第19話 凍りついた魚②
鹿島くんに肩を組まれた涼木さんは何故か顔が青白くなっていて、ぶるぶると小さく足も震えている。その表情からうかがえるのは、微かな怯え。
そういえばさっき、肩に触れた瞬間、涼木さんが小さく飛び跳ねたように見えたのは私の見間違いだったのだろうか。
「いやいやいや、そんなはずないよねたぶん……」
……どうしても見間違いには、思えなかった。私は一人で首を振る。
清掃班の誰も涼木さんの異変に気づいていないようだった。隣の波瀬も気づいていない。私だけが、涼木さんの異変を察知していた。
ごくり、と唾を飲む。
――今さっきできたばかりの友達を助けられなくてどうする。
ふと、私にしては珍しいそんな殊勝な思いが沸き立った。
「じゃあ、プールの水抜きに移ろうか。涼木、俺達のほう手伝ってくれるか?」
「あ、えっと……う、うん、わかった」
「あのっ、す、涼木さん――」
私は思いきって、対岸に向かって声をかけようとする。
が、そのか細い声は鹿島くんにも涼木さんにも届かなかった。
二人は対岸の私に気がつかないまま、歩きだそうとする。
――鹿島くんに触れられた瞬間から、ずっと怯えた様子でいる涼木さんをどうにかして彼の手から解放しなくては。
これが女の勘というやつだろうか。理性とは別の心の領域で、そう強く警告する何かが、ひどく私を焦らせ早急に行動に出よと命令してくる。
私はその指令に従うままに。
今度は対岸に声が届くように。
一歩二歩とプール側に近づいて、大きく息を吸って――
「涼木さん! もしかして急に具合悪くなっ――――わぷっ!?」
……足を滑らせて、ばしゃん――と勢いよく水の張ってあるプールに落下した。
「え!?」
「なになに!?」
「誰かプールに落ちたんだけど!」
「制服のまま!?」
……そんな、掃除メンバーの声が水中でもぶわぶわ聞こえてくる。
身構えることなく落水したために、その衝撃で意識が一瞬飛びかける。
水上で騒ぐ声たちが、沈んでいくにつれ不明瞭になっていく。
身投げした水中で、私は凍りついた魚のように身動きが取れなかった。
緩やかな水圧に身を委ねると、そのまま泡に化けて消えていけそうだった。
……プールの底から水面を見上げるとこんなに綺麗な景色が見えるんだなあ。
働かない私の脳みそが勝手に、ぼんやりとそんなことを考えている。
水中から覗いた波間に揺れる葉桜の群れ。
視界を徐々に暗く覆い出すのは重力を失った私の黒髪。
私の身体はまた勝手に、私の目蓋をそっと閉じさせる。
背を丸め、膝を折り曲げ、腕を胸元へ。
プールの底に背を打つと、ぼこぼこといくつもの泡が私の口から洩れた。
その泡が私の頬をなぞり、鼻筋を舐め、額を殴って、前髪に纏わりつく。
……あ、私本当に泡に化けちゃいそう。
いくつもの泡を浴びているうちに、また私の脳がおかしな錯覚をする。
そろそろ息も苦しくなって、身体の芯まで氷が届いてきて。
けれどその苦しさも冷たさも、バカになった脳では心地良さや快楽に近い錯覚となって身体を包み込んでいき――
「――ちょっと鳴海ちゃん、大丈夫!? わたしの声聞こえる?」
気づくと、何者かが沈む私を抱いて、水上まで浮上させてくれていた。
水面から顔を出す。濡れた身体に夕風が当たってじくじくと鳥肌が立つようだった。
私は泡にはなれず、けれどこうして息ができている。
その人は、私を抱きかかえたまま、焦った様子で話しかけてくる。
「――鳴海ちゃん、わたしの声聞こえるなら、返事をして!」
「……す、涼木さん?」
「よかった、意識はちゃんとあるみたいだね」
そのまま涼木さんが岸まで連れ行ってくれる。辿り着いたのは対岸だった。
岸に手を掛けると、水中でみた幻覚を吐き出すように大量の水が吐き出された。
まずい水だ。
さっきまで胃の中に入っていたと思うと、さらに吐き気を催して、二度吐いた。
私はびしょびしょになった制服のままプールサイドに寝転がる。
涼木さんの手を借りて回復体位になると、幾分か呼吸しやすくなる。
大丈夫!? と視界に入ってきたのは、私同様びしょ濡れの涼木さんと、波瀬。
そして、急いで駆けつけきた湖崎先生だ。
「湖崎先生、ウチらは何をすれば――!」
「鳴海と涼木は一旦保健室だな。波瀬、付き添い頼めるか? それと、先生はこの場を離れるわけにはいかないから、急いで養護教諭を呼んできてくれ」




