第2話 魚見と波瀬①
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そんな出来事から六日経って、木曜日。
朝の教室。私は窓際の席に着いて机の中に教科書を詰め込み、ホームルーム開始までスマホをいじったり窓の外をぼんやり眺めたりして時間を潰していた。
まだ人も疎らな教室に、一人、また一人と生徒が登校してくる。
そのたびに「鳴海さんおはよう」と挨拶される程度には私も社交人で、……なんというかまぁ、率直にいえば私、クラスの人気者的な立場におりまして。
そして、そんな彼ら彼女らに「おはよう」とにこやかに返事ができるぐらいには、私だって自室の姿見の前で何度も何度も笑顔の練習をしてきているのだ。
「鳴海さん、おはよう。一時間目から数学とかマジだるいよね~」
「おはよう。でも朝一で体育よりはマシじゃない? 着替えとか面倒だし」
「鳴海さん、おはよ~! 今日もかわいいね~。目の保養、目の保養」
「おはよう。人前であんまりそんなこと言わないの」
「鳴海、おはよう。今朝は早いね。木曜日は委員会だっけ?」
「そうなの。飼育委員会の仕事で、うさぎに餌やりしなくちゃいけなくて」
最後に声をかけてきたのは、私の後ろの席の女子生徒――魚見明香。
私と同じグループの女の子で、学内の(特に)女子をきゃあきゃあ騒がせているカッコイイ系美人だ。
部活や委員会には無所属。だからといって、特別塾とかに通っていたりするわけでもない。つまりは基本暇人である。
唯一の趣味は釣りで、休みのたびに釣りスポットに出かけているらしい。
先週の休日も駅近くで釣りをしてたらカワイイ魚が引っかかったんだ、と嬉しそうに話す魚見。はて、駅近くに釣り場など存在していただろうか。
「魚見って部活とか入ってないけど、普段放課後なにしてんの?」
「んー、特に何もしてないけど。カフェとかゲーセンとか、駅前をふらふら」
なるほど。放課後はやっぱり暇してるってわけね。
「空いてる時間でバイトとかする気ないの?」
「いやだ。あたし働きたくない」
唐突な社不発言。そして何故にドヤ顔。
決して誇るべきことじゃない。
「それにあたし実家太いし」
言いながら、むんと謎に胸を張る魚見だ。
張ったわりには主張に欠ける慎ましやかな胸である。目測で多分Bもない。
私が白い目を向けていると、魚見は心外だとばかりに憤った。
「大丈夫。あたし、高校出たらすぐに恋人つくって養ってもらう予定だし」
社不発言に続いて、今度はヒモ宣言である。
なんて奴だ。
「いや、よく考えたら、やっぱり大学には進学しておくべきだよね。大学って恋人作りするには絶好の場所だと思うし」
大学をなんだと思っているのか。
そして反省すべき点はそこじゃない。主に、社不発言とかヒモ宣言とかだ。
私がなおいっそうしらーっとした目で魚見を見ていると、教室後方の出入口のほうから「おはよっ~!」と可愛らしい女の子の声。
元気いっぱいに駆け込んできたその子は、私と魚見の近くまで寄ってきて。
「魚見も鳴海もおはよー! 二人してなんの話してるの? ウチも交ぜて!」
「いいけど、あんたはまず荷物しまっておいで。ガールズトークはその後」
魚見の指摘に「はーい!」と元気よく返事をしたのは、波瀬陽奈だ。
この子も同じグループで、明るい笑顔で誰にもでも分け隔てなく接することができるから学内でも結構な人気を勝ち得ている。
少し人たらしなところがあるせいで一部からは「軽い」と認知されているけど、本人は「認知すらされないほうがみじめじゃない?」と気丈だ。流石陽キャ。
「で、なんの話? まぁまぁ盛り上がっていたようだけど」
教科書を机にしまった波瀬が、そこに座るのが当然といった感じで魚見の太股の上に乗る。その距離の近さが、私たちの仲の良さを象徴していたりする。
「魚見って部活とかに入ってないじゃん? だから放課後なにしてんのかなって」
「へぇ。じゃあ魚見、ウチの部活来る? 陸上部。走るの気持ちぃよ~」
「いや、運動部は無理。中学も文化部だったし、入るんだったら楽そうな部」
陸上、というワードを聞いて、渋い顔で首を振る魚見だ。
何か別の候補がないかと考えてみて、私はぽっと出の案を口にする。
「文化系で楽そうっていったら、文芸部とか?」
「いやあたし本とか活字とか読めないし」
「じゃあ、調理部は? 週に一、二回ぐらいしか活動しないんだって」
「あたし料理とかできないんだよね。包丁握ったら腕が血まみれになる」
「……茶道部は? 講師とOBが週一でしか来ないし、お茶とお菓子食べれるし」
「お茶菓子苦手なんだよなぁ……餅とか羊羹とか」
こいつ、部活をやらない理由がワガママすぎる。
呆れを通り越してもはや絶句レベルである。
そんな私に共感してくれたのは波瀬だ。やれやれと息を吐く。
「魚見よ。部活をするうえで重要なのはズバリ、目的意識なんだよ」
おお、なんかまともっぽい話の切り出しだ。そのままやる気の欠片もない、この将来ヒモ志望をたたき直してやってほしい。