秋一と鳴海
彼女を初めて見たのは、少し日が暮れた時間の公園だった。
真冬が笑っているのが珍しくて、遠巻きで見ていることしかできなかった。
真冬は母さんがうつ病になってから笑わなくなった。
父が転勤して半年が経ち、三人家族の生活に徐々に慣れてきた頃、真冬がいじめられているのが発覚した。
靴が隠されたり、チビとバカにされているようだった。
友だちがまだ庇っていてくれてるらしいが、学校で孤立するのは時間の問題に見えた。
僕は何回か真冬と話して、相談に乗ってあげようとしたが、上手くいかなかった。
真冬と母さんは、そこまで仲が良かったわけでもないので、父がいなくなったことは想像以上に家族に負担をかけていた。
しかし、僕も学業や部活で忙しく、妹の面倒を全て見ることもできなかった。
このまま、徐々に家庭が崩壊していくのだろうかと怯えている時に、朝霧鳴海に出会った。
真冬は朝霧さんの前で家では見せたことがない笑顔をしていた。
「なるちゃんはお母さんの通っている料理教室にいる子」だと真冬は教えてくれた。
少し影があるけど、優しい笑顔を浮かべる人だった。
「なるちゃんは私がいじめられてる時に、男子を追っぱらってくれたんだよ」
真冬はそう話していた。
「おもしろい本を貸してくれて、お母さんの相談にも乗ってくれているんだよ」
母さんにも詳しく事情を聞いた。
朝霧さんは、料理教室で知り合った女子高生で、聞き上手で仲良くなったのだという。
真冬のいじめの相談にも乗ってくれて、飼い犬を連れて、いじめっ子を追い払ってくれた。
感謝してもしきれないと泣いていた。
僕がうだうだ悩んでいる間に、朝霧さんは全ての問題を解決してくれていた。
そして、夕暮れの公園で真冬と笑っている姿を見た時から、なんとなく彼女のことが気になるようになっていった。
気恥ずかしいので、真冬には兄であることを教えないで欲しいと伝えてある。
部活で帰りが遅いから、たまたま部活が早く終わった日でもない限り、彼女に会えないのだ。
朝霧さんは、物静かで、少数の友人しか作らない上に、別の学校だったから、接点を持つのが大変だった。
普段参加しない読書会に参加して、やっと彼女に会うことができた。
次いつ接点が持てるかわからない焦りで、ついうっかり告白してしまったが、朝霧さんが戸惑っていることだけが伝わってきた。
無理もない、こちらは一方的に妹や母から彼女の話を聞いているが、朝霧さん自身は何も知らないのだ。
保留にされてしまい、距離感がうまく掴めないことに、ずっと悩んでいる。
今日も母さんは朝霧さんと一緒に作ってきたカップケーキを持ち帰ってきた。
少し、後ろめたい気持ちでそのカップケーキを食べながら、読書会で彼女が持っていた本を思い返していた。
「失われた時を求めて」。
とても分厚い本で、彼女も長すぎて読める気がしない、と笑っていた。
部活の合間に本を読めば、少しは彼女が話しやすいだろうか?
いや、真冬から本を借りたほうがいいのか?
彼女の学校と共同で行うことになった、オリエンテーションのチラシを見ながら、ぼんやりと悩んでいた。
この日までに一冊ぐらいは、朝霧さんが読んでいた本を読みたい。
そんな呑気なことを、ぼんやりと僕は考えていた。
あのオリエンテーションの時期は、彼女への気持ちが、少しずつ増してきていた。
そんな秋の頃だった。
もう僕は彼女の人生に介入できないけど、僕にもう一度会えた朝霧さんが、幸せになってくれるなら、それでいいと思っている。