1、長い夢の中へ
断罪の裂け目から落ちている最中、心底ほっとしていた。この理不尽な世の中からやっと解放されると思ったから……
◇
セシリア・シルフィードは氷の聖女として勇者パーティーに入り、仲間と共に魔王と戦い、そして激闘の末に勝利した。だが、帰ってきたセシリアを待っていたのは残酷な仕打ちだった。
◇
私……セシリア・シルフィードはアルセウス領にある魔物が蔓延するダンジョン『裏切りの洞窟』最深部にある断罪の裂け目の前で家族、そして共に旅をしてきた仲間に追い詰められていた。
どうしてこんな事を……
目の前で薄ら笑いを浮かべる義理の姉、ダリア・シルフィードを邪魔な前髪をかき分けながら見つめる。すると、お義姉様は手入れがいきとどいた髪を弄り言ってきたのだ。
「汚らしい平民風情が氷の聖女を名乗るのをずっと我慢していたけれど、もう限界ね」
そして蔑んだ目を向けてくる。正直、言っている意味がわからずただ黙っているとお義姉様は驚いた顔をした。
「はっ、何? もしかしてわからないの?」
「は、はい……。それに平民風情って……」
恐々答えるとお義姉様は明らかに馬鹿にした表情に変わる。
「ああっ、もしかして自分が公爵家の一員だとでも思っていたの? それならお門違い。あなたは利用価値があったからお父様に拾われただけなの。それなのに自分が公爵家の令嬢だと勘違いしていたの? ふざけないでよね。あなたに流れてるのは汚らわしい平民の血。一滴だって貴族の血は流れてないのよ!」
そして威圧する様に睨んできたのだ。私はそんなお義姉様に恐怖を感じ継ぎ接ぎだらけのローブを掴み俯いた。
すると、お義姉様は嫌悪感を隠さずに続けて言ってきたのだ。
「なのに平民で不細工な芋女が氷の聖女をしているなんて……絶対許せないでしょう。だから、この高位貴族であるシルフィード公爵家の長女ダリア・シルフィードが氷の聖女になるの」
お義姉様は高らかに宣言する。私は恐怖も忘れ驚いてしまった。
「……お、お義姉様が氷の聖女? でも、お義姉様に氷の聖女が使える力はありませんよ」
しかし、お義姉様は自信満々に答えてくる。
「魔王も居なくなったわけだから、もう氷の聖女がわざわざ戦いに行く必要なんかないでしょう? なら、私でも問題ないじゃない」
「だ、駄目です! 魔物はまだ沢山いるし、私の治療を待ってくれてる人達もいるんです。それに、いつか氷の聖女じゃないってバレてしまいますよ!」
必死に説明するとお義姉様は笑みを浮かべた。
「ふふ、そんなの大丈夫よ。私にだって治癒魔法は使えるし、最悪は魔王の呪いで氷の聖女の力は無くなったって言えばいいだけだもの。それに私が今後、何かの戦いがあっても参加しなくても良いようにちゃんと考えてるのよ」
「でも、私を知っている方が……」
「ぷっ、だ、誰よ? はははっ! あなたの顔を知ってる人なんてシルフィード公爵家でも一握りしかいないのよ。だからこそ、この姿なの。私とあなたの姿って似てるでしょう? まあ、あなたの醜い部分は全く似てないけど」
お義姉様は私と違って手入れがいき届いた髪をかき上げる。私はハッとしてしまった。
「……最初から私を殺すつもりだったのですね」
「さあ、なんの事かしら」
「と、とぼけないで下さい。シルフィード家に入った時、魔導具でこの髪と目の色をあなたと同じ色にしたじゃないですか!」
私は自分の髪を掴みながら説明する。しかし、お義姉様は見もせず自分の髪を楽しそうに弄るだけだった。だが、しばらくすると隣にいた同じパーティーの騎士ロック様と、魔法兵ジャック様を見る。
するとロック様とジャック様が私ににじり寄ってきたのだ。途端に恐怖に襲われてしまう。わかってしまったから。二人が私を殺そうとしているのを。
「ロック様、ジャック様、お願いですからやめて下さい……」
何とか振り絞って言葉を出すがロック様は下品な笑みを浮かべ、ジャック様は嬉しそうな顔をするだけだった。
「どうして……」
つい口に出ると二人はやっと口を開く。
「大金積まれてんだからしっかり仕事しないといけないんだよ」
「私は聖女となるシルフィード公爵令嬢が、聖騎士にと推薦してくれると言われましてね」
「そんな……。一緒に魔王を倒した仲間だと思っていたのに……」
すると二人は腹を抱えて笑い出したのだ。
「はははっ! 仲間だあ? 俺が唯一やる気が起きなかった汚らしい芋女が? ありえねえよ」
「くくくっ、まさか平民如きに仲間にされていたとは傑作ですね。はっきり言いましょう。私は命令で嫌々組まされていただけです」
二人の言葉に私はショックを受ける。正直、嫌われているのはわかっていたがここまでだとは思わなかったのだ。
思わず涙が出てくる。しかし、そんな私に二人は躊躇なく剣を振り下ろしてきた。
だが、氷の結晶の形をした結界が現れ私を守ってくれた。ロック様は舌打ちし、ジャック様は納得した表情を浮かべる。
「ちっ、今の俺の力ならやれると思ったんだがな……」
「その自動結界を破れる者はいませんよ。当初の予定通り私の魔法でいきましょう」
ジャック様は剣をしまうと短杖を取り出す。直接攻撃できないから魔法で地面を崩し、私を落とそうとしているのだろう。理解した私は叫ぶ。
「だ、誰か助けて!」
思ったより声が出てダンジョン内に響きわたる。これでもしかしたらと期待したのだが誰にも届く事はなかったらしい。静まり返ったこの空間をジャック様は冷たい表情で見渡す。
「誰も来ないですよ。たとえあなたの側にいつもいる口うるさい婚約者でもね」
「……婚約者? あっ」
ジャック様に言われ側にいつもいた人が婚約者だったということを思いだす。
ジークハルト様……。いつも冷たく扱われ、馬鹿にされていたので、いつの間にか私にとって苦手な人としか認識しなくなっているオルデール王国の王太子殿下だ。
今日はいらっしゃらないけどやっぱり……
目の前の三人を見て自嘲気味に笑う。
別に私が死ねば良いだけじゃない。どうせ生まれて今日まで虐げられた日々だったのだから。生きてたって何も楽しい事はないわ……。でも……
ふとある人物の顔を思い浮かべる。そして思わず口にしてしまった。本当は知りたくなかったのに。
「こ、この事を、ゆ、勇者様は知っておられるのですか?」
うわずった声で聞くとお義姉様は笑いを堪えるかの様に声を抑え、答えてきた。
「知ってるわよ」
その言葉を聞いた私はつい口が開いてしまう。
「う、嘘です! 勇者様は優しい方ですからこんな事は許さないはずです!」
しかし、言った後に我に返ってしまった。初めてお義姉様に反論したことに気付いたから。絶対にただでは済まないはずだからだ。おそらく言葉の暴力が永遠に近いほど飛んでくるだろう。
そう思い震える体を自ら抱きしめていると、お義姉様は怒るどころか急に笑いだしたのだ。
「残念ねえ、勇者はあなたのことが大嫌いだってさ! はははははっ‼︎」
お義姉様は今まで見た事がないぐらい、顔を歪めてそう言う。そして手を叩いて笑いだしたのだ。
勇者様は私の事が大嫌い……。大嫌い……
今まではどんなに酷い言葉を受けてもなんとか、踏み止まれた。けれど今の言葉は駄目だった。完全に私の心を深く抉ったのだ。それは、私にとって勇者様は唯一の希望だったからだ。その希望を否定されたのだ。ふらふらして、バランスを保てなくなり倒れそうになる。そんな私にお義姉様は追い討ちをかける様に言ってきたのだ。
「勇者は仕方なくあなたの話し相手をしてあげたのよ。わかるでしょ。皆の勇者は誰にでも優しくしなきゃいけないの。たとえ平民風情の不細工な芋女であってもね」
腑に落ちてしまう。お義姉様の言う通り勇者様は誰にでも優しかった。たとえ周りから蔑まれて嫌われていた私であっても。
やっと理解した。私みたいなのに優しくしてくれたのはそういう事だったのね。
力が抜け地面に膝をつくとお義姉様が心底嬉しそうな顔で見てくる。
「その顔、最高よ」
そして言い終わると同時にジャック様の魔法が足元を壊し、崩れた足場と共に私は断罪の裂け目へと落ちていったのだ。
◇
セシルは孤児院の前にいつのまにか放置されていた赤子だった。要は他の孤児となんら変わらない存在だったのだ。
しかし、ある日を境に変わった。孤児院で貧しいながらも日々、生活していたセシルに突然、氷の聖女の力が現れたのだ。
孤児院は大騒ぎになったが、シスターの判断でセシルは聖リナレウス教国の枢機卿の元に送られる事になる。しかし、送られる寸前、孤児院があった町を統治するシルフィード公爵家によって無理矢理奪われ、以降はセシリアと名前を変えられ養女として育てられる事になったのだ。
この時セシリアは五歳だったが、シルフィード公爵家での扱いは酷いものだった。部屋は物置小屋で食事は一日二食、パンと少量の野菜が入ったスープのみ。それにほとんど物置小屋から出してもらえなかった。
シルフィード公爵家が差別が強い貴族主義で平民は動く物程度としか思っていなかったからだ。
しかし、八歳の時にオルデール王国の王太子殿下、ジークハルトとの婚約者候補に上がったのを機に食事は少し改善された。ただし、セシリアのためではなく、痩せ細った見た目を王家に何か言われるかと警戒しただけである。
しかし、そんな事はなかった。なぜなら、王宮でもセシリアは酷い扱いを受けたから。お妃教育はほとんどされず、最低限の事しか教えてもらえなかったのだ。しかも、間違えた時の罰は他の婚約者候補よりも厳しかった。これは教えていた教師陣が差別主義で、他の婚約者候補の令嬢を推していたからだ。セシリアの身体は自動で守る結界により、身体への暴力はなかったが、言葉という暴力により心は傷だらけになっていた。
更に王太子ジークハルトから毎回言われる暴言にセシリアは苦しめられる。不細工だから顔を隠せ、顔を見せるな、下を向け、他の男はお前の事を気持ち悪いと思っているなど。容姿の事はシルフィード家全員にも言われていたので、セシリアは自分は不細工で気持ち悪いのだと思い込んでしまい、性格はどんどんネガティブな思考になっていった。
そんな毎日を送っていたセシリアだったが十五歳の時に魔王討伐パーティーに組み込まれ、魔王がいる隣のネイダール大陸に渡った。そこで二年という長い期間のすえに見事に魔王を倒したのだ。その間、唯一まともに話しかけてくれていた勇者によって、セシリアは精神的にも持ち直していた。
だが、断罪の裂け目でダリアに言われた言葉により完全に心が折れてしまったのだ。
◇
断罪の裂け目から落ち、暗闇をひたすら落ちていたが、下に落ちていけばいくほど私の心が穏やかになった。お義姉様やお義母様から言われた言葉を思いだしたからだ。
聖女じゃなくて暗闇が似合う魔女ね。
確かに暗闇の中は落ち着く。
私は目を閉じ落ちながら祈りを捧げる。次に生まれ変わるなら魔女にして下さいと。しかし、氷の聖女である私の耳に聖リナレウス様の声は聞こえてこなかった。もちろん、私は気にしてない。一度も聖リナレウス様の声なんて聞いた事がないから。
かわりに下の方で何かが叫ぶ声が聞こえてきた。多分、魔物の声だろう。
やっと底に着くのね。
私はほっとすると同時に徐々に意識が薄れていく。やっと死ねるんだと思いながら……
◇
だがセシリアは死ねなかった。底に当たる寸前で自動結界が発動したからだ。
だからセシリアは長い間、その結界内で眠り続けるのだった。
辺りにいた魔物を氷漬けにしながら。