束の間の手繋ぎデート
サラが大聖堂にレイモンドを連れて来た理由は、千年前のこの大聖堂があった場所にあった。
千年前のこの地は王宮だった。
平民だったサラが側妃となり、住んでいた離宮があった場所。
そして……
サラがセドリック王に殺された場所でもあった。
凱旋してからは二人だけで会う事は一度もなかった。
魔女としての役目は終わったのだとサラは悟った。
「 そなたが転生したら……ここで再び会う事を楽しみにしている 」
サラから時戻りの剣の事を聞いたセドリックはらサラの心臓を貫いた。
それは……
サラから渡された時戻りの剣ではなく、隠し持っていた短剣で。
そしてサラは……
若き王太子セドリックに会えると信じて目を閉じたのである。
当然ながら、時戻りの剣が使われなかったので、サラは転生する事はなかった。
魔女の魂は成仏する事もなく、彼女の屍が埋められた大木に宿る事になったのである。
それ以来、自分が転生する筈の身体を探し続けていた。
それは千年と言う永い永い時間。
そして……
やっと見付けた転生する身体が、アリスティアだった。
アリスティアの身体の中に、時戻りの剣にあるサラの魂の一部が宿っていたからで。
そして……
レイモンドはセドリック王の生まれ変わりだ。
探していた自分の身体。
逢いたかったセドリック。
既に魔物と化していたサラの魂が、この時目覚めたのである。
しかし……
サラはアリスティアには憑依出来なかった。
それは、彼女の魔女レベルがサラの魔女レベルを遥かに超えていた事と、サラの魔力がまだ完全では無かった事もあって。
彼女の魔力が完全ではない理由としては、彼女の魂が分霊しているからだとリタは言う。
それは……
まだあの魔木に魂の一部が残っている事と、魔女の森にいる動く木々達もまた、彼女の魂が分霊しているものなのだろうと。
そう。
完全体になれば、サラは世界を滅ぼす程の力を持った最大級の魔物なのである。
そして……
ここにはサラが憑依出来るもう一つの身体があった。
それがタナカハナコなのである。
異世界からやって来たタナカハナコは、時空を超える事が出来るタイムリーパー。
それはある意味サラと同じ能力。
本人は何も知らないでいるが。
千年も自分が転生する身体を探していたサラ。
転生前は、アリスティアが時戻りの剣を使われてはいない事から、必然的にタナカハナコに憑依するしかなかった。
そして今生もまた、結局はタナカハナコに憑依するしかなかったと言う。
***
「 邪魔な女 」
レイモンドを追って地下室から聖堂にやって来たサラは、彼がアリスティアを抱き締めている姿を見ていた。
サラは千年前の王妃を思い出していた。
凱旋ししたセドリックに抱き締められていた王妃を。
セドリックを出迎えた王妃は、当たり前のようにセドリックの横に立ち、当たり前のようにセドリックの腕を組み、当たり前のように二人の寝室に消えたのだ。
報奨として側妃にはなったが。
自分に宛がわれた居場所は他の側妃達と同じ離宮。
サラは王妃になりたいと思った。
王太子時代のセドリックと出会えば、自分が正妃になれる筈だと。
要は、出会った時期が大事なのだと言う考えがサラの考えだった。
「 側妃が王妃よりも愛されるのは許さない 」
サラはアリスティアを側妃にする事は良しとしていて。
しかしだ。
レイモンドの気持ちがアリスティアにある事が許せなかった。
それは……
ある意味アリスティアと同じ感情。
アリスティアとてタナカハナコが側妃になる事は理解していた。
それが必要ならば仕方ないと。
レイモンドの愛がタナカハナコにあると思ったからこそ、魔女にまでなってしまったのだから。
サラはレイモンドから愛されているアリスティアに、激しい憎悪を覚えるのだった。
サラが片手を頭上に上げて掌をクルクルと回し始めた。
レイ様に早く私を思い出して貰わなければ!
口付けをすればきっと思い出してくれる筈。
あの蕩けるような甘い顔を私に向けて欲しい。
サラはレイモンドに向けて時の魔力を放った。
時の魔力は時空間を作り出す魔力。
時間の空間を自由に移動出来る魔力。
その時空間に魔力を掛けた者を連れ込む事が出来、時間の経過を元に戻す事も。
勿論、限られた時間だけなのだが。
昨夜、皇太子宮のダイニングで、アリスティアが経験した事がそれである。
あの時。
ダイニングにいた使用人達は、レイモンドとアリスティアとサラが自分達の前から消えていた事を知らない。
ずっと三人がそこにいたとっている。
時間と時間の空間を自由に操る事が出来る魔力が、サラの持つ時の魔力だった。
レイモンドが銀色の光に包まれた瞬間に、レイモンドとサラ以外の者……つまりレイモンドの前にいたアリスティアの姿が消えた。
サラは、レイモンドを時空間に連れ込む事に成功した。
この魔力にはかなりの消耗がある事を危惧しながら。
「 レイ様……やっと二人っきりになれたわ 」
「 サラ! 何度も言っているが、僕はセドリック王ではない! 」
「 ええ。でも私と口付けをすれば思い出すわ 」
私への愛を……と言いながら、サラはレイモンドに向かって一歩一歩近付いて行った。
静かな聖堂にコツコツとサラの靴音が響いていて。
もう邪魔者はいない。
この世界は貴方と私の二人だけ。
サラはレイモンドに向かって両手を伸ばした。
その時。
サラの目の前に、突然アリスティアが現れた。
レイモンドを後ろにして、腕を自分の胸の前で組んで仁王立ちで。
「 !?……な……何故ここに? 」
「 わたくしの魔力をご存知ない? 」
ホホホと笑ったアリスティアが現れた空間には黒い穴が開いていた。
アリスティアの魔力は、時空間をも消し去る事が出来る最大級の魔力。
「 レイは渡さないわ! 」
アリスティアは高笑いをしながら勝ち誇った顔をサラに向けた。
いや、それよりもレイモンドの様子がおかしい。
彼は高笑いをしているアリスティアの腰に手を回して来た。
アリスティアの後頭部にスリスリと頬を寄せて。
この女!今、魅了の魔力を使ったわね!
いつの間に?
「 逢いたかった 」
「 もう離さない 」
魅了の魔力に掛かったレイモンドが、アリスティアの耳元で甘く囁いている。
魅了の魔力。
本来ならばサラに向けられる愛。
しかしレイモンドの愛は、アリスティアに向けられている。
あのオスカーでさえタナカハナコを崇拝した程の魔力なのにも関わらずだ。
そのオスカーから、アリスティアが黙って消えたあの半年間の事をもっと真摯に考えろと叱られている。
レイモンドにこんなトラウマを与えたのは自分。
彼のアリスティアへの愛は想像以上に強く深いものだったと思い知った。
転生前。
そんなレイモンドの愛を信じなかった自分が情けない。
「 レイ……ごめんね。もう二度と離れないから 」
後ろからアリスティアを包み込むように抱き締めているレイモンドの胸に、自分の頭をそっと寄せた。
そんな二人を、凄い顔をして睨み付けているサラを見ながら。
どう見てもタナカハナコの顔だと思いながら。
アリスティアはサラに確かめたい事があった。
サラは時の魔力を使う時は、手を頭上に上げて掌をクルクルと回す。
しかしだ。
魅了の魔力を使う時は魔力を放つ形跡がないのだ。
因みにアリスティアが魔力を放出する時は、指先に魔力を集めている。
「 サラ! 貴女の魔力は時の魔力だけなのかしら? 」
因みにわたくしの魔力は『 消滅 』よと教えて上げた。
何でも跡形もなく消し去る事が出来るのだと。
「 ……そうよ。時の魔力だけよ 」
「 ……それだけ? 」
「 それが何? 」
サラがイライラするように言った。
もしかしてサラは、自分に魅了の魔力が備わっている事を知らないでいる?
そうだとすれば思い当たる節がある。
サラの宿っていたあの大木は離宮の庭園の奥にある。
その近くにはジョセフ第一皇子の薬剤を作成する小屋があるのだ。
今はアリスティアが消滅させた事から、跡形もなくなってしまってはいるが。
魅了の魔力は魔女サラに備わっている本来の魔力ではないかも知れない。
これは……
ジョセフ皇子殿下に確かめなければ。
その時。
サラはまたもやレイモンドに時の魔力を放った。
やはり手を頭上に上げて掌をクルクルと回して。
そして……
レイモンドがまたもや消えた。
サラの作り出した空間に連れて行かれたのである。
……が、またもやアリスティアがサラの前に現れた。
空間に穴を開けて。
オーホホホ!!
アリスティアの高笑いが聖堂に響く。
「 無駄ですわ 」
「 ちっ!! 」
サラは更に強い魔力を放とうとしたが……
刹那!
彼女はガクリと床に崩れ落ちた。
魔力切れを起こしたのだ。
魔力が解けた辺りは、銀色をした時の空間から聖堂の壁や椅子になった。
その時。
「 お嬢様! 」
アリスティアの侍女のデイジーと、ロンとケチャップが大聖堂の大きな扉を開けた。
アリスティアの帰りが遅いので心配でやって来たのである。
「 ……えっ!? 」
「 こ……皇太子殿下? 」
三姉弟はレイモンドがいる事に驚いた。
そして……
直ぐ側に聖女が倒れている事にも。
「 良い所に来たわ! お前達! 彼女を馬車に運んでちょうだい 」
アリスティアが彼等に命じる前に、ケチャップはタナカハナコに駆け寄っていた。
ケチャップの顔がギラギラとしている。
ケチャップは正真正銘のブス専だ。
一時はレイモンドがブス専だと思っていたのだが。
彼はタナカハナコの姿絵を眺めてはうっとりとしていると言う。
聖女の肖像画は既に世間に出回っていて。
だからか。
いや、だからこそレイモンドとのロマンスの噂は消えてなくなったのである。
『 この顔が皇后になるなんて……絶対に無理 』
それが大多数の国民の総意。
意識のないタナカハナコをロンとケチャップが公爵家の馬車に乗せ、侍女のデイジーと共に皇太子宮に運んで行った。
さて。
残ったのはレイモンドとアリスティア。
レイモンドに掛かっていた魅了の魔力は既に解けていて。
二人は歩いて皇宮に戻る事にした。
歩いて帰るのならばここからは30分位。
アリスティアはウキウキした。
ずっとこんなデートをしてみたかったのだ。
アリスティアが子供の頃のデートはガゼボでのお茶会ばかり。
やっと16歳の大人になり、本懐的なデートが出来ると思いきや。
たまの観劇デートは護衛達に囲まれての厳重警備。
既にレイモンドは皇太子になっていたのだから仕方がないのだが。
二人だけで街を歩くなんて事は、夢のまた夢に過ぎなかった。
大聖堂から外に出ると辺りは既に暗くなっていて。
火照った頬に夜風が気持ちが良い。
「 転生前の話をする時には、お兄様達にも同席して貰いたいの 」
カルロスお兄様が全てを記録してあるからと言って。
「 ……転生前…… 」
やはり自分の知らないそんな世界がアリスティアにあったのだと。
既にそうだろうとは分かってはいたが。
改めてレイモンドの胸はキリキリと締め付けられた。
「 分かった 」
レイモンドはそれ以上言葉を発せられずに、アリスティアの小さな手に唇を寄せた。
二人が歩く皇都の街は、何時もならば大変な賑わいをみせている筈で。
しかし緊急事態宣言が出されている事から、夜の街は閑散としていて、それでも歩いている人は足早に各々の家路に向かっていた。
普通ならばレイモンドがこんな風に街を歩けば、直ぐに人だかりが出来るだろう。
彼は我が国の皇太子殿下。
二人はただただ黙って手を繋いで歩いていた。
コツコツと二人の足音だけが響く静かな夜。
繋いだ手はいつの間にか恋人繋ぎになっていて。
何かを話さなくても気まずくならない関係。
それは兄妹として、恋人として、そして未来の夫婦として接して来たからで。
気が付けば傍にいたのだ。
傍にいるのが当たり前で。
二人は未来の夫であり未来の妻だった。
今宵は……
転生前には結婚式があった夜。
あの夜はアリスティアが街を破壊した。
今、こうして綺麗な街がある事に安堵しながら、アリスティアはレイモンドと歩いていた。
レイモンドの手によって巻き戻った未来は、その先に進み出したのである。
夜空を見上げればチカチカと瞬く沢山の星と、細い三日月があった。
明日は新月。
何かが起こる予感に胸が押し潰されそうになる。
だけど……
二人一緒なら怖くはない。
それは二人の束の間の幸せなひとときだった。