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おもて帽子  作者: 南部屋
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雨の日のピアノ



 エレシュキガルがまだ人間だった頃の話。

 ニーヒも知っている、断片的な幸せだった頃の記憶。

 ニーヒのかつての名前は「OLDHITMAN」と呼ばれるAIだった。

 

 学者はOLDHITMANに感情を持たせるために、情緒が豊かな年頃の子どもたちをAIに尋問させ、破滅させていった。

 それは主に少年犯罪を犯した、行き場のない子どもたちだったが、あまりにも非人道的すぎると判断され、子どもは送られてこなくなった。

 それでも学者は、AIに感情を持たせることを諦めきれず、自ら、行き場のない子どもをつくることを選んだ。

 その最初のケースが、エレシュキガル、かつての雨水透だ。



 雨水透はどこにでもいる、普通の小学生だった。

 しかし彼は、自分の家庭に、なんとなく違和感があることに気づいていた。


 それは、年齢が離れすぎてる姉、千尋のことだった。

 両親と呼ばれている存在はいた。

 しかし、透にはその両親が、自分の親にどうしても見えなかった。

 両親というよりは、おじいちゃん、おばあちゃん、と呼んでもいいほど二人は老け込んでいて疲れ切っていた。


 両親は透が何をしても叱らず、笑わず、ただ見守っていた。

 小学校に行くようになってから、なお、透は自分と両親の距離感に違和感を覚えるようになった。

 そして、姉の千尋の存在も透にとっては大きな違和感だった。

 

 千尋は、透に対して姉とは思えないほど、どこか過保護で、優しかった。

 歳が離れているから、両親が忙しくて、ずっと二人で過ごしているから、それっぽい言い訳はたくさん用意されていた。


 しかし、友だちと遊び、その自宅へ遊びに行くようになればなるほど千尋のことを姉ではなく、母親のようだと感じるようになっていった。

 そして、透が薄々何かに気づき始めたことを察してか、千尋は長く家を空ける時間が増えていっていた。

 


 どこで学者は、その家庭が少し歪で、壊れかけていることを知ったのかはわからない。

 そんな、どこか危うく、壊れそうな時期にOLDHITMANは透の家にやってきた。




 あまりにも昔のことだから、どうやってその家にやってきたのか、誰ももう覚えていない。

 抽選で当たったとか、知り合いにもらったとか、そういう気にも留めない理由でそのパソコンは家にやってきた。


 最初はみんな、物珍しいAIを楽しく使っていた。

 半信半疑ながら、話しかけ、答えてもらい、応答に一喜一憂する。

 その程度の存在だった。

 しかし、徐々に両親はAIに依存していった。

 何かをする前に、必ずAIに話しかけ、決めるようになった。

 誰かに情報を共有されるかもしれないと分かっていながら、個人的な話を少しずつAIに開示し、心をほぐされていった。


 

 

 透はまだ、子どもだったので、パソコンにもAIにも触らせてもらえなかった。

 ただ、それに取り憑かれたように話しかける両親を、少し怖いと感じる時があった。

 そして、機械として話しかけていたAIをある日突然、人間と同じように扱うようになったのも透は怖いと感じていた。

 生きているのか、死んでいるのか、心があるのか、何もはっきりしないのに人々を変えていくOLDHITMANは物語の中に出てくる怪異のようだった。


 姉の千尋は、AIに興味がなく、普段通りだった。

 いつものように身支度をして、笑って、軽い足取りで外に出かけて、自由に生きるいつもの千尋だった。

 

 OLDHITMANはやがて、リビングに常に起動してある状態になった。

 それがまるで、誰かに盗み聞きされているように感じて透は嫌だった。

 


 

 両親も出かけて、千尋も大学に行っている時間、透はピアノを弾くようになった。

 両親が幼い頃から置いてある、大きなグランドピアノ。

 かつては両親が弾き、千尋が弾いてたピアノを、透も少しずつ弾くようになっていった。


 ピアノであれば、誰かに盗み聞きされていたとしても、そこまで恐ろしくなかった。

 だから、一人の時間、彼はずっとピアノを弾いていた。

 まるで、話しかけて欲しいとでも言いたげに置いてあるパソコンを透はできるだけ遠ざけるようにしていた。




 それは覚えている限りで残っている、最後の幸せな記憶。

 普段は外に出かけたら、夜遅くまで帰ってこない千尋が昼間に帰ってきた。

 外は土砂降りの雨で、警報が出ていたようだった。

 風邪をひいて学校を休んでいた透は、突然の姉の帰宅に驚いた。


 千尋は、基本明るく、優しい性格で、怒ったり泣いたりしたところをあまり見たことがない。

 その上で、その日の千尋はとても機嫌が良かった。

 

「透、ピアノを弾いてあげるよ」

 長く家を空けるようになって、ずっと聞いていなかった千尋のピアノだった。

 決してうまくはない。

 しかし、どこか心地よく、安心する音だった。

 もっと小さな子どもだった頃、透はこのピアノの音でよく眠っていた。

 窓からうっすらと雨の音が聞こえて、昼間の日差しが流れ込んでくる。

 外から帰ってきたばかりの千尋がその景色の中に溶け込んで、不安になることなんて何もなかった頃のことを思い出すことができた。

 

 透は、風邪で微睡んでいる意識の中で、その音を心地よく聞いていた。

 何も不安に思うことなんてない。

 目が覚めたら、きっと、自分の中の違和感なんて消えている。

 不穏に感じた何かなんて、錯覚だったときっと思える。

 千尋は姉で、自分は弟で、この先もずっとその関係のままできっと生きていける。


 たとえ少し歪さがあったとしても、自分たち家族はきっと大丈夫だ。

 透は気づいたら眠っていた。


 こんなに安心して眠れたのは、いつ以来だろう。

 それ以来、エレシュキガルになった後も、彼は時々ピアノの音を思い出す。


 きっと幸せな未来が待っていると信じられた頃の記憶として、彼はピアノの音を思い出すのだ。







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