待ち続けたものたち
街の中央にある時計塔は、夕暮れの光を最も浴びる場所だった。
塔の最上階、最も光が差し込む場所で、彼女はいつも遠くを見つめていた。
最近はニーヒがどこにもいないので、本当にただただ夕陽を眺めるだけだった。
光が差し込む広い空間で、彼女はただ遠くを見つめている。
今日も誰も来ないし、自分自身はどこにも行けないと彼女は信じていた。
彼女はただじっと待っていた。
誰を待っているのかは、遠い昔に忘れてしまった。
でもきっと、その人が自分の元に来てくれれば、わかるという確信があった。
彼女は、いつでも川の向こうに行くことはできた。別の存在になって、生き直すことはできた。
もはや生きていた時のことは、ほとんど覚えていない。自分自身が誰なのかもわからない。
目はとうの昔に見えなくなり、長く街に残り続けた影響で足がまず動かなくなった。
手の感覚は徐々に麻痺し、耳も聞こえなくなってきた。
でも、諦めることができなかった。
何を諦められないのかも、覚えていない。
ただ、この機を逃したら、きっと後悔するだろう。
彼女の中に、ただ漠然とそういう予感があっただけだった。
街の中央にある図書館で、魂の出入りを管理するうちに、徐々に彼女はこの街の支配者のような位置になっていった。
これほど長くこの街に居残り続けているのは、彼女と、その街を生み出したニーヒだけだったからだ。
ニーヒは最も身近な人の魂として、彼女を観察し続けた。
二人にあったものは絆と呼べるものではない。
それを理解できないぐらい、ニーヒの魂は幼かったからだ。
また、彼女自身もその余裕がなかった。
ニーヒが徐々に魂に近づいていっている存在だったのならば、彼女は徐々に魂でなくなっている状態であった。
きっと自分は、会いたい人に会えた時、すでにもう消滅するしかない運命だろう。
そう悟り切っていた。
無理もない。
透にあんなことをしたんだから。
そんな思考がふと、自分の中によぎった時、千尋は自分自身のことを思い出した。
鳴海も驚いていた。
千尋の元に辿り着いた時、エレシュキガルは少年の姿になったのだ。
今にも消え入りそうな哀しい表情の、どこにでもいる普通の少年が、じっと千尋を見つめていた。
ここに来るまでの間にも、エレシュキガルはずっと呪いのような言葉を吐いていた。
憎しみや悲しみや怒りしかない、暗く重い感情を吐き続けていた。
エレシュキガルを持ちながら、高い塔の階段を登り続けているうちに、鳴海は傷だらけになっていた。
一つ前に進むほどに、傷は増え、血が流れ、胸を抉るような痛みが心にも体にも響いた。
時々、ニーヒにもそれを渡し、受け取ってもらっていた。
どん底まで落ちた人間の痛みを、二人は浴び続けた。
その中で、ニーヒはまた人の魂に近づいていっていた。
簡単には癒されないと、もう二人はわかっていた。
それでも、会わせなければいけなかったのだ。
誰一人後悔しないために、もう一度生き直すために、透は千尋に会わなければならなかった。
「そうだね、もう何も見えないけど、君は透だね」
そう言った瞬間、千尋は立ち上がった。そして、目が開かれていた。
憔悴しきった、今にも消えそうな儚げな影は突然消え、そこにはまるで生きているような一人の若い女性が立っていた。
「私はあの日、逃げ出したんだ。君からも、君のお父さんからも。もう何もかも、終わってしまったように感じてしまって。
ここから君と共に生きていくことができないと勝手に絶望したんだ」
千尋は、何も言わない透を抱きしめた。
そこには、さっきまで今にも消えてしまいそうだった車椅子に乗っている女性の面影はなかった。
「本当にごめんなさい」
謝りながら、千尋は愛おしそうに透を抱きしめた。
「君に謝れた。私はもう、それでいい」
透は何も言わなかった。ただ、黙って自分を抱きしめてくれた母の手を握った。
夕日の光が強く差し込み、二人を包んだ。
この世界でもその光はあたたかく二人はその瞬間、生きていた時のことを鮮明に思い出した。
どこからか、ピアノの音が聞こえてきそうだと二人は感じていた。
そのまま、二人は消えていった。
透は最後に、誰にも聞こえなような小さな声で、ぼそっと呟いた。
「謝ってくれて、ありがとう」
この時、街を支配していた時計塔の主人は消えた。
そして、それが何を意味するのかをニーヒはわかっていた。
少しだけ、夕日が傾いていた。




