皇太子殿下の贖罪
時戻りの剣により転生して来たアリスティアは、あの後、気が付けば魔女の森にある湖で溺れていた。
アリスティアはその時にリタに助けられたのだと。
それが記者会見の日の朝。
やはりあの朝だったのかと、レイモンドは頷いた。
これで最大の謎が解き明かされたのだ。
「 朝日を浴びただけで、突然魔女になんかなる筈はないよね? 」
そんな適当な嘘を信じてはいなかったが。
魔女という実態が分からない以上は信じるしかなかった。
レイモンドはアリスティアの鼻を指先で摘まんだ。
「 僕に嘘を吐くなんて悪い子だ 」メッ!と言いながら。
「 ご免なさい…… 」
それからは嘘ばかりで辛かったと、レイモンドに摘ままれた鼻を触りながらアリスティアは肩を竦めた。
アリスティアはレイモンドの膝の上に乗せられていて。
レイモンドの大きくて逞しい腕の中にいる事が心地好かった。
泣き疲れた身体がフワフワとしている。
記録簿には時戻りの剣の事が記載されている。
レイモンドはそれを確認しながらアリスティアの話を聞いていて。
「 これはリタから聞いた事? 」
「 ええ。時戻りの剣は使用した者が願った時間に戻るみたいね 」
リタは何千年も生きている妖精。
それは最近分かった事で。
よくよく考えれば、魔女は何千年も生きないのにリタが魔女である筈がない。
魔女は人間なのだ。
ただ、魔力を持った人間だと言うだけで。
「 レイは、記者会見の日の朝にわたくしを戻したかったの?」
アリスティアレイモンドの顔を覗き込んだ。
アリスティアはそれが謎だった。
何故転生した日があの記者会見の朝だったのかと。
「 どうしてあの朝に転生させたかったの? 」
「 …… 」
レイモンドはうーんと言いながら顎に手をやった。
「 ティアは記者会見を経験したんだよね? 」
「 そうよ。皆に囲まれて……とても幸せな時間だったわ 」
転生前は、その時の二人の姿絵を自分の部屋に飾っていたのだと言って、アリスティアはすこし寂しそうな顔をした。
それはお揃いのロイヤルブルーの衣裳を着て、互いの頬を寄せ合っている姿絵。
「 ……何だか悔しいな 」
僕も楽しみにしていたんだよと、レイモンドは残念そうな顔をした。
そう。
今生は、アリスティアが記者会見をドタキャンしたからレイモンドは経験していない事で。
「 きっとその日が……僕の幸せな日でもあったんだろうね 」
そう言って、レイモンドを仰ぎ見ているアリスティアの唇に自分の唇を落とした。
暫く魔女の森での話を聞いてる内に、アリスティアの頭がコックリコックリと揺れ出した。
「 それでね……リタ様が……あの……ね…… 」
ずっと秘密にしていた事をレイモンドに話せた事で、アリスティアの心は軽くなっていた。
自分の犯した罪は決して許される事ではないけれども。
瞼は重くてもう開けられなくて。
そんなアリスティアをレイモンドは優しく抱き上げた。
「 後はカルロスとオスカーから聞くから、ティアはもう寝なさい 」
「 ……うん……ここからは……その方が良いわ 」
転生後はカルロスとオスカーが頑張っただけで。
自分はレイとタナカハナコの邪魔をしただけだと言ったアリスティアは、そのまま眠ってしまった。
可愛い寝息を立てている。
レイモンドは部屋の奥にアリスティアを運んだ。
ここには仮眠用のベッドがある。
カルロスとオスカーからも詳細を聞かなければならない事から、今、自分の部屋のベッドに連れて行く訳にはいかない。
サラが狙っているのは自分だが、危険なのはアリスティアだ。
彼女にとってはアリスティアこそが邪魔な存在。
それは……
僕がティアを愛しているから。
ギデオンもハロルドもそれを分かっていたから、アリスティアをレイモンドの傍に置いたのだ。
護衛と称して。
本当に守られているのはアリスティアだった。
***
カルロスとオスカーは隣のオスカーの執務室にいた。
聞こえて来る二人の会話を静かに聞いていた。
少しだけドアを開けて。
昨日。
オスカーはわざとアリスティアの転生の話をした。
時戻りの剣の話もレイモンドに聞こえるように。
彼が隣の執務室から聞いていたのを知っていたからで。
オスカーはずっと思っていた。
転生前の事をレイモンドは知らなければならないと。
勿論、知ってしまえばレイモンドを苦しめる事になるだろうが。
自分が大罪人だと苦しんでいるアリスティアを、救えるのはレイモンドだけなのだと。
「 僕が君を魔女にしたんだね 」
「 ええ。わたくしの嫉妬は、思っているよりも凄かったわ 」
「 ……魔女なんかにしてごめん 」
「 あら?魔女はお嫌い? 」
「 ……す……好きに決まってる! 」
慌てるレイモンドの声がした後に、クスクスと笑い合う二人の声が聞こえて来た。
良かった。
オスカーは、レイモンドの部屋に続く扉をパタンと閉めた。
ホッとしたような顔をしたオスカーに、カルロスは眉をひそめながら聞いた。
「 お前、殿下に何か仕掛けたな? 」
「 まあね。だけどレイはちゃんと受け止めたようだ 」
「 ああ、我らが皇太子殿下はお優しいお方だが、気弱じゃないからな 」
オスカーと違って、カルロスはレイモンドに転生前の話をする事には難色を示していた。
しかしだ。
魔物が現れた今は、知って貰って良かったと思うのだった。
現れた魔物こそが……
時戻りの剣を作った古の魔女なのだから。
カルロスは近々領地に戻る算段をしていたが。
魔物の出現で延期している。
「 しかし、聖女に憑依するとはな 」
「 聖女は世界を救う為に異世界からやって来たのではないのか? 」
「 それよりも、あの女は本当に聖女なのか?………眉唾物だと父上も疑い始めている 」
「 確かに。あの女はレイに秋波しか送ってないからな 」
これではレイに群がる他の女共と、何ら変わりはないとオスカーは眉を顰めながら首を横に振った。
そんな話をしていると。
レイモンドの執務室に通じるドアがカチャリと開けられ、レイモンドが隣の部屋から現れた。
「 ティアは? 」
「 眠ったよ 」
時刻は深夜を回っている。
徹夜に慣れている三人とは違う。
ましてや大聖堂ではレイモンドを守る為に魔力を使ったのだから。
オスカーが慣れた手付きでもう一度お茶の用意をした。
コーヒーの香りが辺りを優しく包んで行く。
流石に夜遅くまでの作業には侍女は呼べない。
なので、何時もオスカーがお茶の用意をしているのだ。
「 転生前に起こった事はティアから聞いた。次に転生後にお前達が行った事を聞かせてくれ 」
「 御意 」
レイモンドはカルロスが記載した記録簿のページを捲った。
カルロスとオスカーが行ったのは政治的な事だ。
先ずは婚約解消だった。
それは父親であるハロルドを宰相にする為に必要な事だった。
レイモンドの顔が納得した顔をした。
婚約解消にはそんな思惑があったのかと。
アリスティアは魔女は皇太子妃にはなれないからと言っていたが。
ハロルドは実直で硬い男だ。
それは息子達も尊敬している事なのだが。
そんな彼は、アリスティアがレイモンドの婚約者でいる限りは宰相にはなってくれない事は分かっていた事で。
転生前と同じ道を辿らない為には、ニコラス・ネイサン公爵を宰相から引き摺り下ろさなければない。
それは、リタが天のお告げを聞くまでには絶対やらなければならない事だった。
そう。
自分達が行ったのはそれだけ。
宰相になったハロルドの手腕は、レイモンドも知る事だ。
レイモンドが徐ろにソファーから立ち上がると、彼は二人に向かって頭を下げた。
「 !?レイ? 」
「 殿下!? 」
カルロスとオスカーが慌てて立ち上がる
「 お前達には感謝しかない。ハロルドが宰相になったお陰で我が国は正常な道を歩めている。平常時ならば無能なニコラスとて宰相は務められるが、こんな非常事態には到底無理な事だった 」
現に転生前はとんでもない事になったのだ。
宰相ニコラスは全てを秘密裏にして。
魔物対策など少しもしないで、皇太子と聖女の婚姻に向けてのみ政府は動いていたのだから。
「 それから……」
レイモンドはもう一度頭を下げた。
先程よりも腰を深く折って。
「 お前達の大切な妹を、魔女にしてしまって申し訳ない 」
「 殿下!」
「 レイ! 」
二人は頭を下げるレイモンドの前に跪いた。
主君の頭よりも、臣下の自分達が高い位置にいてはならないのは鉄則だ。
「 僕が……僕達皇族が不甲斐なかったばかりに、アリスティアに辛い仕打ちと大きな重荷を背負わせてしまった 」
そう。
クリスタ皇后とミランダ妃の事件でニコラスに脅迫されていたと言うのは、カルロスとオスカーの見解に過ぎないのだが。
だけど……
あの事件は確かに転生前でも起こった事件に違いない。
ニコラスに脅迫をされたからこそ、花嫁のすげ替えなど有り得ない事に結びついたのは確かな事だろうとレイモンドは臍を噛んだ。
その全てが、ミランダ妃を傷付けた皇后クリスタを守る為に。
皇后が側妃に刃物を振るったのならば……
聖女の後見人であるニコラスの望みを受け入れたのも頷ける。
そして……
時戻りの剣で、無理矢理に時を戻らせられたアリスティアの事を考えると。
そこにはもう贖罪しかない。
何も知らされず。
与えられた二度目の人生を、魔女として生きて行くと決心したアリスティアには誇りすら感じる。
カルロスは泣いていた。
転生前のアリスティアには、何もしてあげられなかったのは自分も同じだと。
それに関してはオスカーはもっと悔やんでいる。
レイモンドの傍にいたくせに何も出来なかった事を。
そして……
やはり我が主君は立派なお方だと。
ちゃんと受け止め自分の過ちを謝罪する事の出来るお方なのだと。
改めて二人は、この美しい皇子に一生仕える事を誓ったのだった。
「 なあ?俺達の妹は凄い女だろ? 」
話が終わるとオスカーが言う。
とても愉快そうに。
転生前は全くの蚊帳の外だったアリスティアが、今生はしっかり関わっていた事から、全てが良い方向に向かったのだ。
ニコラス・ネイサン公爵の息の根を止めたのも、アリスティアが離宮にある小屋を消滅させたからで。
ジョセフ第一皇子にはネイサンの策略など、どうでも良い事だったが。
彼も一筋縄ではいかない男だったので。
その事で陛下の信頼を失ったのは確か。
あれ以来ニコラスは、体調不良を理由に会議には出て来てはいない。
元より議員でもなかったのだ。
公爵家の当主として会議に参加していただけで。
「 ああ。立派な悪役令嬢だ 」
ずっと辛そうな顔をしていたレイモンドは、フッと柔らかな顔をした。
「 ティアは最高の皇太子妃になるよ 」と付け加えて。
***
時間を見れば夜中の2時を過ぎていた。
そろそろ寝ようと言う事になり、密談はお開きにすると、レイモンドは隣の執務室のアリスティアの眠るベッドに向かった。
アリスティアを自分の部屋のベッドに運ぶ為に。
本当に可愛いな。
その寝顔は幼い頃から見ていた寝顔。
少し大人っぽくなってはいたが。
暫くアリスティアの寝顔を眺めていると。
突然アリスティアの大きな目がパチリと開けられた。
その瞳の色は美しいヘーゼルナッツ色で。
最近は瞳の色を確認する事が習慣になっている。
「 レイ……わたくしは間違ってないですか?ちゃんとやれてますか? 」
「 ティア…… 」
アリスティアは今にも泣きそうな顔をしていて。
レイモンドを見つめてくる顔は不安気だ。
ああ……
自分は何と言う重荷をアリスティアに背負わせたのかと。
いくらアリスティアの命を救う為だとしても。
この小さなアリスティアに、エルドア帝国の未来を託したのだから。
アリスティアは転生前のレイモンドに問い掛けているのだ。
今、ティアが見つめているのは転生前の自分だ。
「 アリスティア・グレーゼ公爵令嬢……君は本当によくやってくれた。エルドア帝国は正しい未来を歩めている。皇太子として礼を言う 」
レイモンドがそう言うと、アリスティアは満足そうな顔をしながら再び瞼を閉じた。
閉じた目尻から一筋の涙が流れ落ちた。
レイモンドは堪らなくなりアリスティアを掻き抱いた。
「 ティア……すまない 」
本当に……アリスティアだけを苦しめた。
魔女になってしまう程に。
レイモンドは、アリスティアの背中と跪下に手をやり、そっと抱き上げた。
そして……
スヤスヤと眠るアリスティアの頬に自分の頬を寄せた。
「 ティア、今生は……誓って君を幸せにする 」
沢山甘やかせて。
そして、僕のありったけの愛を君に伝え続けよう。
静まり返った廊下に、カツンカツンとレイモンドの靴音だけが響いていた。