なものがやっと暴れる時が来たのだと、ワクワクして。
老い先短い老人の望みは、皇子の誕生。
この手で皇子を抱く事が最大の夢なのである。
順番など多少違ったとしても。
その皇子を産む皇太子妃が、ずっと主君の婚約者であった彼女ならば願ったり叶ったりだと。
なのにだ。
「 殿下……爺は情けない思いでいっぱいですぞ 」
好きな女と一晩中ベッドで寝ていたと言うのに、手を出さなかった事をマルローは嘆き悲しんでいるのだ。
その立派なものは飾りなのかと。
女性ならば、誰もが一目で恋に落ちる程の様相を持ち、誰もが欲する彼は、アリスティアが生まれた時に結ばれた婚約者だけを一途に想い続ける男だった。
侍女頭であり、レイモンドの乳母であった娘のロザリーは、それを好ましく思ってはいるが。
マルローとしては少しばかりは遊んでも良いのにと思っていた。
自分がこれ程の様相を持ち合わせていれば、遊びたい放題するのにと。
ただ。
それがレイモンドならぱ、遊んだ女を全て妃にしないといけない立場なのが難点なのだが。
「 アリスティア様を妃にするのですから、今、結ばれても問題はないでしょうに 」
「 爺!しつこいぞ!こんな時なのに、どさくさ紛れみたいな形でティアを抱きたくはない 」
「 こんな時だからこそ、しっかりと結ばれておく必要があるのですぞ! 」
そう。
レイモンドがアリスティアを大切にして来た事は分かっている。
それはもう真綿に包むようにして。
マルローはずっとそんな二人を見て来たのだから。
アリスティアがレイモンドの護衛を務める命が陛下から下された時に、彼女が魔女だと言う事をレイモンドから聞かされた。
それはマルローとロザリー親子にだけに秘密裏に。
それにより、レイモンドとアリスティアの不可解な婚約解消の真相が、彼等も理解出来たのである。
アリスティアが突然消えた半年間。
レイモンドがどれ程辛い想いをしていたのかを、マルローやロザリーは身近で見ていた。
忙しい公務の合間に彼女がいる魔女の森に何度となく足を運び、肩を落として帰城する主君を見ていると、何も言わずに消えたアリスティアを憎いとさえ思う事もあった。
悪役令嬢と噂される程に主君だけを愛していた彼女が、突然レイモンドの前から消えた理由が理解出来なかった。
それが彼女の何らかの病気だと言われても、どこからどうみても元気で。
寧ろこの半年間で逞しくなっていて。
魔女の森では、鶏を二羽両脇に抱えていたとレイモンドから聞いた時は驚いた位で。
しかしだ。
それは彼女が魔女になったからだとしたら、全てを理解する事が出来た。
魔女を皇太子妃にするなど、陛下がお許しにならなかったのだと。
マルローとロザリーも、やはり魔女が皇太子妃になるのは無理だと納得をしたのだ。
「 情けない事に、僕はティアがいないと駄目なんだ。ティア以外の女性は必要ないんだ。彼女と共に歩く未来しかないんだ 」
だから魔物の事が片付いたら、直ぐにアリスティアと結婚をするとレイモンドは言った。
「 それに……ティアを24時間僕の護衛にすると父上が言うからには、ティアを皇太子妃にするのを認めてくれたからだと思うんだ 」
そう言って嬉しそうに笑うレイモンドに、マルローとロザリーは言葉を失った。
もしかしたら。
二人の未来など無いかも知れないから、陛下はそんな命を下したのかも知れないと。
魔物が狙っているのは皇太子であるレイモンド。
そして……
この国には第一皇子がいる。
我が国を魔物から守る為に、陛下は非常な決断を下したのでは無いのかと。
アリスティアは魔女。
魔力を持った。
今から……
皇太子殿下を巡る魔物と魔女の戦いが始まるのだ。
だからこそ。
マルローは思ったのである。
昨夜は結ばれて欲しかったと。
ダイニングにアリスティアがやって来た。
侍女頭のロザリーと共に。
今朝、登城して来たロザリーがアリスティアの湯浴みを手伝ったのである。
何だか気恥ずかしそうに向かい合う二人。
本来ならば……
昨日が結婚式であり、昨夜は初夜だった筈。
「 殿下にはあの立派なものを暴れさせて頂きたかった 」
「 お父様! もう、黙って下さい!」
まだしつこくブツブツと呟いているマルローを、ロザリーが引き摺るようにして下がって行った。
幸せそうに話をする二人。
そんな二人に目を細めながら、ダイニングの扉をパタンと閉めた。