その愛は時を越えて
公爵家の馬車で運ばれて来たタナカハナコは、閉鎖されている離宮に移された。
魔物だと分かった以上は、このまま皇太子宮に居させる訳にはいかないと、既に彼女の荷物は運ばれていた。
サラのいない間に迅速に。
離宮と言っても、ミランダ妃とジョセフ第一皇子の住んでいる建物ではなく、別の建物で。
どの皇帝にも側妃がいた事から、その界隈には使用していない建物が幾つかあるのだ。
そして、離宮の周りには騎士達を配備させて厳戒態勢を敷いている。
その後。
戻って来たレイモンドとアリスティアからサラの情報を聞き、レイモンドの護衛にアリスティアが付く事となった。
サラの目的はレイモンドだと言う事がアリスティアの話から確定した。
彼女が今後どう動くのかは分からない。
だけど、狙っているのがレイモンドであるのならば、彼を守る事が出来るのは最早アリスティアだけだと。
アリスティアには魅了の魔力が効かない事から。
ギデオンはアリスティアに深く頭を下げた。
「 皇太子を守れるのはそなただけだ 」と言って。
アリスティアは、皇帝から四六時中レイモンドの傍にいる事を命じられた。
サラが憑依したのがタナカハナコなのが不味かった。
タナカハナコは聖女。
世界を救う存在である彼女を攻撃など出来ない。
そこがギデオンを悩みに悩ませた。
勿論、宰相としてのハロルドも判断が出来ないでいる。
魔物が側にいると言うのに、手をこまねいている状態なのである。
***
「 ティアと一緒にいられるのは嬉しいけど……ちょっと情けないな…… 」
「 そうだよな。守られるのはお姫様ではなくて皇子様だったとはな 」
皇太子宮に戻りながら、微妙な顔をしているレイモンドに、隣を歩くオスカーがクックと笑っている。
オスカーは思った。
最強の護衛だと。
聖女が異世界から現れた時から、アリスティアは邪魔をし続けているのだから。
それが転生前とは違う所で。
只今連勝中だと肩を揺らせて笑った。
「 わたくしが皇子様をお守りしてみせますわ! 」
ギデオンの前で、そう返事をしたアリスティアの鼻息は荒い。
アリスティアはレイモンドの前を歩いていて。
皇太子を守れと言う、皇帝陛下から下された命を全うしている所だ。
アリスティアは嬉しかった。
魔女の自分が役に立つ事が。
魔女は忌み嫌われる存在。
それはずっと言われていた事。
それを肯定するように、魔女である自分はあれだけの大惨事を引き起こしたのだ。
それはアリスティアの悲しい記憶。
あの惨状は目に焼き付いている。
瓦礫と化した皇都の街。
泣き叫びながら逃げ惑う人達。
宙に浮かんだ自分の足の下に、瓦礫の下敷きになった人々を見ていたのだ。
その中には皇太子殿下と聖女の結婚式を祝う為に、地方から遠路遥々やって来た人達もいるだろう。
予定していたパレードを見る為に。
そんな人々を……
一瞬にして恐怖のどん底に突き落としたのだ。
その償いの為なら何だってする。
「 レイ!安心して!サラには指一本触れさせないわ! 」
皆の敬愛する皇太子殿下を守ってみせるわと、アリスティアはクルリとレイモンドに向き直った。
ヒラリとドレスを翻して。
可愛い。
眉毛を尖らせて目を真ん丸にして。
やる気満々な顔が兎に角可愛い。
「 うん。僕のナイトは頼もしいね 」
任せてとガッツポーズをして、また前に向き直って先頭を歩くアリスティアに、レイモンドはクスリと笑った。
***
「 カルロス!オスカー!ティアの転生前の話を聞かせてくれ 」
皇太子宮に到着するや否やレイモンドは二人に告げた。
「 !? ……転生前? 」
「 ……まさか…… 」
カルロスとオスカーがアリスティアを見ると、アリスティアは二人に向かって小さく頷いた。
やはり知ってしまったかと、二人はお互いの顔を見合わせた。
話はレイモンドの執務室で聞く事になった。
カルロスが自宅から記録簿を持って来るのを待って。
その間に食事もして。
侍女達やメイド達は、アリスティアが暫く皇太子宮に滞在すると聞いて大喜びだ。
邪魔なタナカハナコは離宮に移された事もあって。
本来ならば……
結婚式を挙げた今宵は、二人の初夜の筈だった。
皇宮では、世紀の結婚式に向けての準備をする算段も既に出来上がっていて。
皇太子宮のスタッフ達もまた、アリスティアが入内する事を心待ちしていたのだ。
アリスティアはレイモンドの横に座り、カルロスとオスカーは奥にあるもう一組の別のソファーに並んで座った。
とてもじゃないがレイモンドに見つめられながら、話は出来ない
今から、自分が犯した大罪の話をするのだから。
レイモンドはカルロスから渡された記録簿を確認しながら、アリスティアの話を静かに聞いた。
転生前の話はアリスティアしか知らない話。
カルロスもオスカーも出された珈琲を飲みながら、アリスティアの話を黙って聞いていた。
胸糞悪い転生前の話を。
天のお告げがあり、異世界から聖女が現れた事は今生と同じ。
だけど転生前はニコラス・ネイサン公爵が宰相だった。
彼が行ったのは花嫁のすげ替え。
ニコラスは、レイモンドとアリスティアの結婚式を、レイモンドとタナカハナコの結婚式にしてしまったのだ。
「 ……そんな……ばかな事が…… 」
レイモンドは怒りを抑えながら隣に座るアリスティアを見た。
手はずっと繋いだままでいるが。
この結婚式を楽しみにしていたのはアリスティアだけではなくレイモンドも同じ。
アリスティアは震える声で言った。
「 もう、ウェディングドレスも出来上がっていたのよ 」
それは、レイモンドにはついぞ披露する事のなかったウェディングドレス。
そう。
その日に天のお告げがあり、二人の未来が変わったのだった。
「 花嫁のすげ替え…… 」
何故そんな事になったのかと憤りを感じたレイモンドは、アリスティアの肩に手を回してそっと抱き寄せた。
カルロスもオスカーも、握っていた拳が小さく震えている。
これはエルドア帝国の筆頭貴族である、グレーゼ公爵家を愚弄する所為。
今更ながらに腸が煮え繰り返る程に怒りが湧き上がって来る。
「 ティア…… 」
レイモンドはアリスティアの頬に、自分の掌を添えた。
アリスティアが今にも泣き出しそうな顔をしていて。
それでもアリスティアは話を続けた。
転生前に起こった事を淡々と。
時々気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしながら。
聖女が現れてからは皇宮には戒厳令が敷かれ、アリスティアは皇宮への出入りが出来なくなった。
そう。
アリスティアは完全に蚊帳の外に追いやられのである。
世間には異世界から聖女が現れた時の姿絵と共に、皇太子殿下と聖女のロマンスが噂された。
ガゼボでの逢瀬。
二人は出会った瞬間に一目惚れをしたのだと。
それは今生も同じ。
きっと噂を流したのはニコラス・ネイサンだとカルロスとオスカーが向こうのソファーから彼の悪口をブウブウと言っている。
レイモンドは、ここでカルロスとオスカーに確認したい事があったが。
先ずはアリスティアの転生前の話に注視する事にした。
時々記録簿を確認しながら。
アリスティアの話は到底信じられない話。
頭の中は怒りと憤りで混乱していたからで。
「 わたくしが魔女になったのは……結婚式の日……それが今日なの 」
アリスティアは自分の頬にあるレイモンドの手に自分の手を添えた。
あの日。
嫉妬の鬼となったアリスティアは魔女になった。
そして……
レイモンドの妃となったばかりの聖女に向けて魔力を放ったのである。
今から思えば、それだけでも大罪人だ。
誓いのキスをして、皇族となったタナカハナコを殺ってしまったのだから。
「 魔女になったのは……ハナコへの嫉妬心からなのか? 」
「 レイは信じて欲しいと言っていたのに 」
信じられなくてご免なさいと泣くアリスティアの涙を、レイモンドは親指で拭った。
後ろに座る夫人が言っていた事を信じた事を。
タナカハナコとキスをしていたと聞き、嫉妬のあまりに魔女になってしまった事を、アリスティアはレイモンドに謝罪した。
「 レイとはずっと会えなかったのだけれども、一度だけ二人で話をしたの 」
タナカハナコとの婚約が発表される前に、一度だけレイモンドが公爵家に来た時の事を、アリスティアは詳しく話した。
それはカルロスもオスカーも初めて聞く話だった。
信じてくれとレイモンドから言われた事は聞いてはいたが。
そこで二人がキスを交わしたと言うのは初耳だ。
それは……
自分だけの秘密にしたかったアリスティアの乙女心。
それがアリスティアのファーストキス。
そうか……
ティアのファーストキスの相手は僕だったんだ。
ずっと誰なのかと気になっていたが。
レイモンドはやっと溜飲を下げる事が出来た。
いつの間にか……
カルロスとオスカーは部屋からいなくなっていた。
そこからのアリスティアの話は更に壮絶だった。
魔女となり魔力が暴走したアリスティアは街を破壊し続けた。
やがて、騎士達に追い詰められたアリスティアは大聖堂に逃げ込んだ。
そして、弓兵達から矢を放たれる正にその瞬間にレイモンドが現れたのである。
時戻りの剣を手にして。
「 やはり……僕が……この手で…… 」
レイモンドはそう言いながら自分の掌を見た。
想像はしていた。
時戻りの剣を持ち出す事が出来るのは、皇帝と皇太子の自分だけ。
父上に殺らせるのならば、自分が殺るだろうと。
愛するアリスティアを……
他の誰の手にもかけさせたくはない。
「 わたくしは……レイが来てくれて嬉しかったのよ 」
あの時。
皇帝陛下から射殺命令が出ていた事は分かっていた。
騎士団にいたロンとケチャップが泣いていたから。
殺されるのなら……
レイの手で殺して欲しかったと、アリスティアはレイモンドの首に手を回してしがみついた。
「 怖くなかったか?」
「 ええ……少しも…… 」
アリスティアが首を横に振った。
「 有り難う。わたくしに……やり直しの機会を与えてくれて…… 」
「 ……ティア…… 」
「 レイ……愛してるわ 」
「 うん。愛してる……僕も君を愛してる……誰よりも 」
ギュッと抱き締められているから、レイモンドの身体の震えが伝わって来ている。
彼は泣いているようだった。
アリスティアはその顔を見ないようにして、レイモンドの首に更に強くしがみついた。
今までレイモンドの泣いた顔は見た事がない。
弱音や泣き言でさえも聞いた事がなくて。
きっと自分には見られたくはないだろうと思って。
今日は結婚式が行われる日だった。
アリスティアが魔女になった日でもある。
そして……
レイモンドに時戻りの剣で胸を貫かれて転生させられた日であり、アリスティアが魔女として生きて行く事を決心した日なのだ。
この時のレイモンドがどんな気持ちだったのかは、計り知る事は出来ない。
しかしだ。
そこにあるのは大いなる不安。
時戻りの剣が、作動するかどうかは分からないのだから。
それは千年もの間、代々継承して来ただけで。
皇命である射殺命令が下されたアリスティアには、最早死しか与えられてはいない。
レイモンドは最後の賭けに出たのだ。
アリスティアを死なせない為の……
それは最後の希望。
そこには時を越えた愛があった。
「 生きて再び僕達は出会えた 」
レイモンドは、今、自分の腕の中にアリスティアがいる事を神に感謝した。
そして、その判断を下した転生前の自分にも。
アリスティアの……
温かな体温を感じながら。