表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おもて帽子  作者: 南部屋
12/18

その12  記憶の羅針盤

 




 あの日から、ニーヒに斬られた傷が、少し疼く。

 あの剣は、肉体を切る剣ではなく、魂を傷つけるものだ。

 傷から生まれた記憶は少しずつ魂を侵食し、傷つき切った魂は消滅する。

 彼は私を消滅させるために、容赦なかった。

 だからこそなのだろう。

 血を川で洗い流しても、何かが根本的に傷つけられている。


 彼も、私も、互いの記憶を見た。

 それは、それぞれがこんなところに来てしまった原因の記憶。

 記憶を閉ざし、生きることも死ぬことも拒否するきっかけになった過去だ。


 疼く傷から過去が見える。

 私自身の記憶だ。


 覗き見えるたびに私の心は拒絶する。

 当てはまる感情がないほどの虚しさに襲われるのだ。

 決意をして出発したはずなのに、私は恐ろしくなっている。

 この、果てしない虚しさに私は耐えられるのだろうか、と。



「夢というのは不思議なものね」

 エミリーはそう言った。

「私にとってここは、起きれば現実ではない。でもあなたたちにとってここは間違いなく現実なのね」

 ついさっき、エミリーとたまたま出会い、一緒に野営することになった。

 エミリーは現実に肉体がある存在なのに、研究のためにこの世界に来ているという変わり者だ。

 彼女の世界では魔術が発展している。

 だからこそ、ここに来られる方法が彼女なりに確立されているのだという。

 しかし、それは彼女の世界でも正気の沙汰ではないらしい。


「言ったでしょ、私より詳しい人がきっと教えてくれるって。まぁ、まさか死神まがいとは思わなかったけど」

 エミリー曰く、ニーヒの状態は非常に危うい状態なのだという。

 魂として不完全なもので、人でも神でもない。なのに、使っている力は神の真似事なのだと。

「何かの管理者に見つかったら完全にアウトね。まぁ、この世界は管理者がいない世界でもあるんだけどね」

 ここは煉獄なのだ。

 どこにもいけない魂が、吹き溜まり、漂い、迷い込む場所。

 ここを抜け出さなければ、私たちは何者にもなれない。

 それゆえに、管理者の類も真面目にここを管理する気がないのだという。

 気まぐれに彼らがやってきて、燻っている魂は問答無用で消される場所だ。

 事情や過去を聞いて、その処遇を思い、導く、そんなものをここで真面目にやっているのはおもて帽子ぐらいだという。



「あなたも、だけど、その剣も壊れる寸前なのよね」

 エミリーははっきりと言った。

「踏みとどまっているだけで、前に進む力はもう残っていない。だからどこにも行けない。もっと残酷なことを言えば、死ぬ力も残っていないの」

 死というのは自身の道を理解してたどり着ける場所だから、とエミリーは言っていた。。

「あなたの頭の上の帽子は、そんな存在が消えいていくしか運命がないことが許せないの」


「傷を受け入れるには準備がいるわ。でもあなたは見つめる力を手に入れた。

 荒療治すぎるけど、きっとあのニーヒとの接触のおかげね」


 エミリーは川の水を採取していた。

 特別なケースに入れて、現世に持っていく実験をしているのだという。

 本当に持っていけるのかさえ、実験の一部なので、川の水を入れたケースが彼女の横に大量に並んでいた。


「おまえこそ、管理者に見つかったら消されるぞ」

 おもて帽子が苦笑して言った。


「こんなところに、肉体がある魂が来てる時点で覚悟の上よ。死んでるふりが私は上手いの」


 エミリーは笑っていた。

 ここの世界にいる人は、ほとんど笑わないので、彼女の表情は本当に新鮮に感じる。

 

「生きている実感とか、生きている意味とか、本当に考えるわ。でもね、ここに来ると生きてることそのものが特別なのよね。

 

 まぁ、起きたら夢の中の出来事になるから、実感消えるんだけど」



 川の向こうにいけば、答えがある。

 川の向こうにいけば、過去が見える。

 思い出にすることができないけど、確かに存在した私の記憶が。



 それを受け入れることができれば、今、エミリーが言っていることの意味がわかるのだろうか。

 ないはずの心臓が鳴っている。

 目的地は近いのだと、第六感でわかってきている。


「因果や運命を受け入れることができれば、あなたはどこかにたどり着けるわ」

 エミリーは背中を向けながら言った。


「受け入れることは、敗北したことじゃないわ。自分自身の居場所を知ることなの」

 エミリーは川の向こうを見ていた。



「あなたもその剣も、本当はそれを知っているはずよ」


 エミリーは川の向こうを指差した。


「もうすぐ、着くはずよ。大丈夫、きっと受け入れられる。どんな過去でも未来でもね」


 エミリーは真っ直ぐ私を見ていた。

 そして私の手のひらに、何かを握らせた。


「アイオライトはこの世界で羅針盤になるわ。持っていくといい」


 その紫色の石は、曖昧なこの世界で美しく光っていた。

 現世から持ち込まれたものであることがよくわかった。


「持ってくることはできるんだけどね。やっぱり、ここの世界のものは難しいわ」


 そう言ってエミリーは消えていった。あちらの世界で目が覚めたのだろう。



「本当に大丈夫か?」

 おもて帽子は言った。


「きっと、なんとかなるわ」


 私はそう答えた。

 強がりでしかなかったが、前に進みたかったのだ。


 アイオライトは美しく光っていた。

 川の向こうは、もうすぐそこだと、羅針盤も示していた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ