4 欲求と無意識
「やっふーい! やっふーい! ご覧くだされ、身軽ですぞ、あるじ殿ぉー!」
黒猫デビューしたクロが素早い身のこなしで地面と俺の肩を行ったり来たりしている。
おかげで、服が肉球まみれだ。
可愛いから許すけどな。
「しかし、まあ、お前が猫になってくれてよかった」
「なぜです、あるじ殿」
「これで雨の中、散歩に連れて行かなくてすむだろ?」
「そういえば、不思議です。この体になってから散歩しようなどと全然まったく思いませぬ。以前は寝ているあるじ殿に噛み付いてでも散歩したかったのに」
「お前にとって散歩ってのは、肉体の欲求だったわけだな」
「深いです、あるじ殿」
さんざん反復縦跳びしていたクロだったが、急に大人しくなり、俺の肩の上で丸まった。
「あるじ殿の肩が広くて助かりまする。それでは、我輩、寝ますゆえ」
「今度は、寝る欲求に目覚めたか。つか、あるじを捨て置き、惰眠を貪る家来があるか」
「これはあくまでも肉体の欲求ですゆえ。我輩の精神はあるじ殿とともに……」
都合のいいことを言い残して、クロはスヤスヤと眠ってしまった。
落とさずに歩くハメになった俺が可哀想だ。
猫ってのはワガママだな。
「そんな感じで旅を続けて、10日が経った」
「経ちましたな、あるじ殿」
街道に沿って北へ北へ。
急ぐ旅でもなし、道中、温泉街で癒やされたり、地酒でハメを外したり。
「いやぁ、自由っていいなぁ!」
「自由? 本当にそう申せましょうか?」
俺の頭頂部に鎮座する黒猫が疑問を呈した。
「あるじ殿、温泉街では何をされましたか?」
「風呂に入りまくったな。それと、暴れていたドラゴンを倒した。湯で卵を孵そうとしたんだろうな。俺に出くわしたのが運の尽きだ」
「この前の宿場街では何を?」
「たくさん寝たな。途中、山賊に叩き起こされたから、逆に叩き出してやった。気が収まらなかったから、奴らの山城に押し入って人質の女たちを助けたりしたな」
「おいたわしや、あるじ殿」
前足で俺のおでこをナデナデしてから、クロは言った。
「それでは、勇者時代と変わらぬではありませぬか」
「な……っ」
俺は衝撃のあまり地面に膝をついた。
たしかに、町や村に行き当たるたびに困っている人を助けている気がする。
なんなら自分から面倒事に首を突っ込んでいる節すらある。
「あるじ殿が行く先々で武勇伝を作るのはもはや見慣れた光景。我輩も誇りに思うておりまする。あるじ殿は根っからの勇者気質なのでございましょう」
それは、社畜認定に等しい非情な通達だった。
長きに渡る過酷労働の傷痕が知らないうちに魂深くまで刻まれていたらしい。
誰かのために何かしなければ、という強迫観念で俺は半ば無意識に突き動かされているのだ。
恐ろしい。
ブラック企業って恐ろしい。
「きゃああああああ…………っ!!」
突然、悲鳴が響き渡った。
誰かが困っているらしい。
鞭を入れられた馬のように俺は一も二もなく駆け出した。
「社畜根性、ここに極まれりだな」
「それでこそ、我があるじ殿です」
辺りは、薄暗い森。
わだちの残る細い街道を人間離れした速度で駆け抜け、俺は大岩を蹴って高い木立を飛び越えた。
眼下に巨大なイノシシの魔物が見える。
その牙の先で、少女が腰を抜かしていた。
なぜか、子豚を抱えている。
ホントなぜだ!?
「よッ!!」
勢いそのままに飛び蹴りを食らわすと、イノシシは竜巻に吹かれた軽自動車みたいに転がった。
しかし、すぐに起き上がって、鋭いヒヅメで地面をかく。
俺は聖剣に手をかけた。
その手に、ピトッと肉球が添えられる。
「聖剣はなりませぬ。あの黄金に輝く刃が人目に触れることあらば、勇者であることがたちどころにバレましょう」
「魔力を込めなければ大丈夫だ」
俺は鯉口を切って、地面を踏みしめた。
次の瞬間にはイノシシの目は光を失っていた。
首がズリズリと滑り落ちて、赤い水溜まりが広がっていく。
超音速の刃が作り出した衝撃波がバーン、と森にこだました。
「目にも留まらぬ早技。さすが、あるじ殿です」
「また仕事してしまった……」
俺は自己嫌悪と達成感、どっちも噛み締めながら白銀の刃を鞘に納めた。
「た、助けてくださりありがとうございます……!」
尻餅をついていた少女が駆け寄ってきた。
クロがシャー、と威嚇声を発し、俺は油断なく剣を握り直す。
少女はケモ耳を生やしていた。
どことなく犬っぽいが、銀色の尻尾は先端だけ黒くなっている。
この特徴は、狼系の獣人だな。
「おい、クロ。この子、可愛いな。美少女特有のキラキラがいっぱい見える」
「やめてくだされ、あるじ殿。見た感じ15歳前後ではありませぬか。まだ、ほんの子供ですぞ」
「俺が体感18歳だから、3歳差か。悪くないな」
「実態は三十路のおっさんでありましょう。キモがられるのがオチです」
「ちょうど三味線が欲しかったんだ俺。おっ、こんなところに綺麗な毛皮の猫がいる」
「シャミ? なんだか知りませぬが、身の危険を感じまする……」
イノシシの陰に隠れて、やんのかステップするクロ。
その様子を見て、狼少女はクスクスと笑った。
「とっても面白い方々ですねっ!」
笑うとキラキラが飛び散った。
やっぱり可愛いな。
「クロ」
「なんです?」
「俺、思うんだけど、ケモ耳には小顔効果があると思う。だから、みんなケモ耳娘が好きなんだ」
「あるじ殿、油断大敵ですぞ。このパターン、我輩、嫌な予感しかしませぬ」
まあ、確かにな。
俺も心を許したわけではない。
勇者時代、魔物に襲われている少女を何度となく助けてきた。
だが、助けた少女の実に99%が魔王軍の放った暗殺者だった。
勇者という職業柄、俺は困っている人を見捨てることができない。
連中はその心理にたくみに付け込んでくるのだ。
ああん勇者様、助けていただきありがとうございますぅ~、からの毒ナイフぶすゥ――ッ!!
あるいは、いったん色仕掛けを挟んでからの、毒ナイフぶすゥ――ッ!!
いろんな方法で俺は殺されかけた。
なんとか生き残ったけどな。
大丈夫、もう騙されない。
そう誓っては、また騙された。
だからこそ、だ。
今度こそ俺は騙されない。
騙されないったら騙されないぞ。
「な、なんですか?」
「ぶひぃ?」
居合の構えでイノシシみたいに鼻息を荒くする俺と、シャーシャー言いながら爪をむき出しにするクロを、少女と子豚が不思議そうに見つめていた。
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