二人で朝食を
それは清々しい目覚めだった。
最近にはない程の。
毎夜ではなくなったがやはり悪夢は見続けていて。
アリスティアはそれを自分の戒めとして感受している。
自分の犯した罪を忘れないようにと。
フワフワとして。
何だか暖かくて。
良い香りがして。
何だか窮屈だわ。
?窮屈?
アリスティアはゆっくりと目を開けた。
カーテンの掛かった部屋は薄暗いが、天蓋付きのベッドの中も薄暗い。
「 ……… 」
昨夜はレイモンドの執務室のベッドで眠った事は覚えている。
レイの寝室のベッドだわ。
わたくしを運んでくれたのね。
窮屈なのはレイモンドに抱き締められているから。
良い匂いもレイモンド。
それに……
こんなにもスッキリしているのは、レイモンドに全てを話したから。
嘘を吐き続けている事が、こんなにも苦しいとは思わなくて。
アリスティアはレイモンドの胸に顔を埋めた。
スリスリスリスリ。
幼い頃はよくこうして彼に甘えていたものだ。
スリスリスリスリ。
すると……
レイモンドの逞しい胸が揺れた。
「 ティア。くすぐったいよ 」
「 起きてたの?ウフフ……わたくしはレイを守っていますのよ 」
「 そうなんだ。こんな可愛い事をしてくれる護衛が傍にいて僕は幸せだ 」
レイモンドは腕の中にいるアリスティアの頭に唇を寄せた。
昨夜のアリスティアの話は想像を絶するものだった。
時戻りの剣のキーワードが出ていた事から、既にある程度は覚悟はしていたのだが。
まさか本当にこんな事が起きていたとは思ってもいなかった。
昨夜はずっと、アリスティアの存在を確かめるように抱き締めて眠ったのだった。
レイモンドの腕の中から起き上がったアリスティアは、自分のドレスのボタンが外れているのに気が付いた。
腰のリボンも解けている。
アリスティアが胸のボタンに手をやっているのを見て、レイモンドも上半身を起こす。
「 ごめん。深夜を過ぎていたからロザリーを呼べなくて」
魔物が皇宮に現れた事で厳戒態勢に入った事で、皇宮にいるのはごくわずかな使用人だけとなっていて。
皇太子宮にいるのも侍従のマルローと侍女頭のロザリーの他にはシェフがいるだけとなっている。
夜はマルローだけがレイモンドの世話をしていて。
まさか侍従のマルローにアリスティアの世話をさせる訳にはいかない。
ドレスのシワを見ながらアリスティアは眉をひそめている。
公爵令嬢のドレスは高級品だ。
舞踏会用の豪華なドレスでなくとも。
「 レイが脱がせてくれても良かったのに 」
「 そんな訳にはいかない 」
「 あら?わたくしはレイのお嫁さんになるんでしょ 」
「 だから、結婚式を挙げるまでは…… 」
「 もうそんなものに拘らなくても良いと思うのよ。わたくしを抱いてくれても良いのよ? 」
「 ティア! 僕は君を世界一幸せな花嫁にしたいんだ! 」
あの大聖堂のバージンロードを、一点の曇りもなく君と歩くのが夢なんだと。
国民から祝福される結婚したいのだと。
「 ……… 」
アリスティアの顔がみるみる内に歪んでいく。
「 えっ!? 何?ティア? 」
「 レイは……レイはもうタナカハナコとバージンロードを歩いたわ 」
二人で腕を組んで並んで歩いて行った。
わたくしの横を。
アリスティアの大きな瞳からポロポロポロポロ大粒の涙が零れ落ちた。
レイモンドは、アリスティアの両手を掬い取って握り締めると、優しく言い聞かせるように話をした。
「 ティア。もうそれは無い事なんだよ。今生は君が……君が母上を助けてくれたから僕は嫌な事をしなくて済んだんだ 」
「 ……嫌な事?」
「 そうだよ!嫌に決まってる。僕は君と結婚をしいんだよ? それは君が生まれた時からずっと……楽しみに…… 」
辛そうな顔をしているアリスティアを見ている内に、レイモンドの声が小さくなっていく。
転生前の自分は一体何をやっていたのかと思わずにはいられない。
アリスティアをこんなにも傷付けて。
だけど……
アリスティアを傷付けたのは自分なのだ。
どんな理由があったにせよ。
「 ごめん 」
アリスティアの肩に自分の頭をコツンと付けた。
だけど……
次の瞬間、アリスティアは顔を上げ胸を張った。
涙を指先で拭いながら。
この切り替えの早さがアリスティアの強さ。
「 そうよね! 嫌に決まってるわ! レイはわたくしを大好きなんですものね! 」
昨日。
サラにキスを迫られたレイラモンドが、身体を仰け反らせていた事を思い出した。
結婚式での誓いのキスは、多分、魅了の魔力を掛けられていたに違いない。
そう思う事で気持ちが軽くなるのだ。
真実はもう分からないのだから仕方がない。
「 ティア!魔物の事を終わらせたら直ぐに結婚式をしよう」
「 ……ウェディングドレスはどうするの?……作って無いわよ? 」
「 急いで作らせるよ 」
皇太子の権限を駆使すると笑って。
そう。
結婚式は昨日だった。
それは転生前も、今も。
アリスティアはレイモンドの首にそっと手を回して抱き付いた。
レイモンドもアリスティアの腰に手を回し、二人はそのまま暫く抱き締め合っていた。
ただ黙って。
そんな日が来るのかと思いながら。
魔物を討伐出来たとしても。
二人の未来は困難でしかなかった。
それは…
レイモンドが皇太子でいる限りは。
***
カチャリ。
レイモンドの待つダイニングにアリスティアがやって来た。
アリスティアが着ているドレスや下着はロザリーが準備していた物。
何時かはこんな朝が来るだろうと。
「 レイ!お待たせ 」
アリスティアが着ているのは可愛らしいピンクの花模様のドレス。
キリリとした美人顔のアリスティアはあまり着ないドレスだ。
ロザリーの趣味。
背伸びをして大人っぽいドレスを着ているアリスティアに、可愛らしいドレスを着て欲しくて。
髪をアップして共布のリボンをヘアーバンドにしたら、とても可愛らしい。
レイモンドは直ぐ様立ち上がりアリスティアの元へ歩いて来た。
アリスティアの後ろから来たロザリーが、レイモンドの綻んだ顔を見て小さくガッツポーズをしている。
アリスティアの元に、歩いて来るレイモンドの髪がキラキラと輝いている。
窓からの朝日を浴びて。
何時見ても美しい皇子様だ。
顔もスタイルもその所作までもが完璧な。
レイモンドがアリスティアの前に立つと、アリスティアはカーテシーをした。
「 皇太子殿下と朝食を共にする事を光栄に存じます」
「 ああ。僕も光栄だ 」
何だか気恥ずかしくて二人ははにかんだ顔をして。
エルドア帝国では、男女の二人だけで朝食を共にすると言う事は一夜を共にした事を意味する。
そう。
長い婚約期間でも、二人で夜を共にした事は初めてで。
勿論、朝食は二人で一緒に食べた事はない。
何だか気恥ずかしい。
一夜を共に過ごしはしたが、やってはいないのに。
レイモンドの差し出したエスコートの手に、アリスティアはそっと自分の手を重ねた。
大きな窓から降り注ぐ陽の光が、見つめ合う二人を優しく照らしていた。
向かい合った席に座った二人は、嘸かし甘い話をしているのかと思えば。
やはりそんな場合ではなく、二人の話はのっけから魔物関連の話だ。
今回、皇帝陛下から皇太子殿下の護衛の命を受けたアリスティアは、その任務に恐ろしく積極的だった。
今までは、ただただタナカハナコとレイモンドの邪魔をしていただけで。
それは偶然だったり必然的ではあったのだが。
「 サラは自分に魅了の魔力がある事は知らないみたいなの 」
「 そんな事があり得るのか? 」
アリスティアは自分の見解をレイモンドに話した。
それはあくまでも憶測なので、確かな事ではないと付け加えて。
サラの魂は離宮の庭園の奥にある大きな木に宿っていた。
魔女の魂が宿った木は魔木となり、サラの魂は魔女の森にいる木々に分霊された。
「 あの木達は……サラの魂が分霊したから動いていたのか…… 」
「 ええ。皆がレイに好意を寄せていたのも、サラの魂だからと思う 」
レイはセドリック王の生まれ変わりだからと。
確かにそうだ。
あの木達からは忠誠心を感じた。
「 特にあのクネクネした木はサラの恋心の影響が大きいのかも 」
あの木は確実にレイモンドに恋をしていたのだ。
「 阻止して正解だったわ! 」
「 君の嫉妬が嬉しかったよ 」
アリスティアとクネクネした木のバトルを、レイモンドは見ていて。
木にさえも嫉妬をするアリスティアが、可愛くて愛しくて。
「 話がそれたわ 」
サラの魅了の魔力なんだけどと言って、アリスティアは焼き立てのクロワッサンをちぎって口に入れた。
リタ達に食べさせて上げたいと思いながら。
「 あそこにはジョセフ皇子殿下の小屋があったでしょ? 」
「 あったね 」
君が消滅させたけどねとレイモンドはクスリと笑う。
「 皇子殿下はあの小屋で媚薬を作っていたでしょ?」
「 ……そうだね 」
レイモンドが辛そうな顔をした。
そう。
これは悲しい出来事。
ここには二人以外は誰もいないが。
人払いをしていても誰が聞いているかは分からない。
アリスティアはレイモンドの傍にツカツカと歩いて行き、彼の耳に手を当ててヒソヒソと話をした。
「 だからね。皇子殿下が作ったその媚薬が、サラの宿る大木に掛けられたのではないかしら? 」
「 …… 」
「 あの木は魔木だから、サラの知らない間に魅了の魔力になったのではないかしら……レイ? 」
「 ……好きだ 」
「 えっ!? 」
レイモンドがアリスティアの正面から腰に手を回して来た。
何?急に。
まさか。
サラの魅了の魔力!?
レイモンドは魅了の魔力を掛けられると、アリスティアが恋しくなるのだ。
アリスティアは仰け反りながら、キョロキョロと辺りを見回した。
そして、素早くレイモンドの膝の上に乗った。
これは重石だ。
連れて行かれないようにと。
「 出て来ないわね? 」
アリスティアは辺りを警戒する。
レイモンドの膝の上にお尻を乗せたままに。
「 良い香りがする 」
「 えっ!?」
レイモンドを仰ぎ見たアリスティアは、マジマジとその美しい顔を観察をした。
レイモンドは甘い甘い顔をアリスティアに向けている。
「 魔力は掛けられてはいないよ 」
頭はボーッとしていないと言いながら、レイモンドはアリスティアの顔中にチュッチュッとキスを落として来た。
「 しらふなの!? 」
「 ……しらふ… 」
プッと吹き出したレイモンドは、更にアリスティアを抱き締めて来た。
可愛い可愛いと言って。
「 こんな時に何なの! ?」
「 ティアの甘い香りは興奮する 」
「 興奮? 」
何だかお尻の下が……
いやらしいと言って、レイモンドの膝の上から離れようとしたが、レイモンドは離さないとばかりに自分の膝の上にアリスティアを引き寄せた。
「 抱いてくれと言ったのは誰だ? 」
「 今は食事中だわ! 」
顔を真っ赤にして怒るアリスティアが可愛い。
何とかしてレイモンドの膝の上から逃げようとするアリスティアと、逃がさないぞとばかりにアリスティアを抱え込むレイモンドの攻防戦が始まった。
それは……
二人の束の間の楽しい時間。
キャアキャアと笑い合って。
この日は太陽の光がやけに眩しい朝だった。
そして……
今宵は新月。
何かが起こるのは何時も新月の日。
それは月が消える夜。
アリスティアは、二人だけの朝食のひとときを楽しむのだった。
不安と恐怖を胸に抱きつつ。
最初で最期になるかも知れないと。