1、長い夢の中へ
断罪の裂け目から落ちている最中、心底ほっとしていた。この理不尽な世の中からやっと解放されると思ったから……
◇
私——セシリア・シルフィードは氷の聖女として勇者パーティーに入り、仲間と共に魔王と戦い、そして激闘の末に勝利した。
けれども……帰ってきた直後に私を待っていたのは残酷な仕打ちだったのだ。
何しろ、今まさにアルセウス領にある魔物が蔓延するダンジョン、『裏切りの洞窟』最深部にある断罪の裂け目まで、家族、そして共に旅をしてきた仲間に追い詰められていたから。
後、一歩下がれば落ちてしまうところまで……
私はそのことを確認すると目の前で薄ら笑いを浮かべる義理の姉、ダリア・シルフィードを邪魔な前髪をかき分けながら見つめる。これは今までの中で一番酷いけれど、いつもの冗談ではと期待しながら。
つまりは次にする行動は皆して大笑いしながら来た道を引き返していくのではと……
「汚らしい平民風情が氷の聖女を名乗るのをずっと我慢していたけれど、もう限界ね」
残念ながら義姉は手入れがいきとどいた髪を弄りそう言ってくるだけだったが。蔑んだ目をこちらに向けてきながら。
そして私は正直、彼女が言っている言葉の意味がわからずにただ黙っているだけで……
すると、彼女は驚いた顔をしてくる。
「はっ、何? もしかしてわからないの?」
「は、はい……。それに平民風情って……」
私が恐々答えると明らかに馬鹿にした表情に変わり「ああっ、もしかして自分が公爵家の一員だとでも思っていたの? それならお門違いね。あなたは利用価値があったからお父様に拾われただけなの。それなのに自分が公爵家の令嬢だと勘違いしていたなんて。あのねえ、あなたに流れてるのは汚らわしい平民の血、一滴だって貴族の血は流れてないのよ!」
そう言ってこちらが何も言い返せないぐらい怖い顔で威圧もしてきて。いつも通りに。
いいえ、特に今日はもっと酷い……
なので、私はそんな彼女に恐怖を感じて継ぎ接ぎだらけのローブを掴み俯くしかなかったけれども。何も言い返せずに。
すると、彼女が嫌悪感を隠さずに続けて言ってくる。
「なのに平民で不細工な芋女が氷の聖女をしているなんて……絶対許せないでしょう。だから、この高位貴族であるシルフィード公爵家の長女ダリア・シルフィードが氷の聖女になるの」
しかも、高らかに宣言もしてきながら。
ただし、その様子を見ながらも今度は恐怖を忘れて私は驚いてしまったけれど。
つい、こんな時なのに助言もしてしまいながら。
「……お、お義姉様が氷の聖女? でも、お義姉様に氷の聖女が使える力はありませんよ」
すると義姉は自信満々に答えてくる。
「魔王も居なくなったわけだから、もう氷の聖女がわざわざ戦いに行く必要なんかないでしょう? なら、私でも問題ないじゃない」
「だ、駄目ですよ! 魔物はまだ沢山いるし、私の治療を待ってくれてる人達もいるんです。それに、いつか氷の聖女じゃないってバレてしまいますよ!」
「ふふ、そんなの大丈夫よ。私にだって治癒魔法は使えるし、最悪は魔王の呪いで氷の聖女の力は無くなったって言えばいいだけだもの。それに私が今後、何かの戦いがあっても参加しなくても良いようにちゃんと考えてるから」
「で、でも、私を知っている方が……」
「ぷっ、誰よ? はははっ! あなたの顔を知ってる人なんてシルフィード公爵家でも一握りしかいないのよ。だからこそ、この姿なの。私とあなたの姿って似てるでしょう? まあ、あなたの醜い部分は全く似てないけれども」
そう言うと私と違って手入れがいき届いた髪をかき上げ、笑みを浮かべてきて……
「最初から私を殺すつもりだったのですね」
私がハッとしてそう言っても「さあ、なんの事かしら」そう答えて肩をすくめてくるだけで……
雰囲気からはもう認めていたけれど。
「と、とぼけないで下さい。シルフィード家に入った時、魔導具でこの髪と目の色をあなたと同じ色にしたじゃないですか!」
なので私は自分の髪を掴みながらそう説明する。彼女が認めれば何かしら変化が生まれると期待して。もちろん良い方に。
残念ながら義姉はこちらを見もせず、自分の髪を楽しそうに弄るだけだったけれど……
しかも隣にいた同じパーティーの騎士ロック様と、魔法兵ジャック様の方を向き、目で合図をしてきて……
直後、ロック様とジャック様がこちらににじり寄ってくる。武器の上に手を置きながら。もちろん私を殺すため。
「ロック様、ジャック様、お願いですからやめて下さい」
しかも、こう言ったところでロック様は下品な笑みを浮かべ、ジャック様は嬉しそうな顔をするだけで……
「どうして……」
ついそう口に出してしまうと今度は二人が答えてくる。
「大金積まれてんだからしっかり仕事しないといけないんだよ」
「私は聖女となるシルフィード公爵令嬢が、聖騎士にと推薦してくれると言われましてね」
「そんな……。一緒に魔王を倒した仲間だと思っていたのに……」
すると二人は腹を抱えて笑い出す。
「はははっ! 仲間だあ? 俺が唯一やる気が起きなかった汚らしい芋女が? ありえねえよ」
「くくくっ、まさか平民如きに仲間にされていたとは傑作ですね。はっきり言いましょう。私は命令で嫌々組まされていただけです」
こちらがショックを受けてしまう内容を言ってきながら。
だって、正直、嫌われているのはわかっていたけれどもまさかここまでだとは思わなかったから。彼らは義姉と違い、戦闘に参加をして頑張っていたのだから仲間意識があるものだと。
ほんの少しは……
私はそう思いながら涙を浮かべる。
けれど、そんな私に二人は躊躇なく剣を振り下ろしてきて……
すると氷の結晶の形をした結界が自動的に現れ、私を守ってくれて二人の攻撃を弾いてくれる。
ただし、残念なことにそれでも二人は諦める様子はないみたいだったが。
「ちっ、今の俺の力ならやれると思ったんだがな……」
「その自動結界を破れる者はいませんよ。当初の予定通り私の魔法でいきましょう」
ジャック様が納得した表情を浮かべて今度は剣をしまい短杖を取り出してきたので。こちらの足元を見ながら。
つまりは直接攻撃できないから魔法で地面を崩し、こちらを落とそうというやり方に変更を……
そのやり方をされれば大陸最強と言われる私の結界でさえどうしようもできないから。この状況を打破することは。文字通り非力な私には後は何も。
叫ぶこと以外は……
「だ、誰か助けて!」
すると、すぐに静まり返ったこの空間をジャック様が冷たい表情で見渡す。
「誰も来ないですよ。たとえあなたの側にいつもいる口うるさい婚約者でもね」
「……婚約者? あっ」
ジャック様に言われ側にいつもいた人が婚約者だったということを私は思いだす。
ジークハルト・オルデール。いつも冷たく扱われ、馬鹿にされていたので、いつの間にか私にとって苦手な人としか認識しなくなっているオルデール王国の王太子殿下。
今日はいらっしゃらないけどやっぱり……
目の前の三人を見て自嘲気味に笑う。
それから別に自分が死ぬだけだからもう諦めて良いのではとも考えてしまって。
だって、どうせ生まれて今日まで虐げられた日々だったのだから。生きてたって何も楽しい事はないし……
でも……
私はふとある人物の顔を思い浮かべる。
そして思わずうわずった声で尋ねてしまって……
「こ、この事を、ゆ、勇者様は知っておられるのですか?」
すると、義姉が笑いを堪えるかの様に声を抑えながら答えてくる。
「知ってるわよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、面倒だから来たくないってね」
「そ、それは嘘ですよ! 勇者様は優しい方ですからこんな事は許さないはずですから!」
そう言った直後、私はあることに気づき慌てて口元を隠してしまう。初めて義姉に反論したことに気付いたことに。
つまりは絶対にただでは済まないはずだと。
良くても言葉の暴力が永遠に近いほど飛んでくる……
そう思いながら震える体を自ら抱きしめていると、彼女は怒るどころか急に笑いだす。
「残念ねえ、勇者はあなたのことが大嫌いだってさ! はははははっ!!」
そして、今まで見た事がないぐらい顔を歪めてそう発言も。
私の心を深く抉り徹底的に壊してきながら。
何しろ、今まではどんなに酷い言葉を受けてもなんとか踏み止まれたのは私にとって勇者様は唯一の希望だったから。
「なのに大嫌いだった……」
私はそう呟くと頭の中が真っ白になっていく。それからふらふらしてバランスを保てなくなり倒れそうにもなってしまって……
「勇者は仕方なくあなたの話し相手をしてあげたのよ。わかるでしょ。皆の勇者は誰にでも優しくしなきゃいけないの。たとえ平民風情の不細工な芋女であってもね」
しかも、そんな私に義姉は追い討ちをかけるようなことを言ってくる。
腑に落ちてしまうことを。彼女の言う通り勇者様は誰にでも優しかったから。たとえ周りから蔑まれて嫌われていた私に対してであっても。
やっと理解した。私みたいなのに優しくしてくれたのはそういう事だったのね。
私はそう悟り地面に膝をつくと義姉が心底嬉しそうな顔で見てくる。
「その顔、最高よ」
そして言い終わると同時にジャック様の魔法が足元を壊し、崩れた足場と共に私は断罪の裂け目へと……落ちていったのだ。
◇
セシルは孤児院の前にいつのまにか放置されていた赤子だった。要は他の孤児となんら変わらない存在だったのだ。
貧しいながらもその場所で日々、生活していた彼女に突然、氷の聖女の力が現れまでは……
もちろんその日、孤児院が大騒ぎになったのはいうまでもない。
ただし、しばらくするとシスターの判断でセシルは聖リナレウス教国の枢機卿の元に送られる手筈になったが。送られる寸前、孤児院があった町を統治するシルフィード公爵家によって無理矢理奪われ、以降はセシリアと名前を変えられ養女として育てられる事にならなければ……
ちなみにこの時のセシリアは五歳だった。
そして、この直後から彼女はシルフィード公爵家で酷い扱いを受けるようになったのだ。
部屋は物置小屋で食事は一日二食、パンと少量の野菜が入ったスープのみ。それにほとんど物置小屋から出してもらえない状態。
何しろ、シルフィード公爵家は差別が強い貴族主義で平民は動く物程度としか思っていなかったから。
それは特別な力を持っていようとも。
ただし、そんな彼女も八歳の時にオルデール王国の王太子殿下、ジークハルトとの婚約者候補に上がったのを機に食事は少し改善されたのだが。
もちろん、セシリアのためではなく、痩せ細った見た目を王家に何か言われるかと警戒しただけで。
まあ、ちなみにその警戒はすぐに緩んでしまうのだが……
なぜなら、王宮でもセシリアは酷い扱いを受けたから。お妃教育はほとんどされず、最低限の事しか教えてもらえなかったので。
しかも、教えていた教師陣が差別主義で、他の婚約者候補の令嬢を推していたのでセシリアが間違えた時の罰は他の婚約者候補よりも厳しくされたから。
ただし、身体は自動で守る結界により身体への暴力ではなく言葉の暴力であったが……セシリアの心は十分に傷ついていったのだ。
しかも、その傷ついた心を婚約者であるジークハルトは癒すどころか更に傷つける行為を……
不細工だから顔を隠せ、顔を見せるな、下を向け、他の男はお前の事を気持ち悪いと思っているなど。容姿の事はシルフィード家全員にも言われていたので更に自分は不細工で気持ち悪いのだと思い込み、セシリアの性格はどんどんネガティブな思考になっていったのだ。
しかも、そんな毎日を送っていたセシリアが十五歳になると強制的に魔王討伐パーティーに組み込まれて魔王がいる隣のネイダール大陸に渡ることに……
ただし、二年という長い期間のすえに見事に魔王を倒してしまうのだが。
その間、唯一まともに話しかけてくれていた勇者によって傷ついた心を癒すこともできて。
断罪の裂け目でダリアに言われた言葉により完全に心が折れてしまうまでは……だったが。
◇
断罪の裂け目から落ち、暗闇をひたすら落ちていたけれど……なぜか、下に落ちていけばいくほど私の心は穏やかになっていった。
それは、きっと、義姉や義母から言われた言葉を思いだしたからだろう。
聖女じゃなくて暗闇が似合う魔女ね。
確かに暗闇の中は落ち着いたので。目を閉じれば更に。
そう思いながら私は聖リナレウス様に祈りを捧げる。次に生まれ変わるなら魔女にして下さいと。
ただ、こんな時にも私の耳に聖リナレウス様の声は聞こえてこなかったけれど。
一応、氷の聖女なのにね。
そう思いながらも私は気にせず祈り続ける。
一度も声なんて聞いた事がなく、助けてくれなかった存在に向かって。
こんな時でも癖はやめられないから。
「祈り癖は……」
そう呟いた直後、下の方で魔物か何かの叫ぶ声が聞こえてくる。まるで、代わりに応えてあげたよと言いたげに。
いいえ、底はもうすぐだよ……かしら。
なので、安堵すると同時に私はゆっくりと息を吐き意識を手放したのだ。
やっと死ねるんだと思いながら……
◇
残念ながらセシリアは死ねなかったのだが。底に当たる寸前で自動結界が発動したから。
底全体を凄まじい冷気で覆い、昼間のように明るく照らした後、セシリアを氷の塊のような形の中に閉じ込めてしまって。
なので、セシリアは長い間、その結界内で眠り続けることになってしまったのだ。
辺りにいた魔物を氷漬けにしながら。




