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8 豚小屋の天使


「そもそもだ。朝、起きなくてはならない、などという決まりはないのだ」


「急にどうしたのです、あるじ殿」


 俺のヘソの上で丸まっていたクロが頭だけ起こして、コクリと一礼する。


「おはようございます、あるじ殿。新天地での初めての朝ですな。昨晩はよく眠れましたか?」


「うむ。大変よい寝心地だった。だからこそ思うんだ。もうずっと寝てていいかな、俺」


 朝は起きよ、という法がない以上、起きないという選択肢が蔑視されるいわれはない。

 俺は堂々とグータラしてもいいはずだ。

 そうだろ、クロ助。


「ダメです、あるじ殿。ゴロゴロしてばかりいると豚になりますぞ」


「豚になってでも俺はゴロゴロしたいんだ。振り子だよ、人生は。俺は過労に15年振った。怠惰に15年振らねば世界の均衡が崩れるだろうが」


「起きなされ、あるじ殿」


 問答無用とばかりにクロが二の腕に噛み付いてくる。

 俺を起こそうと小さな体で必死に踏ん張るが、それでも俺は動かない。


「俺とクロ、体重比はおよそ25倍だ。お前があと24頑張れば、俺も1動いてやる。それがフェアってもんだろう」


「この豚あるじ!」


 にゃーにゃー言っている黒いのを無視して、俺はベッドの上で大の字になった。

 窓から差し込む朝の光は仏の眼差しのごとく柔らかだ。

 気持ちいい。

 煩悩が洗われるようです、お釈迦様、イエス様。


「まさかマイホームでくつろげる日が来るとはな」


 死闘の日々はもはや過去の記憶。

 これからは、ここが俺の生きる世界だ。

 ここで平和に暮らし、のんびりと歳を重ね、そして、眠るようにこの世を去る。

 うん、完璧なライフプラン。


「クロ、死ぬときは一緒だぞ」


「無論であります。……しかしですな、あるじ殿がすべきことは今を建設的に、そして、生産的に生きることなのでは?」


 クロは小さな前足でコンコンと窓を叩いた。


「外をご覧くだされ、あるじ殿。ルノン殿は日の出ないうちから豚の世話に励んでおりますぞ」


「すごいな。とても愚かだ」


「愚かなのはあるじ殿、あなた様でありましょう。勤勉な者を笑うようになれば人間終わりですぞ」


 犬だか猫だかわからん奴にまっとうなことを言われてしまった。


「仕方ないな」


 俺は脚を振って反動で上体を起こした。

 あとで気兼ねなくゴロゴロするためにも、今だけ起きておくか。

 大事だからな。

 メリハリって。


 ……ん?


 指に髪が絡まっている。

 銀の髪。

 俺のじゃないな。

 前の家主のものか?

 まあ、どうでもいい。


「顔を洗って歯を磨いてからまた寝るか」


「あるじ殿ッ!!」


「冗談だ」


 俺はクロを肩に乗せて、裏口から外に出た。

 豚舎の前であくせく働くルノンにおはよう、と声をかける。

 時間的には、おそようって感じだが。


「あっ、おはようございます! クレスさん! クロさんも!」


 両手を合わせて俺は南無南無と拝んだ。

 朝日よりもまぶしく輝くルノンの笑顔に真の仏を見た気がする。


「豚の世話か? 朝から大変だな」


 緑の丘を豚が駆け回っている。

 30頭くらいいるだろうか。

 草を食んだりヘソ天で寝転がってみたり、自由だな。


「放牧できるのは村が安全な証だ」


「そうなんです。わたしの自慢なんですよ!」


 ああ、笑顔のなんとまばゆい……。

 俺はクロに耳打ちした。


「早起きしてよかった。自宅の裏で天使に会えた」


「別に早くありませぬ、あるじ殿。しかし、おっしゃる通りかと」


 豚舎を案内してくれるというので、ちょっと見せてもらうことにした。

 当然のことながら豚がいっぱいだ。


「子豚かわいいな。猫より好きかも」


「あるじ殿……っ!!」


 悪い悪い。

 俺の本心は今も昔もこれからも猫派だから。

 と言うと、クロは微妙な顔をするだろうな。

 言わんでおこう。


「今更だが、狼が豚を家畜化している光景には考えさせられるものがあるな」


「どうしてです、あるじ殿?」


「このレンガ造りの豚舎を見ろ。つまり、そういうことだろう」


「……?」


 クロはクエスチョンマークを3つくらい浮かべている。

 わらの家の長男と木の家の次男を食っただけでは飽き足らず、レンガの家を乗っ取って、あろうことか末っ子を家畜化するとは。

 狼系獣人、恐るべし。

 ……なんてな。


「おん?」


 豚舎の片隅に枕と毛布を見つけた。

 くしや手鏡、着替えなんかも置いてある。

 明らかに人が生活している痕跡だ。


「あ、すみません。散らかしたままで」


 ルノンが顔を赤らめながら片付けを始めた。


「もしかして、ここで暮らしているのか?」


「そうなんです。豚舎に住み込みで」


「豚舎に? 家はないのか?」


「家は、……ありました」


 意味深な過去形だった。

 ルノンの顔に暗い影が落ちるのを見て、俺は電撃的にすべてを悟った。


 俺の家と豚舎は隣り合う同じレンガ造りの建物だ。

 そして、最近まで誰かが暮らしていた形跡。

 指に絡まった銀色の髪。

 ルノンの髪も、……銀だ。


「あの家は、ルノンの家だったのか」


「……もう違いますから」


 ルノンは口元にだけ微笑みを浮かべていた。


「去年、流行り病で両親が亡くなって、わたし、ひとりで暮らしていたんです。でも、お金が底を尽きちゃって、家を手放すしかなくて。今は豚舎の隅で暮らしています」


 そうか。

 そんなことが。

 俺はどう返答していいかわからず、黙りこくるしかなかった。


「あ、でもでも、全然寂しくはないですよ? わたしには両親が遺してくれた豚さんたちがいますから」


 気丈にそう言うルノンの頬を透明な雫が滑り落ちた。


「あ、あれ、おかしいな……えへへ。わたし、泣くつもりなんてなかったのに」


 俺は肩に乗っていた黒猫をむんずと掴んだ。

 で、その低い鼻っ面に自分の鼻を押し付けて問う。


「クロ、俺、この子を抱きしめてあげていいか?」


「やめておいたほうが賢明でしょう。我輩にセクハラという異界の言葉を教えてくださったのはあるじ殿ではありませぬか」


「でも俺、泣いてしまいそうなんだ」


「では、我輩をなでてくだされ。ここをこう、あごの下をこういう感じで――ニャッ!?」


 俺はクロを投げ捨てたその手で、ルノンの頭をなでてやった。


「ルノン、君がよければの話だが、俺と一緒に住まないか?」


 銀の瞳がキラリと光った。


「い、いいんですか、クレスさん」


「君にとっては両親との思い出が詰まった生家だろう」


 いや、正直、理屈はどうでもいい。

 俺には女の子を豚小屋の片隅に押しやって自分だけいけしゃあしゃあとスローライフを享受する自信はない。

 頼むから、暖かい屋根の下にいてくれ。

 俺のためにも、な?

 なッ!?


「ありがとうございます、クレスさん」


 ルノンは俺の手を取ると、とめどなく温かいものを流した。


「わたし、クレスさんに会えてよかったです!」


 いやぁ、天使だ。

 君は天使だよ。

 そして、俺は薄汚いおっさんだ。

 ぐーたらしてすみませんでした。

 な?

 クロもそう思うよな?


「にゃー!」


 こくりと頷くクロ。

 誰が薄汚いおっさんだ。

 俺はもう一度クロを放り投げておいた。

 綺麗に着地しやがって。

 さすが、猫だな!


ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!

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