第1話 学内カースト最上位の美少女
「ちょっと忘れ物したぐらいで、この仕打ちって……」
葉桜がひらひらと舞い散る五月下旬。
私はワイドブラシを掴み、プールサイドをゴシゴシ擦りながらそう呟く。
その日の放課後、私はプール掃除をするようにと湖崎先生に言われていた。
水泳部でもない私になぜそんな雑用が任されたかというと。
それは、私が、湖崎先生の課した宿題を期限内に提出しなかったからだった。
掃除には大体二時間ほど費やさないといけないのだそう。宿題を忘れただけで放課後二時間の拘束って、ちょっと罰が重すぎやしないか。
「面倒くさいな。今日は魚見と映画館行こうって約束してたのに……」
四月にできたばかりの友達との予定をドタキャンした申し訳なさで心が痛い。
その痛さをごまかすには、清掃作業に集中するのが一番だった。
私はブラシに力を入れ直すと、ワッシワッシと汚れを落としていく。
清掃班は私同様課題を出さなかった男女十名と水泳部員で組まれていたけど、私は特に会話には交じらずひとり寂しく手を動かす。
……懐かしいな、この、孤独って感じ。
そういや、中学のときの私は典型的な陰キャぼっちで、それゆえいじめっ子たちに目を付けられて不登校気味だったなぁ……。
人と話す機会といえば授業中先生に当てられたときぐらいだったし、当時は特に委員会とか部活とか人と接する場所を自分から避けていた気がするし。
ある程度プールサイドが綺麗になると、私は汗を拭って小さく息をついた。
集中を解きふと周囲に意識を向けると、プールの対岸に、私と同じようにブラシを持ち、賑やかな男女に囲まれている女子生徒がいることに気づく。
「それにしても涼木さんが課題提出に遅れるなんて珍しいよねー」
「それな。涼木さんってめっちゃ成績良いじゃん? だからちょっと意外」
「わかるー。けど、たまにはポカするほうが人間らしいっていうかぁ」
取り巻きの男女が目をキラッキラさせて、その女子生徒に詰め寄っている。
女子生徒は困ったように笑い、ぽりぽりと頬を搔いていた。
「うん。実は配られた課題のプリント、紛失しちゃってさ」
彼女が一言答えるごとに、集団は過剰な反応を見せる。
「そっかぁ~。涼木さんプリント無くしちゃったんだぁ~」
「もしかして涼木さん、案外抜けてるとこある感じ?」
「えー、なにそれ! 美人で萌えポイント有りとか、無敵過ぎないっ!?」
あはは、とぎこちなく笑って頷く女子生徒は、涼木彩愛。
校内の誰もが認める美人で、先輩に同級生、男子に女子と引く手数多の才女だ。
先週から貼り出されている「中間テスト成績優秀者」の上位にその名前を刻み。
所属している委員会でも先輩以上の働きから、多くの生徒から思慕を集め。
他校の生徒にまでその存在が知れ渡っている――いわば、スクールカーストのトップ・オブ・ザ・トップだ。
流石の人気っぷり。男女からモテる(もちろん恋愛的な意味で)だけあるなぁ。
私は遠くから、しばし涼木さんとその取り巻きを眺めることにした。
と、集団の中から一人の女の子が前に出て涼木さんに話しかける。
「あの、涼木さん! 掃除終わったら、この後どこか寄っていきませんか?」
「ごめんね。掃除後は同じ委員会の子と約束があって……また今度にしようか」
ファンガールと思しき女の子をにこやかに躱し、けれど一切の波風を立てないような立ち回り。なるほど、これが真の陽キャが持つトークスキルってやつか。
私が感心する遠くで、しかし女の子はめげずに涼木さんを誘う。
「今度というのは明日のことですか!? それとも明後日のことですか!? 私はいつでも予定空けてるので、涼木さんの都合の良い日を教えてください! あ、でも、今すぐ教えてほしいわけじゃなくて、後から連絡できるよう、是非メッセージアプリのアカウントを交換しておきましょう! さぁ、今すぐ! 交換しましょう!」
なんかあの子、急に重くないか。
それっぽい理由を用意してパワープレイで連絡先交換しようとしてるし。
「あー、ごめんね。今スマホ、教室に置いてるんだ」
うわ、あっけなく振られた。
女の子はけれどけれど諦めず、必死に食い下がろうとする。
「でもでも! このアプリ、電話番号から連絡先追加もできるので! 是非! 今すぐ! 教えてください! 涼木さんの! 電話番号!」
粘るなぁ。一世一代の告白って感じだ。ちょっと猟奇的過ぎるけど。
ぐいぐいと涼木さんの顔にスマホを押しつける積極的なファンガール。
対して涼木さんは……あ、今なんか一瞬頬が引きつってるのが見えたぞ。
あれ絶対面倒だと思ってる顔だよね。周囲は彼女の機微に気づいていない様子。
さて、涼木さんは激重ファンガールをいかにしていなすのか。
観察していた私は、次の瞬間、涼木さんの臨機応変ぶりに驚くことになる。
「――ほら、ダメでしょ? プール掃除にかまけて制服乱してるようじゃ」
「――っ!?」
涼木さんはぐっと女の子の首元に顔を寄せ、彼女のネクタイを直してあげた。
顔と顔が近づき、微かに目を細めた涼木さんが女の子を上目遣いで見つめる。
女の子はぼわっと顔を赤くし、先程までのペースをうやむやにされていた。
「ふぇぇ……」と蕩けた表情は完全にメスのそれだったし、多分もうあれだけ必死にせがんでいた連絡先のこととかも頭から抜けているんじゃないだろうか。
涼木さんはネクタイを綺麗に整えると、今度はポンポンと頭を優しく触った。
そこらへんで、女の子は完全完璧ノックアウト。
「あ、ありがとうございましたぁ……」とかなんとか意味不明な感謝を鼻血だばだばの状態で述べ、その場に膝から崩れ落ちていった。なんだこれ。
……それにしても、なんだってんだあの陽キャの人気っぷり。凄いを通り越してもはや引いてしまうレベルである。
私は、対岸に立つキラキラオーラを纏った女子生徒を再度見つめる。
――涼木彩愛。彼女が、彼女こそが、この春入学してきたばかりの一年生にして、学内の誰もが認めるスクールカーストの頂点に立った美少女だった。