5 北限の村
「わたし、ルノンヴォルフといいます。気軽にルノンって呼んでください」
「いきなり愛称とは。距離の縮め方が暗殺者です、あるじ殿」
「だな。すぐにぶっ刺してこないあたり、夜這い専門の搦め手タイプだ。ドキドキさせてくれるから俺はむしろ歓迎だ」
「引っかきますぞ、あるじ殿」
純真な笑顔を振りまく狼少女を遠巻きに眺めつつ、俺とクロはコソコソ話で注意を促し合う。
殺られるときは一瞬だ。
美少女だからって油断はできないぞ。
……しかし、ルノンヴォルフか。
名前を聞いて何か引っかかるものがあったが、それがなんだかイマイチ思い出せない。
少女の腕の中で子豚がブーと鳴いた。
「この子が森に迷い込んでしまって、慌てて追いかけたら魔物に襲われて、わたし、とっても怖かったです」
「もっともらしいエピソード来たな」
「ですな。怪しさに拍車がかかりましたぞ」
ルノンは俺の手を取り、大きな目で俺を見つめた。
銀色の瞳のなんと美しい……。
「何度でも言わせてください! 助けてくださって、ありがとうございました!」
「あ、かわいい……」
「あるじ殿、お気を確かに!」
頬に連続ネコビンタをもらって俺はなんとか正気に戻った。
正気に戻ったから気づいたのだが、この子、本当に暗殺者なのだろうか。
「俺たちは正体を隠してここまで来ただろ? もし暗殺者なら、どうやって俺を勇者だと見抜いたんだ?」
そもそも、魔王軍はとっくに壊滅している。
あるじ亡き今、その傀儡が勇者打倒を目指しているとは思えないが。
それも、こんな北の果てで。
「あるじ殿、狙いは何も勇者とは限りませんぞ? 山賊の罠という可能性もありましょう」
なるほど。
街道を通りかかった者を言葉巧みに森の奥へと誘い込み、山賊が踊りかかってタコ殴りに、みたいな流れもあるわけか。
疑わしいともう全部怪しく思えてくるな。
そんな俺たちの胸中を知ってか知らずか、ルノンは夏の太陽みたいにまぶしい笑顔を浮かべている。
「旅の方ですか? どうかお礼をさせてください。この先に村があるので、ご案内します!」
言うが早いか、ルノンは銀色の尻尾を機嫌良さげに振りながら街道を歩き始めた。
「人食い村ですぞ、あるじ殿」
「人食い村だな、クロ助」
肉食で知られる狼系獣人ってのが嫌疑に説得力を持たせている。
用心して行こう。
そして、囚われている人あらば救い出すのだ。
結局俺は勇者気質から抜け出せないようだな。
「相棒、油断するなよ?」
「あるじ殿も鼻の下を伸ばされませんよう」
ルノンが振り返って言った。
「そうだ。猫さん、ポークジャーキーはいかがですか?」
「食うにゃーっ! にゃーにゃー!」
「おい、相棒! しっかりしろ! キャットジャーキーにされるぞ!」
などとワイワイやっているうちに、森が開けて行く手になだらかな丘陵地が見えてきた。
小さな家がポツポツと見える。
急斜面には段々畑が並び、緩斜面では牛や羊がのんびりとゲップしている。
その向こうにそびえ立つ雪かぶりの山脈は『王国の屋根』ことノーデンベルク山脈だ。
アルプスの小村を思わせるような美しい村だった。
俺は思わず感嘆の息を吐き出した。
「ここは、ノーデンという村です。人呼んで、『北限の村』。王国で一番北にある村なんですよ」
何もないところですけど、とルノンは恥じ入るように耳を伏せた。
「何もないなんてことはないだろう」
風がビュー、と吹き抜けると、緑の丘から無数の光の粒が舞い上がった。
まるで、たんぽぽの綿毛のように。
「あれは、精霊だ」
精霊というのは、清らかな場所でしか生きられないらしい。
そんな精霊たちが数え切れないほどたくさんいる。
王都じゃ1匹だって見かけたことがないのに。
それだけ美しいところというわけだ。
「オデ、ココ、住ミタイ……」
おとぎ話に出てくる理想郷のような光景に胸を打たれ、俺は陶然とそうつぶやいた。
ほら、見て。
吹き抜ける風さえも輝いて見えるわ。
「カタコトの部族みたいになっておりますぞ、あるじ殿」
「オ前、ココ、住ミタク、ナイ?」
「あるじ殿がおわすところこそ我輩の家にありますれば。――にゃウ!?」
俺はクロを吸った。
愛い奴め。
しっかし、猫のほうが毛が細かいから吸い心地がいいな。
濃厚さでは犬に軍配が上がるが。
「もしかして、移住希望ですか!? わたし、嬉しいです!」
ルノンは目を輝かせた。
俺はクロの耳を片方持ち上げて、こしょこしょと耳打ちする。
「暗殺者でも人食い部族でもなさそうだな」
「で、ございますな。ご覧くだされ、精霊が群がっておりまする」
「だな。たぶん、めちゃめちゃいい子だ」
大自然が優しい心を育んだのだろう。
俺は緑と白と青の勇壮たる光景を仰ぎ見た。
北限の村ノーデンか。
ここなら、誰も勇者を知らないだろうし、王都からも遠く離れている。
おあつらえ向きの場所だな。
世界の時間から切り離されたようなのんびりとした雰囲気も素晴らしい。
心が洗われるようだ。
ここに、住みたい。
心の底からそう思った。
「そういえば、挨拶がまだだったな」
ルノンを見つめて、俺は襟を正した。
「俺の名はクレスだ」
「あるじ殿、本名はまずいのでは?」
トチった……。
でも、自分の名前を名乗れないようなところじゃ、きっと幸せにはなれないだろう。
だから、あえてもう一度言おう。
「俺はクレス。この村への移住を希望する!」
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