痴漢撃退魔法習得
まったく考えていなかったので、なんの魔法にしようか迷ってしまう。
ど、どうしようかな。
するとラング准将が祐奈の目をヴェール越しに覗き込み、いつになく真剣な口調でこんなことを言ってきた。
「祐奈。お願いがあるのですが」
ラング准将からの『お願い』……なんだろう。なんでも叶えてあげたくなる。
「なんでしょうか」
祐奈はドキドキしながら尋ねた。肩叩きでもなんでもしますよ。できることならもうなんでも。
「取得魔法ですが、『痴漢撃退魔法』にしてください」
「……は?」
え、空耳?
「不埒な輩に襲われた時に、撃退できる魔法を持っていてほしいのです。心配なので」
「あの、でも、襲われる可能性はほとんどゼロだと思うのですが」
ラング准将というスーパー強い護衛がいるし(この時の祐奈は薄情にもリスキンドのことはすっかり除外していた)、それに醜い聖女を襲ってやろうという奇特な人間はこの世に存在しないと思うのだ。物理的にグーで殴られる危険とかはありそうだけれど。
ラング准将は『痴漢撃退魔法』と限定的な表現をしているから、ものすごく謎だ。
「私が近くにいない時に、身を護れるすべがある状態にしておきたい。そうでないと不安で仕方ないのです。私の精神安定のために、どうか会得していただけないでしょうか」
いつになくラング准将がグイグイくる。いつもはもっと譲歩しつつ、最後は祐奈に任せますって感じなのに、今日は違う。
なぜか襲われる前提でものを言っているし、その時のために絶対に覚えておいて! という、ものすごい圧を感じた。
正直祐奈は『えー必要ないよう』と思ったのだけれど、こうまで強くお願いされたら断ることもできず、圧倒される思いで頷いていた。
「わ、分かりました。じゃあ」
「押し倒された状態からでも確実に逃げられるような、強い魔法でお願いします」
こ、怖いよ、ラング准将。絶対に押し倒されないよ。
顔が綺麗な人が真顔になると怖いんだよね。
「じゃあ、あの、大きな音とかでびっくりさせる系ですかね?」
「いえ。相手の意識が飛ぶような何かにしてください。息の根を止めても構いませんので」
いや、構うよ! ていうか意識ぶった切らないとだめなの? しかもメモリの弱が『失神』で、強は『死』なんだ? 振り幅ものすごいな。
しかし、だ。とてもじゃないが、逆らえる空気ではなかったのである。
「――では、『雷系』にします」
深く考えずに決めてしまった。
***
聖具の前に立ち、集中する。
レベルは『弱』『中』『強』の三段階にしよう。
まず、弱。落雷はやりすぎだから、スタンガンを押し当てたレベル? でもスタンガンって実際に見たことないなぁ。バチバチッ、となるくらい? 白目剥いて気絶するくらい? ……ええと、こんなにざっくりで大丈夫かな?
次に、中。岩とか砕けるくらい? どこかに閉じ込められた時とか(そんなことがあるのか分からないけれど)、壁などの硬い物質を破壊できたほうがいいよね。……え、それで『中』なんだ?
なんだかよく分からないな。攻撃魔法って怖いんだよね。
もういいや、それがレベル『中』で。この時点ですでに落雷のレベルに近いのかな? 落雷で木が一本焼けたりするものね。
最後に、強。これはもう天が割れるレベルだな。中が強めになっちゃったから、仕方ない。たとえばコーヒーショップで、カップをワンサイズアップしてオーダーしたのに、『見た目そんなに変わりませんでした』じゃ猛烈クレームものだしね。メリハリは大事よ。
強はあれだな、『世界が平和なら一生使うことはないであろうレベル』の魔法だな。いるのかいないのか分からないけれど、気性の荒いドラゴンみたいなヤバイ敵が出てきた時に使う用ということで。
呪文名――もう『雷撃』でいいや。
攻撃魔法の取得はそんなに乗り気でもないので、ざっくり行き当たりばったりになりがちな祐奈であった。
精神統一して、ブレスレットを聖具に近づける。
『――雷撃――』
呪文名を唱え、先に決めた三段階のイメージを心の中で繰り返した。
銀盃が光ったあと、ブレスレットに少しばかりの反発を感じた。若干呑み込みを渋っている感じ。ちょっと重めのアップデートみたいな。
あれ……『強』のレベルを盛りすぎて、重くなっちゃったのかな?
もしもNGなら一旦弾かれて、やり直しだろうか。まぁそれでもいいけれど。
などと考えていたら、精霊アニエルカから取得する時よりも十倍くらいの時間がかかって、やっと取り込み作業が完了した。
「終わりました、ラング准将」
達成感を覚えて笑顔で振り返ると、ラング准将が優しくねぎらってくれた。
「ありがとうございます、祐奈」
なぜラング准将がお礼を言うのだろう……祐奈は少し不思議に思った。
リスキンドが腕組みをして、
「……やはり怪しい」
とひとり呟きを漏らしていた。
***
ソーヤ神殿を去る前に、大階段前でビューラに呼び止められた。
「――祐奈」
彼女の骨ばった手がぐっと両肩にかかる。こちらを見据える瞳は鷹のように鋭く、祐奈は知らず背筋が伸びた。
ヴェールなど存在しないかのように、ビューラがじっとこちらを見つめてくる。
「私は昔、優秀な巫女だったの。今はもうあまり力はないけれど。それでもあなたに言っておきたいことがある」
「はい」
「昨日、夢見をした。『カナンルート』は確かに先行きが厳しい。だけどひとつだけアドバイスを――『回り道が吉』よ」
「回り道、ですか」
どういう意味だろう?
「だけどこれは意識しすぎてもいけない。結果的に――もしも勝利の女神があなたに微笑むなら、あとで意味が分かるかもしれない。とにかく未来は不確定ってことね。運命はどちらに転ぶのか」
「ビューラさん」
「私、あなたのこと、好きだわ。シャイで真面目で――まったくもう、可愛い子ちゃんね。ラング准将が過剰に心配するわけだ」
ビューラが瞳を細めて口角を上げる。からかっているようで、どこか痛々しいほどに真剣だった。
案ずるような昏い影が彼女のおもてによぎる。それが祐奈の未来を暗示しているかのように感じられて、ふと寒気を覚えた。
「あなたの無事を祈っている。私ごときの力はごく僅かだけれど――でもあなた、精霊アニエルカの加護も乗っかっているわよ」
「そうなのですか?」
「私からもだめ押しで――『神のご加護を』」
改まった口調だった。言霊という概念があるが、ビューラがなんらかの願かけをしてくれたのが分かった。
不意に彼女に抱きしめられ、祐奈はビューラの背に手を回した。人の温もりがありがたく感じられて、少し泣きそうになる。
「……ありがとうございます」
声が震えてしまった。
「元気でね!」
ビューラはくすりと笑い、ヴェールをかぶった頭を優しくポンポンと撫でてくれた。
それから彼女はラング准将への可愛がり(?)も忘れなかった。
「――お前も達者でな、色男!」
乱暴にラング准将の肩を殴っている。彼をここまでぞんざいに扱ったのは、あとにも先にもビューラだけではないだろうか。
祐奈は可笑しくなって、くすくすと笑い出してしまった。
ラング准将は呆れていたようだが、怒りはしなかった。
こうして一行は良く晴れたうららかな日和の中、ソーヤ神殿をあとにしたのだった。
5.苦手克服の部屋(終)
※次章、ショーが登場します。