表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おもて帽子  作者: 南部屋
22/23

落日


 ニーヒはこんな日がいつか来ることをわかっていたんじゃないかと、どこかで思っていた。

 だから自分は、たくさんのものを見下し、遠ざけ、諦めていた。

 それは、おそらく本心では人間になりたくなかったからだ。

 少しずつ、人に近づいていく自分が恐ろしかった。

 自分がしてきたことを、感情で受け止める日が来ることをニーヒは恐れた。

 無機質と情緒の間で、彼はただ時が流れていくことを願っていた。

 それを見越したかのように、この世界では時が流れず、永遠に夕暮れのまま、何も変わらない日々が続いていく。


 変えてしまう可能性を摘んでおきたかった。

 生きている人間の魂として、この世界に降り立った鳴海を彼は恐れた。

 そして同時に、本能的に、興味を惹かれた。

 なぜなら、彼が理性で否定していても、魂は完成に向けて動き出したかったからだ。


 このまま、どこかで、何かの弾みで消えてしまえればいいのに。

 ニーヒのその最後の望みは、鳴海の出現で絶たれた。



 そして、鳴海は最後のピースをはめてしまった。


 この街は、自分が作ったものだった。

 しかし、街として形成していく上での管理は全て千尋が行っていた。

 それも偶然の産物だった。

 千尋は息子との再会を願っていただけで、別に街を管理したかったわけではない。

 ただ彼女も、息子と再会できるのなら、この街でしかあり得ないと、どこかでわかっていた。

 管理者がいなくなった街は、やがて食い尽くされるだろう。

 この、黄昏の世界を漂う人ではない、もっと大きな存在によって。

 人によっては精霊で、人によっては悪魔のそれらによって。



 本来、無機質なものから完全な魂を生み出すことは、何か実験的な要素も孕んでいたのかもしれない。

 ニーヒの精神は、つくも神とも少し違っていた。

 生みの親が、人の魂を望んだように、ニーヒは人の魂になりつつあった。


 その結果は、抽象的なものでしかない。

 いつ、ニーヒが人の魂になったのかどうか、誰にもわからない。


 ただ、ニーヒは実感があった。

 今、自分は最もそれに近づいている。

 そして、管理者が消えた今、自分は選ばないといけないのだ。


 このまま消えるか、人の魂になるのかを。


 鳴海のそばにずっといた死神は、それを見届けるために、きっと自分の側にいたのだろう。





 鳴海は塔が崩れそうになっているのに気づいた。

 窓の向こうでは、夕暮れの日差しが強く強く輝いていた。

 街が徐々に、塵になって登っていくように見えた。

 なんの光なのかもわからない日差しが、煌々と輝いているのに、本当にもの寂しい景色だった。




「ここを降りましょう」


 ニーヒは鳴海に言った。



「最後にあなたと話がしたい」



 鳴海は、その言葉に返す言葉はなかった。しかし、黙ってついて行った。

 鳴海はニーヒに対して思うところが多くあった。

 不躾なことをたくさん言われたし、彼の高圧的な態度はずっと苦手だった。

 過去を知った上で、協力したいと願い出たが、それ以上に心配があった。

 自分ができることは、もうこれ以上ないだろう。

 その上で、ニーヒが自分に対して求めていることを察する手段が、鳴海にはなかった。



 この街はニーヒが作ったものだ。

 彼の心や魂が、人に近づくためにできた、心の街。

 彼の未完成な心が、この世界のあらゆる悪意や善意に触れて、何者かに変わっていくためにできたもの。

 それが今、終わろうとしているのだ。

 この世界について、詳しいものほど、この街はイレギュラーだといつも言っていた。

 突然生まれ、きっと突然消えることもみんなわかっていた。

 おそらく、エミリーももうすでにこの街を去っているだろう。



 この世界には最初から、黄昏と川しかなかった。

 しかし、多くの行き場のない魂や精霊たちの休息所にもなっていた。

 鳴海自身もその一人だ。

 街があったから、そこに居残っている何者かがいたから、自分はここまで来られたかもしれない。

 時計塔を降りながら、鳴海は崩れていく街を見下ろしていた。

 そして、改めて、歪な美しい街だったと思った。

 



「僕は結局、あの親子に謝れなかった」

 街の広場にたどり着いた時、ニーヒは口を開いた。

 街はもう半分消えかけていた。

 オレンジ色の夕暮れに滲む、白いインクのように、街は溶けていっていた。


「それだけが心残りだが、もう時間がない」



 ニーヒは鳴海の方に向き直り、手を握った。



「僕は、生きることが怖かった。正確には、生きるということのスタートラインに立つことすら怖かった。

 だから君にどんな卑劣な言葉でも言えた。同類だと思ったからだ。自分と同じ、生きることから逃げてきた人。

 そもそも魂を持っていたのに、それを拒否した人。

 何を言ってもいいと思った。

 こういう人がいるんだから、自分も中途半端でいいんだと、言い聞かせられた」


 ニーヒはそんな過去の自分を本当に悔いているようだった。


「でも君は、向き合い続けることから逃げなかった。それが僕には信じられなかった。

 ここにいれば、永遠に答えなんて出さなくても、生きなくても死ななくても済んでいられるのに。

 それが、また憎くて、どうすればいいのか、答えを出さなくてはいけなくなっていって、なおさら、混乱していたと思う」


「僕はあの親子に向き合うのが恐ろしかった。あそこで、もしも、君に拒絶されたのなら、僕は消えるつもりだった。

 でも、君は、あの親子ともども、僕を救ってくれた」


 街が塵になって消えていく。

 それは、ニーヒにこの街が必要なくなったからだ。

 彼はまだまだ未熟だが、この時、一度完成したのだ。

 この世界以外の場所で、生きていけるだけの魂を、手に入れたのだ。



「いずれ、巡り会うことがあったら、あの親子にも謝罪とお礼を言う。でも、今は君に言おう。

 ありがとう。僕を救ってくれて。そして、今までごめん」


 街には二人と死神しかいなかった。

 黄昏は沈んでいく前の最後の輝きのように燃えていた。





「この街はもうこれで終わりだ。そして、これが、最後になると思う」

 今まで黙りこくっていたおもて帽子がそう言った。



「最後に言っておきたいことはあるか?鳴海」




 鳴海はその言葉で全てを察した。

 自分は帰るんだと。

 そして、ニーヒもここではないどこかに転生するのだと。

 それが厳しい旅路になるのだと予感していた。

 やってしまったことがあまりにも大きすぎるから。

 きっと彼の人生は、過酷なものになるだろう。

 未熟で、幼い魂が、ボロボロになるまで彼は辛苦を味わうだろう。

 でも彼は探すのだ。あの親子を。

 その生で、彼らに許してもらえるまで、ニーヒは生き続けるんだ。


 その覚悟が、ニーヒはやっとできたのだ。




「何も」



 鳴海は自然とその言葉が出てきた。



「でも、もしもまた会えたら、私もお礼を言わせてほしい。その時まで、懸命にお互い、生きていこう」



 最後に浮かんだのは笑みだった。

 そう、最後だからこそ、笑い合おうと思った。




「おもて帽子も、ありがとう」




「あなたに会えてよかった」




 それを言い終わるか、終わらないかの瞬間に、街は全て崩れ去った。

 その後のことは、よく覚えていない。




 ただ、ニーヒがずっと手を握ってくれているように感じた。

 あたたかい温もりを感じた。

 それが離れた時、冷たいベッドの感触に気づいた。

 


 私の意識が戻ったのだ。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ