5、本物の氷の聖女
食事を用意していると後ろで物音がした。きっと女性が起きたのだろう。私は安堵しながら振り向くが続けて言葉は出てこなかった。お義姉様達以外と会話したことがないことを思いだしたから。しかも大概一言で会話が終わっていたことも。
自分を情けなく思いながら女性の背中をただ見つめる。すると女性が突然自分の額を叩きカラ笑いしたのだ。途端に不安になる。もしかしたら、お義姉様達みたいな酷い事をしてくるかもと思ったから。
けれど女性の口からは全く関係ない言葉がでてきたのだ。
「ははっ、Bランク冒険者になったってのに、ヘマした挙句に落ちるなんてね……」
そして落ち込んだ様子を見せたのだ。おかげで安堵よりも居た堪れなくなってしまう。ただ結果的にそれが良かったらしい。声を出すことができたのだから。
「……あのう」
ただし恥ずかしさで小声しか出なかったが。案の定、間後ろにいたのに全く気づかれない。
「しかし、あの世ってのも大概寂しいとこね」
しかも女性は独り言を続けたのだ。勘違いしながら。私は慌てて首を横に振る。
「ち、違います……」
しかし、まだ声が小さかったらしく女性の独り言は続いた。
「それにしてもさっきから良い匂いがするわね」
女性は匂いを嗅ぎ始める。その反応に料理を褒められたと思った私は自然と先程より大きな声が出た。
「た、食べますか?」
「えっ?」
遂に私の存在に気づいた女性は振り返る。そして悲鳴を上げたのだ。
「わあああああっーーーーーー‼︎」
「きゃああぁぁっーーーーーー‼︎」
驚いてしまった私も思わず一緒に悲鳴を上げる。すると女性が恐る恐る声を掛けてきた。
「あ、あんた、もしかして生きてる人? ゴーストとかレイスじゃない?」
私は首を何度も縦に振る。女性はあからさまにほっとした様子になった。
「はあ、良かった……。じゃあ、あたしも生きてるってことね。でも、何であの高さから? それに何で傷も残さずに治療ができたの?」
「そ、それは……」
女性の質問にすぐに答えられなかった。緊張してしまったからだ。けれど女性は違う意味でとってしまったらしい。手を軽く振ってくる。
「あっ、今のは聞かなかった事にして。でも助けてくれてありがととう」
そう言って頭を下げてきたのだ。私は気にしないで欲しいと首を何度も横に振ると女性が笑顔を向けてくる。
「ねえ、あなたの名前って何? あたしはルナス・オリベア。魔法適性はないけどアルセウス領のランプライトの町を拠点にしてるBランク冒険者よ」
ルナス様はポケットからカードを出してくる。きっと身分を証明するものなのだろう。まあ、見ても私にはさっぱりわからなかったが。
ただ、わからないなりに眺めているとある事に気づいたのだ。このカードを作る際、嘘が書けない仕様になっているかも。更には下手に偽名を名乗ると後々に身分証を作る際に面倒なことになるのではと。
どうしよう……
名前を偽ろうとしていた私はどう答えようか迷ってしまう。するとルナス様がまた軽く手を振ってくる。
「ああ、言いたくないなら気にしないで良いわよ。ただ、私は命の恩人を誰かに売る様なことはしないから安心して」
ルナス様はそう言って力強く頷いてきたのだ。だから私はその姿に悪い人ではないと感じ、正直に名乗る事にした。
「セ、セシリアです……」
するとルナス様は少しだけ驚いた表情を向けてくる。
「へー、氷の聖女様と同じ名前なんだね」
「ち、違います! 私と氷の聖女様は何も関係ありません!」
心臓が跳ね上がりそうになりながら慌て否定するとルナス様は笑い出した。
「はははっ、わかってるわよ。氷の聖女様がこんな場所にいるわけないでしょう。今頃、オルデール王国の王都で優雅な生活をしてるわよ」
「そ、そうですよね」
私は頷きながらも内心複雑な気分になっていた。あの時言っていたようにお義姉様が私の代わりに氷の聖女をやっている。これでますます生きている事を知られてはいけない。そう理解したから。
不安感が押し寄せる。更に見つかってしまった場合のことも。すると私の様子に気づいたルナス様が心配そうな表情を向けてきた。
「どうせセシリアも誰かに落とされた感じでしょう。もし良ければあたしが話しを聞くよ。なんなら言わなくて良いところは濁して良いからさ」
「……いいえ、私の事はお構いなく。きっと、ご迷惑がかかるかもしれません」
ルナス様が巻き込まれたらということを想像しながら答える。しかしルナス様は首を横に振ってきた。
「何言ってんのよ。セシリアは命の恩人よ。迷惑の一つや二つぐらい受けもって上げるわよ。こう見えてあたしは色々トラブルは解決してきてるの。だからBランク冒険者になれたんだからね」
ルナス様は豪快に自分の胸を叩く。自信があるのだろう。私とは違って。それにお義姉様とも違い自信のあるその姿は頼もしく思えた。まるで勇者様のように。
だから食事の用意をしながら慎重に言葉を選び話したのだ。自分の身分やお義姉様達の事は伏せ断罪の裂け目であった事を。
「なるほど、要は一緒に旅をしていたお偉いさんに落とされたから、生きてることを知られたくないと」
「……はい。そんな事は可能なのでしょうか?」
恐々尋ねるとルナス様は笑顔で頷く。
「うん、全然いけるわよ。むしろ簡単ね」
「いけるのですか⁉︎ しかも簡単に⁉︎」
前のめりになりながら聞き返すとルナスさんは苦笑する。
「大丈夫よ。そうやって生きてる連中なんてそこら辺に腐るほどいるから」
「良かった……。これで悩みの種が一つ減りました」
ほっと胸を撫で下ろしていると今度はルナス様が質問してきた。
「それは良かったわ。で、セシリアは外に出たらどうしたいのよ?」
「ええと、問題を起こした令嬢達が行かれる修道院に行こうと思います。それで彼らに気づかれないよう暮らしていきたいと」
そう答えるとルナス様は渋い表情で首を横に振った。
「やめときな。そういう修道院はだいたい普通じゃない。自分から牢獄みたいなところに行くようなもんだよ」
「えっ……そうなのですか?」
「うん、毎日、キツい生活が待ってるし場合によっては酷いこともされるから」
「そ、そうなのですか……」
ルナス様の話を聞き項垂れてしまった。やっと自由になれると思ったのにまた同じような場所に行くのかと。でも他に行く宛がなかったのだ。だから、困ってしまっているとルナス様が私には考えつかない様な事を言ってきたのだ。
「なんだったら冒険者になりなよ」
「ぼ、冒険者ですか?」
「うん、だってこのダンジョンまで来れたんだからセシリアはそれなりに力はあるはずよ」
「で、でも、私は身分を証明するものは持ってません。だから先程見せて頂いたカードは作れないのではないでしょうか? それに私自身の事はあまり……」
「ああ、そこら辺はツテを使って何とかしてあげる。それで作ったら冒険者カードに表示するのは名前とランクだけにすれば大丈夫よ」
ルナス様は親指を立ててくる。その行為が何を意味するのかよくわからなかったが私は再び胸を撫で下ろす。
そして心の中で聖リナレウス様に感謝しながら祈りを捧げたのだ。ただ祈っている最中に気づいてしまう。生まれて初めて聖リナレウス様に心から感謝をしたことを。今までは心のこもっていない祈りを捧げていたことを。直後、胸がチクリと痛む。
しかし、私は気にせずに食事の準備を続けた。食事は唯一楽しかった時間だから。
「だから待っていてください」
私はそう呟くとルナス様の横顔に微笑むのだった。
◇
あれから私達は無言で食事をしていた。ただし私は満足していたが。なぜってルナス様がひたすら私が作った食事を黙々と食べていたから。しかも今は三杯目。その食べっぷりが嬉しくて仕方なかった。
作った甲斐があったと嬉しく思っていると三杯目も空になったのが見えた。
「ルナス様、もう一杯食べられますか?」
「食べたい……いや、流石にこれ以上は悪いわよ。てか、様はいらないから。身体中が痒くなるわよ」
「す、すみません。では、ルナスさ……んでよろしいですか?」
「さんもいらないけど、まあ、徐々にでいいか……。ところでこのスープ本当に美味しいわね。何の肉を使ってるの?」
「コカトリスです。ルナスさんのお口に合って良かった」
するとルナスさんは空になった木の皿を見つめる。しかも、しばらく固まったように動かなかったのだ。
だから何かまずい事をしてしまったのかと不安になっているとルナスさんは悲しそうな顔を向け言ってきたのだ。
「鳥系の肉の中でも最高級食材の一つじゃない……。あたし全然、味わわないで食べちゃった……」
そして、まだ鶏野菜スープが少し入ってる鍋を涙目で見つめたのだ。私はすぐにルナスさんの持つ器に鍋に残った鶏野菜スープを入れた。
「私はもう食べられませんからルナスさんが食べて下さい」
するとルナスさんは感極まった表情を向けてくる。
「セシリア……なんて良い子なの! 今度はちゃんと味わって食べるわ!」
「ふふ、まだ、コカトリスの肉は沢山ありますから食べたい時は言って下さいね。何せ、ここにはいっぱいいますから」
そう言って微笑むとルナスさんは飲んでいたスープを盛大に吹き出し慌てて立ち上がった。
「呑気に食べてて気づかなかったけど、ここ魔物が湧くんじゃない⁉︎ しかもコカトリスはAランクの魔物よ⁉︎」
「大丈夫ですよ。結界を張ってますから魔物は入って来ません」
「結界?」
「はい、それに今も結界の近くに湧いてしまった魔物は倒してますから安心して下さい」
「倒す?」
ルナスさんは驚いた表情を向けてくる。しかし、しばらくして頷いた。
「ま、まあ、あたしより前に落ちて無事なセシリアがそう言ってるんだから大丈夫ね」
そう言うと鶏野菜スープを再び食べ始めた。ただ、しばらくするとまた勢いよく立ち上がり絶望的な表情を浮かべたのだ。
「ねえ、あたし達ってどうやってここから外に出るの?」
心配そうに辺りを見回す。だから私は立ち上がると力強く頷いた。
「大丈夫です。ルナスさんが落ちて来た時に上に行く方法を思いついてしまったんです」
「えっ、あたしが落ちたおかげ?」
「はい、ルナスさんのおかげで結界を使って上に行く方法を思いついたんです」
そう言うと足元に淡く光る大きめの氷の結晶の形をした結界を出す。そして、その上に飛び乗りゆっくり浮かび上がった。
◇
ルナスは内心、驚きすぎて固まっていた。だが、それはセシリアが結界に乗って宙を浮いたことに驚いたのではなく、セシリアが出した氷の結晶の形をした結界を見たからだった。
この子は……いや、この方は氷の聖女セシリア様だ。
暗闇の中を結界の淡い光によって照らされるセシリアを見てルナスは確信するのだった。
◇
私達はあれから無事に断罪の裂け目の底から抜け出すことができた。ルナスさんは真っ青な表情で断罪の裂け目を覗きこむ。
「ずいぶんと高い場所から落ちたんだね……」
そう言うルナスさんの隣りで私は俯く。シルフィード家に連れてこられてからお義姉様とは十年以上一緒だった。なのに本当に私を殺したかったとわかったから。
散々虐げられたがやはり家族だと思っていた私には厳しい現実を突きつけられた瞬間だった。私達はしばらく俯き続けていたが、突然、ルナスさんが手を打つと声を掛けてきた。
「そういえばセシリアは外に出たら住む場所とか色々探さないといけないんでしょ。なら、あたしがしばらく手伝ってあげるよ」
ルナスさんの申し出を聞き、すぐにお義姉様達に言われていたこと、不細工な芋女が他人様の時間を取るなという言葉を思い出す。
「……いえ、私なんかのためにルナスさんの時間が勿体ないですよ」
感謝しながらもそう答えるとルナスさんは怒った顔で詰め寄ってきた。
「勿体なくなんかない! 恩人のセシリアのためなら、いくらでも時間を使ってあげるから、思いっきりあたしを頼ってよ」
「ルナスさん……」
私はルナスさんの言葉に感動し涙を流してしまう。するとルナスさんがハンカチを指し出してきた。
「使って」
「す、すみません……」
ハンカチを受け取るとケープを軽く上げて涙を拭く。しかし慌ててケープを下げた。ルナスさんの視線に気づいたから。ルナスさんは目を見開き、驚愕した表情で私を見ていたのだ。
きっと私の容姿が酷かったから驚いてしまったのだろう。慌ててルナスさんに頭を下げる。
「お、お見苦しいものを見せてしまい申し訳ありません……」
「はっ、何言ってるのよ。とんでもない綺麗な顔だったよ!」
ルナスさんは大袈裟に手を振りながらそう言ってくる。私は首を横に振った。
「……ルナスさんはお優しいのですね。それより、こんな不細工で芋女な顔ですが、誰にも知られたくないので黙っていて下さいね」
私は深く頭を下げる。それを見たルナスさんは複雑な表情を浮かべたがゆっくりと頷いてくれた。
「わかったわよ。とにかくセシリアは誰にも正体がばれたくないんだね」
「……はい」
「任せなさい。あたしが何とかしてあげる。ただ、信用ある人達に相談するけど大丈夫? 凄く力のある人達だからきっとセシリアを守ってくれるわよ」
そう言ってくるルナスさんに私は頷く。何せ、もう私の中でルナスさんは信頼できる存在になっていたから。
「ルナスさんがそう言われるのなら私はお願いしたいです」
「わかったわ。では早速、ダンジョンの外に向かいましょうと言いたいんだけど…… やっぱりあたしの武器は落ちてないよね。素手で外までいけるかな……」
ルナスさんは不安そうな表情をするため、私は何かできないか考える。そして、ある事を思いつき口を開いた。
「あのう、拾ったもので良ければ……。ただ、ご遺体からお借りしたものなので、後でご遺族にお返ししないといけませんけれど……」
そう言うとルナスさんは首を横に振った。
「ダンジョンで死んだ冒険者の遺品は、基本拾った人のものになるから大丈夫よ」
「そうなのですか? じゃあ、ご遺体はどうしたら良いのでしょう?」
「それなら冒険者ギルドに持っていけば大丈夫よ。てか遺体も持って来てるの? 魔導具の鞄?」
「いいえ。結界を使って収納してるんです」
「それ、魔法の中でも高等技術がないとできないやつ……いえ、とりあえず、わかったわ。じゃあ、剣を借りていい?」
「はい」
私は頷き収納空間から一振りの剣を取り出す。するとルナスさんは驚いた表情になる。
「これ、新品同様じゃない。もしかして時間を止める収納鞄に入っていたの?」
「いいえ、祈りと浄化の力を……」
「ああ、セシリア……。これからは人前であまりそういうことを言っちゃ駄目よ。自分の持ってる力は時には人に利用される事があるからね」
ルナスさんの言葉にはっとなる。お義姉様達の顔が浮かんだから。
そうよね。気をつけないと……
私はルナスさんに力強く頷く。
「わかりました」
「それと、あたしは絶対に裏切らないしセシリアの側にいるから安心してね」
「……ルナスさん」
私はルナスさんの言葉が嬉しくて、また涙が流れてしまう。するとルナスさんは泣き止むまで背中をさすり続けてくれた。
「ルナスさん、ありがとうございます。おかげでスッキリしました」
「ふふ、また泣きたくなったら泣きなさいね。あたしが側にいてあげるから」
「はい」
「よーし。じゃあ、ダンジョンを出ましょう!」
ルナスさんは元気よく腕を上げる。私は頷くとルナスさんと共にダンジョン出口に向かって歩きだすのだった。