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花冠と白い騎士  作者: 天晴 月湖
序章 その少年、生きる
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羊飼いの少年(6)

「……母ちゃんが、これでローレライの奥のほうへ行けって……」

「――そうか……そうか」


 ラルドは首を傾け、更に何か考え込んでいるようだ。


「ローレライってどこ?」

「ローレライというのはこの国の……君が住んでいるこの場所の名前だ。本当はもっと細かく名前があるが……。向こうにある国境と逆の向こうが『奥の方』だ」


 少年の問いにラルドはあっちこっちを指さしながら説明をする。少年はぽかんとした顔をして動き回る指先を目で追った。

「おお、そうだ」と何か思いついたように、ラルドは先の尖った石を拾うとしゃがみ込んで、今度は少年へ絵を描いて見せる。地面へ大きな丸を描き、それを半分に割るように真っすぐ縦線を引く。


「左がローレライで、右がリューベツァール……分かるか?」

「うん、僕はこっちに住んでる」


 少年は描かれた円の左側を指差す。


「そうだ。こっちの方が分かりやすかったな。火葬が終わった後、俺が君を『ローレライの奥』まで乗せていこう」


 尖った石の先は、真っ直ぐ引かれた線からずっと左側へ動く。


「……国境は危ない場所?」

「そうだな……。近付けば近付くほど危険だ。余程の用事が無い限りは行かない方がいい」


 ラルドは縦に引いた線へバツをつける。


「だからといって“奥のほう”が安全な訳じゃない。袋の中身を簡単に人に見せては駄目だ」


 そう言うとラルドは、腰に下げた袋から白く長い糸のようなものを取り出す。少年の右手を握り、隅から隅まで眺めると、先ほど地面に打ち付けた場所から血を絞る。少年はたじろぐが、なすがままだ。

「やはり持っていれば使いどころがあるじゃないか」などと独り言を言いながら、糸の端から端まで少年の血を染み込ませる。

 血を吸った糸は淡く白い光を放つと硬く赤い糸へとじわじわと色を変え始めた。ラルドはその糸を袋の紐へ複雑に絡み付け、開けっ放しの袋の口を縛った。糸が端まで真っ赤に染まると、光も消えてしまう。


「これは何?」

「これはまじないだ。珍しいぞ、雷猫(らいびょう)の髭だ。滅多に見かけない。君以外が故意にこの袋を触ろうとしたり開けようとするとバチが当たる。俺ももう触れない」

「まじない……」


 少年は不思議そうに赤い糸を見つ、こんなに細い糸にそんな力があるのだろうかと疑問に思った。

 微かに蹄の音が聞こえ、少年はそちらへ目を向ける。先ほどの二頭、その後に続き二つの荷馬車が旗の近くへと止まった。

 甲冑を着た人達は、荷馬車から遺体を下ろし次々と円の中へ並べる。そして胸の上へ白く輝く砂を振りかけた。遺体の中には何度か会ったことのあるご近所さん――老爺の姿もある。


「君の家族も並べる。いいか?」

「――うん」

「最後に顔を見ておくか?」


 ラルドの言葉に、少年は目を伏せ首を横に振った。


「――ううん。もう、お別れしたから……」

「そうか――そっちが終わった後は、家の中の三人と……エデルは動物も頼む」


 指示に従い、家の中へぞろぞろと人が入っていく。エデルは家の周辺を歩き、羊や山羊にも白い砂を振りかける。

 少年の目に映る、見知らぬ人間と血塗れの景色。本当は父親と母親に抱きつきたい。弟を抱き締めたい。だがもう、自分自身を抱き締め返してくれる存在はいないのだ。大好きな家族はもう動かない。少年はそれが痛いほど分かっていた。

 心の痛みを悟ったのか、牡馬が少年の頬へ鼻を押し付ける。


「エメット……ありがとう……。あの、エメットも一緒に奥のほうに行ける?」

「ああ、一緒に連れて行こう」

「良かった……エメット……」


 少年は牡馬の顔へ頬を擦り付けた。


「隊長ー、確認お願いしまぁす」

「今行く。君はこの馬へこれを食べさせるんだ」


 家の中からヨハネスの声が聞こえる。ラルドは腰に付けた小さな鞄から茶色い塊を二つ取り出し、少年へ渡す。


「これは……?」

「馬の餌だ、栄養価が高い。一つ食うだけでも相当長く走れるようになる。ほら、人間だって食えるぞ」


 大きく口を開け、少年に見せつけるようにしてそれを一口齧る。

「美味くは無いがな」真顔でそう言い残し、ラルドも少年の家へ入っていった。


「エメット……よかったね」


 少年は塊を牡馬の口へ運ぶ。牡馬は少しずつそれを齧り取り、直ぐ平らげてしまった。おかわりをねだるように鼻先を少年へ擦り付ける。

「もう一つあるよ」と少年が牡馬の口へ塊を近づけた。


「――どういうことだ」

「俺たち何も知りませんよぉ」

「…………周りを見てくる」

「はぁい」


 家の中から何やら話し声が聞こえる。ヨハネスの大きな声は、家の中でも外でも関係なく耳へと届く。


「何かありました? こっちは終わったので、先に進めますよ? 日が暮れそうです」


 ラルドは急いだ様子で少年の家から飛び出すと、兜を被り馬に跨った。重たげな甲冑が鈍い音を立て、馬具へぶつかる。全身に金属を纏っているのに何故あんなに身軽に動けるのだろうと少年は不思議に思った。

「頼んだ」とエデルへ残すと、夕日色に染まりつつある大地へと駆け出して行った。

 エデルは兜を外し、腰に付けた鞄から小瓶を取り出すと、何やら透明な液体を自分へ振りかけている。水色の髪が汗で額に張り付いていた。顔が丸く、幼い子供のような顔をしているが、どこか賢げな雰囲気がある。小瓶の口から垂れる最後の一滴を掌に取ると、擦り合わせるようにして両手へ馴染ませた。


「命は星に、願いは輪廻に――」


 エデルが並べられた遺体の前で膝をつき、両手を組み唱える。水色の濡れた髪が、一瞬風に吹かれ揺らめく。

 白い砂はちりちりと音を立て震え、瞬く間に蒼い炎が上がった。炎は円の中に置かれた遺体を、一瞬で骨だけにしてしまった。羊と山羊の骨は細かな粉末へ変わり、空気中へふわりと散り消えてしまう。ヨハネスたちは白く金色の装飾が施された箱を荷馬車から下ろすと、その中へ骨を集める。少年一人くらいは易々と入ってしまえそうな大きさだ。

 地平線に太陽が半分ほど呑まれた頃、ラルドが戻ってきた。


「どうでした?」


 エデルが骨集めもそこそこにラルドへ問う。


「……何も見当たらなかった」

「そうですか……ご苦労様です」


 一言残し、エデルは直ぐ骨集めへ戻ってしまった。ラルドは大きな溜息を漏らすと、骨を拾い始める。少年はその様子を只々眺めるだけだった。


「墓はここに作りますかぁ?」


 ヨハネスが大きな声で聞く。


「――否、神聖なものだ。少し離れた場所にしよう」

「えぇ、そこまで誰が運ぶんですかぁ?」

「――お前だ」

「はい? 滅茶苦茶重いんですよ?」


 ここに来て初めてヨハネスが兜の正面部分を指で上げ、顔を露わにする。たれ目で鼻の高い美青年が気怠そうな顔をしていた。


「ヨハネス」

「…………はぁぁぁ……い」


「あの人絶対根に持ってるよ……おまけに地獄耳だし。だからモテないんだってぇ」とヨハネスが呟く。


「……お前わざと言っているだろう」


「えっ!? 何で聞こえるんですか!? 違います違います!」と焦った様子のヨハネスが大きな声で否定する。


 ラルドは兜を脱ぎ、ヨハネスを一睨みすると、少年の前に立つ。


「――君に伝えなきゃならないことがある」

「……なに?」


 少年は返事をする。


「――いや、いい。何でもないんだ。すまない……」

「……?」


 ラルドは酷くばつの悪そうな顔をしていた。


「――日が暮れる。海石(かいせき)を探せ、墓はそこへ作る。荷物をまとめろ、ここを離れるぞ」


 男達は荷物を片付け各々の馬に跨る。ヨハネスは一人で必死に箱を持ち上げようとするが、結局三人がかりで箱を持ち上げ荷馬車で運ぶことになった。

 少年はラルドに抱えられ、生まれて初めて馬に乗る。エメットはぴったりとラルドの後ろに付く。

「ついてこれるな?」と問われ、牡馬は大きく鼻を鳴らした。

 白い馬が地面を蹴る。少年は振り返り、どんどんと小さくなる我が家をただひたすら目で追う。夕日色の空と生まれ育った家は、離れるほどに同化して最後には空へと飲み込まれてしまった。

 もう、あの場所には誰もいない。大好きな家族も、羊達も、山羊も。住む人間を失ったあの家も、死んでしまうのだろうか。腐って、朽ちていくのだろうか。少年の目から静かに涙が零れた。あの家もあの家が抱える思い出も全て、家族と一緒に白い砂で燃やしてもらえば良かったと今更になって後悔する。


 少年は「――さよなら」と呟くと前を向き、もう振り返らなかった。


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